『シャーロック・ホームズ』

 

シャーロック・ホームズ

Sherlock Holmes

 

出演:ロバート・ダウニー・Jr ジュード・ロウ レイチェル・マクアダムス

監督:ガイ・リッチー

制作:イギリス・アメリカ・オーストラリア 二〇〇九年

[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]

 

 

 

高速デジタルカメラの「ファントム」で、シャーロック・ホームズの格闘をおさめる。

アイツは酒飲みで、歩くときは左足をひきずる。

まづ肝臓をたたき、つぎに膝を破壊しよう。

そして、ゆるやかに敵がくづれおちた。

ノックアウト。

標準速度で、ホームズの思考を追うことはできない。

「鰻と梅干し」より相性のわるい食べあわせ、それが「映画と名探偵」だ。

活字を目でなぞるのと、ポップコーン片手にふんぞりかえり、

秒間二十四コマを傍観するのは、次元のことなる行為だ。

映画にはアクションやエモーションはあるが、ロジックはない。

まだらの紐が蛇だとして、感動する観客が何人いるのか?

この藝術形式は、シャーロック・ホームズを必要としない。

 

 

 

 

 

ロバート・ダウニー・Jrと、共演のジュード・ロウは、

自分らの演技がもつとも原作に忠実だと主張するけれど、

話二十四分の一くらいに聞いておきたい。

ボクはまじめにホームズものを読んだことがないが、

ドイルがえがく主人公は、露骨に男色趣味をにおわせたり、

障碍を前に、なにかと暴力に頼つたりしないはず。

要するに、ロバダニの芝居は偶像破壊のこころみで、

それは上首尾をあげたと言つてよい。

腑におちないのは、くだけちつたイコンのかけらの上で、

名探偵が名推理をはたらかせていること。

ホームズさんよ、一体アンタは何者なんだ。

どこからきて、どこへむかうのか?

 

 

 

コナン・ドイルとその同時代人は、世界を知りつくしたいという欲望をもつていた。

だからこそ、ホームズのあやつるロジックに熱をあげた。

実際の蛇は鼓膜がないから笛はきこえない、なんてトリビアにすぎない。

しかし二十世紀の映画の観客は、頭デッカチをきらう。

美男美女が街角で出会うかどうか。

カウボーイがはなつ銃弾があたるかどうか。

それはランダムであり、決してロジカルではない。

ではなぜ二十一世紀アメリカの役者が、十九世紀イギリスの探偵になれたのか?

ロジックでは説明できないミステリーだ。

文楽の人形が生きてみえる様に、ロバダニのホームズも銀幕で息づく。

当代では傑出した、孤高ともいえるその腹藝。

ならば本作は、『シャーロック・ホームズ』というより、

『ドン・キホーテ』の映画化と称した方が正確かもしれない。


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