死刑に正義はない

 

池田輝方『お七』(1905年)

 

 

 

 

死刑に正義はない。

二十世紀後半以降の歴史は、死刑に抑止効果がないことを證明した。

世界の常識だが、日本国民は気づかぬフリをしている。

 

 

 

 

『なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか』(幻冬舎新書)は、

元裁判官の森炎が書いた本で、第一章では、

戦後日本の百二十五の死刑判決をまとめる。

人間の残虐さと、それを裁くものの愚劣さをみせつけられ、

ページをめくるたび逆流する胃の中身をおさえた。

 

冤罪がおほすぎる。

捜査官が證拠写真を捏造した「松山事件」(1955年)や、

担当検事が一件記録を隠したといわれる「財田川事件」(1950年)など。

冤罪が判明するまで、三十年以上かかる。

今後も出つづけるだろう。

「郵便不正事件」では、特捜検事まで捏造をおこなつた。

死刑判決でDNA鑑定が悪用されてないと、だれが断言できるのか?

 

「波崎事件」(1963年)は、ダイイング・メッセージを聞いたという、

被害者の妻の證言くらいしか有力な證拠がない。

死刑囚は、再審の申し立てを繰りかえしながら獄死。

去年映画になつた「袴田事件」(1966年)は、四十五通の自白調書のうち、

四十四通が不当な強要によるものとして證拠排除されていた。

2007年には、裁判官として判決に関つた熊本典道が、

自分は無罪の心證だつたと告白、袴田の姉に謝罪した。

「名張毒ぶどう酒事件」(1961年)では、

公民館の懇親会でふるまわれたワインに農薬が混入し、五名死亡。

しかし七度にわたり再審請求がなされている。

もしだれか殺したいなら、毒殺にかぎる。

犯行を目撃されないし、毒物以外に物理的痕跡ものこらない。

あの「和歌山・毒入りカレー事件」(1998年)は、

蛍光X線分析という高度な手法をもちい、どうにか精製工場を特定できた。

 

つまり断定できる犯罪は、白昼堂々の通り魔くらいだ。

いや、まだ安心できない。

裁判には政治がからむ。

列車転覆致死事件の「三鷹事件」(1949年)は、

殺人ではないのに死刑判決がでた裁判史上の異例。

国鉄の人員整理をめぐる、政府やGHQの思惑が背景にあるとされるが、

単純に国家権力が左翼を弾圧したという話でなく、

起訴された十名のうち竹内景助だけ死刑で、ほかは無罪。

唯一の非共産党員で、党の支援をさほど受けられなかつたらしい。

政治は醜悪だ。

ちなみに暴力団による殺人は、特別に軽くあつかう傾向がある。

ヤクザなら大目にみますというのは、理解にくるしむところ。

 

 

 

 

 

http://blog-imgs-34.fc2.com/n/e/a/nearfuture8/20070920008.jpg

 

 

国がゆたかで平和なら、死刑適用の基準はゆるむ。

人は殺人鬼より、金儲けに関心をしめすから。

終戦直後の厳罰時代をへて、一人殺害なら死刑にせず、

二人殺害なら場合によりけりという、「永山基準」が確定。

しかし平成の御代となり、ゆるんだタガがはづれる。

「三島・女子短大生暴行焼殺事件」(2002年)では、一人殺害で死刑。

死刑確定者の数は、一年あたり十~二十名まで増加した。

戦後二度目の死刑ブーム到来だ!

 

「光市母子殺害事件」(1999年)は、十八歳になりたての「少年」が、

主婦を絞殺したあと姦淫し、さらに娘の乳児まで殺害したもの。

遺族の本村洋による、傲然たる死刑の要求が、司法をねじまげる。

「もし自分の家族が被害者だつたら」と、国民は共感した。

死刑は、安全な社会を守るためなされる。

だから二人殺害のときは、同一の機会に殺すより、

別の機会に連続で殺した方が重罪で、死刑となる。

リピーターなら犯罪傾向がつよいから、救いがたい。

排除せよ!

しかし「犯罪被害」の観点にたつと、合理的な判断は無効に。

連続より同時の方が、むしろ遺族は打ちのめされる。

また計画性の有無など、殺される人間に関係ない。

残虐性の度合いが、あらたな基準として浮上する。

つまり裁判は、テレビ受けの良さをねらう様になつた。

 

厳罰化の潮流は、社会不安の反映にすぎない。

国民は内なる敵におびえている。

「もし自分の家族が被害者だつたら」。

その心理はわかる。

ではなぜ、「冤罪の被害者だつたら」とかんがえない?

被害者になる確率と、(冤罪もふくめ)加害者になる確率はおなじなのに。

「遺族の感情をおもえば死刑もやむなし」。

あらそうですか。

なら、遺族の感情が変化したらどうする?

どうやつて死者を呼びもどすの?

 

「愛知・京都連続保険金殺人事件」(1979年)の遺族は、

死刑の中止をもとめ法務大臣に直訴した。

「富山・長野連続誘拐殺人事件」(1980年)でも、

高校生だつた娘を身代金目的で誘拐され、

あげく絞殺された母が、死刑をのぞまない意志を表明した。

心は不合理で、法や正義にそぐわない。

最後に挙げるのは、「長崎・保険金目的の夫と子供殺害事件」(1998年)。

四十歳の女が、不倫相手の男と共謀し、

自分の夫と子供を保険金のため溺死させた。

家族に睡眠薬をのませたのは女で、

海から這いあがる次男をおさえる役もつとめた。

しかし女は無期懲役で、男は死刑と確定。

この判決には、遺族の被害感情が影響している。

「お母さんは情夫にたぶらかされただけ、悪いのはあの男」。

長男とほかの親族は身内をかばつた。

母親が主犯だなんて、受け容れられるものではない。

 

被害感情と正義は一致しない。

それが社会のためなら、遺族の嘆願をはねつけるのも、

非情かもしれないが、国家が果さねばならない役目だ。

 

 

 

 

死刑に正義はない。

ちなみにわが国の裁判実務には、

假釈放をゆるさないという条件をつけた無期懲役判決がある。

事実上の終身刑。

刑法を改正しなくても、「死刑停止」の国家慣行をえらぶことで、

法制上の矛盾なく死刑を否定することもできる。

道はさまざまだ。

勇気をもつて踏みだそう。






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(2011/05)
森 炎

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