『殲滅のシンデレラ』 第3章「シンデレラ」


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 東急百貨店本店は、道玄坂をのぼりきった三叉路に面する。夜八時すぎだと、界隈の人通りは減る。黙りこくった男女が、円山町のラブホテル街につづく路地へ、闇に吸いこまれる様に消えてゆく。

 グレーのベストなどを着替えてないアヤが、アイフォンで通話している。

「そんなに心配しないで。お父さんは大袈裟に言ってるだけだから。ありがとう。おじいちゃんは私の一番の味方だとおもってるよ。そうだね。また会える日を楽しみにしてる。それじゃ」

 アヤは、山梨県の松本市にすむ祖父からの電話を切った。

 家出には軍資金が必要だ。

 水商売などでなく、まっとうな職に就くには、あたらしい住所を確保しないといけない。百万円くらいあれば安心だ。そして大金をポンと貸してくれる知人は、アヤを溺愛する祖父しか思いつかない。

 父は先回りし、もともと折り合いの悪い義父に対し、アヤの家出を手助けしないよう釘を刺した。訴訟をちらつかされては、祖父も勝手はできない。

 アヤは、ビルの隙間の夜空を見上げる。

 みとめるしかない。

 父の方が一枚上手だと。

 歪んだ支配欲に衝き動かされてるくせに、打つ手のひとつひとつが的確で速い。

 もはや逃げ道はどこにもない。




 絶望に胸を苛まれるアヤは、無意識にもとづく習慣的行動で、東急本店七階の書店に来た。木張りの床面のフロアは、閉店時間が近いこともあって客はまばらだ。

 海外ミステリや美術書などがアヤの好みだが、いまは小難しい本を読む気になれず、児童書コーナーへ立ち寄る。サラ・ギブの絵本『シンデレラ』を手にとる。

 一九五〇年のアニメはすばらしい。でも、継母やふたりの姉が戯画的に誇張され、ちょっとギャグっぽく感じられる。王子さまもなんかダサい。その点サラ・ギブの絵は、ひたすら繊細で華麗。シンデレラのか細い肢体はスーパーモデルさながら。現代の少女のお眼鏡にかなう作品に仕上がっている。

 五歳くらいの女の子が、書棚の端の方からアヤを指差す。母親に耳打ちする。高校生が絵本を読むのがおかしいと言ってるのかもしれない。

 お嬢さん、わかってないね。

 アヤはつぶやいた。

 おとぎ話を必要とするのは、むしろ大人なの。

 だって私たちの世界は、あなたの世界とちがって、魔法使いも白馬の王子さまも存在しないから。

 アヤはふたたび絵本に目を落とす。

 水色のドレスを着たシンデレラが、お城の階段を駆け下りる。ガラスの靴が脱げて転がる。シンデレラは長いスカートの裾を踏み、よろける。

 おかしい。

 アヤは目をしばたく。

 絵がアニメーションみたく動いている。

 階段を転げ落ちたシンデレラは、頭を打って気絶する。御者が馬車へ引きずり込む。城の衛兵たちが馬車に発砲する。

 シンデレラに、こんな場面はない。

 どうなってるんだ。

 私が年を食ってるあいだに、絵本のテクノロジーが飛躍的に進化したのか。




 アヤは頭を掻きむしりながら、トイレへ逃げこむ。個室はどれも使われてない。洗面台に半袖のセーラー服を着た女がいる。髪はあかるい色のボブで、フレームの太い眼鏡をかけている。

 茶髪ボブは、アイフォンを二台もつ。左で通話し、右でLINEをする。頭のよさをひけらかしてる感じで、ちょっと嫌味だ。

 アヤは洗面台に手をつき、鏡をみる。

 水色のドレスを着た、見覚えのある金髪の女が、こちらを見返している。

 鏡のなかの女は、右目のそばで横ピースする。アヤにむかい叫ぶ。

「じゃじゃーん! ワタシは全世界の悩める乙女のアイドル、シンデレラちゃんダ! デレちゃんって呼んでネ!」

 アヤは顔をしかめる。左に立つ茶髪ボブをみる。通話はやめ、いまはLINEだけしている。

「ノンノンノン」シンデレラが続ける。「デレちゃんの声は、キミにしか聞こえないヨ。安心してネ」

 アヤは咳払いし、小声で言う。

「あのさ」

「ナニ?」

「このクソみたいな状況を終わらせたい。悪夢だかなんだか知らないけど」

「わかる、わかるヨ! 窮屈な籠から逃げて、舞踏会に出たいよネ! 乙女の共通の夢!」

「そういうこと言ってんじゃなくて」

「そういうことだヨ。キミは突然あらわれたデレちゃんに困惑してるネ。でも、心のなかでデレちゃんを育てたのはキミなんダ」

「お願いだから、さっさと消えてくれる」

「ひとつだけ方法があるヨ」

 シンデレラは、鏡の外へ手をのばす。ヒールの高い一足の靴を洗面台におく。

 ガラスの靴だ。

 おもわずアヤは靴をつかむ。青みがかった素材は、軽くて柔らかい。履くことはできそう。

「その靴は」シンデレラが続ける。「契約書がわりだヨ。キミはそれを履いて『舞踏会』に出る。そこで夢をかなえるんダ」

「条件は?」

 出入口に、紫のスーツを着た男があらわれる。

 羽多野昇一だ。自分を窮地へ追いこんだ、殺しても飽き足らないほど憎い敵だ。しかし不意を打たれてアヤは硬直する。

 ここは女子トイレなのだ。

 アヤは奥を振り返る。茶髪ボブがにやりと笑う。こいつはグルだ。偵察していた。

 アヤの脳内で、きょう起きた出来事が線でつながる。因果関係が完成する。

 密告。

 夕食の林檎。

 幻覚。

 アヤがつぶやく。「盛ったな」

「おそるべき洞察力」羽多野が答える。「この混乱のなかで見抜いたか」

「なにを林檎に注入した」

「説明しよう」

 羽多野は掃除中の看板を出入口におく。口笛を吹いている。

「結論から言う」羽多野が続ける。「仕込んだ薬は、常習しないかぎり無害だ。市場に出回ってないが、豊富な実験データがある」

「なにを注入したのか聞いている」

「『オグンの霊薬』だ。たしかナイジェリアの神話から取った名前だとか」

「答えになってない」

「具体的な成分は俺も知らない。アヤはボコ・ハラムについて聞いたことがあるか」

「馴れ馴れしく呼び捨てするな」

「好きに呼ばせてもらおう。で、ボコ・ハラムについてだが」

「アフリカのテロ組織。イスラム原理主義の」

「さすがだ。何百人もの女子学生を拉致し、自爆テロを実行させたことで悪名高い」

「まさか」

「そのまさかさ。女子学生を洗脳するのにボコ・ハラムがつかったのが、オグンの霊薬だ」

 アヤの怒りは限度を超える。視界がぼやける。

 あきらかな傷害罪だ。いくら羽多野が民自党関係者でも、揉み消せないだろう。通報すべきだ。

 いや、司直の手は借りない。

 アヤは、こういうときのため格闘技を習っていた。パーマのかかった羽多野の髪をつかみ、洗面台に打ちつけてやろうと、一歩踏み出す。

 機先を制する様に、羽多野が言う。

「三十億円」

「あぁ?」

「これから言う任務に成功したら、それだけ払う。頭金として半額、今日付けでアヤの口座に入金する」

「…………」

「一生遊んで暮らせる額ではないが、十六歳の女にとっては十分だろう」

「意味がわからない。なにもかも」

「納得ゆくまで説明する」

「任務とやらを言え」

「暗殺だ」

 アヤは顔色を変えない。

「だれを。どうやって」

「テロリストが日本に潜伏している。約二十四時間後に京都が攻撃される。たしかな情報だ。俺たちはそれを阻止する」

「バカらしい。警察か自衛隊の仕事だ」

「日本でこの情報を得たのは、いまのところ約十名。俺以外の全員が頬かむりしている。君の父親はおそらく知らない。自衛隊のボスなのだがね」

 たしかに、自宅でだらしなく酔っていた父が、テロリストによる攻撃を把握してたはずない。まあ、元から計画など存在しないなら問題ないが。

「あんたの目的は」

「俺は愛国者だ。永田町や霞が関の魑魅魍魎とはちがう。この国を守るため体を張る。勿論、あとで報酬を請求するつもりだが」

 アヤの右手の親指と人差指がうごく。

 不確かな情報の洪水のなかで、有用なものと無用なものと判断保留すべきものを選別する。そして、知るべき情報を限定する。

「暗殺の手段について、まだ聞いてない」

 背後から、茶髪ボブが声をかける。

「ようやく私の出番ね」




 胸を反らせ、茶髪ボブが言う。

「遅ればせながら自己紹介するわ。私は雨宮トワコ。高校三年生。トワと呼ばれてる。よろしく」

 握手のため差し出した手を無視し、アヤが答える。

「その制服は姫百合学園。女子の御三家筆頭」

「おたがいにね。そっちは共学だけど。ところであなたはなにが見えたのかしら」

「見えたって?」

「鏡のなかに見たでしょう」

「……シンデレラ」

「あはははっ。やっぱり。抑圧的な家族からの逃避願望」

「笑われるのはすごく不愉快」

「あら失礼。あなたが見たのは『シャドウ』よ。悩める少女の心に巣食う悪魔。そして解放の天使」

「文学的修辞じゃなく、客観的事実を知りたい」

 はじめて見たときから、この女と反りが合わないのは承知していた。賢明さを鼻にかける人間は嫌いだ。自分もそうだから。

「じゃあ」トワが言う。「客観的な事実を言うわね。私たちはこれから、シャドウの力を借りてテロリストを殲滅する。戦い方は私がレクチャーする」

「どんな力があるわけ」

「私はテレパスなの」

「テレパス?」

「精神感応よ。まあ実演するのが一番ね。四桁の数字を思い浮かべて。あ、できるだけ複雑なのがいいわ。1234とかじゃなく」

 アヤはぼんやりかんがえる。

 9870。

 即座にトワがつぶやく。

「9870」

 アヤはまじまじとトワの顔をみる。得意げに鼻をふくらませている。

 答えがよくなかった。誘導された気配がある。直前に言われた1234に影響され、逆に降順にならぶ数字を思い浮かべてしまった。

 羽多野がため息をつき、トワに言う。

「あれをやれ」

「はあ」

「あれが手っ取り早い」

「しょうがないなあ。気がすすまないけど」

 トワはアヤと目を合わせる。薄笑いを浮かべている。人差指をくるりと回す。

 アヤは右手で自分の喉をつかむ。全力で絞める。気道と頸動脈を圧迫する。

 無論、意図せざる行動だ。

 窒息が二十秒つづく。

 アヤは喘いでいる。よろけて洗面台に左手をつく。

「もう……やめて……わかったから……」

 トワは精神操作を解く。咳きこむアヤの背中をさすりながら言う。

「疑問の余地はなくなったかしら」

「は……はい」

 トワは、置きっぱなしだったガラスの靴をとり、アヤに手渡す。さっき握手を拒否したアヤだが、今度は受けいれる。

 トワがほほ笑んで言う。

「ようこそ。私たちソリストの世界へ」

「まだ契約するとは決めてません」

「あなたは契約する。私にはわかる」

「トワさん」

「トワでいいわ」

「トワさんのシャドウをおしえてください」

「ティンカーベルよ」

「え。『ピーター・パン』のあの妖精?」

「そうよ。なんで笑ってるの」

 高慢ちきで嫉妬ぶかく、ウェンディに意地悪をする、うつくしい妖精。

 ぴったりすぎて笑える。

 羽多野を先頭に、三人は女子トイレを出る。

 アヤは鏡を一瞥する。

 はちきれんばかりの笑顔で、シンデレラが両手を振っている。アヤを励ますつもりらしい。

 でもその碧眼は、悲しげだった。




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