地図にあるはずの街がみあたらない ― ビル・エモット「アジア三国志」

エレクトロ・ワールド

アジア三国志
Rivals: How the Power Struggle Between China, India, and Japan Will Shape Our Next Decade
(ビル・エモット 著/伏見威蕃 訳/2008年/日本経済新聞出版社)

この道をはしりすすみすすみすすみつづけた
地図にかいていてあるはずの街がみあたらない
ふりかえるとそこにみえていた景色がきえた
この世界 ぼくが最後で最後最後だ


おなじ訳者によるトマス・フリードマンの「フラット化する世界」と対になりそうな本だ
もっともフリードマンの主張はなかば確信犯的なグロバリゼーション礼賛で、世界のすべてのできごとをアメリカ人の問題に還元してしまうヤンキー魂そのものではあったが
エモットはイギリス人で、しかもあの異様にバランス感覚にとむエコノミスト誌の編集長をながくつとめた人物なので、目くばりのよさは尋常ではない
イギリスのイの字もででこないのがぎゃくに不気味なほどだ
10年後の世界はどうなっているのか
だれにもわからないし、それを自信満々でかたる人間は信用できない
これまでの10年間がそうであったように
しかしエモットは「経済のいきおい」を指標にして、詐欺師とはみなされない程度のひかえめな態度で未来の地図をえがく
それがどれだけ有用なのかはともかく、頭脳が刺激されるたのしさがある

アジアは断片的な区域のつらなりで、一体化の基盤となるような言語や文化がない
キリスト教のネットワークがヨーロッパをひとつにまとめるのに重要な役割をはたしたのと対照的だ
もちろんEUも1951年の「欧州石炭鉄鋼共同体」以来、さまざまに名称をかえながら紆余曲折をへて今日のすがたにまで発展したのだが
いや、いまのアジアには一体化をうながすことができる宗教がひとつだけある
金だ
支那とインドという人口だけはどこにもまけない大国が、経済成長という貪欲なゲームの勝ち分をひとりじめしようとあばれまわる
アジアは金のためにあらそい、金のためにもっとむすびつく

みずからを世界の中心をもって任ずる支那は、これまですくなくとも表面的には近隣諸国にたいして友好的にふるまってきた
しかし経済成長はよくもわるくも政治のシステムをかえる
天然資源の供給を外国にもとめざるをえなくなり、潤沢な国家予算を海外に投資されるようになった
もはや国際社会のなかでめだたずにいることはできない
そして共産党はGDPの数値を操作しており、じっさいの支那経済は安定した成長どころか、これまでずっと急上昇と急降下のくりかえしだった
政府はインフレの再燃におびえている
いまだにひとりあたりのGDPはひくく政治的な変化をうながすエネルギーはよわいが、不満をかかえた都市部からの圧力により、いずれ共産党の一党独裁はおわるだろう

インドは世界最大の民主主義国家で、世界最速の成長する経済でもある
しかし地方政治は腐敗しており、政府を批判したニュースサイトの創立者が投獄されるなど、国家レベルでも不安定だ
「フラット化する世界」はバンガロールのIT産業をえがくものめずらしさで注目されたが、じっさいのインドはローテクの産業も発展してきているそうで、偏見をもってあの国をみるべきではない
いっぽう医療の水準はぞっとするほどおそまつで、周辺のスリランカ、支那、ベトナムなどとくらべておおきく立ちおくれており、将来の国家財政の重荷となっている
よい面では、差別撤廃プログラムにより、いわゆる指定カーストに属するひとびとが教育や就職面で保護をうけるなど、ふるいインドはかわってきている

成長した経済はよりおおきな軍事力を道づれにする
支那は今後10年間でアメリカとくらべて遜色のない規模の軍隊をもつことも可能だ
軍隊、情報機関、イスラム聖戦士が暗躍し分裂状態にあるパキスタン
支那の西の壁としてそびえる世界最高峰のヒマラヤ山脈に位置するチベット
…などが紛争の発火点になりうる

80年代にエコノミスト誌の東京支局長を20代でつとめていたエモットは、とうぜんそのころの霞ヶ関の官僚たちと交流があった
日本の経済成長は優秀な国家官僚のおかげと根拠もなくほめそやされ、傲慢になった小役人たちは外国人記者を高圧的におどしつけることもあったらしい
いまの北京の官僚たちとおなじだ
経済の成功はじぶんたちの手柄だが、停滞はだれかほかの人のせいというわけで、霞ヶ関の住人たちはうまく責任のがれをしたが、外国のビジネスマンやジャーナリストがちかよることもなくなった
選挙制度があらためられ、投票結果じたいも与野党が拮抗するようになり、NPOが法的にみとめられるなど、政府にたいする国民の圧力はすこしづつつよまってきている
いつだって日本人は劇的な政治的変化をもとめないのだ
そしてグローバル化に抵抗し、いまだに内むきな社会をまもっている
日本の貿易額はGDP比の28%で、支那の67%よりもはるかにひくい
この見せかけの平和はいつまでつづくだろうか
人民共和国政府は反日デモがだいすきな自国の暴徒たちにオリンピックをつぶされないよう、いまのところ日本にたいし低姿勢にふるまっているが、お祭りがおわればどうなるかはわからない

エレクトロワールド
地面がふるえてくだけた
空の太陽が
おちる
ぼくの手にひらりと


「経済」というわりとあたらしい宗教が支配する世界のなかで、われわれ日本人は地図のどの方角をめざせばよいのだろうか
ひとつは「環境」だ
日本の資本やテクノロジーは、環境の分野でアジア諸国を支援することで支那に対抗することができる
支那の環境汚染が殺人的なレベルであることはよくしられている
ただ、かつての重工業都市である大連がIT産業に移行するなど、この問題でも変化はおこっている
もうひとつは「歴史」
日本と支那は矛盾するふたつの歴史をかかえ、無益なあらそいの原因をつくっている
支那はろくな証拠もない第七三一部隊や南京虐殺を、アウシュビッツなみの大事件として宣伝に力をいれている
まあ本家のアウシュビッツのほうもデータの面でいろいろと問題があるのだが
わが国も東京裁判の不当性をうったえるべく靖国神社にA級戦犯をまつり、毎年夏の東アジアのさわぎの種を提供している
エモットは、日本の首相、できれば皇族が旧日本軍の蛮行を非難する声明を発表し、謝罪するおおがかりな機会をもうけるべきだと進言する
その一方でアメリカは、ホワイトハウスの主導で極東軍事裁判を再吟味する特別委員会を設置するとよいという
それならバランスがとれているし興味ぶかい主張だともおもうが、現実味はうすい

政治が暗く、経済があかるいという両極端で不明瞭な現代のアジアは、19世紀のヨーロッパににている
イギリス、フランス、ロシア、オーストリア、ドイツ統合まえのプロシアが不穏なバランスをたもっていた時代だ
歴史からうらなうにしても、この物語の結末は数パターンかんがえられる
ゴール地点を何年に設定するか?
ナポレオン戦争か、「ヨーロッパの調和」か、軍事同盟をともなう帝国主義か、第一次世界大戦か
よりましなエンディングのために筆者は九つの提言を巻末でのべている
最後のふたつは次期アメリカ大統領にむけたもので、けっきょくオチはそれかよとおもってしまった
手のひらにおちてきた太陽、よくながめてみたらそこには赤い縞もようがあった

アジア三国志アジア三国志
(2008/06/06)
ビル エモット

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theme : 政治・経済・時事問題
genre : 政治・経済

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相変わらずベトナムはインフレが収まりませんね。
高金利政策継続中です。
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