サルまねの裸 ― 宮下規久朗『刺青とヌードの美術史』

彫刻

刺青とヌードの美術史 江戸から近代へ
(宮下規久朗 著/2008年/日本放送出版協会)

この本をよんでいたら、おさないころのトラウマがよみがえった
小学生のころのある日、おれは所属していたサッカークラブの試合のためにバスにのっていた
なにげなく窓からJR稲毛駅前のヌード彫刻をながめていたら、ともだちに「エロい」とかなんとかからかわれた
そうとう憤慨したが、口べたなおれはなにもいいかえさずにその侮辱にたえたと記憶する
いまおもえばこう反論すべきだった
「彫刻は芸術作品であり、それが女性の裸体だったとしても、みることになんら倫理的問題はない
むしろ芸術を理解しないおまえの俗物根性のほうが非難されるべきだ」
しかし、芸術と倫理の相克についての議論をしなかったのは正解だったといえる
小学生のおれに芸術論を展開する能力がないというだけでなく、無教養な友人の発言にも一理あると当時からおもっていた
「ヌードは芸術である」…もしその前提がまちがっているとしたら?
ときに子どもの直感が本質をつくこともあるのだ

この難問にたいする宮下の主張はシンプルだ
もともと日本人にとって裸体をさらすことは日常の一部であって、「ヌード」を特別なものとしてながめる習慣じたいがなかった
浴場での男女混浴があたりまえのような社会では、異性のからだをじろじろとみて性的に興奮するという趣味は成立しない
職人たちは半裸で仕事に精をだし、母親は人目をはばからずに赤ん坊に乳をあたえた
外国人からは特異にみられるこの裸の文化は、高温多湿な風土の影響がかんがえられる
しかし支那人や朝鮮人は人前で肌をさらすことをきらうし、インドネシアですら裸体の習俗はないらしい
ようするにこの島国にいきづく独自の文化であり、罪の意識をかんじるいわれはない
女性のエロティックなすがたがえがかれるときも、西洋のヌードのように八頭身のプロポーションの表現が追求されることはなく、肌のきめこまかさなどの「面」のうつくしさを重視した
江戸時代の春画でも西洋人がだいすきな女性の第二次性徴(乳房や陰毛)には関心がなく、衣服を身にまとっていたほうがエロティックにうけとめられた

そして混乱の時代がやってくる
鎖国をといた日本に、建てまえで裸を忌避し、陰でありがたがるヌード十字軍が侵攻してきたのだ
西洋人たちはみな、裸体をかくそうとしない野蛮な習俗を軽蔑し非難した
しかしその一方でかれらはあらそって浴場にでかけ、しげしげと女性の裸をながめた
まったくすくいようのない連中だ
男女混浴があたりまえのときはなんでもなかったことが、性的な興奮とともにみられることではじめて、「裸をみられてはずかしい」という反応がうまれる
そして外国の目を過剰に意識する政府が、往来で裸体になることを禁じる条例をだすにいたる
「裸をみるのはわるいこと」という正義感にとりつかれたお上は美術の世界にも手をのばし、ヌードの絵画や彫刻をきびしく検閲した
芸術分野を管轄する美術家たちにとって重大な干渉というべきだが、かれらはじぶんたちの都合しかかんがえなかった
黒田清輝らが「智感情」などの作品で、日本人の顔に西洋人の八頭身の体をつぎはぎした裸体画をかき、当時の社会通念に挑戦したことは有名だ
ヌードとは古代ギリシャ以来の伝統をうけつぐ世界普遍の美意識であり、崇高な芸術作品なのだから下等なポルノといっしょにしないでくれ
しかし黒田の念頭にあったフランス限定の芸術観は世界普遍とはいいがたいし、西洋の人体のことこまかな八頭身のカノンや、ややこしい象徴体系までそのまま日本の美術に移植できるわけがなかった
「ゲージュツはありがたいもの」というフランスがえりの美術家のゆがんだ美意識がひろまり、日本中の駅前に珍妙な少女のヌード彫刻が設置されることになる
のちにある少年を困惑させるとはしらずに

【関連記事】
「宮下規久朗『ウォーホルの芸術』」

刺青とヌードの美術史―江戸から近代へ (NHKブックス 1109)刺青とヌードの美術史―江戸から近代へ (NHKブックス 1109)
(2008/04)
宮下 規久朗

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