ジョージ・スタイナー『マルティン・ハイデガー』

 

『Tarleton State University』

 

マルティン・ハイデガー

Martin Heidegger

 

著者:ジョージ・スタイナー

訳者:生松敬三

発行:岩波書店 二〇〇〇年 (初版:一九九二年)

原書発行:イギリス 一九八九年 (初版:一九七八年)

[岩波現代文庫]

 

 

 

地球環境にまつわる理論を準備し、後進に影響をあたえたという点で、

哲学者マルティン・ハイデガーの功績は、ジェイムズ・ラヴロックに匹敵する。

 

なぜなら、ハイデガーの深遠な洞察が

現代の環境思想家にとって失われるとするならば、

大きな、不必要な損失であることはたしかであろうから。

実際、現代の思想家がハイデガーのなかに、

環境的に有徳な生きかたについてのしっかりとした概念を打ち立てるための、

堅固な哲学的基礎を見いだすことは可能だと思われる。

 

ジョイ・A・パルマー編『環境の思想家たち』(みすず書房)所収

サイモン・P・ジェームズ「マルティン・ハイデガー」

 

「技術」が、それを生みだしたものを奴隷にする。

この大地で、われわれは家をうしなつた。

ハイデガーは、合理的・科学的な知のモデルに意義をもうしたてる。

デカルトのいう確実性、そしてそれを支える自我(エゴ)。

自我は掠奪者として、外部世界に関係してゆく。

さらに、立證できないものは虚偽だとするポパー風の幻想が、

科学をみすぼらしいツギハギにかえ、絶望と不条理を蔓延させる。

「存在」が忘却され、世界は荒野と化した。

 

 

 

あらゆる哲学理論は難解だが、それを単純化するのは意外とたやすい。

ハイデガーの思想を、ボクなりに短縮してみよう。

耳で見て、手で考えよ。

哲学者たちの強迫観念的な「目の欲望」に対し、アウグスティヌスも警告を発している。

事物の本質を「見ること」を、プラトン流に主張し固執することに。

「存在」は、客観的な実在物ではない。

人間は、現実存在の聞き手であり、応答者であるにすぎない。

「存在の音楽」が、緊急に応答をよびもとめ喚起している。

さらに「事物」と「道具」の区別は、ハイデガーの世界観にとつて本質的なものだ。

ハンマーを打つことと、ハンマーを見ることは異なる。

手にしてもちいる機会がふえるほど、関係は一層根源的となり、

その事物がそれであるところのもの、つまり「道具」として顕わになる。

藝術家や職人やアスリートなら、訓練された手がしばしば、

目や頭よりすばやく繊細に「見る」ことをしつている。

理論的観察者にはマネできない、周到な営為だ。

 

 

 

ハイデガーに対するもつとも痛烈な批判者といえば、ルドルフ・カルナップだろうか。

一九三二年の試論「言語の論理的分析による形而上学の克服」で、

ハイデガーが形而上学的ナンセンスの代表者として槍玉にあげられた。

カルナップの様な論理実證主義者にとつて、「意味」とは検證の原理にもとづくもので、

形而上学の言明はまちがつているだけでなく、ただ単に無意味とされる。

「存在」は、検證不可能であるがゆえ無意味であり、

論理分析によつて簡単に乗りこえられる。

そもそも形而上学は「生活に対する感情」の表現であり、藝術に似たものだ。

ただ詩人や音楽家は、自身の作品が理論的または認識的内容をもつ、

などと錯覚しない分だけすぐれている。

一方で形而上学者など、詩的才能のない詩人、音楽的才能のない音楽家といえまいか?

狡猾なハイデガーは、批判者に耳をかさない傾向があつた。

カルナップの議論には、大いに反論の余地があるのに。

クワインのよくしられた論文「経験主義の二つのドグマ」(一九五一年)では、

語や文がただちに利用可能な現実と直接的関係をもつ、という考えが否定され、

カルナップが「意味」に関してえがく構図全体が崩壊した。

 

 

 

詩をかけない詩人の山荘を、本物の詩人であるパウル・ツェランがおとづれる。

両者は、たがいの著作につよい関心をいだいていた。

ときは一九六七年、ホロコーストを生きのびたユダヤ人にとつて、

ナチズムの内部で重要な役割をはたした哲学者と向きあうことは、

稀有な気力をふりしぼらねばならない行為だつた。

おそらく接待する側にとつても。

三年後、客人はセーヌ川に身を投じる。

遺稿詩集『光の強迫』におさめられた、

山荘のある地名を題した「トートナウベルク」という作品が、

訪問の様子をつたえる唯一の證言だといわれている。

 

われわれの知るかぎり、つまり「トートナウベルク」がわれわれに教えてくれるかぎり、

陳腐な言い逃れ(『シュピーゲル』のインタヴューにおいてのような)によってか、

それともまったくの沈黙、ハイデガーが教育の場においてさえもおこなった

完全な発言放棄によってか、この信頼は破られてしまった。

それがいずれであったにせよ、ツェランに及ぼした効果が

惨憺たるものであったことは感じとられる。

だが、問題は個人的なレベルをはるかに越えている。

その著作活動や教育活動の全体を通じて、マルティン・ハイデガーは

問いかけるという行為こそ本質的なものだと言明してきている。

 

ハイデガーの哲学と人生は、荒野に住まうことの困難さを、客観的に実證した。





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(2000/09)
ジョージ スタイナー

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