『殲滅のシンデレラ』 序章「ホワイトハウスのアリス」


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 アリスは足をすべらせ、どすんと尻餅をつきました。床にかけられたワックスが、まだ乾いてないのに気づきませんでした。あいたたとつぶやきながら、サックスブルーのエプロンドレスごしに、自分のお尻を撫でました。

「廊下をこんなにピカピカにしなくてもいいのに。でも床の市松模様はすてきね。チェス盤みたい」

 まだ七歳のアリスにとってチェスは難しいですが、ルールを知ってるのが自慢でした。三つ年上のお姉さんに勝ったこともあるのです。

 波打つ金髪を揺らし、アリスは振り返りました。背後には大きな鏡がありました。この鏡を抜けて、自宅から見知らぬ建物へやってきたのです。

 廊下の先から、ドタバタと足音が響きました。チョッキを着た白ウサギが走っていました。懐中時計をだし、時刻を何度も確かめていました。

 白ウサギが言いました。「時間がない! 時間がない! 大統領を待たせるわけにいかないぞ。でもホワイトハウスは迷路みたいだ!」

 物知りなアリスは、ホワイトハウスという建物の名前を知っていました。イギリスで言うなら、女王陛下のいらっしゃるバッキンガム宮殿の様なところです。きっと有名人がいるし、おいしい食べ物にもありつけそうです。アリスはわくわくしました。

 窓の外は夜更けでした。オックスフォードにある自宅では、ついさっき目覚めたばかりで、まぶしい朝日が差し込んでいたのですが。

「これは時差って現象ね。イギリスは五時間はやく時が流れてるの。きっとアメリカの時計は、ぜんまいが緩いんだわ」

 アリスは白ウサギを追い、開いているドアを抜けて部屋へ入りました。




 そこは楕円形の大きな部屋で、机とソファが並んでいました。ハンプティ・ダンプティ、もとい卵みたいな形で、めづらしい部屋だとアリスは思いました。向かい合わせのソファのあいだに置かれたテーブルは、食べ物などが散らばっていました。この家には、散らかしてはダメと怒るお母さんがいないのねと、アリスは羨ましくなりました。

 ソファでは短い金髪の男性が、ウィスキーグラスを傾けていました。ピンクのTシャツにジーンズと、へんちくりんな服装です。まるでウェールズの炭鉱夫みたいと、アリスは思いました。アリスはお母さんに言われて毎朝仕方なく、ふわふわの髪を苦労して櫛で梳かしていました。あんな恰好で人前に出られるなんて信じられません。

 アリスは声をかけました。

「つかぬことをお尋ねしますが」

 男性が答えました。「なにか」

「チョッキを着て懐中時計をもった、白いウサギを見ませんでしたか」

「リンカーンはここでウサギを飼っていた。でも懐中時計をもったウサギではなかったろう」

「いつも時間を気にしている、変わったウサギなんです」

「人間みたいなウサギだ」

「いいえ。時間を気にする人間は、大人だけです」

「たしかに」

 アリスは時間が好きではありません。お父さんやお母さんがせっかく楽しいお話を聞かせてくれるのに、時間になると寝なさいと言うからです。

 アリスはまだ自己紹介してないのに気づきました。良家の子女が、こんな無作法ではいけません。スカートの裾をもちあげ、挨拶しました。

「私はアリスです」

「自己紹介の必要はない」

「あなたは大統領のウォーレン・ワイズさんね」

「知ってもらえて光栄だ。なにか飲み物はいるかな。コーヒーとか」

「紅茶がいいわ」

「うーん、ないな。子供が飲める様なものは」

「ならお水で結構です」

 アリスはがっかりしました。南国の果物のジュースとか、めづらしい飲み物を期待していました。でも、不思議な旅でひどい目にあうのは慣れっこなので、我慢することにしました。




 アリスは大統領の向かいのソファに座りました。テーブルにはなにかのゲームのボードが広げられ、コマやダイスが転がっていました。見たことのないゲームです。

 興味津々のアリスに、大統領が言いました。

「これはモノポリーという不動産のゲームだ。勤務後によく部下と遊ぶんだ」

「私、ゲームが大好きなの」

「やってみるかい」

「本当に!? うれしい!」

「すこし難しいから、トランプとかでもいいが」

「トランプはちょっと嫌な思い出があるから、ぜひこのモノポリーで遊びたいわ」

 まづ八種類のコマのなかから一つ選びます。アリスは真っ先に猫のコマを選びました。ダイナという可愛い猫を飼っているからです。大統領はアイロンを選びました。

 アリスが言いました。「とっても地味なコマね」

「目立たないコマの方が、優位にゲームを進められる。アイゼンハワーもアイロンがお気にいりだった」

「何代か前の大統領かしら」

「そうだ。軍人でもある。アメリカが生んだもっとも偉大な人物のひとりだ。最後から二番めの」

「最後のひとりはあなたと言いたそうね」

「いや、レディー・ガガさ」

 つまらない冗談を言った大統領は、自分で笑いました。アリスはきょとんとしています。レディー・ガガという歌手をよく知らなかったのです。

 待ちきれなくなったアリスは、二つのダイスを握りしめました。ダイスを振るのを手で制し、大統領が言いました。

「せっかくだから賭けをしよう」

「いいわね。もし私が勝ったら?」

「特別なチケットを発行する。アメリカのすべてのレストランで、予約なしで無料で食事ができる」

「すてき! あなたが勝ったら?」

「メッセンジャーになってもらいたい。絶対誰にも知られずに届けたい伝言がある」

「どこへ行くの」

「日本だ。東洋にあるイギリスの様な島国だ」

 アリスは内心でほくそ笑みました。勝利のボーナスが魅力的なだけでなく、負けても悪くありません。黄金の国、日本。サムライやニンジャが活躍し、うつくしいゲイシャがいる国。前から行きたくて仕方なかったのです。

 アリスは喜び勇んでダイスを振りました。




 ゲームは一時間ちかく続きました。

 大統領が乱暴にダイスを振りました。アイロン型のコマが、ダークブルーのボードウォークに止まりました。大統領はアリスに二千ドル支払わないといけません。現金が不足しているので、自分の資産を売却する必要があります。

 アリスが上機嫌で言いました。

「オレンジの土地を五百ドルで買うわ」

「容赦ないな」

「不良債権ビジネスはおいしいって、バフィットさんがおっしゃってたもの」

「バフィット? ひょっとして投資家のバーナード・バフィットのことか?」

「ええ」

「クソッ。あのジジイも【おかしなお茶会】のメンバーなのか。なにがオマハの賢人だ。インサイダー取引の罪で逮捕してやる」

「そんなこと言うものじゃないわ。とても優しくて、すてきな方よ」

 アリスは大統領をたしなめつつ、ホテルの建設を進めてゆきました。盤上はアリスの建造物だらけです。すでに大統領は借金漬けなので、おそらく次の手番で完全に破産するでしょう。

 大統領はボードを勢いよくひっくり返しました。コマや建物が床に散らばりました。驚いたアリスは「きゃっ」と叫びました。子供にゲームで負けたのが悔しくて、大人が癇癪をおこすなんて、はじめて見ました。

 大統領は本当の大人ではないのかもしれません。アリスが考える政治家は、たとえばディズレーリさんの様なお爺さんのイメージです。まだ七歳のアリスが言うのもおかしいですが、三十四歳のワイズさんは若すぎる気がしました。

 アリスが言いました。

「アメリカでは、ゲームが終わるとボードをひっくり返す決まりなのかしら」

「どうでもいい。俺の負けだ。もう帰ってくれ」

「さすがに失礼だわ。私は七歳だけど、ちゃんとしたレディでもあるのよ」

「だまれ、ビッチ」

 アリスは仰天しました。もし自分が口にしたら、夕食を抜きにされてもおかしくない単語です。お国柄の違いでしょうか。でも、うつむいて頭を抱える大統領を観察すると、目許が光っているのが見えました。

「ワイズさん、泣いてるの?」

「うるさい」

「ごめんなさい。あなたにとって大事な賭けだったのね。私、ゲームに夢中になりすぎたみたい」

「負けは負けだ」

「わかったわ。楽しいゲームを教えてくれたお礼に、メッセージを伝えてあげる」

 大統領の目が輝きました。猫のダイナがイタズラをするとアリスは叱りますが、その後かわいそうになって、餌をあげて撫でてやります。そのときの表情に似ていました。やっぱり子供みたいな大人だなあと、アリスは思いました。

 大統領はハーバード大学に通っていたころ、ガールフレンドにふられた腹いせに、「フレンドリー」いうSNSを立ち上げたと言われます。すぐムキになる性格なのでしょう。でもそのおかげで、今ではバフィットさんなどと並び、世界有数の大金持ちとなりました。ちなみに大統領が好んで着るTシャツのピンクは、サイトのイメージカラーです。

 もちろんアリスは、インターネットのことはよくわかりません。せっかく人からお手紙をもらうなら、手書きの方がうれしいと思うのですが。

 大統領が言いました。

「羽多野というモグラが東京にいる。今から言う内容を伝えてほしい」

「名前のついたモグラさんがいるなんて!」

「いや、内部協力者を意味するスパイ用語だ」

「なあんだ、つまらない。ええと、ミスター・ハタノ……紙とペンを貸してもらえるかしら」

「メモをとるなど論外だ。ロシアや中国に見られたら第三次世界大戦が勃発する。暗記してくれ」

 アリスは不安になってきました。とても賢いアリスですが、お勉強は苦手です。ドジスン先生が個人的に算数を教えてくれますが、アリスが楽しいお話をせがむので授業は進みません。

「がんばるわ」

「じゃあ行くぞ。『レッドクリフ作戦の発動を通達する。行動計画に変更なし。JST六月五日二四〇〇時、USSアラバマから発射されたSLBMが、京都市中心部に着弾する。各自奮励し、任務を全うせよ』。以上だ」

「もう! そんなの覚えられないわ!」

「なら『行動計画に変更なし』だけで構わない」

「最初からそう言ってくれればいいのに。ところでSLBMってなんの略語かしら」

「潜水艦発射弾道ミサイルだ。核弾頭を積んだ戦略兵器だよ」

 アリスはため息をつきました。

 アリスは楽しいお話とゲームと猫が好きな、いたって普通の女の子です。でも不思議な旅をするたび、訪れた国がしっちゃかめっちゃかになってしまうのです。

 アリスはつぶやきました。

「今回の冒険も、大変なことになりそうだわ」




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