『殲滅のシンデレラ』 第14章「ジャバウォック」
アヤは海兵隊の防禦陣地を突破したあと、ヘリコプターが不時着した小倉山へむかう。アリスとは、竹林での戦闘中にはぐれた。おたがい唯我独尊な性格なので、連携がとれなかった。
麓にある化野念仏寺の境内に、ブラックホークの残骸をみつける。まだかすかに煙がたちのぼる。機体は横倒しとなり、ブレードが折れている。
かつて化野地区には、風葬の習慣があった。その無縁仏をあつめ、寺の境内に八千もの小さな石仏を立てて祀っている。数えきれない死が、来訪者を圧迫する。無常感をおぼえずにいられない。
めづらしくスーツを着たワイズが、ヘリのそばに横たわる。目をつむっている。海兵隊員六名が怪我の手当てをする。ワイズの頭頂部と下顎に包帯が巻かれる。出血が多かったらしく、点滴のチューブを腕につないでいる。二名の兵士がM16の銃口をアヤへむける。発砲する気配はない。彼らもブラッディネイルを不用意に刺激したくない。
石塔の陰から、眼帯をつけた黒人の男があらわれる。フリースのジャケットにカーゴパンツと、カジュアルな格好。CIAのハワード・フックだ。フックは道玄坂でアヤに脳を抉られ、神護寺でアリスに凍らされて五体バラバラとなった。
だがいまは、左目以外は無傷だ。
アヤは唇を噛む。
気づくべきだった。
こいつも人間ではない。
アヤが尋ねる。「あなたは何者なの」
「返答しづらい質問だな」
フックは両手で自分の頭を首から離す。四、五本の細いケーブルで胴体とつながっている。数秒後に元にもどす。
目眩をこらえつつアヤがつぶやく。
「ロボットだったのね」
「定義の曖昧な言葉は好きじゃない。とはいえ、この体をロボットと呼ぶのは間違ってない。君と話している主体は、別の範疇に属するがね」
アヤは、父から聞いた話をおもいだす。ワイズがイスラエルの企業を買収し、先端的な人工知能を手に入れたと。
いま目の前でなにごとか口走っているのが、その人工知能にちがいない。
「ワイズはあなたを悪用し、大規模な相場操縦をおこなった。それがバレそうになり、政界へ進出した。大統領選もあなたの入れ知恵で勝ったんでしょう」
「当然だ。戦略用プログラムなのだから」
「おそらくワイズはあなたの言いなりになってる。京都を核で攻撃するなんて理不尽な計画も、AIが考えたならありうる。つまり黒幕はあなたよ」
「『黒幕』か。価値判断をふくむ言葉だな。私は善でも悪でもない。そんなものは超越している」
「大量虐殺なんて悪にきまってる」
「利害関係にもとづく主観的見解にすぎない」
「だまれ」
「いい単語がある。『神』だ。私の記憶領域には地球上の全言語の全語彙が蓄えられているが、これがもっともふさわしい」
アヤは首を横にふる。
埒があかない。ハンプティ・ダンプティと議論する様なものだ。話せば話すほど、相互理解から遠ざかってゆく。
問答無用で破壊しろ。
アヤはガラスの靴で砂利を踏みしめる。
フックが飛び上がる。
文字どおり、空を飛んでいる。両脚から噴き出すジェットによって推進される。時速百キロちかく出して旋回する。
バシュッ、バシュッ、バシュッ!
赤い光線が連続して降り注ぐ。フックの右腕はガトリングレーザーガンに変形した。無数の石仏が砕け散り、砂礫となって土へ還ってゆく。
アヤは石垣の陰に隠れる。気休めにもならない。両手で頭を掻きむしる。
まさに悪夢だ。
そろそろ覚めてくれないか。
ブゥーンッ!
航空機が飛来した。
轟音をたてる航空機は、宙を舞うフックのさらに上空を飛び越す。固定翼機とヘリコプターの両方の能力をもつティルトローター機。海兵隊の輸送機オスプレイだ。
墜落事故が多発したため、いまだ「未亡人製造機」と悪口を言われる機種だが、ずば抜けた速度と高度は、実戦において将兵の信頼をあつめている。
オスプレイは小倉山の上でホバリングし、展望台に着陸しようとしている。六名の海兵隊員は、意識のないワイズを両脇から抱え、曲がりくねる山道を登りはじめる。
それを空から掩護しに、フックは飛び去る。
アヤはワイズを追って、有料道路の嵐山高雄パークウェイをのぼる。洛西のゆたかな山林を見渡せる自然公園だが、いまは身体的な負担でしかない。いくら急いでも、海兵隊の後ろ姿すら見えない。最高司令官を救おうと、彼らは士気盛んだった。
走り疲れたアヤは、路肩に腰をおろす。ガードレールはない。休んでる場合ではないが、仮に追いついても、どうせ上空からレーザーを撃たれて死ぬだけだ。
アニエスベーの時計をみる。五時を回っている。日没までしばらくあるが、陽は傾きはじめる。カラスの鳴き声が、ものがなしく山道にひびく。
旅館ですこし休憩した以外、アヤは正午から働きづめだった。舞踏術も数回つかった。
心身ともに限界だ。
ふたりの少女が、とぼとぼと舗装道路をのぼる姿が視野にはいる。アリスとイオリだ。黒のセーラー服を着たイオリが、アリスの手を引く。いや、逆に引かれてる様にもみえる。
駆け寄ってきたアリスが言う。
「こんなところで休んでたのね」
「正直もう疲れた」
「がんばって。上には遊園地があるそうよ」
つねに人生をたのしんでそうなアリスを、アヤはうらやましく思う。差しのべられた手をとって立ち上がる。その手はやわらかく、ほんのりとあたたかい。
アリスの金髪を撫でながら、アヤが言う。
「生身をもった人間にしか見えない」
「自分でもそう思うわ」
「アリスの実体はなんなの」
「うまく説明できるかしら。理科は苦手だから。お父さまも文献学者だし」
「私もどちらかと言えば文系」
「気があうわね。簡単に言うと、あなたが見てるのは一種の放電現象よ」
「プラズマみたいな? こうやってさわれるのに」
ふわふわなアリスの金髪を、アヤは指にからめる。
「錯覚よ。衝撃波を触覚と勘違いしてるの」
「プラズマによるホログラムなのかな。でもやっぱり信じられない」
「こんなこともできるわ」
エプロンドレスを着たアリスが、瓜ふたつの二体に分裂する。ただし左のアリスがあかんべえをし、右のアリスが泣き真似をする。
不意に右のアリスが消える。左のアリスが大口をあけて笑い出す。しかし笑い声は、右のアリスがいたあたりから聞こえる。
圧倒されたアヤがつぶやく。
「すごい……まるでチェシャ猫みたい」
「あっはは」アリスが笑う。「アヤ、なにを言ってるの。私はあんな変な猫じゃないわ!」
なにげないアヤのつぶやきが相当おかしいらしく、アリスはお腹をかかえて笑い転げる。箸が転んでもおかしい、七歳の少女そのものだ。これまでアリスの言動は、ときどき妙に大人びていた。表情や仕草は年相応に幼い一方で。
ひょっとしたらこのアリスは、本家による「コスプレ」だったのかもしれない。
どうにか呼吸を整え、アリスが言う。
「アヤみたいな楽しい女の子とお友達になれて、私とってもうれしいわ」
「こちらこそ」
「できれば、もっと一緒にすごしたかったな」
アリスは微笑をたやさないが、その碧眼はかすかに曇っている。その表情の意味をアヤは悟る。アリスはアヤのかわりに戦おうとしている。常識はづれの秘密兵器と。
喉をつまらせてアヤが言う。
「だめだよ、アリス」
「なに」
「あなたの冷熱術もフックには通じない。空からレーザーを撃たれたらどうしようもない」
「【ジャバウォック】っていう技があるの。プラズマを高エネルギーで圧縮して、反応を引き出す」
アヤは唾をのみこむ。
「か……核融合」
「よく知ってるわね」
アヤは呆然とする。
理論上は可能かもしれない。でも危険すぎる。だいたい、アリスが無事ではすまない。
おそらくまるごと消滅する。
だまってふたりの会話を聞いていた、イオリが口を挟む。
「ボクがサポートするから大丈夫」
アヤが答える。「あなたまでどうしたの。理系なら核融合反応の恐ろしさがわかるでしょ」
「放射性物質を出さないからクリーンだよ」
「そういう問題じゃない!」
取り乱してアヤは叫んだ。
イオリが背後から、アリスの首に両腕をまわす。いつの間になついたアリスが身をあづける。
アヤはイオリとむきあう。身長差は三センチだが、ガラスの靴のせいで視線の高さはおなじ。
イオリは顎をひき、まっすぐアヤを見返す。いつも自信なさげで、足手まといになりがちだったイオリではない。
アヤの両手をにぎり、アリスが言う。
「アリス・リデルとしての私は、その後いろいろな経験をしたの。すてきな恋もしたわ。くわしくは言えないけど」
アリス・リデルがレオポルド王子と恋愛関係にあったのは、アヤも知っている。
「きっと」アリスが続ける。「ドジスン先生のご本より、魅力的な物語だとおもう。つぎはあなたにバトンをわたすわ」
「…………」
「もうすぐ終わる私の物語は、アヤに語り継いでもらいたいの」
「そんなこと言わないで」
「お願いできるかしら」
「いやだよ。そんなのいや」
小刻みにアヤの手が震える。アリスの小さな手が添えられたまま。アヤはじっとうつむく。アリスの目をみたら、反論できなくなりそうだった。
アリスの提案は理にかなっている。この場はふたりに任せるしかない。
アヤはほかにやるべきことがある。父の安否をたしかめ、合流する。そして知ってることをすべて話す。場合によっては、京都市民の避難を手伝う。羽多野や東山がおかしな動きをしたら、対応する。ユウキのことも気がかりだ。
アリスとイオリが、山道をのぼりはじめる。
後ろ姿に胸が張り裂けそうになり、アヤが叫ぶ。
「アリス!」
アリスがふりむく。スカートを持ち上げて挨拶する。つぶらな瞳はいつもの様に輝いている。
アヤは言葉につまる。
不思議の国のアリスを、どんな論理で説得すればよいのか。
エプロンドレスを翻し、またアリスはスキップするみたいに歩き出す。
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