『殲滅のシンデレラ』 第1章「佐倉アヤ」


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 黒いサンドバッグが揺れる。

 ポニーテールの佐倉アヤが、細かくステップを踏む。ミディアムの髪をシュシュで束ねてある。両手足から打撃をくりだす。

 アヤは身長百六十センチで、体つきも華奢だが、歯を食いしばる表情は真剣そのもの。振動をうながす様に打つので、サンドバッグの振れ幅が大きく、人間同士の闘いみたいだ。

 三十分ぶっ続けで叩いたアヤは、青いマットにへたりこむ。飛び散った汗が溜まっている。渋谷区道玄坂にある格闘技ジム「デュナミス」では、ほかに十数名が練習している。プロ格闘家である下野寛が運営する、総合格闘技のジムだ。

 アヤはウォーターサーバーから水分補給する。そこにジム会長の下野がちかづく。ふたりともTシャツにハーフパンツという恰好だ。

「アヤ、今日もがんばってるね」

 紙コップを手にしたアヤが答える。

「ありがとうございます」

「ちょっと話があるんだけど」

「お月謝のことですか」

「あまり言いたくないが……アヤは多いな。振り込みの遅れが」

 アヤは紙コップをゴミ箱に捨てる。かしこまって頭を深く下げる。

「すみません。いつも御迷惑おかけして。月曜日までにかならず振り込みます」

 サンドバッグを叩くときの鬼気迫る様子はなく、礼儀正しい。

 頭を掻きつつ、下野が言う。

「お金の問題じゃないんだ。そもそも君の家なら、ウチの月謝くらい余裕で払えるだろう」

 まだ頭を下げているアヤは、上目遣いで下野をみる。目に攻撃的な光が宿る。家庭に言及されたのが嬉しくなかった。

 大柄な少女が割り込み、アヤの肩を抱く。高校の同級生でもある、沢城ユウキだ。浅黒い肌に、白のスポーツブラが映える。

 ユウキが下野に言う。

「なあ会長。こいつの秘密を教えたげよっか」

「いきなりなんだよ」

「デュナミスに通ってるのを親に隠してるんだ。格闘技なんて野蛮だって反対されるから」

「なるほどね」

「ピアノの先生のところで練習するふりして、月謝の半分を受け取って、それをこっちに払ってるんだって。バカでしょ」

 口を尖らせてアヤが言う。

「月謝を免除されてるユウキに言われたくない」

「しょうがないじゃん。ウチは貧乏なんだから」

 ユウキはけらけらと笑う。目が細く、さほど美人ではないが、愛嬌のある顔立ちだ。

 ユウキの父・沢城彰は、UFCでの優勝経験もある伝説的な格闘家だった。しかし、あまりに激しいファイトスタイルが災いし、七年前に外傷性脳損傷が発覚した。以来、療養生活がつづいている。下野は先輩の沢城に恩を返すため、娘のユウキから月謝を受け取ってない。

 下野がアヤに言う。

「事情はわかった。でも親御さんに嘘をつくのはよくない。俺から話そうか?」

 隙のない微笑をうかべ、アヤが答える。

「わざわざありがとうございます。でも大丈夫です。自動送金サービスに切り替えるよう、ピアノの先生にお願いするので」

 私個人の問題は私ひとりで対処すると、アヤの表情はものがたっていた。




 アヤは大股でトレーニングマシンへむかう。オープンフィンガーグローブを外す。

 背後からユウキが声をかける。

「アヤ、スパーしよう」

「きょうは体を絞りたいの」

「道具いじってても強くなれないぜ」

「ほっといて」

「怒ってんの?」

「あたりまえでしょ。秘密をバラされたんだから」

「助けてやったんじゃないか。むしろ感謝してもらいたいね。いいからグローブつけろよ」

「強引だなあ」

 ふたりの少女は、二メートル離れて向かい合う。ユウキの方が七センチ長身だ。

 スポーツブラとショートパンツを着用するユウキは、肌の露出が多い。中性的な容姿のため下品ではないが、それでも目のやりどころに困る。対するアヤはユウキとちがい色白で、細身のわりに女らしい体つき。異性からの視線が煩わしいので、とてもおなじ恰好はできないとアヤはおもう。

 軽く飛び跳ねながら、ユウキが言う。

「負けたら帰りにマックで奢りな」

「私は賭けとかしないから」

「ビビってんのか」

「そんなんじゃない。ユウキは階級上だからアンフェアってこと」

「あたしは男子にも勝つけどね」

 ユウキは不敵に笑った。

 アヤは、自宅で書いている格闘技ノートの内容をおもいだす。スパーリングを嫌がるそぶりを見せたが、実は前からユウキの攻略法を考えていた。

 今年三月、ユウキは女子の総合格闘技の大会「アルテミス」において、十八歳以下の部門で優勝した。階級が上なだけでなく、高校生年代のチャンピオンでもある。

 でも、勝ち目がないってことはない。

 ユウキは私をナメている。お金持ちのお嬢さまの道楽だとおもっている。

 強くなりたい気持ちで私は負けてない。

 絶対、負けてない。

 どちらからともなく、ふたりは動きだす。最適な間合いをさぐる。アヤは身をかがめている。

 ユウキは苦笑する。リーチが長く、打撃の強い自分に対し、アヤは露骨にタックルを狙っている。教科書どおりの戦法だ。

 闘志を燃やすアヤが、一挙に間合いを詰める。ユウキはジャブとローキックで牽制する。距離をおいての攻防が一分ちかく続く。端正なアヤの顔が、苛立ちで引き攣っている。

 口の端を持ち上げ、ユウキが言う。

「優等生すぎるんだよ、アヤは」

 言い終わった瞬間、アヤが懐へ飛びこむ。

 それはユウキの誘いだった。ユウキはバックステップを踏み、タックルを切る。アヤの後頭部を押し、マットに両手を突かせる。背後に回ってしがみつく。

 アヤは亀の様に丸まる。五体を密着させ、関節技や絞め技に対抗する。しかし、するっとユウキの右腕が首に差しこまれる。

 裸絞めだ。

 ここから逆転はきびしい。

 アヤがつぶやく。「大丈夫。ここまで想定内」

 育ちのよいアヤは、中学生までバレエを習っていた。柔軟性をいかして体をひねる。コンパクトにたたんだ右肘を、ユウキの腹部へ叩きこむ。スパーリングの決まりごとを破り、全力で打った。

 ユウキが身を離す。横隔膜が痙攣し、呼吸がとまっている。

 くるしげに喘ぐユウキが言う。

「てめ……やりやがったな……」

 練習生はみなトレーニングを中断し、スパーリングを観戦する。ふたりの少女から、ただならぬ気配を感じた。ギャラリーにはプロ選手もいる。

 アヤは昂揚する。

 はじめてユウキに勝てる。ジムに入った半年前は、手も足も出なかったのに。

 努力の勝利だ。アリとキリギリスの寓話のとおりだ。インストラクターに課されたメニューの倍の練習量をこなし、たくさん本を読み、ヤフー知恵袋で質問しまくったおかげだ。

 アヤは突進する。潜水艦みたく沈む。

 ユウキが飛び上がる。両足を伸ばし、するどいキックで迎撃する。

 アヤは内心で笑う。

 総合でドロップキックって。

 デタラメだ。プロレス好きのユウキらしいけど。

 アヤはなんなく躱す。

 だが、それはキックではなかった。

 ユウキは両脚でアヤの頭を挟む。そのまま宙返りする。走るアヤの勢いをいかし、脳天からマットへ突き刺す。

 プロレスの華麗なる大技、フランケンシュタイナーだ。

 ユウキは、仰向けのアヤに馬乗りになる。顔面を打つ。脳震盪をおこしたアヤは抵抗できない。そばで見守っていた下野が滑りこみ、割って入ってスパーリングを止める。

 TKOだ。

 ユウキが感情を爆発させる。中邑真輔のマネをして叫ぶ。

「イヤァオッ!」

 ギャラリーは拍手喝采でこたえる。ユウキは全員とハイタッチする。

 横たわるアヤは、上半身を起こす。ぼうっとした頭で下野に尋ねる。

「いまのプロレス技ですよね?」

「そうだな」

「なら私の反則勝ちじゃ」

「ド派手なプロレス技だからって、総合のルールで反則にはならない」

「でも」

「あいつの即興性がすごいんだ。アヤもがんばってるけど、見習えばもっと強くなるよ」

 無言でアヤは立ち上がる。自分がみっともない負け惜しみを言ってるのに気づいた。唇を噛む。わななく口許を見られたくない。

 シャワー室に入り、すさまじい音を立ててドアを閉めた。




 土曜五時前の渋谷センター街。通りは歩行が困難なほどごった返す。

 練習を終えたアヤとユウキが、会話しながら歩いている。ふたりとも渋谷生まれで、駅の東側にある紅梅学院高等部に通っている。この街の雑踏は空気みたいなものだ。まったく苦にしない。

 午前中に学校があったふたりは、制服の紺のスカートを穿いている。アヤは半袖のブラウスに、グレーのベストをかさねる。ユウキはブラウス一枚で、ボタンを二つ開ける。

 十数分前まで取っ組み合ってたのに、アヤとユウキはなごやかに談笑する。外見も性格も生い立ちも異なるが、不思議とウマが合うのだった。

 右手に鞄をもって、ユウキが伸びをする。缶バッジやら、くまのプーさんのマスコットやらで、ごてごて飾り立てられている。一方、アヤの鞄は買ったときのまま。

「あー」ユウキが言う。「修学旅行たのしみだな」

「うん。私京都大好きだから」

「めっちゃ気合い入れてスケジュール組んでたよな。あれ全部回れるのかよ」

「せっかくなら、いろいろ行きたいじゃない。ネットですてきなおとうふのお店をみつけたの」

「豆腐ねえ」

「きっと気にいるわよ。荷造りはした?」

 ありえないという風に、ユウキは目を見開く。

「まだに決まってんじゃん」

「やっぱり。前日の夜に荷造りするタイプね」

「普通だろ」

「足りないものが見つかって慌てる姿が目に浮かぶわ。女の子は荷物が多いから、それじゃダメよ」

「あたしは化粧とかしないし」

「やれやれ。手伝ってあげようか?」

「わお。持つべきものは友か」

「家が近いんだから、お安い御用よ」

「アヤんちは松濤の豪邸だけどな」




 街の喧騒に混じり、アヤとユウキを呼ぶ声が背後からとどく。振り返ると、デュナミスの練習生三人がいた。みな二十歳前後の男だ。

 パーカーのフードをかぶった男が言う。

「いまから俺らカラオケ行くんだけど、アヤちゃんたちも行かない?」

 デュナミスの会員で女子高生はふたりだけ。器量のよいアヤは、特に目をつけられていた。さも偶然をよそおって声をかけてきたが、誘うタイミングを男三人で狙っていたのだろう。

 まぶしい笑顔で、アヤが答える。

「私たち、明日から京都で修学旅行なんです」

「そうなんだ」

「でもふたりとも、まったく荷造りしてなくて。家に帰って大急ぎでやらないといけないんです。よかったら、また別の機会に誘ってくださいね」

「オッケー。いい旅を」

「ありがとうございます!」

 筋骨隆々の男たちは、来た道を引き返してゆく。

 にやにや笑いながら、ユウキが言う。

「よく咄嗟に大嘘つけるよ」

「嘘も方便。こういうのは、相手の顔を立てるに越したことはないの」

「お前って、ほんと作り笑顔上手だよな。本性知ってるあたしでも騙されそうになる」

「まあね」

「自覚あるんだ」

「だって、よく鏡で練習するから」

「なんで」

「鏡をみると、そこに寂しそうな女がいるじゃない。だから私はほほ笑みかけて、楽しませてあげるの」

「なにそれ。きもい」




 マクドナルドの前で、ユウキが立ち止まる。

「じゃあ、奢ってもらおうか」

「はぁ?」

「負けたら奢る約束だろ」

「私は賭けをしないと言ったでしょ」

「聞いてねえし」

「勝手に思いこんだユウキが悪い」

「ざけんな。後からそういうこと言うのやめろ」

 ユウキは腰に両手をあて、仁王立ちする。通行人の邪魔になるのも一切構わない。

 ユウキが続ける。「奢れ」

「いやだ」

「来週はあたしが奢ってやるから、とにかく今日は奢れ。百円でいい」

 アヤは紺のスカートの脇で、すばやく右手の親指と人差指を動かす。

 それに目を留めたユウキが尋ねる。

「なんだよ、その変な指の動き」

「これ? 暗算するときの癖。昔そろばん習ってたから」

「また出たよ、お嬢さまエピソード」

「ごめん。奢るのは無理」

「百円くらい持ってるだろ!」

「お金の使い道を毎週、父の経理担当の秘書に報告しないといけないの。説明できない支出が一円でもあったら、あとで父に尋問される」

「ずいぶん過保護だな」

「佐倉家の跡取りの境遇は、こんなに悲惨なの」

「娘思いのいいお父さんじゃないか」

「冗談やめて。あれはサイコパスよ」

 ユウキは、アヤの肩を思い切り小突く。

「いまの取り消せ」

「なに」

「自分の親に言うことか。取り消せ」

「そんなのユウキに関係ない」

 アヤとユウキは、敵意を剥き出しにする。スパーリングのときより深刻だ。

 ユウキの父は、長年療養生活をおくっている。恵まれた環境を与えられてるにもかかわらず、家族を侮辱するアヤの言動を、ユウキは許せない。

 かたや、アヤにとって父との関係は、親友にも踏みこまれたくない心の領域だった。

 一触即発の空気が、マクドナルド前の歩道をオクタゴンに変える。睨み合うふたりを、ざわめく観衆が囲む。男同士ならともかく、女子高生のケンカはちょっとした見ものだ。

 制服警官が近寄り、ユウキの肩を叩く。

「君たち、なにをしてるんだ」

 警官が少女からの反撃を予測しなかったのは、無理もない。でもユウキは、格闘技の高校生チャンピオンだった。そして、すこぶる不機嫌だった。

 ユウキは警官の右腕をつかみ、腰投げで背中からアスファルトへ落とす。

 尻餅をついた警官は呆然とする。無線で応援を呼ぶ。数十秒で三人到着する。

 ブルルルッ。

 アヤのブラウスのポケットで、アイフォンが振動した。

 届いたメールをみて、アヤは飛び上がる。

「きゃあっ!」

 ユウキが尋ねる。「どうした」

「受かったの! 日商簿記の一級に!」

「ああ、言ってたね。そんなに難しい試験なわけ」

「高二で合格はめったにないわ。ああもう、本当にうれしい。これで自立できる!」

「おめでとさん」

 アヤは高校を中退し、独立する計画を立てていた。アルバイトで食いつなぐのではなく、正社員として就職するため資格取得をめざした。勿論、両親に反対されるのは確実。なので大好きな京都で職をさがし、決まり次第、家出するつもりだった。検定合格は、夢の実現にちかづく大きな一歩だ。

 無邪気にはしゃぐアヤを、ユウキは冷ややかに見つめる。つきあいは二年になるが、これほど感情を露わにするアヤを見るのは初めて。

 親を裏切って家出するのが、そんなにうれしいのか。それに京都へ引っ越したら、あたしと会えなくなるじゃないか。喜びすぎだろ。

 なんなの、こいつ。

 ユウキがつぶやく。

「あたしカラオケ行くわ。連中と合流する」

「荷造りは?」

「徹夜でやる」

「旅行の前日くらい、ちゃんと寝なさいよ」

「新幹線で寝れるでしょ」

「まったく。ユウキはしょうがないなあ。じゃ、また明日。夜遊びはほどほどにね」

「うぃっす」

 別々の方向へ去ってゆく、奔放なふたりの後ろ姿をみて、警官たちは首を横にふる。

 そして肝に銘じる。

 さわらぬ神に祟りなし。この街の女子高生に、安易に接触してはいけない。




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