村上春樹のエルサレム賞受賞演説について

 



「小説家は嘘つきだ」と、小説家がいつた。

二月十五日のエルサレムでの、村上春樹のことだ。

「社会における個人の自由」に貢献した文学者におくられる、

「エルサレム賞」授賞式での記念講演は、こうはじまる。

 

今日わたしは小説家として、

つまり嘘を紡ぐプロとしてエルサレムにやってきました。

 

無論これは、典型的な「自己言及のパラドックス」だ。

本当に小説家が嘘つきなら、この講演の内容は信用にあたいしない。

逆に、村上がエルサレムで真実をかたつたとしたら、

「小説家としてここにきた」という言明と矛盾する。

冒頭に真偽さだかならぬ命題を配したことで、

全文は信頼できる前提をうしない、ふわふわと宙にただよう。

「物語をかたるには、真実が存在する場所をしらなくてはならない」

「けふ、わたしは嘘をつくつもりはない」

などと、めずらしく殊勝なハルキ先生だが、

退路を確保したうえでの発言であることは、強調しておきたい。

 

 

 

村上は、世界中の心ある人々が、

ガザ地区でのイスラエルの蛮行に悲憤慷慨するなか、

イソイソとお呼ばれしたいきさつを弁明する。

 

決心した理由のひとつは、

あまりに多くの人にやめておけと言われたことです。

 

この口ぶりが、かれが創作した主人公のそれに似ているのは、

愛読者でないオレでもわかる。

あくまで消極的に、厄介ごとに首をつきこむハルキ。

講演では、あえてパレスチナを支持し、

ユダヤ人入植者の撤退をもとめることもできた。

まさかハルキが、そんなみつともない真似をするはずないが。

なぜつて、二〇〇一年のスーザン・ソンタグ、

〇三年のアーサー・ミラーといつた同業者が、すでにおなじ席上で、

イスラエル政府をはげしく批難しているから。

エルサレム市民は、意外と懐がふかい。

作家風情がムキになつて、なにをつぶやいたところで、

結局は、権力者の手のひらの上のダンス・ダンス・ダンスだ。

ならば得意の物語で、みなを煙にまいてしまえ。

 

 

 

ブログ界隈などで評判になつたらしいのが、以下の隠喩。

 

高くそびえる堅固な壁と、

それにぶつかって割れる卵があったとしたら、

わたしは常に卵の側に立つ。

 

「卵」は、いきた魂をもつ個人。

「壁」は、それを抑圧する「システム(The System)」のこと。

人間を不幸にする「システム」をのりこえるべく、

万国のかよわき「卵」よ、連帯せよ。

昨年なくなつた、「パートタイムの僧侶」だつた父の記憶をまじえ、

この短編小説は山場をむかえる。

ツッコミをいれるのは、野暮だろう。

ハリー・ポッターが杖をかざしたときに、

「この世に魔法なんてあるわけない」というようなもの。

しかし残念ながら、オレは野暮な人間なのですよ!

そもそも「壁」や「システム」なんて、本当に存在するの?

村上はJ・K・ローリングと同様、

「システム」がそこにあることは自明として、物語をすすめる。

だが問題はシステムでなく、つねに人間それ自体だ。

あらゆる悲劇は、つよい卵がよわい卵をつぶした、というだけ。

幸運にめぐまれれば、その逆もまれにあるけれど。

わざわざ、現代のもつとも不幸な紛争に取材して、

寝物語むきのおとぎ話にしたてた、マエストロ。

小説家とは、業の深いなりわいであることだ。

 





 

緑色の箇所は、『クーリエ・ジャポン』二〇〇九年四月号から引用した。

 

 

講演の全文は、下のリンク先などで読むことができる。

『47NEWS』

【日本語全訳】村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演全文


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