死せる長沼健、生ける松井大輔をはしらす

サッカーについていろいろなひとがいろいろなことをいっているが、いちばんだいじなことはだれも口にしようとしない
それは、サッカーの勝ち負けは偶然によってきまるということ
こんなことをいったらバカにおもわれるからかな?
しかしけっきょくのところわれわれは、より幸運なチームを「強豪」とよび、よりつきにめぐまれた選手の「才能」をほめそやしているだけ
勝ち馬にのるってやつです
数年まえ、幸運児ロナウジーニョの「才能」をだれもが絶賛していたものだが、いまではかれは嘲笑のまとになっている
いわく、夜あそびばかりしてるからおちぶれたとかなんとか
有名になるまえからディスコがだいすきな出っ歯のブラジル人にとっては腑におちないことだろう
まあ、まわりの評価というものはえてして客観的ではないものだ
われらが電通代表が三次予選を突破した原因は、まず第一に実力
バーレーン、オマーン、タイを相手に三位以下の成績はあってはならないことだ
とはいえ3月26日は岡田武史のあきらかな戦術ミスでバーレーンに敗北し、電通代表はちょっとした危機にあった
いまからふりかえってみても、予選敗退のリスクはある程度たかまっていたとおもう
では六月の四連戦において、サッカーの女神がなぜかれらにほほえんだのかさぐってみよう
サッカーマガジン7月15日号はインタビュー記事がおおくてよみごたえがあった
はじめは六月の最初の三試合に先発出場し、1アシストをのこした松井大輔
全体的に優等生ぶった内容でつまらないが、ひとつ見のがせない発言が
(インタビュアー)―6月2日のオマーン戦は緊張感につつまれた試合でした
(松井)ぼく自身はほとんど緊張しませんでした
あの日、長沼さんが亡くなられて岡田監督も気合がはいっていたし、試合まえにいいことをいって雰囲気をもりあげてくれました
チームって、監督のひとことでかなりかわるものだとおもいます
かつての代表選手にして、代表監督やサッカー協会会長などの要職を歴任した人物が、代表チームがおいつめられていたまさにその日に没したのだった
なんという偶然!
…長沼?十年まえに会長をやめたやつだろ?
いまの選手たちにとっては無関係じゃん
もしあなたがそうおもっているとしたら、サッカー史についての無知が原因にちがいない
すこしでもこのスポーツに関心があるのなら、長沼が現在の日本のサッカーのありようにどれだけふかく関与していたのかしっておくべきだ
まあおれもWikipediaのうけうりなんですけどね
長沼健は1930年の広島にうまれた
被爆者であり、亡くなるまで白血球過多にくるしんでいたらしい
森孝慈、金田喜稔、木村和司、石崎信弘など、広島出身の関係者はおおい
長沼は焼け野原でサッカーにうちこんで頭角をあらわしてゆき、関西学院大学に入学して関西学生リーグで三連覇を達成するなどの活躍をみせる
関学卒業後も大学でサッカーをつづけるために中央大学の三年に編入(牧歌的な時代だ)、そこでも主将としてチームをまとめ、大学サッカー選手権大会二年連続準優勝などの成績をのこす
そして実家の電気工事業でつきあいがあった古河電工に入社、親分肌で組織力のある長沼はチームの強化を一任されることになる
かれのまわりには自然とひとがあつまるそうで、長沼が所属をかえるごとに日本サッカー界の勢力地図はぬりかえられ、あたらしいチームは強豪になってゆく
古河には平木隆三、八重樫茂生、宮本征勝、川淵三郎、木之本興三、清雲栄純、岡田武史らが集結し、かれらは「長沼一家」とよばれた
とはいえ入社当時は社会人スポーツは認知されておらず、古河はアイスホッケーの選手もまざったしろうとチームだったそうだ
アイスホッケー経験者で、高校からサッカーをはじめた巻誠一郎が後身のジェフ千葉にいるのもふしぎな縁におもえる
いまでもたいしてかわっていないが、日本人にとって「スポーツ」とは教育プログラムの一環だった
あとは相撲のようなおまつりがあるのみで、そのあいだがない
プロどうしの真剣勝負をみてたのしむというかんがえかたが理解されず、むしろそういう西洋的なスポーツ観はいやしいものとみなされていた
たしかに野球は成功したが、そのほかのスポーツは恩恵にあずかることができず、無にひとしい状況だったといえるだろう
わが国でサッカーが野球と対抗できるほどの「スポーツ」として市民権をえたのは奇跡なのだ
長沼は無報酬の日本代表監督としてメキシコオリンピックで銅メダルを獲得、そののちはサッカー協会専務理事に就任して組織の近代化に着手する
このころ古河の経理部にいた小倉純二を、サッカー経験がないにもかかわらず抜擢して財務にあたらせた
ちなみに小倉は現在の協会副会長で、次期会長の最有力ともうわさされている
まさに「フルカワはいってる」状態のおそるべき偏向人事
キリンビールなどのスポンサーを獲得し、電通がもちこんだペレの引退試合を開催するなどして、逼迫していた財政状況は急激に好転する
イングランドのまねをして皇室とのむすびつきをつよめてサッカーの社会的地位をたかめ、プロ化とワールドカップ招致というおおきな目標の準備をととのえてゆく
古河時代の子分である川淵や木之本がJリーグ創設にかかわり、ワールドカップをひらけるだけの実力を証明するため、日本代表のコーチに清雲や岡田をおくりこんだ
長沼は近代スポーツをねづかせるためのあらゆる努力をおしまず、そしてみごとに目標を達成した
すばらしい人生だったといえる
長沼の親分人生の最大の危機は1996年の代表監督問題だろう
体育会系の常識をこえたインテリである強化委員長の加藤久は、空気をよまずにアジアカップの結果をうけて加茂周監督を更迭、後任としてネルシーニョをえらぶことをきめた
ところが外国からかえってきた長沼は独断でその決定をくつがえし、加茂の続投を発表
「加茂でフランスに行けなかったら辞任する」とまで大見得をきって…
将来の日本サッカー界の重鎮と目されていた加藤久だが、その後は協会の要職からはなれている
かれはフルカワではないですからね
いちどへたをうったらさよならです
しかし結果として、加藤の判断がただしかったことが証明されてしまう
最終予選のまっただなかのカザフスタンで、加茂はけっきょく監督の座をおわれることに
この時点ですでに赤っ恥なのだが、眼鏡の子分が長沼を最悪の事態からすくったのは不幸中のさいわいといえるだろうか
大学時代は同好会にいた岡田武史を、サッカー部にいれさせた恩がむくいられたというわけだ
ここまでよんでもらえれば、なぜ岡田が6月2日のロッカールームでほえたのか理解できるとおもう
長沼健があっての岡田武史であり、日本代表であり、日本サッカーなのだ
「健さん」は、その死をもって弟子たちを窮地からすくった
代表チームはここ十数年で最悪のゲームといえる3月26日のバーレーン戦の悪夢をふりきり、3勝1引きわけでなんとか四連戦をきりぬけた
まあようするにサッカーは運なのだ
もちろん良好な人間関係はセーフティネットとしてはたらくが、いつどうやってスイッチがはいるのかはだれにもわからない
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