幽霊たちの逆襲 ― 三遊亭圓朝「怪談牡丹燈籠」

怪談牡丹燈籠
三遊亭圓朝 作
[岩波文庫版で読了]
夏だ!
怪談の季節ですね
稲川淳二の稼ぎどきでもあります
しかしなぜ夏になると急に怪談の需要がたかまるのだろう?
さいわいこれまでお目にかかったことはないが、幽霊が夏だけに活動するとはおもえないのだが
この疑問にこたえるべく仮説をたててみた
幽霊の活動を活発化させた犯人は日本政府だ
明治六年のグレゴリオ暦(新暦)採用により、旧暦7月15日におこなわれていた「お盆」が新暦8月15日に一月ずれることになる
新暦採用による季節感の齟齬をただすための処置であり、これを「月おくれの盆」とよぶ
同年に旧暦の盆の実行にこだわった山梨県に勧告をだすなど、政府は暦の変更をつよく全国に強制した
盆といえば正月とならぶ日本人にとっての重要な儀式だが、新暦でも1月1日からうごかなかった正月とちがい、盆はその暦の上でのよりどころがよわまってしまう
そもそも「正月」を1月1日からうごかせるわけがないし、お盆は「国民の祝日」という権威もあたえられずに冷遇されてきた
盆についてまわる仏教や土俗の要素が、神道にちかい政府からきらわれたのか
一般企業は8月15日前後は休日であることがおおいが、官公庁や金融機関は通常営業をしているし、現在のお盆には「ゴールデンウィーク」とおなじ程度の意義しかない
だから夏になると日本人がおもいだしたように幽霊話に夢中になるのは、うしなわれつつある盆の習俗をとりもどし、霊をなぐさめようという代償行為なのだろう
この説にはけっこう自信があります
さて、三遊亭圓朝の怪談のはなし
圓朝は幕末から明治期に活躍した落語家で、この「怪談牡丹燈籠」は明治十七年に速記本がはじめて出版された
こんなにおもしろい小説(著述ではないが)はひさしぶりによんだ気がする
幽霊はでてくるが超自然現象でおどかすことはなく、モダンな印象をもった
そもそも「真景累ヶ淵」の冒頭で圓朝はこうかたっている
今日より怪談のお話を申上げまするが、怪談ばなしと申すは近年大きに廃りまして、あまり寄席で致すものもございません、と申すものは、幽霊というものは無い、全く神経病だということになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。
怪談が「開化先生」がふかす逆風のなか語りつがれてきたことがわかる
たしかに「牡丹燈籠」はこわい
でもそれは幽霊のこわさではなく、人の心のこわさだ
おとなしい若侍の飯島平左衛門が、抜刀するや否やからんできた浪人を無残に切りきざむ導入部からそのまがまがしさにひきこまれる
そして敵討ちという主題が物語にからみつき、血のにおいをこびりつかせる
恋愛の描写もひかえめではあるがなかなかのもの
平左衛門の娘のお露と、その恋人である新三郎の逢瀬の場面
両人ともにその晩泊り、夜の明けぬ内に帰り、これより雨の夜も風の夜も毎晩来ては夜の明けぬ内に帰る事十三日より十九日まで七日の間重なりましたから、両人が仲は漆の如く膠の如くなりまして新三郎も現を抜かしておりましたが、…
「両人が仲は漆の如く膠の如く」という表現がエロティックというか、植物っぽくて不気味というか
このお露が幽霊となり新三郎にとりつきます
一番おそろしい場面は、この演目における極めつけの悪党である伴蔵が、若い女と浮気をしていることがばれて糟糠の妻のおみねを殺すところ
みね「誰も来やアしないよ、どこへさ。」
伴蔵「向うの方へ気を付けろ。」
という。向うは往来が三叉になっておりまして、側えは新利根大利根の流にて、折しも空はどんよりと雨もよう、幽かに見ゆる田舎家の盆燈籠の火もはや消えなんとし、往来も途絶えて物凄く、おみねは何心なく向うの方へ目をつけている油断を窺い、伴蔵は腰に差したる胴金造りの脇差を音のせぬように引こ抜き、物をも云わず背後から一生懸命力を入れて、おみねの肩先目がけて切り込めば、キャッとおみねは倒れながら伴蔵の裾ににしがみ付き、…
こういうのを名調子というのか、たくみな風景描写が残酷さをきわだたせていることだなあ
それにしても江戸時代の物語というのはサディスティックというか、ときに非人間的といえるほどの唐突な暴力にうったえるので背筋がさむくなる
そんな陰惨な話が庶民にうけていたのだから、あの時代の精神はそうとうに鬱屈している
それこそ現代とおなじくらい
幽霊も稲川淳二も、その出番がへることはとうぶんなさそうだ
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