よごれた魂 ― 『さまよう刃』
さまよう刃
出演:寺尾聰 竹野内豊 伊東四朗
監督:益子昌一
制作:日本 平成二十一年
[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]
いつぞや帰省したとき、母が新聞の切り抜きをみせてくれた。
小学校でひとつ下の学年にいたMという男が、記事にかかれている。
Mは途轍もないワルガキだつた。
家がちかいので何度かあそんだこともあるが、
極度に利己的で、他人の意見をまつたく受けつけない無軌道ぶりに、
後輩ながらついてゆけないと感じた。
でも、仲間からは人気があつた。
そんなMがなした行為は当然、おだやかなものではない。
強姦。
しかも起訴内容は、余罪をあわせて十数件。
おどろくと同時に、妙に腑におちるものがあつた。
この世に存在する価値のない人間、うまれつきの犯罪者がいるのだと。
とはいえ、Mが死ねばよいとはおもわない。
極刑に処したくらいで、しおらしく改心するタマではない。
するわけがない。
「ひとの家に火つけたらダメだよ、あぶないよ」
その程度の忠告すら、聞く耳をもたなかつたのだから。
よごれた魂をもつてうまれた、あわれな人間だ。
おもい罪を背負つたまま、生きてもらうしかない。
さて本作は、主人公のひとり娘を自動車で拉致したあげく、
覚醒剤かなにかを注射して強姦におよび、死体を川べりに捨てた、
残虐な犯人たちに対する中年男の復讐劇。
「少年法」のせいで死刑にならないなら、おのれの手で殺す。
どうなんだろう。
感想をよむと、「もし自分がおなじ立場なら云々」と共感するひとがおほい。
威勢はよいが、所詮は口先だけだ。
殺人事件の報道は数あまたあるけれど、
殺人犯が遺族に報復されたという事例は、聞いたことがない。
いうほど簡単ではないから、人殺しの罪科はおもいのだ。
「少年」に重刑を科したがるオトナは、なににおびえるのか。
結局のところ、ガキはガキだ。
ガキだから選挙権はないし、酒もタバコも禁止。
だけど死刑だけはあたえろ?
厳罰化はかならずしも犯罪を抑制しないし、冷静な意見とはおもえない。
遺族の気持ちもかんがえろ?
そういうアンタは直接聞いたのかい。
ちなみに本作の娘役は、アダルトビデオ女優の伊東遥がつとめている。
父とかたらう場面すらなく、強姦されて殺されるために出演した様なもので、
演ずる役よりも、伊東自身の方が気の毒におもえた。
ハゲにちかい髪のうすさだが、そろえかたが絶妙で見苦しくない。
やせこけた頬に疎らにはえる無精鬚も、不思議と清潔感がある。
寺尾聰はあいかわらずカッコイイ。
これにくらべれば、ジョージ・クルーニーなんてウスッペラなセレブ野郎だ。
上でのべたように、東野圭吾の小説にもとづく筋書きは、
国家権力を強化する宣撫工作におもえて不愉快だが、
寺尾の芝居そのものは、観客に迎合するそぶりもみせない。
見苦しく、泣きわめかないのがよい。
感情をあらわにするのは、犯人のアパートのきたない部屋で、
その一部始終をおさめたビデオをみて、反吐をまきちらすくらい。
さすがは、かつて「孤独が好きなオレさ」と歌つたハードボイルド男。
オレがオレの責任でアイツらを殺す、それだけさ。
安全な場所で議論ばかりしてる連中なんざ、しつたことか。
アイツらのよごれた魂は、まるごとオレがおんぶしてやるよ。
しびれました。
益子昌一監督も、いくつかうつくしいショットをおさめている。
特に、薄明にうかぶ首都高の鮮烈さはわすれがたい。
高架道路にみにくく分断された、現代都市の不毛がきわだつ。
ようやく、SF映画『惑星ソラリス』より印象的な首都高をとらえた、
日本映画があらわれたのかもしれない。
- 関連記事