『ナデシコ女学院諜報部!』 第6章「氷雨」


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 日曜の午前十一時。

 ミキはLINEで呼び出され、千駄ヶ谷にある氷雨の自宅へやってきた。住居は剣道場の「千仞館」とつながっている。ちょうど稽古の最中で、するどい打突音と掛け声が住宅街にひろがる。

 インターフォンを押そうと住居へちかづいたとき、道場の稽古が終わる。ゴスロリ服のミキは、竹刀袋を背負った子供の群れに飲みこまれる。

 手拭いをかぶる氷雨が、道場生の見送りに出てきた。ミキがいるのに気づき、手をふる。

「いらっしゃい」氷雨が言う。「道場の後片づけするから、先に私の部屋行ってて」




 二階にある氷雨の自室は整頓され、ムダなものがない。本棚にコンピュータ関連の洋書がならぶ。ミキと氷雨はテーブルにむかいあって座り、数学の問題にとりくむ。スパイゲームの決勝戦に出場するには、ミキは中間テストで最低でも三十点以上とらないといけない。

 だがそれは、至難の業だった。

 薄い冊子に印刷された複素数の式をみるだけで胃がキリキリ痛み、シャープペンシルを取り落とす。テーブルに突っ伏す。だれにも理解されないが、数式をうけつけない体質なのだ。

「ごめん」ミキがつぶやく。「もう限界」

 氷雨が答える。「もうちょいがんばろ。このページ終わったら休憩にするから。おやつ持ってきてあげる」

「なんなの虚数って。数のくせに虚構とか、シュールすぎでしょ。これ考えたやつキチガイだね」

「一般にひろめたのはフリードリヒ・ガウスって人」

「そいつ街で見かけたら撃ち殺す」

「とっくに亡くなってるよ。あらゆる数をガウス平面上であらわすのを可能にした、偉大な業績なんだ」

「ガウスは氷雨ちゃんみたいな天才?」

「比べものにならないよ! ガウスは十歳で難問を解いて先生をやりこめたエピソードがあるくらい」

「でも数学オリンピック出場とか、ボクから見れば氷雨ちゃんも超天才だけどね」

「ありがと。ほら、あと二問がんばって」

 ミキが上体をおこすと、窓のそばにある勉強机の上に、生理用品が置いてあるのが目に入る。試験管の様なものがパッケージに描かれている。

「へえ、氷雨ちゃんてタンポン派なんだね」

「えっ」

 氷雨の小さな顔が真っ赤になる。不躾な発言だったかもしれない。

「ごめんごめん。ちょっと意外だったから。なんか怖くてボクは使ったことないな」

「あれ実はスパイ装備。ちいさな道具を中に入れて隠し持つための」

 きょうはじめてミキの右目が輝く。

「スパイ装備、ほかにもある?」

「いまあるのは光学迷彩のコートくらいかな」

 ミキは飛び上がって叫ぶ。

「嘘でしょ! 姿が消える、あの光学迷彩!?」

「まだ研究段階だから、そんなすごい技術じゃないよ。防衛省から借りてるんだ」

「おねがい、さわらせて」

「あと二問ね」

「やる。すぐやる」

 ミキは気力をふりしぼり連立方程式を解く。氷雨が赤のボールペンで丸をつける。どうにか試験範囲の基本的内容をカバーできた。

 薄い冊子をもってミキが言う。

「この問題集やりやすい。ボクでも解ける」

「よかった」

「どこで売ってるの」

「きのう私がつくったんだ」

「え、わざわざボクのために?」

「お節介かもしれないけど、私は数学好きだから役に立てるかなって」

 ミキはくしゃみを催したふりをして、右目からこぼれた一筋の涙を人差指でぬぐう。

 問題集を自作するのに、一時間や二時間では足りないだろう。ここまで優しくしてくれる氷雨に、いつか恩返ししたい。そしてだれかにそんな気持ちを抱くのは、生まれてはじめてと気づいた。




 テスト勉強を終え、おやつも食べたミキと氷雨は、総武線に乗って千駄ヶ谷から新宿まで来た。シネマコンプレックスのバルト9で、スパイ映画『ジョニー・ブリティッシュ』のシリーズ最新作を見るのが目的。ガラス張りのエスカレーターで、チケットを買った九階から十三階へ上る。屋上にプールがある都立新宿高校の敷地が目に入る。

「ミキちゃんは」氷雨が尋ねる。「新宿が地元だよね。バルト9にもよく来る?」

「アニメは好きだけど、ドラマや映画はあんまし。劇場アニメも家で見る方が多いかな」

「私はアニメも実写も大好き。特にアクション系」

「恋愛系とかより?」

「うん。ヒーローが世界を救うストーリーって燃えるよね」

 約四百席あるシアター9の真ん中あたりに、ふたりは並んで腰を下ろす。氷雨は小柄な体をシートに沈め、顔をほころばせる。

「えへへ」氷雨が笑う。「憧れのミキちゃんとふたりで映画館にいるなんて信じられない」

「憧れ? 劣等生のボクが?」

「だってミキちゃんって、アニメから飛び出してきたみたいなんだもん」

「外見だけでしょ」

「それもあるけど、自分の世界を持ってるとゆうか。ほかのコと全然ちがう」

「褒めすぎ。ただのコミュ障だよ」

「入学式で見たときから、仲良くなりたいってずっと思ってたの」

 予告篇がはじまり、場内が薄暗くなる。ミキは感謝した。雪の様に肌が白いので、耳まで紅潮してるとバレバレだから。

「ボ、ボクの方こそ、氷雨ちゃん尊敬してる。めちゃくちゃ頭いいのに優しいし、友達多いし、道場の子供にも慕われてるし……」

「無理しなくていいよ。言わされてる感ある」

「す……すきなの!」

 照明が落ちる。本篇がはじまった。

 クスクス笑いながら氷雨が言う。

「なんか照れるね。映画終わったら、いっぱい話そ」

「そうだね」

 ミキは華奢な右手で、氷雨の左手を握る。力強く握り返される。

 スクリーンに冒頭のシーンが映っている。テロリストらしき武装集団が統制のとれた動きで、深夜のダムの通路をすすむ。つぎつぎと警備員を射殺し、爆薬をしかける。撤収してピックアップの荷台に乗ったテロリストが、起爆装置のスイッチをいれる。

 ダムの壁が崩壊し、湖を満たす水がほとばしる。曲がりくねる谷川を削り、洪水が氾濫する。

 ミキは六年前、似た光景をみた。

 九歳だったミキは、岩手県大船渡市に住んでいた。マグニチュード九・〇の地震がおこした津波は、市街中心部を破壊した。そしてやさしい父と、頼りがいのある兄の命をうばった。亡骸さえも。

 ミキは自分の喉に手を当てる。体に異変が生じている。

 さっきから呼吸をしてない。

 海底をもがく様にふらつきながら、ミキはシアターの外へ出る。ガラス壁から甲州街道を見下ろすエスカレーターにちかづく。手すりにつかまってへたりこむ。廊下にほとんど人はいない。だれもミキを気にしてない。

 油断していた。

 トラウマは克服したつもりだった。たしかに震災から一年くらいは悪夢に脅かされていたが、東京に移り住み、中学へ進んだころからは、あの記憶を乗り越えたはずだった。

 忘れるのは絶対不可能としても。

 氷雨が右隣にひざまづき、泣いている。ごめんなさい、ごめんなさいと連呼している。

 さすがは学年首席、察しがいい。洪水のシーンでミキがフラッシュバックをおこしたと理解したらしい。映画に誘った自分の責任とおもっている。

 そんな気遣いは無用だ。

 いまボクに必要なのは友達じゃなく、酸素だ。

 放っておいてくれ。そしてちょっとだけ呼吸をさせてくれ。




 靴の木底を高らかに鳴らし、ミキは自宅のある富久町へむかい、新宿三丁目の要通りをすすむ。ニット帽をかぶる氷雨が数歩後にしたがう。

 ミキが振り返って言う。

「氷雨ちゃんは帰る方向ちがうでしょ。ボクんちはすぐそこだから大丈夫」

「ひとりになりたい気分なのはわかるよ。でも今日はお家までちゃんと送る」

「本当に大丈夫だって。発作が出たのは油断しただけだし。最近ストレスたまってたみたい」

「たとえ嫌われても送るから」

「頑固だね」

 ミキはまた歩きだす。

 通りの先に伊勢丹の立体駐車場が見える。人出のすくない道を、若い男三人がこちらへ向かってくる。みなスーツでノーネクタイだ。

 男たちはイチゴ柄の黒いミニスカートから伸びるミキの脚をみて、下品な言葉でからかう。ミキは無反応ですれちがう。この街でチンピラの相手をしてたら、時間がいくらあっても足りない。

 ナンパの標的が氷雨に変わる。グレーのスーツの男が、氷雨のデニムジャケットの左の袖をつかむ。氷雨は下から男をにらむ。いつもは温厚な人柄だが、あいにく今は気が立っていた。

 氷雨は骨を折る勢いで、グレースーツの手首を極める。グレースーツは悲鳴をあげ、両膝をつく。中国風の訛りがある様に聞こえる。

 ストライプスーツが氷雨を羽交い締めする。氷雨はするどく手を振り、裏拳を顔に叩きこむ。だがストライプスーツはひるまない。

 くっだらない、とミキはつぶやく。ゴミ拾いはゴミ収集業者に任せりゃいいのに。

 ミキは歩みを止めない。焦って反撃するより、確実に主導権を奪いたい。路上駐車してあるトラックの陰にまわり、周囲を観察する。

 けさ家を出たときから、公安警察官が二人交代で自分を尾行してるのに、ミキは気づいていた。その片割れである小太りの中年男は、アクシデントに動揺しながらも、氷雨とチンピラ三人をデジカメで撮影している。公安の主目的は情報収集であり、警護ではない。

 ミキはツインテールを左右に振りつつ、リュックサックをひらく。

 世話の焼ける剣道少女だ。道場とストリートはちがう。格闘技は単なる道具にすぎない。氷雨の体格では、たとえばナイフを携えていたとしても、ケンカ慣れした男三名に正攻法で挑めば負ける。バカとハサミは使い様だ。

 ミキはリュックから、銀色のレインコートみたいな形状の服をとりだす。氷雨の部屋から無断で拝借した、光学迷彩を使用する戦闘服だ。我ながら手癖が悪いとおもうが、虫の知らせがあったと解釈できなくもない。

 フードをかぶると自動的に電源がはいる。織りこまれた光ファイバーが、コートの表面に路上の風景をぼんやりと映す。画像は不鮮明だが、自分のシルエットを消せるなら奇襲効果は十分だ。

 ミキは二時間前まで勉強につかったステンレス製のボールペンを、ペン先を下にして握る。ストライプスーツの背後に忍び寄り、後頭部に突き刺す。

 ストライプスーツは、羽交い締めしていた氷雨を離し、七転八倒する。

 ミキはペン先を上に持ち替える。ナイフの様に、のこり二人の目や喉を突く。

 ぼやけた視界のなかから幾度も痛撃を浴び、チンピラ三人は遁走した。

 ミキはフードを下ろして顔をみせる。尻餅をついた氷雨の手を引いて立たせる。

「ごめん」ミキが言う。「これ勝手に借りてた」

「ミ、ミキちゃん!」

「特にケガはなさそうだね」

「なんで光学迷彩を使ってるの。軍事機密だよ!」

「防衛省に怒られる?」

「大騒ぎになるよ」

「でもさ、乙女の純潔を守るのに使えないなら、軍事技術の存在意義なくない?」

 ミキはふたたびフードをかぶる。

 逃げる前にチンピラのうち二人が、グレースーツの顔色をうかがっていた。そいつがボスらしい。つまりチンピラなりに、命令系統に沿って動いている。欲望づくのナンパじゃなく、目的をもった作戦行動の一環である證拠だ。

 ジェーンのやつ、ついに実力行使に出やがった。




 ミキは縦に細長い八台の駐車場へ踏みこみ、黒のシビックの助手席側に立つ。H&K社の拳銃であるHK45を、光学迷彩コートの下から抜く。ボールペンをにぎる左手で、スモークフィルムの貼られた窓を一撃で割った。

 セーラー服姿のジェーンが助手席で硬直し、光学迷彩が見せる幻影を呆然とみつめる。あとから駆けつけた氷雨が、サブマシンガンのMP7のストックで反対側のガラスを割る。運転席にはアルテミシアがいた。

 フードを下ろしたミキの頭部だけが、解像度の低い空間に浮かぶ。

 ひきつった冷笑をうかべ、ジェーンが言う。

「いまさらパッシブ型の光学迷彩? 日本の技術は十年遅れてるわね」

「口が減らないな」ミキが答える。「ちなみに日本には『盗人猛々しい』ってことわざがある」

「へえ、どうゆう意味?」

「泥棒のくせに開き直ること。お前にぴったりだ」

 ジェーンは反論しない。

 事実だから。

 銃口をむけるミキを、大きな目を見開いてただ睨めつける。怒りに震えている。

「七星剣を返すと約束しろ」ミキが続ける。「さもなくば撃つ」

「好きにすれば」

「脅しじゃないぞ。公安が遠巻きにボクを監視してる。つまりボクの行動は日本政府公認だ」

「撃ちなさいよ! この腰抜け!」

 ミキはそっと撃鉄をおこす。

 グローブボックスにしまった銃を、被弾覚悟で取ろうとするジェーンをおさえ、アルテミシアが叫ぶ。

「返すわ! あなたたちの勝ちよ!」

「何を言うの」ジェーンが言う。「私がこんな猿に負けるわけない」

「あなたは傲慢すぎる」

「傲慢だからアメリカは覇者になれた。たとえ千発の銃弾をうけても、私はこいつを殺す。祖国のため死ぬなら本望よ」

 ミキはシビックの天井ごしに、氷雨の表情をうかがう。氷雨は視線を逸らす。それでもまだ眼球が揺れている。

 くそ、なにがなんなんだ。

 事情を知らないまま、ボクは人殺しになりたくない。賭け金は途轍もなく高いらしいが、なにがどこに賭けられてるのか、ボクはさっぱりわからない。

 どうやら諜報部のなかで、アクセス可能な情報のレベルに大きな隔たりがある。新入部員のミキはともかく、二年生で副部長の千鳥よりも、一年生の氷雨の方が秘密にふかく関与してるのは明らか。

 ミキは銃の照準を下げる。これ以上自分が独走したら、どんな結果になるか予測できない。

 体勢を立て直すべきだ。

 ミキが言う。「勝負は月末に持ち越しだ」

「ふふっ」ジェーンが笑う。「いいわね。スパイゲーム決勝戦で白黒つけようってわけ」

「ボクらが勝てば七星剣を返してもらう。そっちの勝ちなら要求を飲む。これでどうだ」

「のぞむところよ」




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苑田 健

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