『殲滅のシンデレラ』 第10章「神護寺」


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 京都競馬場のスタンドは、観客がいなくなったので寒々しい。発砲事件をうけ、GIレースは急遽中止となった。騎手から解放された競走馬たちが、悠々と馬場を走る。地下鉄などへの攻撃からは約二時間経過した。古都が争乱に巻きこまれたことは、全世界へ知れわたった。

 アヤが通路からスタンドにあらわれる。イオリと羽多野があとから続く。イオリは黒のセーラー服を着て、黒のストッキングを履く。ウィッグをつけたのでロングヘアだ。だれも出生時の性別を見抜けないだろう。

 白のセーラー服のトワが頭を下に、仰向けでスタンドに横たわる。額の中心を9×39ミリ弾で撃ち抜かれた。

 イオリが駆け寄り、遺体を抱きすくめる。声をあげて泣く。感情移入のはげしい性質だなと、アヤはおもう。イオリがトワに会うのはこれがはじめてなのに。

 羽多野は力なく椅子に腰をおろす。頭をかかえている。ひょっとしたら、トワと特別な関係があったのかもしれない。

 かすれ声で羽多野がつぶやく。

「俺の責任だ。京都駅でもトワはおかしかった。作戦から外すべきだった」

 トワは持ち場をはなれ、アヤとイオリを尾行した。感応術をもちいて情報を盗み、単独でワイズを斃そうと抜け駆けした。作戦全体を瓦解させかねない行動だ。

 唇をぎゅっと結び、アヤが言う。

「トワさんがバカなのよ」

 うつむいていた羽多野が顔をあげる。

「こんな風に」アヤが続ける。「トワさんが独走しなければ、たぶん暗殺は成功した。これ以上のチャンスは二度とない」

 遺体を抱いたままイオリが叫ぶ。

「アヤちゃん、ひどいよ!」

「なに」

「そんな言い方ってない」

「私が冷たいと言いたいわけ」

「わかってるでしょ。トワさんが思い詰めたのは、アヤちゃんをライバル視したからだ」

 アヤはかすかに身をよじる。腋の下に汗をかいている。痛いところを突かれた。

「そんなの知らない。とにかくメソメソするのはやめて」

「男らしくなくて悪かったね」

「ええ、悪いわ。あなたも感情に流される人間なら、容赦なく切り捨てる」

「…………」

「私が四条烏丸でユウキになにをしたか、間近で見たでしょう」

「かわいそうに」

「はぁ?」

「本当はだれより愛情をもとめてるくせに、そんなに強がって。精神的に支えてあげたかったけど、ボクには無理そうだ」

 膝をついたイオリはアヤを見上げている。瞬きするたび、しっとり濡れた睫毛から涙が飛び散る。水滴がダイアモンドのかけらの様にきらめく。鳥肌が立つほどのうつくしさだ。

 アヤは混乱する。イオリの言う本当の自分とはなんだろう。イオリの正体は、女装癖のある少年ではないか。いったいなにが本当なのか。結局のところ人生とは、一幕の舞台にすぎないのか。

 イオリと羽多野はスタンドを後にする。トワの遺体は椅子に横たえ、瞼を閉じさせた。それくらいしかしてやれない。いくら警察が麻痺状態でも、長く現場にとどまれない。

 アヤはトワの黒縁眼鏡をはづす。つるをたたみ、自分のブラウスのポケットへしまう。

 爪を黒く塗った拳を握りしめ、つぶやく。

 トワ、ごめんなさい。

 仇はかならず私がとる。




 神護寺は、高尾山の中腹に建てられた山岳寺院だ。空海や最澄などにゆかりがあり、歴史に名をとどめる。アヤとイオリは狙撃手などを排除しつつ、参道をのぼる。紅葉の名所だが、いまは六月なので鬱蒼としげる青葉が、四百段もある長大な石段をかこんでいる。

 へばるイオリを叱咤激励して導き、アヤは楼門の前の石段までたどりつく。普段ジムで足腰を鍛えているおかげだ。

 石段の中程で、折りたたみ式防弾盾が五つひろがり、即席のバリケードを形成している。ひとつの防弾盾に三人が身を隠せる。警察の特殊部隊十五名が、ヘルメットをかぶった上半身だけ出し、サブマシンガンのMP5でアヤを狙う。

 楼門をぬけて境内に入れば、神谷首相とワイズ大統領に接触できる。首脳会談の一環として、日本文化を紹介し、親睦をふかめているらしい。

 京都が幕末以来の大混乱に陥ったのは、神谷首相も知っている。しかしワイズ大統領が、神護寺での合流をつよく主張した。ソリストを迎撃するための手勢をふやすのが目的だ。また神谷は、若本副総理をはじめとする主要閣僚、および次官クラスの官僚と連絡をとれてない。みな雲隠れした。総理大臣は山中で孤立無援となっていた。

 日本の政治を牛耳る約十名が姿を消した理由を、アヤは羽多野からおそわった。彼らはワイズと密約をむすんだ。京都を核ミサイルで攻撃したあと、原子力潜水艦アラバマを乗組員ごと日本政府へ譲渡すると、ワイズは約束した。

 日本は、一夜にして核保有国となる。周辺国は反発するだろうが、文句は言わせない。日本は被害者なのだから。核兵器の戦略的価値にくらべたら、都市ひとつ灰になったところでお釣りがくる。

 アヤはこの話を信じた。大いにありうると思った。公言こそしないが、大抵の民自党議員は核武装を悲願としている。父や祖父もそうだ。

 黒のスーツを着た女が、楼門のそばから拡声器をとおして呼びかける。顔はみえないが、声で担任の東山奈美だとわかる。やはり東山は潜入捜査官だった。

「佐倉さん、ムダな抵抗はやめなさい。あなたは羽多野に利用されてるだけよ。罪を問われないようにするから、ここは私にまかせて」

 木陰に隠れるイオリにむかい、アヤが尋ねる。

「念動術で私の声を飛ばせる?」

「うん。メガホンのマイクをスピーカー代わりにできるとおもう」

「おねがい」

 楼門の方を見上げ、アヤが言う。

「あー、もしもし」

「…………」

「二年C組の佐倉です。聞こえますか」

「聞こえるわ」

「先生にひとこと言いたいんですけど」

「なによ」

「よくもユウキたちを罠にはめましたね」

 拡声器の発するハウリングが、山道で反響する。

「私を責めてるの? 友達がいるとわかっててテロを実行したあなたが?」

「謝らないんですか。あとで命乞いしても遅いですよ。たとえ先生でもゆるさない」

「キチガイ。殺人鬼」

「ふうん。そういう態度なんだ」

 アヤは一歩づつ石段を踏みしめる。特殊部隊の隊員十五名が、MP5の照準を精確にあわせる。距離は二十メートル。確実に当てられる。

 アヤは飛び上がる。

 舞踏術【グラン・ジュテ】。

 ふわりと舞い、前方宙返りする。まっすぐ両脚をのばし錐揉み回転している。特殊部隊の背後に着地する。敷石が衝撃で吹き飛ぶ。

 生贄の儀式がはじまった。ソリストの舞踏は、防弾ベストをきた敵すら一撃で屠る。アッチェレランドで殺戮が進行してゆく。フォルティッシモな悲鳴。そして沈黙。

 アヤは身を翻す。石段を駆け上る。東山の姿はない。あいかわらず逃げ足が速い。

 本堂でワイズ大統領を警護していたシークレットサービス八名が、楼門からつぎつぎ飛び出す。みなスーツとネクタイを着用し、グロックなどの拳銃を手にする。石段の上に散開し、アヤへ集中射撃をあびせる。

 黒い物体が、後ろからアヤの頭上を飛びこす。イオリが防弾盾を念動術でうごかした。拳銃弾が食い止められる。五つの防弾盾は、半円をえがいてシークレットサービスをかこむ。

 アヤは身をかがめ、右に大きく迂回する。たがいの秘密を共有したイオリとは、言葉をかわさなくても連携できる様になった。

 敵の側面へ躍り出る。シークレットサービスは縦一列となり、射線を塞がれた。アヤはフットボール選手みたいな体格の男に肉薄する。右手をVの字にし、男の顔へむける。男は反射的に左手を顔の前にかざす。硬直している。

 アヤの残忍な闘いぶりは、アメリカの各組織の戦闘員のあいだで語り草となっている。ブラッディネイルは人間の目を抉り、その場で食べるらしい。さらに脳まで啜るとか。

 アヤは、ガラスの靴で股間を蹴り上げる。男は反吐をまきちらし、悶死する。石段を転げ落ちる。のこりのシークレットサービス捜査官は恐慌をきたす。逃げ道をさがすが、防弾盾による包囲がさらに狭まっている。味方同士で押し合いへし合いするうち、ひとりづつ仕留められる。

 森閑とした山門が、地獄絵図と化す。

 バラララララッ。

 轟音とともに軍用ヘリコプターが飛来した。星条旗を機体にあしらった、アメリカ海兵隊のブラックホークだ。しかも二機。アヤは突風でなびく髪を手でおさえる。

 大統領専用ヘリ、通称「マリーン・ワン」は、せまい境内に二機とも着陸する。




 待ち伏せが怖くもあったが、アヤは楼門をくぐって境内へ踏みこむ。急がねばワイズに逃げられてしまう。

 ブラックホークのまわりで醜い争いが生じていた。銃声に怯えた日本政府高官が、自分もヘリに乗せるよう海兵隊員にもとめている。押し問答がつづいたあと、迷彩戦闘服をきた海兵隊員は、M9拳銃で高官を射殺する。

 頭髪が薄く、眼鏡をかけた七十歳くらいの男が、アヤの存在に気づいて歩み寄る。日本国総理大臣をつとめる神谷昭雄だ。

「君は」神谷が言う。「佐倉君のところのお嬢さんじゃないか。まさか君がテロをおこしたのか」

 アヤは閣僚の娘だった。本来はあちら側の人間だ。口籠りながら答える。

「御無沙汰しております、神谷先生」

「事情は知らないが、バカげた真似はやめなさい。話せばわかる」

 アヤは、神谷の十メートル後ろにいる海兵隊員をみていた。M16アサルトライフルを構えている。彼らは外交官ではない。話は通じない。

 海兵隊員二名が発砲する。アヤは左に転がって避ける。楽観主義者の神谷が盾になった。後頭部と背中に数発被弾し、即死した。壊れたくるみ割り人形みたいに倒れる。

 アヤは横目で神谷の死体をながめる。

 いい人だった。一度会っただけの私を覚えてくれてたなんて。でも、それだけの人だった。神輿にかつがれ、売国奴たちの陰謀の道具となり、その事実を知らないまま死んだ。ある意味、幸福な人生だったかもしれない。

 チリリリン!

 鈴の音がアヤの脳裏に響いた。ティンカーベルが飛び回りながら、なにかしゃべっている様な。

 アヤは右側に建つ書院の門の、茅葺きの屋根を見上げる。眼帯をつけた黒人の男が、棟のところに腰かけている。左腕を膝にのせて支えとし、消音アサルトライフルのASヴァルを安定させる。

 昨夜の道玄坂でアヤに重傷を負わされた、CIAのハワード・フックだ。高所から狙われるアヤには、反撃の手段も、身を隠す場所もない。

 チェックメイトだ。

 アヤはぽかんと口をあけ、ライフルのスコープごしにフックと目をあわせる。みごとな戦術だ。こちらの攻勢限界点を冷静にみきわめ、危地へ誘いこみ、決定的打撃をくわえる。復讐心をたぎらせてるだろうに、周到に考え抜かれた戦術だ。

 しかし、フックは発砲しない。固まっている。アヤをなぶりものにしているのか。

 フックの褐色の肌に異常がおきているのに、アヤは気づく。あれは霜だ。顔一面が霜に覆われている。フックはライフルを構えたまま凍結していた。

 バランスを崩したフックが、砂利道へ落下する。ガシャンと音をたて、五体がばらばらに砕ける。

 門の陰から、サックスブルーのエプロンドレスをきた、金髪の少女があらわれる。具現化した唯一のシャドウである、アリスだ。

 冷熱術【白の女王】。

 いったいアリスは敵なのか、味方なのか。とにかく今回は、アヤの命をすくった。

 七歳とはおもえぬ複雑な表情を、アリスはうかべる。あえて言葉にするなら、憐憫。アリスは楼門を出て、ひとりで参道を下りてゆく。

 ブラックホーク二機のブレードの回転が速まる。アヤの紺のスカートがはためく。ワイズを収容したブラックホークが離陸しようとしている。

 一機が上昇中に機体をおおきく傾ける。旋回しながら下降しはじめる。操縦不能になっている。金堂へ墜落する。国宝である薬師如来立像もろとも、数トンの重量で押し潰す。

 もう一機は僚機を見捨て、飛び去ってゆく。あちらがワイズが乗るマリーン・ワンだ。ヘリが複数で移動するのは、いざというとき大統領の身代わりにするためだ。足手まといなら切る。

 黒のセーラー服を着たイオリが、おくれて境内にたどりつく。精魂尽きて両膝に手をつく。

 アヤは、まだ凍っているフックの死体のそばにあった、卵型の手榴弾をひろう。

 息を切らせてイオリが尋ねる。

「アヤちゃん、怪我は?」

「大丈夫。さっきはカバーしてくれてありがとう。防弾盾で囲むのはいいアイデアだった」

「こう見えてボクは男だからね。がんばらなきゃ」

「じゃあ、もうひと踏ん張りおねがい」

 アヤは手榴弾のピンを抜き、上空へ投げる。イオリが念動術で百メートルちかく急上昇させる。手榴弾は、ブラックホークのテイルローター付近で爆発した。

 だがヘリの飛行は、平衡をたもっている。

 アヤはため息をつく。

 軍用ヘリは、この程度のダメージでは影響ないかもしれない。とにかく私は全力を尽くした。




 東山奈美は高雄山の藪を掻き分け、どうにか舗装道路まで下りてきた。ソリストたちの攻撃を恐れ、参道を避けた。斜面で何度も転んだので黒のスーツは泥だらけで、木の枝であちこちが破れた。教師の安月給で無理して買った、ニューヨーカーのスーツが台無しだ。

 東山は首を横にふる。

 こんなの苦労のうちに入らない。警察という、どうしようもなく男中心の組織で活動するのとくらべたら、たのしいピクニックみたいなもの。

 奈美、夢をわすれないで。あなたは女性初の警視総監になるんでしょ。

 敵前逃亡した東山だが、悪びれるつもりはない。自分は戦闘員ではなく、公安警察官だ。スパイとして情報をつかむのが仕事だ。教師になりすまして高校へ潜入し、不穏分子を発見した。表彰ものの大手柄だ。バケモノと戦って犬死にするなんて、あってはならない。

 それにしても、あの小娘。佐倉アヤとかいう。はじめから怪しいと思っていた。くりかえし報告したのに、上司に握り潰された。民自党議員の子息だからビビったのだろう。

 清流にかかる高雄橋の前で、東山は立ち止まる。愕然とする。佐倉アヤが、仲間の謎の美少女をつれ、行く手をはばんでいる。

 運動による汗が、恐怖による冷や汗に変わる。清滝川へ飛びこんで逃げたい。それでも東山は歯を食いしばり、傲然とアヤに言う。

「ありがとう。待っててくれたのね」

「笑わせないで」

「佐倉さん、謝りなさい。それが教師に対する言葉遣いなの」

「ごめんなさい、『先生』」

 アヤは意地悪く発音した。

 東山は腕組みし、上半身の震えをごまかす。

 天使の顔をした悪魔め。

 絶対この場は切り抜ける。どんな異能をもってようが、十歳年下の女に翻弄されてたまるか。しょせん佐倉アヤは、蝶よ花よと育てられた、世間知らずのお嬢さまなのだ。

「知ってるかしら」東山が言う。「アメリカ海兵隊の一個大隊が、すでに沖縄を発った。規模は約千人。もうじき京都へ到着する」

「へえ」

「こうなったのもなにかの縁。あなたに協力するわ。私を生かしておけば役にたつ」

「変わり身がはやいですね」

「大人だもの」

「それはともかく、ユウキをはめたことへの謝罪はまだですか。まあ、謝っても許しませんが」

 東山は顔をしかめる。

 しつこい女だ。毎回授業のあと質問攻めしてきて、こちらを閉口させる。私は英語の専門家じゃないから、前日の夜に何時間も予習しないといけない。まったく忌々しい女だ。

「聞いてなんになるの」

「根にもつタイプなんです」

「知ってる。なにひとつ不自由ない暮らしをしてるくせに、被害妄想にかられて道を誤った」

 アヤの端正な顔に、影が一瞬よぎる。攻めるべき弱点を東山はみつけた。諸刃の剣だが。

 アヤが言う。「お説教はやめて」

「心配して言ってるの。まだ立ち直れる。私が責任もって手助けする」

「もう一度言う。やめて」

「徹底的にあなたのことを調査した。羽多野と政略結婚させられると思いこんでたのよね?」

 アヤは沈黙する。めづらしく視線が泳ぐ。イオリが気遣わしげに横顔をうかがう。

「御両親になにか言われた? あなたと羽多野が結婚する可能性について」

「…………」

「言われてないわよね。ありえないもの。ねえ知ってる? あの男は結婚歴があるのよ」

「私に関係ない」

「いろいろあって今は独身だけどね。犯罪歴もある。ここじゃ言えないくらいの。学歴は高校中退。どうみても佐倉家の御令嬢と釣り合わない。政略結婚は、あなたが創作したストーリーよ」

「だまれ。それ以上しゃべるなら殺す」

「あははっ。いま理解したわ。あなたは羽多野に惹かれてたのね。嫌よ嫌よも好きのうちってやつ。恋愛感情を圧し殺すために、滑稽なシンデレラストーリーを自作自演したんだわ」

 イオリは隣で、アヤがわななくのを見守る。アヤの右手が透明な剣と化した。途轍もなく気位の高い女が、内面にずかずかと踏みこまれ、憤慨している。それでもイオリは信じていた。アヤは無抵抗の人間に暴力をふるわない。

 緊張がゆるんだのを察し、東山は欄干をこえて清滝川へ飛びこむ。スーツを着ているのでぎこちなく、下流へむかい泳いでゆく。疲労困憊のアヤに、東山を追撃する余力はない。

 じっとアヤを見つめ、イオリが言う。

「よく我慢したね」

「命懸けのハッタリとわかってたから。それでもムカついたけど」

「えらいよ。東山先生の言い方は最低だった。やっちゃえって、正直おもっちゃった」

「私もすこしは成長したかな」

 アヤは足許がふらつき、イオリにもたれかかる。イオリはやさしく肩を抱く。男と思えないほどしなやかな体だ。

「ごめんなさい」アヤが言う。「疲れて立ってるのもつらい状態なの」

「あれだけ舞踏術を使えばしょうがないよ。ボクが支えてあげる。男の方が力持ちだからね」

「よく言うわよ。私より細いくせに」

「とにかく一度ホテルへもどろう。また出動命令が出るまで休まなきゃ」

 アヤは橋から下流をながめる。東山はまだ泳いでいる。生き延びようと必死だ。

 東山奈美という教師は別に嫌いではなかった。どちらかと言えば好きだった。説明がわかりやすく、アヤは東山のおかげで英文法が得意になった。いい先生だと感謝していた。

 公安のスパイだとは、つゆとも思わなかった。

 道を誤ったのは、むしろ東山ではないか。




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