『アイドル戦争』 第1章「謎めいた妹」


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 サブカルの街は文明以前にもどっていた。

 中野駅北口の広場で、百人をこえる群衆が喚声をあげ、はげしく揉み合う。女が男を、子供が大人を踏みにじる。バス乗降所へつながる階段から、ベビーカーが転がり落ちる。

 アディダスの灰色のパーカーを着た十六歳の尼子コテツは、改札機の内側で呆然とする。

 アイドルのオーディションを受ける妹から応援を頼まれ、はるばる山梨からやって来たが、半年ぶりの東京は予想以上に騒々しい。

 待ち合わせをしてるので仕方なく改札機を抜けると、機械で増幅された音声が頭上から響く。

「お兄ちゃん、どこっ!?」

 見上げると広場にかかる屋根の上で、二歳下の妹である九鬼アズサが、メガホン片手に仁王立ちしている。棒切れみたく足が細い。短いスカートの中に、フリルつきの黒いパンツが目に映る。人に見せてかまわない、いわゆる見せパンであってくれとコテツは祈る。

 アズサは真下を指差し、メガホンで叫ぶ。

「いたっ!」

「うるさいよ。メガホン使うな」

 四メートルの高さを飛び降りたアズサが、コテツに抱きつく。ボーダーTシャツの胸のふくらみが押しつけられる。昔から身軽で、やたら人懐っこい。

「ひさしぶり!」アズサが言う。「何年ぶりだろ」

「大袈裟だな、一年も経ってない」

「わざわざ山梨から来てくれるなんてねえ。妹思いの優しいお兄ちゃんだよ」

「来なかったら一生恨むとお前が言うから」

「うんうん。アズって愛されてるなあ」

 三年前に両親が離婚して以来、兄妹は名字も住まいも別になっていた。連絡は取り合ってるが、さびしい思いはある。

 アズサが尋ねる。「お母さんは元気?」

「世間話してる状況じゃないだろう。なにが起きてるんだ」

「緊急時はツイッターが便利だよ。『中野』『帝国軍』で検索してみて」

「帝国軍?」

「ほら来た」

 アズサの右の人差し指がしめす方向に、デジタルフローラ迷彩の戦闘服を着た兵士数十名があらわれる。黒く無骨なアサルトライフルのAK74Mをかまえ、中野通りから駅前広場にちかづく。5・45ミリ弾を連射し、老若男女をなぎ倒す。

 コテツは反射的にアズサの手を引き、柱の陰に隠れる。コテツにしがみついたアズサは、目を潤ませながら首筋にキスの雨をふらせる。

「夢だったの!」アズサが叫ぶ。「男の人に身を挺して守ってもらうのが。物語のヒロインみたい!」

「いったいお前はなにを言ってるんだ」

「お兄ちゃん大好き! 世界一愛してる!」

「はなれろ、暑苦しい」

「あいかわらずツンデレだなあ。でもわかってるよ。お兄ちゃんもアズを世界一愛してるって」

「銃が怖くないのか」

「なんで?」

「人が大勢死んでるだろ!」

「怖くないよ。この世にアズを嫌いな人がいるわけないもん。だからアズは撃たれたりしない」

 アズサは間近からコテツを見つめる。キラキラまぶしい瞳を直視すると、実の妹なのに胸が騒ぐ。アズサの性格はキテレツだが、変人だからこそアイドルを目指せるのかもしれない。

 AKのグレネードランチャーから放たれた弾薬が、三井住友信託銀行の外壁で炸裂する。窓ガラスの破片が広場にふりそそぐ。コテツはアズサに覆いかぶさる。昂奮したアズサが唇にキスをしてくる。

 アズサを突き放し、コテツが言う。

「いい加減にしろ。避難するぞ!」

「避難って、どこに」

「公園とか……」

「中野一帯は帝国軍に制圧されたよ。素直に救援を待とうよ」

「敵はどこから来たんだ。九州が占領されたのは聞いてるが」

「さあ。オーディションを阻止しようと必死みたいね」

「わざわざそのために、やつらは戦争を?」

「しょうがないじゃん。これは『アイドル戦争』なんだから」

 隣国同士である日本国と大アジア帝国は、昨年から戦争状態となっている。きっかけは、日本の国民的スターである「ジ・アイドル」が搭乗する旅客機が、日本海上空で爆発し墜落したこと。日本政府はそれを大アジア帝国によるテロ行為とみなし、報復として敵国の首都である大都を空爆した。つづいて対馬海峡で武力衝突がおこる。戦況は日本がやや劣勢だが、今年に入ってから膠着状態がつづいており、すでに国民の多くは戦争に関心を失っていた。

 一方、アズサがエントリーした第二代ジ・アイドルを決めるオーディションは、日本中の注目をあつめている。帝国が芸能人ひとりに病的に執着してるとは、だれも想像しなかった。

 高架鉄道の向こうから、ヘリコプターのプロペラ音がとどく。

 陸上自衛隊の攻撃ヘリAH-64D二機が飛来し、三十ミリチェーンガンを掃射。帝国兵の四肢がちぎれ飛び、切符売り場が真っ赤に染まる。

「やるなあ」アズサがつぶやく。「ロングボウを投入してきたか」

「感心してる場合かよ」

「いかに航空支援が大事かわかるね」

「この隙に逃げるぞ」

「うーん、まだ早いかも」

 背が低く肥った男が、歩道橋に身を隠しつつ、肩にかついだ細長い筒の狙いをつけるのを、コテツは発見する。髭をはやした顔に見覚えがある。

「あいつ」コテツがつぶやく。「どこかで見たことあるな」

「お兄ちゃんって視力だけはいいよね」

「だけとはなんだ」

「あれは多分、雷帝さんだよ。大アジア帝国五代皇帝の」

「まさか」

「皇帝みづから軍を組織し、訓練を施し、最前線に立って指揮するのが、帝国の強さの秘訣だってさ」

 イグラから対空ミサイルが発射される。

 バシューッ、ズドーン!

 ミサイルがロングボウのテイルブームに命中。ロングボウはスピンしながら高架鉄道へ墜落する。爆炎が上がり、兄妹の顔をあかるく照らす。ミサイルを恐れ、残る一機が飛び去る。

 雷帝は約二十名の残兵を呼びあつめ、アーケードのサンモールへ移動する。駅前広場には折り重なる無言の屍体と、うめき声をあげる負傷者がのこった。

 アズサは立ち上がり、水色のフレアスカートの埃をはらう。帝国軍を追跡するかの様に、迷いなくサンモールへ歩きだす。

 コテツは強引にアズサの手をひっぱって言う。

「どこへ行くつもりだ」

「事務所だよ。お父さんが心配だし」

 アズサはデビュー前だが「クキ・エンターテインメント」とゆう事務所に所属している。兄妹の実父である九鬼ヨシトミがCEOをつとめる企業だ。

「ここからなら四季の森公園がちかい」

「行ってらっしゃい。アズも後で行くね」

「ふざけるな! この有り様を見ろ!」

 コテツは敵味方いりまじった死傷者の群れを指差す。非日常的な暴力を目の当たりにして、十四歳の娘が平然としているのは不可解だ。

「見てるけど」

「なぜお前はそんなに冷静なんだ」

「アズがアイドルを目指してるのは知ってるよね」

「ああ」

「つねに笑顔でいるのがアイドルの使命なの。そうやってみんなを幸せにするの。悲しいことが目に入ったら、見て見ぬふりをするの」

「アズ……」

「お兄ちゃんはアズを応援してくれればいい。アズはもうじき世界を手に入れる。アズはお兄ちゃんのものだから、世界はお兄ちゃんのものになるよ」

 アズサはコテツの手を振りほどき、大股でアーケードに入ってゆく。コテツは髪を掻きむしりつつ、妹を追いかけるしかなかった。




 サンモールは歩道も店舗も人影がない。コテツとアズサは、携帯ショップやドラッグストアの前を足早に横切る。

 細身のイタリア風スーツを着た男が、前方から声をかける。

「アズサ、無事だったか」

「ノブくん!」

 アズサは勢いよく駆け出し、スーツの男に飛びつく。コテツは口をへの字にする。妹の過剰な愛情表現がほかの人間、特に男に示されるとおもしろくない。頼れる味方ではありそうだが。

 男は左眉から左目の下にかけて、古い傷跡がある。アズサが送ってくる写真によく出てくる、マネージャーの佐竹ノブユキだ。ギターケースの様なナイロン製のバッグを背負っている。

 佐竹はコテツを一瞥しただけで、挨拶しない。アズサの兄であることは、写真で知ってるのだろう。

「オーディションは中止だ」佐竹が言う。「車を用意したからついてこい」

 コテツは安堵のため息をもらす。ほしかったのは「足」だった。

 アズサの瞳孔がひらき、ただでさえ黒目がちの瞳がいっそう濃くなる。怒っている。

「ベクターガンを貸して」

「ダメだ。社長は持って行けと言ったが、これはまだ実用段階じゃない」

「アズが雷帝さんをやっつけて、オーディションを再開させる」

「ムチャ言うな」

 アズサは佐竹の背後に回り、バッグのファスナーに手をかける。佐竹はアズサの右手をつかんで止めようとするが、ひらりと躱されてバランスを崩し、大理石で舗装された歩道に転ぶ。

 奪ったバッグから、アズサはずんぐりしたブルパップ式の黒いアサルトライフルをとりだす。FNハースタル社のF2000だが、上部のスコープのかわりに、液晶ディスプレイつきのコンピュータを搭載している。

 アズサが電源をいれた途端、けたましいビープ音が鳴り響く。おどろいて銃を落としかける。F2000はこまかく振動しはじめ、アズサは不安げな眼差しをコテツと佐竹に投げる。

 佐竹が奪い返した直後、F2000が爆発する。

 ドーン!

 衝撃波で三人が吹き飛ぶ。回転寿司屋の窓ガラスが割れ、寿司の皿が歩道に散らばる。ライフル弾の暴発にしては威力が大きすぎる。

 ガラスの破片に気をつけながら起き上がったコテツは、目を疑う。横たわる佐竹の、左手首から先がない。腹部から腸がはみ出ている。

 青ざめたアズサは口を両手で覆い、うわずった声で言う。

「いや……こんなのいや」

 コテツが叫ぶ。「アズ、見るな!」

「アズのせいでノブくんが死んじゃう」

「ここは俺がどうにかする。お前は逃げろ」

「お兄ちゃん」

「いいから任せておけ」

「お兄ちゃん、アズはどうしても戦わなきゃいけないの。理由は言えないけど」

「アイドル活動に関係あるのか」

「聞かないで。これはアズの戦いだから」

「おい、なめてんのか!?」

 頭に血が上ったコテツは、乱暴にアズサの首根っこをつかもうとする。アズサは後ろ向きに跳躍し、横道に積まれていた放置自転車の山に乗る。

「お兄ちゃん、ノブくんの応急処置をおねがい」

「バカげてる。こんなのバカげてる」

「最愛の妹を信じてくれるよね」

「いったい何がどうなってるんだ」

「アズも世界一愛してるよ!」

 投げキッスのあと、自転車の山脈のむこうにアズサは消えた。




 コテツが爆発の現場にもどると、重傷だった佐竹の姿がない。大理石の歩道に、体を引き摺ってできたらしい血痕がのこるが、途中でかすれて見えなくなっている。瀕死のダメージを負いながら這って移動し、何者かに助けをもとめたのか。

 コテツは寿司皿を蹴飛ばす。どいつもこいつも、まともじゃない。

 とにかくアズサの安全確保を優先すべきだ。サンモールを北へ走り抜け、ブロードウェイの手前で左に曲がり、中野通りへ出る。

 多種多様なヘリコプターが上空を飛び交う。装輪装甲車や機動戦闘車が駆けつける。89式小銃を手にした普通科部隊が、オーディション会場である中野サンプラザを囲む様に展開し、帝国軍と交戦している。M2重機関銃や120ミリ迫撃砲がそれを支援する。自衛隊の火力は圧倒的だ。

 中野通りに面するサンプラザホール楽屋入口から、アズサが出てくるのをコテツは見つける。白い素肌の上に黄色のブラジャーとパンツしか身につけてない。サングラスをかけた五十歳くらいの男がつづいてあらわれる。太めの体に、ピンストライプの紺のスーツを着ている。兄妹の父親である九鬼ヨシトミだ。いまはアズサと同居しており、コテツと顔を合わせるのは一年ぶり。

 残暑きびしい九月とはいえ、半裸で外出するのは寒々しい。コテツはアズサに駆け寄り、自分の灰色のパーカーを羽織らせる。

 とがめる様な口調でヨシトミが言う。

「ふん。十五歳にもなってアディダスばかり着てるのか」

 コテツが答える。「十六歳だけど」

「俺は十六のとき、放送作家として金を稼いでいた。お前も作詞家になりたいなら、大人に侮られない服装をしろ」

「いまはネットでやりとりするから関係ない」

「そんなのは体操服だ。乞食の格好だ」

「お父さんのヒューゴ・ボスはステキだね。真珠で身を飾る豚みたいだ」

 ヨシトミはサングラスのブリッジを押し下げ、小さな目でコテツを睨む。つぶらな瞳のアズサと親子に見えない。アズサの容貌は、かつてヨシトミが手がけるアイドルだった母親譲りと言われる。

 満面の笑顔のアズサが口をはさむ。

「きょうもお二人さん、仲がいいねえ!」

 コテツの胸が痛む。自分が父と喧嘩するたび、家族の絆を大切にするアズサを傷つける。今回は売り言葉に買い言葉にするまいと思ってたのに。

 射撃や砲撃の音が激化する。

 二百メートル先のT字路に、雷帝の姿が見える。コテツは生まれつき視力が並外れており、比較すると普通の人間の十倍や二十倍どころではない。怪しまれないよう、視力検査でわざと間違えてるほど。

 腕まくりした雷帝が、注射器の針をさす。薬物が血管を駆けめぐるにつれ、苦痛のあまり咆哮する。髪が逆立ち、体が縦横に膨れ上がって戦闘服が破れる。肌にウロコ状の模様がうかび、次第に岩の様にゴツゴツした外殻となる。

 双眼鏡をのぞくヨシトミが、せせら笑いながらつぶやく。

「はじまったな」

 アズサが答える。「あれが龍鬼?」

「そうだ。ベクターガンでしか斃せない」

 巨大化し「龍鬼」とよばれた雷帝の全高は、カリヨン時計台を優に上回る。二十メートル近いだろう。M2重機関銃の連射を浴びるが、蚊に刺されたほどの注意も払わない。

 攻撃ヘリのコブラ二機が、つぎつぎと対戦車ミサイルを発射する。さすがに効いたのか、絶叫しながら龍鬼は後ずさる。片手で三脚架ごとM2をつかんで投げつける。ジョン・ブローニングが想定しなかった使用法でコブラを撃墜した。

「お父さん」アズサが言う。「自衛隊さんに伝えて。龍鬼に手を出さないでって」

「一度痛い目にあわねば、やつらはわからんよ。軍隊とはそうゆうものだ」

「冷たいね」

「まあ、ぶちのめされても状況を理解できないかもしれないが」

 即応機動連隊の切り札である16式機動戦闘車の四両が前進し、砲塔を旋回させて照準をあわせる。

 105ミリライフル砲が吼える。

 龍鬼はすばやく飛び上がって榴弾を躱し、その勢いで16式を踏み潰す。拳で装甲を砕く。二十六トンの車体をかついで放り投げる。

 パニックにおちいった普通科部隊は、四方八方へ潰走した。

 アズサはパーカーを脱いでコテツに返し、ふたたび下着姿となる。「ベクターガン」とよばれるF2000をヨシトミからうけとる。サンモールで爆発したのとは別の個体だ。深呼吸し、唇をぎゅっとむすぶ。

 電源ボタンを押すと、またビープ音がする。

「こわいよ、お父さん」

「落ち着け。訓練をおもいだせ」

「まだ死にたくない。痛いのもいや」

「もしものことがあれば俺も一緒に死ぬ」

 コテツはベクターガンの上部に手をのばし、電源を切る。ビープ音がやむ。

「説明してくれ」コテツが言う。「いまの状況を黙って見過ごせるわけがない」

 ヨシトミが答える。「まだいたのか。部外者は失せろ」

「俺はアズサの兄だ!」

「お前の母親が書類を預けたはずだ。それを渡したら帰れ」

 未払いだった養育費の請求書を、コテツはリュックサックから出して手渡す。ヨシトミはざっと目を通すと、上着の内ポケットにしのばせた分厚い封筒を取り出し、コテツの足許へ投げる。息子に背をむけ、娘のまっすぐな黒髪を撫でる。

 コテツは震え声でつぶやく。

「クソ親父、ざけんじゃねえ」

「用は済んだ。封筒に一枚多く入れてある。往復の駄賃だ」

「ここまでコケにされる覚えはねえよ」

 コテツはアズサからベクターガンを奪う。電源ボタンを押したが音は鳴らない。右手をトリガーガードに、左手をハンドガードに添えると、液晶ディスプレイに「KOTETSU」と表示される。

「だめッ!」アズサが叫ぶ。「あれ、おかしいな……シーケンサーが正常作動してる」

 コテツはコッキングレバーを引いて給弾し、アズサに尋ねる。

「これであのバケモノを斃せるんだな」

「やってくれるの?」

「妹に殺し合いをさせてたまるか」

「やさしい! 好き! 大好き!」

 コテツは冷たい視線をヨシトミへ投げる。父が苦虫を噛み潰すのが、サングラス越しでもわかる。

 右膝をつき、立てた左膝に肘をのせ、百メートル先の雷帝へ銃口を向ける。帝国兵は雷帝を囲んで雄叫びをあげ、勝利を祝うダンスを踊っている。

 拡大された映像がディスプレイに表示され、緑の四角いフレームが雷帝に重なる。射撃を補助する機能らしいが、コテツは無視する。百メートルでも肉眼だけで命中させる自信があった。飛び抜けた視力のせいかスリーポイントシュートが得意で、痩せっぽちで虚弱体質なのに、バスケ部のレギュラーをつとめている。距離感が人と異なるのかもしれない。

 トリガーをひく。

 バーン!

 銃声がサンプラザの壁で反響する。銃口付近から排莢され、鈍器で殴られた様な反動が右肩を襲う。

 雷帝のウロコに覆われた顔が、コテツの方を向く。牙を剥き出しにする。

 上半身を掻きむしりながら、雷帝が苦悶の叫びをあげる。体中から緑色の液体が噴出する。

「この銃で」コテツがつぶやく。「なんらかの毒物を注入したのか」

 アズサが尋ねる。「お兄ちゃん、大丈夫? 顔色が……」

 不快感がこみ上げ、コテツは嘔吐する。吐瀉物は濃い緑色だった。甲府駅前で食べたハンバーガーはこんな色じゃない。

 風景が暗転する。目をこすって視野を恢復すると、右手に緑のネバネバした液体がまとわりついている。鼻からも同様のものが垂れる。

 アズサがコテツの腕にしがみついて叫ぶ。

「いますぐパワーオフして! 死んじゃう!」

 薄気味悪い体液にまみれた雷帝が、時計台を引っこ抜いて担ぐ。苦痛のあまり絶叫し、味方を踏み殺しながら、兄妹に歩み寄る。

 巨人が歩むときの音響は、榴弾の炸裂に匹敵する。一歩ごとに振動が大きくなる。

 雷帝は兄妹を見下ろし、時計台を振り上げる。鐘がコテツの脇に落ち、弔鐘を鳴らす。

 クソみたいな死に方だと、コテツは自嘲する。父から侮辱され、妹にいいところを見せたくて、みづから率先して糞壺にはまった。

 でも、まだ仕事はおわってない。

 コテツは右の人差指で、トリガーの下のセレクターをうごかす。幼い頃からアズサがミリオタだったため、家に東京マルイの電動ガンが十数挺あった。F2000は、おなじくFN社製であるP90と機構が似ている。

 射撃モードをフルオートに切り替え、コテツは残弾二十九発すべてを叩きこむ。




 コテツが目覚めると、そこは狭い空間だった。医療機器が周囲を埋めつくす。ガタガタ揺れている。つまり救急車の中だ。

 泣き腫らしたアズサが、ストレッチャーに横たわるコテツにのしかかって叫ぶ。

「お兄ちゃんッ!」

 コテツは口から人工呼吸器を外して答える。

「雷帝は……」

「どうでもいいよ! お兄ちゃんは心肺停止状態だったんだよ!」

 アズサは涙と鼻水の混合物を、コテツの顔と首筋になすりつける。不快だが、幸福でもある。

 点滴のチューブが左腕につながれている。相当やばかったらしい。

「お父さんは」アズサが言う。「自衛隊さんとどこかに行っちゃった。でもすごい心配してた」

「ふうん」

 事実かどうかわからない。アズサは兄と父の関係を改善させようといつも骨折るから。

 コテツは、きょう中野駅に着いてからの出来事を順に思い浮かべる。

「ああ、くそ」コテツがつぶやく。「謝らなきゃいけない。マネージャーを助けられなかった」

「それなら大丈夫」

 アズサはアイフォンで病室の写真をコテツに見せ、話をつづける。

「ノブくんは自分で部下を呼んで、病院に運ばれたんだって」

「そうか。よかった」

「吹き飛んだ手と、はみ出した腸をビニール袋にいれて、感染症を防いだって言ってた」

「すごいサバイバルだな」

 アズサはコテツの右手を小さな両手で包み、まばたきせずに見つめながら囁く。

「お兄ちゃん、カッコよかったよ」

「妹に言われても嬉しくない」

「またツンデレ。でもそうゆうところも好き。超絶カッコいいお兄ちゃんと、超絶美少女のアズって、窮極のカップルだよね」

「あのなあ。お前にはみっちり説教しないといかん」

「うん! ひさしぶりの兄妹水入らず、いっぱいおしゃべりしようね」




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