数学は美しくない ―― グレアム・ファーメロ『量子の海、ディラックの深淵』

(ブリストルにある、ディラックの生家)

 

量子の海、ディラックの深淵

天才物理学者の華々しき業績と寡黙なる生涯

The Strangest Man: The Hidden Life of Paul Dirac, Quantum Genius

 

著者:グレアム・ファーメロ (Graham Farmelo)

訳者:吉田三知世

発行:早川書房 2010年

原書発行:イギリス 2009年

 

 

 

めざましい事跡をのこす男の多くがそうである様に、

反物質の理論で知られる物理学者ポール・ディラックも、

父とのあいだに深刻な葛藤が存在した。

父チャールズは、スイスうまれの現代語教師で、

雨の多い町ブリストルで十九歳のフローレンス・ホールトンとであい、

彼女と所帯をかまえては、二男一女をなした。

尊敬をあつめる、優秀な教師だつたらしい。

しかし、家庭では暴君だつた。

次男ポールは晩年まで、生家の食堂を「拷問室」とよんだ。

食事の時間、父は母語であるフランス語だけで会話する。

息子が些細な間違いをおかすたび、きびしく責めた。

気分が悪くても食卓を離れるのを許されないので、

胃のよわいポールはすわつたまま嘔吐した。

長じてポール・ディラックは、科学者としての才能もさることながら、

あまりにもの無口さで伝説となつた。

口をきくのを嫌うあまり、セント・ジョンズ・カレッジの晩餐の席で、

塩と胡椒をまわしてくれと頼むことすらできなかつた。

科学の道をえらんだのは、父の影響から逃れる意味があつたのか。

 

 

 

 

(五歳のディラック)

 

三十一歳でノーベル物理学賞をえたディラックの天稟をしめす逸話は、

枚挙に暇がないが、ひとつだけ例をひこう。

数学や物理学の梁山泊といえるゲッティンゲンで、あるパズルが流行した。

「2」を四回だけつかい、任意の整数をつくる。

 

1=(2+2)/(2+2)

2=(2/2)+(2/2)

3=(2*2)-(2/2)

4=2+2+2-2

 

このパズル、数が大きくなると途端にむつかしくなり、

ゲッティンゲンにつどう最高の頭脳でさえ苦戦するほど。

しかしディラックが、問題を解く方程式をあつさり発見したので、

数学者をも熱中させたゲームは無用になつた。

ひたすら言葉少なに、数式の世界に生きたディラックだが、

実はその物理学には、哲学が投影されている。

十八歳のとき、アインシュタインの座右の書でもあつた、

ジョン・スチュアート・ミルの分厚い『論理学体系』を、

退屈さに耐えつつ、一語一語噛みしめて精読した。

ディラックがかいた『量子力学』は、

ボクはまだ読んでいないが、名著としていまだ珍重されている。

趣味があうのか、アインシュタインはこの本を片時も手離さず、

量子力学の難問にぶつかると、「わたしのディラックはどこかな?」とつぶやいた。

ケンブリッジの同僚では、哲学者ヴィトゲンシュタインを毛嫌いした。

「とんでもない奴だつた。絶対に話をやめないんだ」なんて悪口がおかしい。

他者への感情をあらわすのが稀なディラックだからこそ、

内心における哲学への執着が垣間見える。

 

 

 

 

(ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのカピッツァ研究室で)

 

1956年、モスクワ大学での連続公演でディラックは黒板に、

「物理法則は数学的に美しくなければならない」とかいた。

相対性理論と量子力学の成功は、「数学的美の原理」の正しさを證明する。

どちらの理論においても数学は、古い理論の数学より「美しい」

謙虚に心をひらけば、数学は科学者の手をとり導いてくれる。

それは真実か?

 

(十一歳のときに描いた製図)

 

疑わしい、と伝記の著者はのべる。

ディラックが「数学的美の原理」を提案したのは、彼の最高の研究をなしとげた数年後。

量子力学についての先駆的な論文のなかで、美が導き手だと述べたことはない。

ハイゼンベルクが三十歳になつたばかりの頃、一つ下のディラックは、

「君も三十を越えたのだから、もはや物理学者といえないね」と嫌味をいつた。

数学はうつくしくない。

それは孤独で、陰惨な闘争だ。

画家のアトリエがよごれ、悪臭に満たされるのに似る。

神経をはりつめ、数夜を徹しての作業が、徒労に終るのは常のこと。

完璧を期した新理論が、たつた一つの実験結果に粉砕されるかもしれない。

美術や製図の授業をこのんだディラックに、ロジャー・ペンローズが、

量子力学の研究において、幾何学的な視覚化の考えかた、

たとえば射影幾何学がどう影響したか尋ねたことがある。

ディラックは首を横にふり、話をするのを拒絶した。

あの壮絶な戦いを、自分以外のだれが理解できるか。

 

 

 

 

(最後の写真の一枚)

 

十九世紀の尻尾をのこすアインシュタインより、

1902年うまれのディラックの伝記は、

二十世紀物理学という、深遠たる神話をいきいきと蘇らせる。

その栄光と、没落を。

「わたしの人生は失敗だつた」と、晩年のディラックはもらす。

アインシュタインにつぐ業績をあげた男が、幻滅におしつぶされた。

病的に無口なことで有名なディラックだが、

明瞭で謙虚な話しぶりが好まれ、なんと講演がお家藝となる。

まるで、父の跡をおう様にして。

妻に対してさえ心をひらかなかつたディラックが、

涙をながす姿をみせたのは、1955年の春の一度きり。

アインシュタインの訃報が届いたとき。

おそらくスイス出身の父の面影を、彼に重ねていたのだろう。





量子の海、ディラックの深淵――天才物理学者の華々しき業績と寡黙なる生涯量子の海、ディラックの深淵――天才物理学者の華々しき業績と寡黙なる生涯
(2010/09/24)
グレアム・ファーメロ、Graham Farmelo 他

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