『竜圏からのグレートエスケープ』 第6章「花嫁」


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 拷問は日を跨いで執拗に行われた。サクヤは、口を割らないジュンを捨てると決めた。ただ自分らが手を汚せば争いの火種となるので、竜族に殺させることにした。赤竜神がジュンの身柄を、日本政府に要求していたのは渡りに船だった。不倶戴天の敵だったジュンを妻に迎えるという政略結婚だ。

 ジュンの選択肢は二つ。自殺するか、脱走するか。もし逃げたとして、竜圏では武装なしで半日も生きられない。必ず死ぬ。首相に就任予定のサクヤは、そこでジュンの崇高なる「戦死」を発表して国葬を執り行い、万事めでたく解決という算段だ。

 憎たらしいほど隙がない。

 ジュンはヒューイで竜圏の中心地へ送られた。赤竜神が根城にする旧皇居の、生物研究所のガラス張りの温室がジュンの独房となった。四年前まで天皇が米を栽培していた田が外にあるが、今は荒れ果てただの泥沼と化している。

 雑草だらけの温室で、ジュンは地べたに腰を下ろしていた。足首を鎖で繋索されている。乱暴を受け、着替えもできず、セーラー服は汚れきっている。陸上自衛隊から鹵獲した89式小銃を装備する屈強なハーフドラゴン数体が、物珍しそうにジュンを監視していた。

 肩を落としたジュンは、己の右手を見つめていた。霊鎖の巻かれたクサナギを抜こうと無理した時の傷が、手当てされないまま化膿していた。もともと火傷を負っていた部位なので、見るも無慚な有様だ。お嫁に行ける体じゃないのに貰ってくれるのだから、感謝すべきかもなと自嘲した。

 ガサゴソと雑草から音がした。

 全長八十センチくらいの緑竜が、ススキの茂みの中で蠢いた。ジュンはしっしっと手を振るい、追い払おうとした。

 緑竜がジュンの意識に声を送り込んできた。

「ひどいケガだね」

「はぁ」

「僕の泡で治すといいよ」

 緑竜はジュンの傍らに寄り、口から泡を出した。ジュンはそれを取って右手に塗った。緑竜に軽度の治癒能力があるのを禁衛府の衛士は知っている。なんらかの成分が細胞に働き、破壊された組織を再生するらしい。敵である竜族に頼るのは癪だが、痛みが和らいだのは大助かりだ。

 ジュンが無表情で言った。

「ありがとう」

「どう致しまして。これは恩返しだよ。君は僕たちの命を救ってくれたんだから」

「はぁ」

「覚えてるかな。盗賊が卵を盗むのを止めたこと」

「知らん」

「もう。歌舞伎町のシネコンだよ。君は体を張って緑竜の卵を守ってくれた」

「全然覚えてない。いろいろありすぎて」

 ジュンは小さな緑竜を熟視した。深いエメラルド色の美しい鱗に、見覚えがないとは言えない。盗賊に蹴飛ばされた竜がいた気もする。あれかもしれない。

 妙に馴れ馴れしい緑竜に、ジュンは皮肉な口調で言った。

「でも、あたしほど竜を殺した人間はいないぜ」

「戦争だからね。悲しい現実だけど」

「殊勝な言い草だな。だったら逃してくれよ」

「僕にできることはする」

「ははっ、安請け合いすんな。あんたら緑竜は最弱だって聞くぞ。奴隷みたく扱き使われてるって」

「だからこそ協力する。赤竜神を斃すと約束してくれるなら」

「霊剣がなきゃあたしはただのJKだ」

「クサナギはいま竜圏にある。貢物として赤竜神に献上されたんだ。僕はそれを盗み出して君に渡す」

 ジュンは両手で頭を掻きむしった。

 生存本能と感情が、矛盾した計算結果を脳裏に表示していた。クサナギさえあれば逆転は可能だ。しかしよりによって、竜と共同作戦を実行するというのが気に食わない。

「あんたは」ジュンが言った。「なぜそこまでしてリスクを冒そうとする」

「竜族も一枚岩じゃない。種族同士の抗争があるんだ」

「らしいね」

「君が黒竜王を斃して以来、赤竜族の専横は歯止めが利かなくなっている。彼らは凶暴で、かつ狡賢い。そもそもこの戦争は、竜族のほとんどが反対してたんだ」

「つまり戦争を終わらせるのが目的か」

「それもあるけど、第一の目的は母親を救出することだよ。母は病気なのに、強引に赤竜神の奴隷にされた」

 鼻で笑い、ジュンが辛辣に言い放った。

「あんたらに家族愛なんてあるのか?」

「母は肺病なんだ。もう長くないと思う。安らかに最期の時を迎えさせたい。家族と悲しい別れ方をした君なら、この気持ちがわかるだろう」

「なぜ知ってる」

「竜族同士は記憶を共有してるし、人間の意識も……」

「あたしの頭の中を覗くのはやめろ!」

 ジュンは緑竜を突き飛ばした。バスケットボールの様に弾んで転がり、温室の窓ガラスに衝突した。ガラスが割れた。騒ぎを聞きつけ、見張り役のハーフドラゴンが集まってきた。脱走の相談どころではない。

 緑竜は泡を吐き、ガラスの破片の刺さった己の体を癒やした。犬歯を剥き出して立つジュンを見上げて言った。

「衝動的に行動しないでよ。大事な話をしてるのに」

「うるさい」

「いや、僕の提案が厚かましかったんだ。君は両親を殺した竜族を激しく憎み、敵として戦ってきた。急に気持ちを切り替えるのは無理だよね」

「…………」

「あと、君の内面に踏み込んだのを謝るよ。触れられたくない話題だったんだね。でも命の恩人と話せてよかった。良き来世を君が迎えられるよう祈ってる」

 打ち萎れた緑竜は尾を引き摺り、割れた窓から温室の外へ出て行った。




 婚礼の日がやって来た。

 朽損し壁が崩れた宮内庁庁舎で、ジュンは人間の女の奴隷たちにより花嫁支度をされていた。白い衣の上に領巾を羽織る、日本神話の女神みたいな格好だ。西洋のウェディングドレスに似てると言えば似ている。珍しく化粧の施された顔を鏡で見ると、案外自分もイケると思わなくもなかった。

 無論、気分は暗澹としていた。花嫁願望を最悪の形で叶える羽目になった。手癖の悪いジュンは、くすねた剃刀を隠し持っていた。自分の喉を切るつもりだ。

 あれから緑竜は何度か姿を見せたが、ジュンと接触しようとはしなかった。完全に孤立無援だ。今日まで粘ったが、竜族の警備も抜かりはない。そろそろ年貢の納め時だ。

 竜圏は旧皇居を中心に、半径約十キロの円を描いている。徒歩による突破は不可能ではない。

 敵がいなければ。

 すぐにワイバーンが組織的な捜索を行うだろう。航空自衛隊のAWACSを凌駕する探知能力を持つ種族だ。逃げようがない。地下鉄や上下水道などは破壊されている。

 銃と車輌を奪って遁走すれば、〇・一パーセントくらいの生存確率は見込める。しかし気力が湧かない。親友であるサクヤに裏切られたのが痛手だった。感情豊かなジュンは、精神的な支えを失うと無力に等しい存在となる。

「馬鹿野郎! 前に進まんか!」

 坂下門の残骸の方から、ハーフドラゴンの怒鳴り声が聞こえた。光沢を持った甲冑に身を固めた、リーダーのグラウリだ。人間の男を首輪で引っ張っていたが、従順に言うことを聞かないので鞭で責めている。

 鞭打たれる人間は、楽天イーグルスの野球帽をかぶっていた。部下である因幡八代だ。

 思わずジュンが叫んだ。

「因幡ッ! なぜこんなところに」

 因幡が駆け寄ってきた。不意な動きだったので、グラウリは綱を手放した。

 古代風の衣装を着たジュンの側で敬礼し、因幡が言った。

「長官、御無事でしたか」

「この格好のどこが無事だよ」

「よかった……」

「報告。手短に」

 ジュンは冷徹に言い放った。怒っているのではなく、会話に費やせる時間があと数秒しかないからだ。

「軽装甲機動車で侵入しました。他の三名は戦死です。自分の責任です」

 ジュンは目を瞑り、歯軋りした。

 因幡は責められない。おそらく彼らはサクヤの命令に逆らい、危険を承知で火中の栗を拾いに来たのだ。また客観的に見て、霊剣遣いで司令官を務めるあたしには戦略的価値があるし、救出作戦は必ずしも無意味じゃない。

 それでも仲間の死には、絶対的な重みがある。

 やるべきじゃなかった。

 ジュンが言った。「ルートは」

「北です」

 ジュンは口の端を持ち上げた。

 葛飾区に盗賊たちのアジトがある。因幡は彼らに協力を求め、竜圏の深くへ侵入したに違いない。あれほど盗賊を嫌っていたのに、ジュンのために豹変したのがおかしかった。

 グラウリが因幡のフリースジャケットの襟を掴み、引き摺っていった。抵抗する因幡を、甲冑を鳴らしつつ虐待した。

 ジュンは手にしていた剃刀を投げつけた。甲冑に微かな傷がついた。

「くそったれのトカゲ野郎!」ジュンが叫んだ。「そいつはあたしの部下だ。殴りたいならあたしを殴れ」

 グラウリは棒状の鞭の先端で、ジュンの尖った顎を持ち上げた。さすがに花嫁に暴行はできなかった。

「最初は赤竜神様も趣味が悪いと思ったが、化粧すれば多少は見れるツラだな」

「そりゃてめえの鱗だらけの顔よりマシだ」

「赤竜神様のことだ、三日もすれば飽きるだろう。そしたら俺様が味見してやるぜ」

「てめえは殺す。混血であるのがコンプレックスなのか、ハーフドラゴンが過剰に人間を殺傷するのを見てきた。中でもてめえは最悪だ」

「俺様の子供を産みたいか? それとも食われたいか?」

「天に誓って殺す」

 憤るジュンの頬を、グラウリは鞭で軽くはたいた。二メートルを超える巨体を揺らして去っていった。




 奴隷の女たちがジュンを囲み、乱れた衣装を大慌てで直した。月桂冠みたいな真拆の蔓を頭に乗せた。年嵩の女が竜族への無礼なふるまいをたしなめた。ジュンは黙殺した。女たちの竜圏への順応ぶりに感心するが、見習いたくはない。

 瓦礫の陰から遠巻きに、緑竜がこちらを見つめていた。視線が合うと隠れるが、しばらくするとまた顔を出した。ジュンのことが気掛かりらしい。

 ジュンは拳を握りしめた。

 緑トカゲの力を借りよう。四の五の言ってられない。仲間がいるのだから。因幡が盗賊と手を結んだらしいのも好材料だ。ホムラあたりと竜圏で接触できれば、ざっと見積もって生存確率は約三パーセントに跳ね上がる。

 三十三回に一回なら十分だ。

 あたしは命を懸けられる。

 ジュンは足許の石を拾って投げた。緑竜に躱されたが、二個めが命中した。

 小さな翼を広げて飛んできた緑竜が言った。

「やめてよ! 痛いじゃないか」

 ジュンが言った。「例の計画、乗った。よろしく頼む」

「悪いけど、なかったことにして。僕はあれから目を付けられて、散々いじめられたんだ」

 緑竜の翡翠色の瞳が、落ち着かなく泳いでいた。気が咎めている様だ。お人好しの種族なのだ。

「あんたの母親は肺病だと言ったな」

「そうだよ」

「あたしのお母さんは喘息持ちだった。発作が起きそうになるとステロイドを吸入していた。良く効く薬なんだ」

「へえ」

「あんたらの泡の治癒能力はすごいけど、人間は知恵を絞って医学を発展させた。人間と竜はきっと助け合える」

 緑竜は話を聞きながら尻尾を振った。

 ジュンはほくそ笑んだ。

 ちょろいな、こいつ。

 ジュンが言った。「ひとつ聞きたいことがある」

「なに」

「あんたの名前を教えてくれ」

 緑竜は前肢で顔を隠した。空中でもじもじと丸まった。

「そんな……まだ早いよ……僕たちはまだお互いをよく知らないのに」

 どうやら照れているらしい。

 竜族にとって名前には神聖な意義があり、ごく親しい者にしか本名を明かさないと、ジュンも伝え聞いていた。赤竜神や黒竜王なども通称にすぎない。

「あだ名とかないの」

「特にないよ。『そこの奴隷』とか呼ばれてる」

「あたしが付けてあげようか」

「うーん」

「『バブルン』。泡を吐くから。どうよ」

「わあ、可愛い名前だね! 気に入ったよ!」

 バブルンと名付けられた緑竜は、万歳しながら宙を舞った。

 こんなお気楽な生き物とコンビを組んで、本当に命懸けの作戦を遂行できるのか、ジュンは不安になった。




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