『スクールガール・タクティクス』 第2章「日常」


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 青いエプロンを身につけたヒカルは、中野区にある「はじめ保育園」の園庭にいた。子供たちが汚したバケツやシャベルなどを洗っていた。

 弟を喪ったあと、ヒカルは警察と話したり葬儀を営んだりで、仕事を一週間休んだ。心の傷は癒えてないが、家に閉じ籠るより気が紛れると思い復帰した。

 捜査の進展具合はわからない。警視庁に問い合わせても、うやむやな反応が返ってくるだけ。二千人の死者が出たのに、報道が一切ないのも不可解だった。

 けれども知ってることをすべて伝えたヒカルとしては、公的機関に任せるしかない。ただの保育士でしかない自分に、ほかに何ができるだろう。とにかく今は生活を、もとの軌道に戻すことから始めたい。

 それだって、決して簡単な作業ではない。

 スモックを着た三歳児のユマが、ヒカルの袖を引いた。降園準備をする時間帯だが、まだ園庭に残っていた。

 ヒカルは蛇口を締め、両膝をついて言った。

「ユマちゃん、どうしたの」

「ヒカルせんせい、弟が死んじゃったんだよね」

 ヒカルは懸命の努力で笑顔を維持した。ママ友同士の情報伝達速度にはいつも驚嘆させられる。

「うん、よく知ってるね。先生は悲しいことがあったんだ」

「ユマにもふたごの弟がいるの。ずっと病院にいたけど死んじゃったの」

「そうだね。先生も知ってるよ」

 ヒカルの脳で警報が鳴っていた。デリケートな話題だった。幼児における死の概念の認識は千差万別だ。三歳にもなれば、ある程度の理解を示すこともある。基本的にごまかすべきではない。だがそれには保護者との情報共有が必要だ。

 ヒカルはユマの母親との会話の記憶を辿った。心に余裕がなく、なにも思い出せなかった。引き攣った笑顔を貼りつかせたままでいた。

「ママが言ってた。ユウタは長いあいだ眠ってるんだって。神さまがそう決めたの」

「そうなんだ」

「ユマが、ママやパパやせんせいの言うことを聞いていい子にしてれば、神さまがユウタを起こしてくれるの。だからせんせいもお仕事がんばるといいよ」

「うん。ユマちゃん、ありがとう」

 園舎へ戻るユマの後ろ姿を見ながら、ヒカルは呼吸を整えた。多分ユマは、ヒカルが弟を亡くしたと母親から教わり、心底同情し、タイミングを見計らって励ましてくれたのだ。なんて優しい子だろう。純粋ゆえに残酷でもあるが。

 ヒカルは蛇口を開け、洗い物を再開した。

 ユマの言葉が内面でこだましていた。彼女は三歳児なりに肉親の死と向き合っていた。比べて自分はどうだろう。なぜ弟は死ななければならなかったか。トライハートと名乗るJKの集団はいったい何だったのか。

 私は現実から逃げてないか。

 園長の小林が背後にいるのに気づいた。白い髪をベリーショートに刈った五十代の女性だ。

 ヒカルが言った。「園長先生、お疲れさまです」

「水」

「はあ」

「さっきから出しっぱなし」

「わっ、すみません!」

 ヒカルは慌てて蛇口を締めた。

 腕組みしながら園長が言った。

「星野先生。今から小言を言うけど、いいかしら」

「はい。なんでもおっしゃってください」

「あなた、ひどい顔してるわよ」

 ヒカルの顔面表情筋が痙攣した。濡れた指先で頬のあたりをマッサージした。

 ヒカルは園長を尊敬し、信頼していた。ズケズケと物を言うので厳しく感じるときもあるが、それは部下をよく観察してる証拠でもあった。前に勤めていた保育園で、ヒカルは女の職場特有のギスギスした人間関係に悩まされてたから、なおさらだ。

 園長が言った。「自慢の笑顔が台無しね。子供たちも怖がってるわ」

「すみません。気をつけます」

「謝ってほしいわけじゃないのよ。やっぱり復帰は早かったんじゃないかしら」

「でも」

「もっと周りを頼りなさい。保育はチームワークなんだから。あなた有休を全然消化してないじゃないの」

「でも白石先生がお辞めになるので、その引き継ぎもしなきゃいけないですし」

 園長は大袈裟に首を横に振った。

「ほら、そうやって何でも背負いこもうとする。あなたは優秀な保育士だし、だからこそ分野別リーダーを任せるんだけど、チームワークはまだまだね」

「努力します」

「そういやTOEICを受けると言ってたっけ」

「ええ。英語教育に関心の高い保護者も多いので」

「なら一週間あげるから勉強なさい。これは業務命令よ」




 ヒカルは保育園を早退したあと、駅前のガストでカプチーノを飲んでいた。マルイにある雑貨店で買った千代紙で、折り紙を折った。手先が器用なヒカルは、目をつむって鶴を折ることができる。

 まっすぐ自宅に帰りたくなかった。母親はヒカル以上に悲嘆に暮れていた。狂人みたいな有り様だった。家でふたりきりになるのは耐えられない。店の迷惑にならない程度に、できるだけ長居をしたい。

 千代紙を折りながら、ヒカルはどうやって一週間を過ごすか考えていた。勿論TOEICの勉強もするが、それだけでは暇を持て余すだろう。婚約者はあまりお金を使えない時期だし、短大時代の友人を誘って温泉にでも行くのがいいかもしれない。

 古典的な折り紙である「風船」をアレンジした「ロケット」を作った。ストローで空気を入れて膨らませると格好よく仕上がった。男の子に見せれば大喜びだ。

 右隣のテーブルに白人の老夫婦が座っていた。ヒカルの妙技に興味津々だった。ついには「それはオリガミですか」と英語で尋ねてきた。ヒカルがそうだと答えると、作り方を教えてくれとせがまれた。

 ヒカルは外国人観光客に好まれそうなテーマを考えた。とんとん相撲で遊べる「お相撲さん」を完成させた。

 作品を老夫婦のテーブルに置き、ヒカルが言った。

「ディス・イズ・スモウレスラー」

「ファンタスティック!」

 老夫婦は目を輝かせて喜んだ。たかが正方形の紙一枚を折っただけの代物だが、子供から大人まで楽しめる。折り紙ほど偉大なアートはない。

 左のテーブルにいた日本の中年女性の四人組も、輪に加わった。ファミレスが賑やかな折り紙教室に変貌した。

 一方でヒカルは店員の目が気になった。人に折り紙を教えるのは嫌ではないが、あまり目立ちたくない。

 損なのか得なのか解らないが、ヒカルは知らない人間から声を掛けられやすかった。いつも柔和な笑みを絶やさず、温厚で人当たりがいいので、他者から警戒されないのだろう。でも町中で道を聞かれるくらいなら構わないが、デパートで婦人服売場が何階か尋ねられたりすると、質問する相手が違うのではないかと不満に思うときもあった。

 私にだって、いろいろ都合があるのだ。

 ガタンッ!

 向かいのテーブルでふたりのJKが、椅子を蹴って立ち上がった。不機嫌そうにスクールバッグをつかみ、帰ろうとしている。

 ヒカルは唇を噛んだ。

 言わんこっちゃない。あの子たちは、放課後の楽しいおしゃべりを邪魔されて怒っている。

 春物のセーターを着たひとりがヒカルに近づいた。ヒカルは視線を逸らせた。サンプラザでの惨劇のあと、恐ろしくてJKを直視できない。

 ヒカルを見下ろしてJKが言った。

「さっきからうるせえんだよ」

 ヒカルが言った。「ごめんなさい」

 JKはテーブルの上の赤いウサギをつまんだ。冷笑を浮かべて言った。

「なにこれ、折り紙?」

「はい」

「ババアのくせにガキの遊びかよ。だっさ」

 JKはウサギを握り潰し、床に捨てた。

 ふたりのJKは、勝利の実感を分かち合う様に甲高く笑いながら、自動ドアから出ていった。




 折り紙教室は興が冷めて中止となった。

 ヒカルはカプチーノのカップを口に運ぶが、手が震えて半分こぼした。紙ナプキンでテーブルを拭いた。

 ヒカルはつぶやいた。

 みっともない。若い女の子の態度に動揺するなんて。いつまでも例のJKの影に怯えてたらダメだ。

 体重百キロ近くあるであろう、くたびれたストライプのシャツを着た巨漢が目の前に立っていた。サンプラザの駐車場でヒカルを保護した、陸上自衛官の島袋ヒロシだ。

 島袋は椅子を指差して尋ねた。

「ここ、座ってもいいですか」

 ヒカルは気乗りしない様子で頷いた。

 島袋はあれから二度、ヒカルにコンタクトしてきた。そしてブサメン絶滅をたくらむJKの組織「トライハート」に、工作員として潜入するよう依頼した。

 いくらなんでも冗談が過ぎる。警察への情報提供などは市民の義務だから協力するが、スパイの真似ごとをさせられるなんて非常識だ。ヒカルはにべもなく断っていた。

 席についた島袋は、新たに注いだカプチーノをヒカルの前に、アイスコーヒーを自分の手許に置いた。

「あんなこと言われて」島袋が言った。「よく黙ってられますね。俺ならぶん殴ってる」

「迷惑かけたのは事実ですから」

「ガツンと言った方がいいですよ。でないとあいつら、ますます調子に乗るんで」

「たしかに女子高生は怖いものなしですね。私だって、あの若さはうらやましい」

「わはは。星野さんも昔はあんな風でしたか」

「高校時代はソフトボール部で、真っ黒に日焼けしてました。毎日部活だから放課後に遊ぶこともなかったなあ」

 島袋の目的がこちらの勧誘なのは解ってるし、何度懇願されても断るつもりだ。でも話術が巧みなせいか、知らず知らずに個人情報を引き出されがちだ。

 島袋は「情報部別班」と呼ばれる、市ヶ谷に本部のある諜報部隊に所属していた。中でも彼の専門は北朝鮮対策であり、朝鮮総連などに協力者を作って情報収集に励んでいた。

 ちなみに別班は、首相や防衛大臣すら実態を知らない秘密部隊だ。トライハートという伏魔殿の存在を認識した彼らは、その暴走を阻止しようと独自の判断で行動してるらしい。

 とはいえ島袋の話を、どこまで信じていいかは解らない。

 新しいカップには手をつけず、ヒカルが言った。

「また私をスカウトしに来たんですか」

「それだけじゃないですけどね。あなたは現場にいたし、どんな些細な情報も俺にとっては貴重です」

「私にも生活があります。特に今はそっとしてほしいんです」

「でも休みをもらったでしょ」

「監視してるんですか?」

「俺は地獄耳なんですよ。あちこちに『友達』がいるんです。そしてもっともっと目や耳がほしい」

 島袋はシャツの胸ポケットからUSBメモリを取り出し、小さなテーブルに置いた。

 USBメモリにはプログラムが仕込まれている。トライハートの本拠地である芳友舎高校へ侵入し、このメモリをコンピュータのポートへ挿し込めば、校内のネットワークにバックドアが開かれ、遠隔操作が可能になる。

 サンプラザの虐殺と同時に大規模な通信障害が起きたのは、島袋にとって衝撃だったらしい。トライハートは、この国の重要インフラを操る能力を保有していた。

 次はいったい、何をしでかすのか。

「私は」ヒカルが言った。「コンピュータに疎いですが、自衛隊にもそっち方面の部隊が存在するでしょう」

「勿論。でも情けない話ですが、あの高校のファイアウォールは市ヶ谷より強固なんです。外部からは手が出せない」

「なら女性隊員を潜入させれば」

「三人送り込んだが、露見しました。トライハートは自衛隊や警察のデータベースにアクセスできるらしい。この作戦にプロは使えない」

「その三人はどうなったんですか」

「斬首されました」

 ヒカルの背筋に悪寒が走った。

 この巨漢は、そんな野蛮な集落へ私を行かせたがってるのか。ピアノと折り紙だけが取り柄の保育士を。

「私は二十四歳です。女子高生になんて化けられません」

「いやいや、めっちゃ若いですって! その点は俺が保証しますから!」

 島袋は、もともと細い目をさらに細めて笑った。手を叩いて大きな声を上げた。わざと軽薄に振る舞っている。もしくは非情なスパイ稼業で人間らしい心を失ったか。

 ヒカルはトートバッグから、保険会社の封筒を取り出した。中身が詰まって膨らんでいた。生命保険に関する書類一式だ。

 ヒカルは先月、婚約者と一緒に生命保険に入った。保険の受取人は半額を婚約者に、もう半額を弟にした。しかし弟に不幸があったので、ヒカルには受取人を両親に変更する意思があった。半年くらい経って落ち着いたら、両親に相談するつもりだった。ただヒカルはマメなので、書類だけ先に準備していた。

「仮に」ヒカルが言った。「依頼を引き受けるとして、一つ条件があります」

「なんですか」

「もし私が死んだら、保険金の半額が両親に渡るよう、手続きなどをお願いします」

「え」

「書類は揃ってるので保険会社の方は問題ないはずですが、両親が受け取りを拒否するかもしれません。そうなったら島袋さんが両親に会って、直接説得してください」

「おいおい。別に命懸けの任務じゃない。校内のPCにメモリを挿すだけだし、バレそうになったら逃げていい」

「すこしは本音で語ったらどうですか」

 トライハートは手強い組織だ。直にやりあった経験があるから解る。リーダーは冷静で統率力があり、副リーダーは凶暴だが銃器の扱いに長けていた。マスクをしてたおかげでヒカルは顔や声を知られてないが、会話を交わしたリーダーは観察力が優れてそうなのも不安材料だ。

 島袋はヒカルを上目遣いで睨んでいた。軽薄な笑みは消えていた。保育士とスパイは似てるかもしれない。つねに仮面をかぶっているという点で。

 ヒカルが言った。「約束できますか」

「あんた、只者じゃないな」

「ただの保育士ですよ。普通に家族を大切にしている」

 あの日、弟の遺体が運ばれた病院で、ヒカルは両親と対面した。そして嘘をついた。サンプラザで目撃した出来事を打ち明けられるはずがなかった。

 死ぬより辛い思いがあるのをヒカルは知った。

 だからって、このまま引き下がりはしない。

 ヒカルが所属していたソフトボール部は、都内でベスト4に入る強豪だった。遊撃手を務めるヒカルは、俊足巧打の一番バッターとしてヒットを量産し、対戦相手から恐れられた。

 あの頃のファイティングスピリットが蘇ってきた。

 ヒカルが言った。「戦死者の遺族に会うことは、戦場で敵と撃ち合うより苦しい。違いますか」

「ああ、そうだ。でも約束しよう。もしものことがあったら、俺が御両親にすべて説明する」

 島袋は、唇をぎゅっと結んで封筒をつかんだ。

 交換する様に、ヒカルは島袋の足許にあった紙袋を手にした。中には地味だが上等なグレーの上下が入っていた。全女子高生の憧れ、芳友舎高校の制服だ。

 ヒカルはほくそ笑んだ。

 ふふ。

 たしかにあの子たちは、調子に乗りすぎたかもね。




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苑田 謙

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