『大奥スパイミッション』 第4章「通り魔」


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 ハナは混乱する頭を抱え、中央線で立川へ帰った。時刻はもうすぐ十二時。ファミレスで完成させた表紙イラストは、すでに編集部へ送信した。

 みすぼらしい浮浪者と歩道ですれ違った。浮浪者は右脚を欠損しており、松葉杖を突いていた。戦傷を負った挙げ句に、主家を失った牢人だろう。ハナは同情を覚えたが、してやれることは何もない。

 ハナは重い足取りで家路を辿った。

 ターンッ!

 遠くから爆発音が街路に響いた。聞き慣れた火縄銃の音だと、ハナは判断した。どこで誰が撃ったのか特定しようと、アイフォンをスリープ解除した。

 ちかごろ江戸では、鉄炮による連続殺人事件が起きていた。町奉行の認識では、とある不逞牢人の犯行らしい。ゴシップ好きの江戸っ子は、それを「火縄の通り魔」と名付けた。

 ディスプレイを指でなぞるハナの隣に、犬塚信乃が立っていた。黒のレザージャケットを着ている。音もなく忍び寄った。電子辞書より一回り大きいサイズのコンピュータ、GPDポケットを左手に持っている。ハナの位置情報をこの端末で補足できる。

 信乃が小声で言った。

「おひいさま、ご無事でしたか」

「うわっ」

「銃声が聞こえたので、お節介と承知しておりますが、お迎えに参りました」

「ストーカーかよ。ま、ちょうどよかった。信乃は家に戻って道具をもってきて。あたしは慶長記念公園へいく」

 ハナはツイッターで「立川 爆発」と検索していた。雑多な情報をふるいにかけ、近くの公園が発砲事件の現場なのを突き止めた。

「なにをおっしゃるのですか」

「火縄の通り魔はこれまで野放しだったが……ふふっ、立川に現れたのが運の尽きだぜ」

「まさか御自身で捕まえる気ですか」

「モチのロン」

「危険すぎます。噂どおり犯人が牢人なら、従軍経験もあるでしょう。役人に任せるべきです」

「なら帰っておねんねしてな。あたしひとりでやる」

 サイレンを鳴らしてパトカーが車道を走り抜けた。信乃が我に返ったとき、もうハナの姿はなかった。




 ハナは慶長記念公園へ北側から侵入した。緑ゆたかな市民の憩いの場であるだけでなく、災害時には避難場所となる広大な空間だ。

 ハナは道路を避けて木立の間を進んだ。待ち伏せを回避したかった。荷物はアイパッドなどを入れた通勤用のボディバッグだけ。閉園は午後五時なので、人影は皆無だ。電灯も設置されてない。落葉を踏みしめる音以外なにも聞こえない。

 「太陽のピラミッド」と呼ばれる展望台に登り、膝を折った。メキシコの遺跡を模した、風景と不調和な施設だ。暗順応しはじめた視力で周囲を観察した。火縄の通り魔は無差別に一般市民を狙撃する。そして被害者が若い女なら、重傷を負わせたままレイプする。見晴らしのよい広場でなく、この森林エリアで犯行に及ぶだろうとハナは想定した。

 木造の売店のそばに、人型のシルエットがぼんやり浮かんでいた。手持ち無沙汰に直立している。見張り役の様だ。つまり敵は複数犯だ。

 ハナはボディバッグから旅弓を取り出した。折りたたみ式の小さな弓だ。ハナは弦を張り、矢をつがえた。この飛び道具の射程は約五十メートル。先制攻撃すればターゲットを斃せるが、単独で交戦開始するには敵情の偵察が足りない。

 いつの間に、隣で信乃がしゃがんでいた。二台持っている暗視双眼鏡の一台をハナに手渡した。

 ハナがささやいた。「来てくれたんだ」

「おひいさまに何かあったら、大殿様に顔向けできません」

「あたしだって久留里衆の端くれだ。通り魔ごときにやられてたまるか」

「とにかく、私の承認なしに敵と接触しないと約束してください」

「へいへい」

「力づくで止めますから、そのおつもりで」

 ハナは暗視双眼鏡を覗いた。増幅されたモノクロの画像で、見張り役の顔を注視した。頭は短い白髪で、左目に眼帯をつけている。ハナはこの老人に見覚えがあった。新宿駅でこちらを罠にハメた御庭番だ。

「あたし」ハナがつぶやいた。「このジジイを知ってる」

「まだ現役とは驚きました。七十近いはずですが」

「信乃も知ってるの」

「里見家と因縁が深いですからね」

「だれ」

「風魔小太郎です。かつて風魔党を率いた忍びです」

「えっ」

「北条氏が滅んだあと、盗賊に身を落としたと聞きますが、こんなところで出くわすとは……」

 キーンと耳鳴りが響いた。ハナは信乃の声を聞き取れなくなった。

 風魔小太郎は母の仇だった。

 館山城を攻めた徳川軍の別働隊を指揮したのが、徳川家に臨時に召し抱えられた風魔小太郎だった。盗賊として江戸を荒らしていた小太郎を捕縛した徳川家康は、その技能や知識を惜しんだ。なので彼を処刑する代わりに雇用した。特に南総の軍事や政治状況に精通していたのは、対里見戦略にうってつけだった。

 実際、小太郎は期待に応えた。結局館山城は落ちなかったし、徳川軍の遠征そのものは敗北に終わった。しかし正室を焼死させ、敵の総大将である里見正堯を揺さぶったのは大手柄だった。風魔党の残党などを掻き集めたわづか五十名では、これ以上求めようがない戦果と評価された。

 勿論それは、歴史に残らない類の歴史だが。

「殺す」ハナが言った。「絶対殺す」

 ブツブツとつぶやきながら、ハナは暗視双眼鏡を旅弓に持ち替えた。右耳の後ろまで弦を引き、呼吸を落ち着かせた。フクロウの鳴き声が聞こえた。五十メートル以内なら外さない自信があった。

 ハナの右腕をそっと抑え、信乃がささやいた。

「おやめください」

「邪魔するな」

「相手は風魔党の頭領だった男です。全盛期は私以上の手練れでした。それに敵の規模もわかりません。我ら二人だけで交戦するなど論外です」

「だまれ」

 ハナは右手で信乃の首を掴んだ。渾身の力を籠めて絞めた。

 頸動脈を圧迫され、信乃の意識が遠のいた。体術をつかえば、華奢なハナを振りほどくのは容易だ。だが信乃は、ハナの怒りの凄まじさに圧倒されていた。

 ハナと信乃は同居していても、内面を共有する仲ではなかった。ハナが毎晩、燃え上がる館山城で逃げ惑う悪夢に苛まれているのを、信乃はつゆとも知らなかった。

 ガサゴソと、下の売店の方から物音が聞こえた。

 狂気の発作が鎮まったハナは、また暗視双眼鏡を覗いた。売店の奥は擂鉢状の大きな窪地になっている。底から泉が湧き出る、めづらしい地形だ。

 長い髪の女が窪地から這い出てきた。ブラウスが破れ、スカートが乱れていた。ランニングジャケットのフードをかぶった男が、その後を追う。がっしりした体格で、右手に鉄炮を持っていた。

 あれは「火縄の通り魔」だ。

 通り魔は女を仰向けにし、のしかかった。女は抵抗できない。銃傷を負って虫の息である様だ。

 ハナは暗視双眼鏡をボディバッグへしまった。隣でしゃがむ信乃を見た。信乃はこわばった表情で頷いた。つねにハナの安全を優先する彼ですら、これは非常事態だと認めざるを得なかった。

 信乃は足音を殺して階段を下りていった。展望台に留まったハナは、旅弓に矢をつがえた。通り魔に狙いをつける。木々が風にそよいでいる。頭一つ分、照準を修正した。

 ビンッ!

 矢尻が夜風を切り裂いた。通り魔のランニングジャケットの左肩に突き刺さった。

 風の影響を過小評価していた。

 ハナが言った。「クソッ」

 即座にハナは二の矢をつがえた。老いたりとはいえ鋭敏な風魔小太郎が、射線に立ち塞がる。矢の刺さった通り魔を、路肩に駐車してあるミニバンへ押しこんだ。

 かまわずハナは射た。矢は小太郎の背に命中した。うめき声を上げ、小太郎は膝をついた。だがすぐ立ち上がった。エンジンルームを回って運転席に座り、急発進させた。

 ハナが叫んだ。「あぶないッ!」

 掩護を受けて接近する信乃を、小太郎の運転するミニバンが轢こうとした。ミニバンは速度を落とさず走り去った。

 ハナは旅弓を構えたまま、展望台を駆け下りた。売店のそばの草叢に、信乃が尻餅をついていた。得意げな笑みを浮かべ、手のひらに乗せた数個の鉄片をハナに見せびらかした。

 撒き菱だ。

 ガシャンッ!

 衝撃音がハナの後方から届いた。撒き菱を踏んだミニバンが、公園のどこかで衝突事故を起こしたのだろう。タイヤがパンクしてコントロールを失ったのだ。

 信乃の咄嗟の判断に、ハナは舌を巻いた。身を躱すと同時に反撃までするとは。これは戦国の世に幾度となく繰り広げられた、久留里衆と風魔党の暗闘の再現だった。

 ハナはアイフォンを操作し、LEDライトを点灯させた。仰向けに横たわる女を照らした。呼吸をしていない。胸に被弾してるだけでなく、刃物による深い傷が全身にあった。

 人間の所業ではなかった。

 それでも女が這って窪地から逃げようとしたのは、生存本能の最後の発現だったのだろう。

 ハナは、おのれの存在理由を否定される様な絶望に襲われた。それを振り払おうと絶叫した。

「あああああああああ!」

 信乃は女の傍らにしゃがみ、脈を調べた。ハナを見上げて言った。

「おひいさま」

「なに」

「この女性はまだ心停止していません。楽にしてあげた方がよいと考えますが」

「……そうだね。お願いしてもいいかな」

「わかりました」

 信乃はスキニージーンズの尻ポケットから、スパイダルコの折りたたみナイフを抜いた。女の耳許でなにごとか囁き、静かに永遠の眠りに就かせた。

 ハナは通り魔が遺した鉄炮を拾った。銃身に「清堯」の銘が刻まれていた。たしか三河出身の鉄炮鍛冶の名だ。

 木造の売店に明かりが灯った。

 ハナは窓ガラスから漏れる光に手をかざし、暗順応した視力を守った。それでも目がくらんだ。

 信乃が立ち上がり、前後左右を見回した。通り魔の仲間がまだどこかに残っており、手ぐすね引いている。おそらく証拠を隠滅するのが目的だ。

 売店の角から、おんぼろのコートを着た男が姿を現した。身長は百八十センチ以上ある。削り跡の粗い、自作の木刀を右手に持っていた。

 ハナはこの大柄な男を知っていた。新宿駅の事務室で、風魔小太郎の部下としてハナを尋問した御庭番だ。

 男は軽く頭を下げた。無精髭がむさ苦しい。

「拙者は」男が言った。「播州牢人、新免宮本武蔵と申す者。先日は世話になった。あの機転は見事だった」

 AEDによるドア越しの電撃を指しているらしい。

 ハナは無言だった。震えて歯の根が合わない。

 広い公園に、逃げ場はいくらでもある。しかしハナが駆け出そうとするとその方向へ、武蔵という男の目が先手を打ってギョロリと動き、ハナを怯ませた。足が地面に釘付けされた。棒手裏剣四本を右手に掴むのがやっとだった。

 あと三歩まで距離が縮まった。目を細めて残忍な表情をつくり、武蔵は続けた。

「しかし、兵法家というのは評判が大事でな。もし女に遅れを取ったとの噂が広まれば、看板を下ろすしかない。そなたに恨みはないが、ここで死んでもらう」




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