『大奥スパイミッション』 第1章「お江戸の電撃姫」


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 江戸西端にある新宿の夜景が車窓を流れていた。アール・デコ風のドコモタワーの背後は暗闇だった。とっくに閉まった新宿御苑は照明が灯っていない。

 ときは慶長十九年。関ヶ原の戦いから十数年が過ぎた。征夷大将軍に就任した徳川家康らが支配を確立し、この列島はようやく永続的な平和を取り戻そうとしている。

 いまのところは。

 ショートボブの髪をミニツインテに結ぶ女が、満員電車でドアに押しつけられながら、アイフォンでアニメを見ていた。『とある科学の超電磁砲』など、お気にいりの作品は全話ダウンロード済みで、いつでも鑑賞できる様にしてある。画面では主人公の御坂美琴がスターバックスかどこかのカフェで、放課後なので制服のまま友達とおしゃべりしている。

 女は涙ぐんだ。二次元の少女たちが羨ましくて仕方ない。特殊な環境で生育したこの女は、教育機関へ通った経験がない。だから学校帰りに友達とクレープを食べるとか、そういう仲睦まじい青春の一場面を見るたび、憧れと嫉妬で胸が締めつけられる。あたしもJKになりたい。制服で友達と街を闊歩したい。二十一歳の女は痛切に願うのだった。

 女は唇を噛んだ。現実世界で異変がおきた。ネットフリックスのアプリを終了させた。

 黒のミニスカートごしに、尻を触られていた。痴漢だ。女は車窓に映る男の顔を見た。白髪で、皺が刻まれている。六十代後半だろうか。背はさほど高くない。コーデュロイの洒落たジャケットを着ている。

 車輌が速度を落とした。新宿駅へ入ろうとしている。老人の右手はスカートの内側へ侵入した。

 来やがったな。

 里見ハナはほくそ笑んだ。老人が自分に狙いをつけたのは、職場近くの代々木駅のホームで気づいた。慎重に品定めしてからターゲットを選ぶのが痴漢の習性だ。勿論やつらは、捕まれば必ず「ほんの出来心でした」と弁解する。

 嘘っぱちだ。

 やつらは絶対、衝動的に行動しない。ターゲットを選定する時間も、快楽の大事な要素だからだ。若く性的に魅力的で、決して反抗しそうにない女をじっくり探す。なのでハナは自分が狙われてると悟ったとき、わざと目を伏せ、もじもじと気弱にふるまった。

 なにしろ痴漢狩りが、彼女の趣味みたいなものだった。ミニツインテやニーソックスなど、二十一歳にしてはやや幼い格好は、敵をおびき寄せる餌だった。童顔なので似合ってはいるが、年齢的にギリギリなのは自覚していた。でもおかげで月に二三回は痴漢を私人逮捕できる。

 ハナはアイフォンを後ろ手に回し、フラッシュを焚いて老人の犯行を撮影した。なにはさておき証拠固めだ。事件において物的証拠に優るものはない。

 ドアが開いた。ハナはホームに降りて振り向く。チェックのシャツをつかみ、老人を銀色の車体へ押しつける。アイフォンを老人の眼前に掲げ、撮ったばかりの写真を見せつけた。

 ハナは言った。「ちょっと事務室で話そうか」

 老人は無表情だった。薄笑いを浮かべる様にも見える。どうでもいい。性犯罪者の感情を慮る必要などない。泣き出したり、激昂することもある。意味はない。重要なのは、こいつらが卑劣な犯罪者であるという客観的事実だけだ。

 駅員が駆け寄ってきた。ハナを見て顔をしかめた。

 駅員が言った。「またあんたか」

「またとはなんだよ」

「先週捕まえたお武家さんは、偉い旗本だったよ。あとで俺が上から怒られた。ひどい目にあった」

「知るか。あたしは被害者なんだ。さっさと連れてけ」

「やれやれ、困ったもんだ」




 ハナと老人は駅員に先導され、人混みを掻き分けてコンコースを進んだ。「痴漢は犯罪です!」と書かれたポスターが目に入り、ハナは鼻で笑った。まったく警察の努力には頭が下がる。痴漢が犯罪であるという斬新な法解釈を、わざわざ一般市民に教えてくれるのだから。

 狭い事務室の四人掛けのテーブルで、ハナはどかりと腰を下ろした。向かいに老人が座った。やはりポーカーフェイスだった。ハナはすこし嫌な予感がした。

 事務室はキャビネットやパソコンがならぶ、雑然としたオフィスだった。オレンジ色のAEDのケースが壁に掛かっている。ほかに駅員はいない。

 五分ほどして、くたびれたコートを着た大柄な男が入ってきた。剣帯に刀を二本差しするだけでなく、手に別の大小を携えていた。無精髯を生やしたむさ苦しいなりだが、いちおう武士であるらしい。眼光鋭い男は、黒い手帳を駅員に見せた。徳川宗家の三つ葉葵の紋があしらわれている。駅員は驚き、求められるまま事務室から出ていった。

 大柄な男がテーブルに大小の刀を置いた。老人はかるく頷き、感謝の意を示した。

 痴漢に武器が提供された。

 頭蓋骨がひび割れそうな音量で、ハナの脳内で警報が鳴っていた。これは罠だ。

 あたしはハメられた。

 おだやかな微笑を浮かべ、はじめて老人が口を開いた。

「ワシらは御庭番だ。上様に直属する秘密警察だ……ああ、上様とは将軍である秀忠公のことだ」

 ハナは言った。「弁護士を呼ぶ」

「だから秘密警察と言うておろうに。権利を主張する相手をまちごうとる」

「うるせえ、クソジジイ」

 老人はジャケットからセブンスターの箱を出した。大柄な男がライターで火をつけた。大柄な男の両手に、剣術修行のせいか分厚いタコができている。普通タコは左手のみにできるから、両刀使いかもしれない。

 無遠慮に煙を吐き、老人が言った。

「先週の金曜、この駅で痴漢の冤罪事件がおきた。巻きこまれたのは幕府上層部にいるお方だ。大層ご立腹でな、濡れ衣を着せた女を探せとワシらに命令がくだった。そやつの残した連絡先は嘘だったのでな」

「あたしに関係ない」

「まあ聞け。くだらん仕事と思いながらも、ワシらは捜査をはじめた。すると興味ぶかい状況が浮かび上がった。調べがついただけでも、その女は二十以上の事件に関わっている。只者ではない。痴漢が有罪か無罪かはともかく」

「てめえが痴漢したのは事実だろうが!」

「そのとおりだ。試させてもらった。女、お前は腕がいい。それに……」

 そう老人が言いかけると、隣に立つ大柄な男がテーブルに身を乗り出し、ハナの顎をつかんだ。上下左右にうごかし、あらゆる角度から顔立ちを値踏みする。

 野太い声で大柄な男が言った。

「それに、顔も悪くない。薄化粧だが見れるツラだ。これなら高値で売れるだろう」

 ハナは両方の手のひらを下へ向けた。はげしい痒みが走っていた。男性アレルギーのせいで、あっという間に蕁麻疹がひろがった。さっきの車内みたいに「触らせてる」ときは問題ないが、同意なく「触られる」と発症する。

 ハナの苦しげな様子を見た老人が、大柄な男に言った。

「宮本、すこし外してくれ」

「お楽しみを独り占めするつもりか」

「売り物に傷はつけんよ」

「どうだか」

「御台所様から、この件は内密に進めろとお達しが出ている。大奥の内部情報を多くの耳に入れられないのでな」

「ふん」

 宮本と呼ばれた男は鼻息荒く事務室を出て、大きな音を立ててドアを閉めた。

 煙草の灰をタイル床に落としつつ、老人が言った。

「すまんな。あれは諸国を放浪している牢人だ。用心棒としては役立つが、無作法なのには閉口する」

「一体あたしになんの用だ」

「察しはついてるはずだ。工作員として雇いたい。断れる立場ではないのもわかるな」

「だれがてめえなんかのために」

 口調は攻撃的だが、ハナは内心怯えていた。徳川幕府は、尋問や刑罰の苛酷さで悪名高い。とはいえ御庭番だかなんだか知らないが、こんな胡散臭い連中に協力するのは御免だ。できるだけ会話を引き延ばし、逃げる隙を見つけたい。

「そう強情を張るな」老人が言った。「いまの生活に満足か? 痴漢を捕まえて鬱憤を晴らしても、結局虚しいだろう」

「痴漢はゴミクズだ」

「ははっ、勇ましいな」

「クズなのはてめえも含めてだ」

「女には女の生き方がある。お前はそこから逃げている」

「説教はやめろ。なにが工作員だ。わけわかんねえ」

「任務は潜入調査だ。女しか入れない場所でな」

「大奥か? さっきから言ってる」

 老人は薄気味悪い笑みを返した。吸い終わった煙草を床に捨て、あたらしい一本に自分で火をつけた。あきらかに勿体ぶっている。国家レベルの重要機密にアクセスできる身分を誇ってるらしい。

 冗談じゃねえと、ハナは内心で毒づいた。

 江戸城の大奥と言えば、将軍の子供を産んで育てるための機関だ。男に触られただけで蕁麻疹が出るあたしにとっちゃ、むしろ死んだ方がマシな職場だ。

 狭い事務室に毒ガスを充満させつつ、老人が言った。

「大奥では派閥抗争がおきている。御台所様は心を痛めておいでだ。お前の役目は、ある側室に近づいて弱みを握ることだ」

「だれだよ」

「お雪という女だ。美貌の誉れ高いが、近頃は上様の御寵愛をいいことに、政治にまで口出しをしよる……」

 老人は饒舌だった。フィクサー気取りで自惚れている。実はハナはお雪を個人的に知っており、話の内容に関心があった。しかし、逃走のチャンスはいましかない。

 ハナはテーブルを蹴り上げた。老人の二本の刀が床に転がる。ハナは両手をグレーのパーカーの袖に挿し入れる。左右四本づつ、棒手裏剣を仕込んであった。

 久留里流忍技【千鳥】。

 八本の手裏剣が同時に老人へ襲いかかった。南総で暗躍した忍びの集団「久留里衆」がつかう忍技を、ハナは一部伝授されていた。プロではないが、その真似事くらいはできる。

 老人は両腕で頭部を守った。手裏剣のほとんどがコーデュロイのジャケットを貫いた。ハナはその一本を引き抜き、老人の左目に深々と突き刺した。

 タイル床で七転八倒する老人に、ハナは唾を吐きかけた。

 くそったれ。尻を触られた報いにゃ不十分だが、ちょっとは気が晴れたぜ。

 ハナは五感を研ぎ澄まし、ドアの方を観察した。新宿駅のコンコースの雑踏が、以前より遠ざかった気がする。おそらく宮本と呼ばれた男が、抜刀してドアの外で待ち構えている。

 これは直感でしかない。でもいまは、おのれの直感しか頼れるものがない。

 壁にかかるオレンジ色のケースから、ハナはAEDを取り出した。マニュアルモードに切り替えて起動する。これで心電図解析をしないでも電気ショックをあたえられる。

 ドアの方からかすかな金属音が響いた。宮本がノブに手をかけたにちがいない。

 ハナは電極パッドをノブに貼りつけ、放電ボタンを押した。ウッという呻き声のあとドアが開き、宮本が内側によろけてきた。宮本は抜き身の刀を杖代わりにして堪えた。憤怒の形相でハナを見上げている。

 ハナは黒のニーソックスを履いた右脚を振り上げ、宮本の顔面を全力で蹴りつけた。

 宮本が仰向けに倒れたとき、すでにハナはコンコースの人の波を泳いでいた。スラロームをするスキー選手の様に速い。

 息を弾ませながら、ハナはつぶやいた。

 さっきのあたし、御坂美琴みたいでカッコよかったんじゃね? お江戸の電撃姫って名乗っちゃおうかな。




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