器用貧乏な大田区民 ― 石黒正数「それでも町は廻っている」

それでも町は廻っている
石黒正数
(少年画報社/YKコミックス)
本作の舞台は大田区下丸子といわれている
東京都の最南端にある特別区で、多摩川をはさんで川崎市に隣接する町だが、このあたりも「下町」とよばれるらしい
自分の無知をさらすようで気がひけるが、下町とは東京の東、神田界隈をさすのだとおもっていた
東京に何年もすんでいるのに、この城下町についてはしらないことばかりだ
とあるアメリカの映画監督の娘が、しったかぶりして「ロスト・イン・トランスレーション」という作品で東京をえがいたが、わがみやこの表面をなめることすらできておらず悲惨だった
でもそれをわらえないな、とおもったりもする
そして石黒正数は独自の手法でこの町をえがくことに挑戦する
それは「東京物語」の最新バージョンであり、「ユリシーズ」の舞台をかえた変奏曲でもある
「それ町」は、商店街の喫茶店でウェイトレスのアルバイトをする女子高校生・歩鳥の日常をえがく
普通の喫茶店なのに無理にメイドの格好をしている違和感をたのしむ作品だ
必要以上につめこまれた情報量のおおさが、居心地をさらにわるくする
たとえば1巻32ページでは中段の一コマのなかに、
[メイド長]紅茶なぁ…面倒くさいんだよ アタシが好きじゃないし(ネタフリ)
[歩鳥]リトルグレイとかなんとかっていうんでしょ? わかんないよ(ボケ)
[タッツン]そりゃ宇宙人よッ(ツッコミ1)
[森秋]アールグレイのことか…(ツッコミ2)
…と古典的なボケとツッコミがつめこまれる
よんでいてつかれることもなくはない
そして伏線が話のなかに蔦のようにはりめぐらされる
まえの回ですみの方にかかれていた人物が、つぎの回の中心になったりする
歩鳥が買ったおみやげがとくに説明もなく双葉の家におかれていて、それが凶器につかわれる
「下半身が安定する」とだまされてドラムの練習をさせられた針原が、いつのまに卓球でフットワークが向上していたり
おそるべき罠がどこにしかけてあるのかわからないので、読者はつねに前後のつながりを意識しながらよまねばならない
「それ町」は、東京のローカルな町を迷宮化する作品だ
8話では、矢印をたどらせて客をよびこんだりもする
古道具屋で買われた仮面がまた店にもどってきたりとか
町民全員が顔見しりである下町人情と、「メイド」のようなアキバ文化が共存
歩鳥は町内をメイド服でうろうろするが、だれもあやしむものはいない
だれもみたことのないような不思議な空間がそこにある
作者は推理小説マニアらしく、物語も舞台もある種のミステリーとしてえがかれる
そして主人公の歩鳥は、「探偵」としてその謎をひとつひとつときあかしていく
歩鳥は名探偵らしく、強烈に反時代的な個性をもつ
友人に自宅の固定電話から連絡したり(いちおう携帯電話はもっている)
ズボンは「Gパン」を一着しかもっていなかったり
死後の世界に旅だつ14話は泣かせるが、天国でもさっそくまわりに適応してしまうのがおそろしい
大丈夫!! 江戸のメイドは伊達のエプロン着てないよ!!
…なんて見栄をきる、近年まれにみる吸引力をもった主人公だ
わき役がみょうに魅力的なのも本作の特徴
メイドカフェ漫画としてうりだした作品だが、制服より私服のほうがだんぜんよくかけている
「それ町」の世界では、制服すら私服の一種として存在するのだ
わき役筆頭としては、なんといっても歩鳥の先輩・紺双葉をあげざるをえない
11話で「美少年」として初登場する金髪で中性的なロック少女
カーゴパンツや皮パンツがよくにあい、あかぬけたよそおいをみてるだけでもたのしい
性格もそうとうパンクで、「アホ鳥」「双バカ」とよびあいながらツッコミ役として大活躍する
しかし双葉はメイド喫茶とも下町情緒とも無縁のキャラクターであり、かの女がうごきまわるほど作品のバランスはくずれぎみだ
ほんらい作者がえがきたいのはこういうキャラなのだろう
もともと連載開始まえに編集者が提示した設定とは、「コスプレ喫茶を舞台にして、各エピソードごとにちがうコスプレをさせる」というもの
この頭痛がするような条件にたいする部分的譲歩の産物が「それ町」というわけだ
俗うけをねらう編集者の趣味がよいとはとてもおもえないが、結果的には成功してしまった
馬鹿な編集者になやまされている漫画家のみなさん、あきらめちゃいけませんよ
うしなわれたバランスをとりもどすべく奮闘するのがタッツンこと、辰野トシ子

歩鳥の同級生だが文武両道の優等生で、容姿端麗
アキバ文化にも理解があるメイドらしいメイドだ
服の趣味もよいが、双葉とちがってフェミニンなセンスがひかる
そしてなによりも肢体のうつくしさに目をうばわれる
胸がないのがなやみである歩鳥たちとの対比で、そのなやましい姿態はさらにきわだつのだ
そんなタッツンも苦悩をかかえている[第32話]
それは「器用貧乏」であること
なにごとも上達ははやいがある程度でとまってしまい、天才と努力家においぬかれる
特出できない運命なんだよ…笑うがいいよ
それは作者・石黒正数のなげきにもきこえる
ぬきんでた画力、知的な作風、抱腹もののセリフまわし、風変わりなセンス…同業者がうらやむような才能をもちながら、どこか迫力不足
タッツンの体つきはおもわず指でなぞりたくなるほど色っぽくかけているが、例の情報量のおおすぎる絵柄のせいでコマは雑然とし、描線のうつくしさはそれほどいきてこない
迷宮のなかにいる作家にたいし、担当編集者は今度はどんな難題をふっかけるのだろうか
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