『高天原ラグナロク』 第9章「細民街」
ジュンは四ツ谷駅前にある美容院「エスピオナージュ」でカットを終え、仲間のいる待合室へもどる。肩にかかる黒髪をバッサリとショートにした。服はグレーのパーカーと迷彩柄のカーゴパンツ。もともと背が高く、体を鍛えており、目尻の吊り上がった凛々しい顔立ちで、男にしか見えない。
すでに変装をすませたアマテラスと玉依は、口をぽかんと開けてジュンを見つめる。
ジュンが尋ねる。「変?」
「なんとゆうか」アマテラスがつぶやく。「イケメンじゃな」
「はあ。そりゃどうも」
四つのプロペラで飛ぶ偵察用ドローンが横切るのが、店の正面のガラス越しに見える。テイザーガンを装備しており、潜伏中のジュンやアマテラスを発見したら攻撃できる。ただし顔認識システムはさほど有効でなく、逃亡者を心理的に圧迫するのが主目的らしい。実際、いい気分はしない。
チーム・ミョルニルが天の岩戸からアマテラスを救出したあと、世界に太陽がもどった。一時期は東日本全体を支配した蝦夷は、アマテラスの妹であるツクヨミが陰であやつる傀儡だとジュンに暴かれ、窮地におちいる。
ツクヨミは蝦夷を切り捨てると決断。すぐに政府が土蜘蛛の死亡と、掃討作戦の勝利と、秩序恢復を宣言した。蝦夷軍の将兵全員が処刑され、アマテラスが無事に保護されたと発表。そして政府は膨大なリソースを投じ、公式には確保したはずのアマテラスを捜索している。
ジュンのカットを担当した女美容師が、中身のつまったボストンバッグをテーブルに置く。調布のドコモショップにいた、黒縁メガネの女だ。国内最王手の美容院チェーンであるエスピオナージュも、服部軍団の秘密組織のひとつ。髪を切りながらおしゃべりし、情報を盗み取っている。ジュンはバッグのファスナーをあけ、武器弾薬をたしかめる。
背中に差していた拳銃のM1911を抜き、ジュンがくの一に尋ねる。
「四十五口径の弾ないすかね? こいつを使うことにしたんで」
装弾数をふやし、アンダーレールにライトをとりつけるなどフルカスタムのM1911を見て、くの一が涙をながす。頭領の服部半蔵が愛用していた銃なのは一目瞭然だった。
ジュンは口ごもりながら言う。
「すみません。半蔵先生を守れなくて」
「半蔵様の最期はどうでしたか」
「強かった。最強の戦士だといまでも思います」
「わたくしも同意見です」
くの一は片膝をつき、頭を垂れて続ける。
「そのガバメントが形見分けされたのは、ジュンさまが後継者となられた證拠。われら忍び一同、絶対の忠誠をお誓い申し上げます」
ジュンはくの一の手を取って言う。
「『ジュンさま』はやめてください。でも、ありがとうございます。やばくなったら助けを借ります」
「なんなりと。御存じの様に、われらは犠牲を厭いません。命さえも」
装填したM1911をカーゴパンツの背中に差し、ジュンは待合室の椅子に座る。ペットボトル入りのウィルキンソンのジンジャーエールを飲み干し、長い息を吐きながら言う。
「あー、疲れた。美容院来たの生まれて初めて」
アマテラスが尋ねる。「これまでどこで切ってたのじゃ」
「伸びたらお母さんに無理やり切られてた。お母さん元美容師なんで。お父さんとは美容院で知り合ったらしいです」
ジュンは刈り上げぎみの髪をさわる。かつて母親に髪をいじられるのが嫌でしかたなかったが、いまはその感触がなつかしい。嫌と言いつつ切ってもらっていたのは、甘えたかったからかもしれない。
カットが終わって以来ずっと熱っぽい視線をおくる玉依に、ジュンが笑って言う。
「恥づかしいから、じろじろ見ないで」
「えっ……あ、ごめんなさい」
「変装とは言え、そこまで男に見えるとはショックだなあ」
「いえ、その、ジュンさんって、キレイな顔をしてるんだなって。いままで気づきませんでした」
「お世辞はいいから」
「おもわず見惚れます」
「やめてってば。あたしそっちの趣味ないし」
ジュンと玉依のあいだに座るアマテラスが、見上げながらジュンに尋ねる。
「そちは男が好きか?」
「はあ、まあ、どっちかと言えば」
「処女ではないのか」
「残念ながらまだ処女です。いつでも捨てる気満々ですけど」
「恋人はおるか」
「いまはいないっす。なんかめんどくさくなって、彼氏できてもすぐ別れちゃうんで」
玉依が幾度も目配せする。現人神にふさわしくない話題だと言いたいのだろう。ジュンは底意地悪い微笑をうかべ、アマテラスに尋ねる。
「そうゆう陛下は経験ずみですか?」
「何を言う、わらわは処女神じゃ。民はわらわに清らかさを求めておるから、期待にこたえねば」
「そんだけ長生きすりゃ、好きな人のひとりやふたりいたでしょ」
「たしかに恋愛に興味はあるが……」
玉依が椅子を蹴って立ち上がり、叫ぶ。
「ジュンさん! 陛下に低俗な話をするのをやめなさい!」
「テーゾクって……」
ジュンは口許を押さえ、吹き出すのをこらえる。
普段の長い金髪の上に、黒髪のウィッグをかぶるアマテラスが、目を丸くしてつぶやく。
「なぜ玉依は怒っておるのじゃ」
「あー」ジュンが言う。「たまちゃんは恋バナが嫌いな、珍しい女子なんですよ」
玉依が叫ぶ。「あなたにだけは女らしくないと言われたくありません!」
「たしかに。で、たまちゃんのターン」
「は?」
「立川であたしが賭けに勝ったじゃん。恋バナする約束忘れてないよね?」
「あれは……その」
「国事科の先生が好きなんだっけ。告白したの?」
「告白なんて無理にきまってます……てゆうか、そもそも私は先生が好きとは一言も」
前髪をいじりながら、上目遣いで玉依はつぶやく。紅潮している。柄にもなく恋愛の話ができて嬉しいらしい。
「じゃあ、どっちが早いか競争だね」
「競争? なんのですか」
「処女を捨てる競争」
「競い合ってどうするんですか!」
「たまちゃんだって捨てたいっしょ」
「そんな! 結婚するまで私たちは、しょ……処女なのが当たり前です! 審神者の家系は、国民の模範にならねばいけないんですから」
「あっはは、食いつきすげー」
ジュンは椅子で仰け反り、足をジタバタして笑い転げる。玉依は、自分の恋愛にジュンが共感したのではなく、単にからかいたいだけだったと気づく。
立ちっぱなしで憤慨する玉依が、鼻息荒くアマテラスの方を向いて言う。
「陛下、これからはジュンさんと別行動しましょう。言動が陛下に悪影響をおよぼします」
アマテラスが答える。「玉依、おちつけ」
「私は側近として心配を……」
「いいから座れ」
「はい」
「わからぬか。ジュンが軽口を叩くのは、わらわたちの不安を和らげるためだと」
「…………」
「マジメなのはよいが、あまりに四角四面だと人の上に立てぬぞ」
「御賢察、恐れいりました」
アマテラスはジュンに凭れかかり、頭を撫でられている。いつの間にか猫みたいになついた。ジュンはニヤニヤと憎たらしい表情を、玉依にむける。たしかに場はなごんだが、仲間を気遣ってと言うより、おもしろがった結果に思える。だとすればジュンは、天性のリーダーシップの持ち主なのか。
しばらく鳴りを潜めていた敵愾心が、玉依の内面に湧きおこる。将来の摂政はジュンで、自分はその下に立つ運命かもしれない。父親と同様に。
忌部氏のためにも、それは許されない。
自動ドアがひらき、めづらしくアジサイ柄のワンピースを着る与一が店に入ってきた。
ジュンは食べかけのドーナツを半分ちぎり、与一をねぎらう。
「よいっちゃん、おつかれ」
「うす」
「偵察と別働隊の首尾は?」
「おーるぐりーん」
返事を聞くやいなや、ジュンは立ち上がりボストンバッグをかつぐ。
アマテラスを奪還し、蝦夷軍を壊滅させたのは、敵にとり大打撃だ。サッカーにたとえるなら、アウェーゲームで二点差で勝利したに等しい。相手チームはセカンドレグで、しゃかりきになって攻めてくる。そしてツクヨミが追跡部隊を直接率いるはず。
自分も同類だから、わかる。
四谷駅から西へ進み、若葉界隈まで歩くと、ジュンたちは「細民街」と呼ばれるスラムに紛れこむ。昼間なのにほとんどの商店にシャッターが下りている。不潔な恰好の男女が地べたに座り、むなしく時をすごす。その多くは、結核などの疫病を患う様に見える。堂々と覚醒剤を使用する者までいる。
細民街に医師はいない。すくなくとも正規の医師は。住人は医療保険に加入してないし、してたとしても治療費を払えない。警察も近寄らないから、蔓延する犯罪をだれも取り締まれない。そもそも警察との接触を好まない人間ばかりだ。
ちいさな中華料理屋の前に人集りができている。味が評判で行列に並ぶのではなく、店内のテレビを盗み見ている。画面には、蝦夷が出雲市から駆逐される前に発表した映像が流れる。
映像では、蝦夷の兵士が路上でサッカーをしている。ボールにつかうのは人間の頭部だ。斬首した中臣栄一と忌部広正の頭を蹴りながら走り回り、ゴールを決めては雄叫びをあげる。
ジュンはそっと玉依の手を握る。震えていた玉依の手に、強く握り返される。
もはや怒りはおぼえない。これは狂気だ。人間らしい感情で反応する意味がない。
月の女神ツクヨミが裏で糸を引いている。戦国時代・幕末・十五年戦争の頃とおなじく、日本は狂気が支配する国家となった。原因は神同士の権力闘争、つまり姉妹ゲンカと思われる。アマテラスに率直な疑問をぶつけねばならない。できれば神々を崇拝する玉依がいないタイミングで。
上半身裸の浮浪児が、背後から玉依のショルダーバッグを引ったくった。
「きゃっ」玉依が叫ぶ。「か、返しなさい!」
浮浪児はジュンたちの進行方向にむかってしばらく走り、振り返ってバッグを持ち上げる。
ジュンは玉依をなだめ、歩いて浮浪児に追いつき、百円硬貨をわたす。浮浪児は礼も言わずに去った。
玉依は、しかめ面をしてジュンに言う。
「お金を渡して終わりですか?」
「あれは『立ちんぼう』と言って、荷物を運ぶ仕事のつもりなんだ」
「犯罪行為は通報すべきです。まだ子供ですから、しかるべき機関に保護させて……」
「通報しても誰も来ない。むしろ事を荒立てたら、もっとロクでもないのが出てくる。見て見ぬふりが、ここじゃ正解なの」
「細民街にくわしいんですね」
「まあね。お父さんと何度か来た」
一行は、鉄柵の設けられた古典風の建物にたどりつく。ジュンの父である栄一が私費を投じてつくった「養育院」だ。貧しい人々に食事や医療を提供する施設だが、内戦勃発後は閉鎖している。通りの向かい側には、五階建ての廃病院がある。
門をくぐり、両側に芝生や低木の植えられた小道を歩く。院長の瀬島に玄関で迎えられる。眼鏡をかけた、痩せ型の四十歳くらいの男だ。
「お嬢さま」瀬島が言う。「このたびの……」
「ジュンでいいです」
「ジュンさま。このたびの御不幸に際しまして、申し上げる言葉もありません」
「ありがとうございます。あたしは大丈夫です。父の遺志を継ぐつもりです」
「われわれ部下はみな悲しみにくれて……」
「すみません。長話してる暇はないんで」
「はあ」
「いまこの施設に人の出入りはありますか?」
「入ってくるのは泥棒だけです」
「玄関のドアに爆薬をしかけるので、絶対触らないで。外に出たいときは言ってください」
ジュンは与一に爆薬設置の指示を出したあと、会議室のある四階へ階段をのぼる。
絨毯の敷かれた会議室には木製のテーブルが置かれ、椅子が十脚ならぶ。レースのカーテンが掛かった窓が二つある。窓は開いており、雨上がりの湿った空気を入れ替えている。窓辺の棚には、ロボットアニメを中心に約五十体のフィギュアが陳列する。ジュンの私物だ。母に捨てられそうになったとき、父に頼んでここに移させてもらった。
ジュンはボストンバッグから札束を取り出し、テーブルに積む。一千万円分ある。向かいに座る瀬島は、帯でまとまった束の数を目算する。
「これを」ジュンが言う。「運営資金の足しにしてください」
「お電話では二千万とうかがいましたが」
「いまはこれだけです。残りもすぐ手配します」
「かしこまりました」
瀬島は札束を自分の書類鞄におさめる。
こいつ、売ったな。ジュンは思う。
瀬島は父の政策秘書をつとめていたが、金銭トラブルが発覚し、半年前に現職に追いやられたと聞く。カネに汚い男が、報酬の減額を素直に受け容れるはずがない。それを確かめるため、わざと半額だけ渡した。
瀬島は立ち上がり、窓辺の棚に歩み寄る。雷が鳴ってまた雨が降りだすが、窓は閉めない。棚の扉を開け、エヴァンゲリオン初号機のフィギュアを手に取る。
「ここのコレクションは」瀬島が言う。「お嬢様が集めた物だそうですね」
「ええ」
「僕も好きなんですよ。この初号機は自分で最近買ったやつで」
「ポジトロンスナイパーライフルを装備してるから、ヤシマ作戦仕様だ」
「さすが。他にもいろいろあります。どうぞ御覧になってください」
「遠慮します。狙撃されたくない」
初号機の肩が外れた。瀬島の手が震えている。
神術ミカヅチの威力はすでに知れ渡った。ジュンを斃す手段は、狙撃か爆殺か波状攻撃しかない。アマテラスを取り戻すのがツクヨミの目標なら、ジュンひとりを狙撃で確実に仕留めようとするだろう。
ジュンは振動するアイフォンをとり、秘話通信アプリで応答する。
「はいジュンです。おっけー、了解。ケガはない? こっちはプランどおり。じゃ、気をつけて」
ジュンは通話を切り、席を立って窓辺に近づく。面と向かって瀬島に言う。
「廃病院の五階にいたスナイパーは、別働隊が排除した」
「お嬢さま。なにを言ってるのか私にはさっぱり」
「てめえが最低の裏切り者だってことだよ」
「……俺を左遷したのは、あんたの父親だ」
「クズが。なんでてめえみたいなのばかり生き残るんだ」
瀬島は雨が吹きこんでくる窓から顔を出し、小道の方へむかい叫ぶ。
「危険だ! 玄関に爆弾がある!」
数秒後。屋外で爆音が轟き、建物が揺れた。
瀬島が見下ろすと、真紅のゴスロリ衣装を着た少女たちが五人、アプローチの中程の芝生に横たわる。ツクヨミが私物化する諜報機関の「カブロ」だ。全身をズタズタに引き裂かれ、うめいている。
瀬島がつぶやく。「あんたは玄関のドアに爆弾をしかけると言ったはずだ」
「演技だっつの」ジュンが答える。「本当は外に指向性地雷を設置した」
瀬島は棚の引き出しから、黒いスミス&ウェッソンの回転式拳銃を取り出し、ジュンへむける。
銃声が二発。
頭部を撃たれ絶命した瀬島が、青い絨毯を複雑な色に染めている。砕けた眼鏡のレンズが散らばる。ジュンの右手は、背中に差したM1911のグリップをつかんだだけ。
会議室のドアのところに、銀髪と紫のワンピースをぐっしょりと濡らした与一が、拳銃のグロック22を構えて立っている。
与一がつぶやく。「おかしら、遅すぎ」
「居合なら、よいっちゃんより速えよ」
「私がいなかったら百回死んでる」
与一は平民出身で、愛想も悪いため受けていたイジメから救われて以来、ジュンを一途に慕う。だからって自分は甘えすぎてるとジュンは思う。二つ下の後輩に人殺しを手伝わせるのは間違いだ。肉親を殺されたわけでもない与一にとり、この戦いは負担だろう。
ジュンは専用のベルトで鬼切を腰に帯び、サブマシンガンのP90をもって左側の窓へ走る。予備の弾倉を足許に置く。カブロたちは罠を警戒しつつ玄関に寄せてくる。目視できるだけで十三人。
フルオートで真鍮の雨を降らせる。カブロは小道の脇に立つ低木の陰に隠れる。
右の窓に張りついた与一が、アサルトライフルのM16A4を発砲する。長銃身でM4より反動が軽く、初速も速いため命中精度が高い。ジュンが乱射で敵の足を止め、与一がスコープをつかった精密射撃で急所を撃ち抜く。それはぴたりと息の合った、死のデュエットだった。芝を濡らす雨に、血と脳漿が混じってゆく。
五十発全弾撃ち尽くしたジュンが叫ぶ。
「ローディング!」
マガジンキャッチを押し、フレーム上部にある弾倉を引き抜こうとするが動かない。
「あれ」ジュンがつぶやく。「マガジンとれない」
与一が叫ぶ。「そっと持ち上げてスライドさせる感じで!」
「くそっ……くそっ……おかしいな」
「馬鹿力でやっちゃダメ!」
ジュンはP90を床に投げ捨てる。戦闘ではほんの数秒が勝敗を、そして生死を分ける。鬼切を抜き、窓枠に左手と右足をかける。
与一は隣で唖然とする。中臣ジュン、ついに発狂したか。
「おかしら、ここ四階」
ジュンは言われてはじめて、地上まで十メートル以上あると認識する。下でカブロがアサルトライフルのHK416の狙いを定めている。
逃げたら、死ぬ。
ジュンは宙に身を躍らせる。よく考えてみれば、ミカヅチは時間をとめられるのだから、重力だって無効化できるのではないか?
神術【ミカヅチ】。
静止にひとしい緩慢な時の流れのなかで、ジュンは前転しながら着地する。全国の美少女から選抜され、洗脳と訓練をほどこされたカブロたちのおかっぱ頭を、首から切り離す。小枝の様に細い腕を断ち切り、紙の様に薄い胸を貫きとおす。フリルの赤と黒の切れ端が、嵐に吹き飛ばされて漂う。
一呼吸がおわりミカヅチの効果が切れるが、アンコールにこたえて残酷な舞踊はつづく。
ツクヨミが手塩にかけて育てた、最精鋭部隊の二十名は全滅した。
雷鳴の合間に、拍手が音高く響く。
「ハラショー!」
左目に眼帯をした顔に、ピンクの髪が濡れて貼りつく。ジャンパースカートの様なロシアの民族衣装である、青いサラファンを着ている。HK416を両腕に乗せて手を叩く。
憂いに満ちた碧眼をもつ十七歳の女の名は、夜刀神。蝦夷軍の幹部だったが、いまは日本政府に雇われ兵部卿をつとめる。廃病院から出たチーム・ミョルニルの別働隊の五人が、M4カービンを構えて背後から夜刀神を包囲している。
「完敗だわ」夜刀神が言う。「中臣ジュンを殺すには一個師団が必要みたいね」
ジュンが答える。「てめえが指揮官なら一個艦隊でも楽勝だ」
「調子に乗らないで。わたくしは降伏ではなく、交渉がしたいの」
「なめんな。スナイパーにあたしを狙わせたくせに」
「狙撃も選択肢のひとつね。でも、先に攻撃したのはそちらでしてよ」
「ふん」
ジュンは鬼切を振るい、ゴスロリ少女の血液を飛ばす。ハンカチでさっと刃を拭い、音もなく鞘におさめる。
ツクヨミが追跡部隊の指揮をとるとジュンは予想したが、実際は安全器として部下を派遣し、自身への直接の危害を避ける消極的手段にでた。ツクヨミは交渉のカードをもってるらしい。それがなにか探る必要がある。母と妹の仇をとるのは後回しだ。
「あんたは」ジュンが言う。「土蜘蛛を崇拝してたろ。自分を騙してたツクヨミになぜ従う」
「ツクヨミさまはわたくしを抱いてくださった」
「はぁ!?」
「この醜いわたくしを一晩中、情熱的に愛してくださった。女の喜びをはじめて知りましたわ。それだけで忠誠を尽くすのに十分でなくって」
夜刀神は皮膚のただれた自分の腕に、愛おしそうにキスする。十四歳のとき、北海道で内戦に巻きこまれ政府軍の捕虜となり、左目をえぐられ、首から下を硫酸の浴槽に漬けられるなどの拷問をうけた。
「噂で聞いたことある。ツクヨミは両性具有、いわゆるふたなりだって」
「神との交わりは信じられないほどの快楽よ。毎晩子宮が疼いてしかたないわ」
「キモいな」
「話の続きは中でしましょう。体が冷えてきたの」
養育院四階の会議室のテーブルに、交渉担当者が着席している。政府側が夜刀神、チーム・ミョルニル側が玉依とジュン。オブザーバー的な立場として、アマテラスがミョルニル側にならぶ。
院長の瀬島の死体は片づけたが、血痕は消えてない。与一が会議室を、のこりの五人が建物の内外を警護する。
紅茶のカップを傾けながら、夜刀神が言う。
「あらかじめ言っておきますわ。ツクヨミさまは寛大なお方です。アマテラスさまを解放しさえすれば、あなた方の罪は一切問わないと」
ジュンが言う。「ありがたくて涙が出るぜ」
「そして提案があります。忌部玉依さん。われわれ日本政府は、あなたを摂政として迎える所存です」
玉依が叫ぶ。「えっ」
「あなたは十八歳とお若い。しかし血筋は由緒正しく、人望も篤いと聞いています。ぜひ力を貸してください」
「そんな……いつかは摂政として国家に貢献したいと思ってましたが、まだあまりに経験不足で」
「ツクヨミさまが後見人としてバックアップします。また家柄だけでなく、御両親を亡くされた悲劇にも、象徴的意味があります。内戦で傷ついた国民の心を癒やし、一つにまとめるための」
ジュンは玉依の横顔を見て、小さく舌打ちする。あからさまに昂奮している。年来の夢が実現しそうなことに。
これは「位打ち」だ。権力をエサに敵の分断をはかる政略だ。なぜわからないのか。
ジュンは背中のM1911を抜き、銃口を夜刀神にむけてテーブルに乱暴に置く。小賢しい駆け引きは通じない、とゆう意志表示だ。
「なにが内戦の傷だ」ジュンが言う。「てめえが言うな。あたしの家族を殺したのは誰だ」
「殺戮の責任に関しては、あなたもどっこいどっこいでしてよ」
「かもね。で、最大の戦争犯罪人がツクヨミだ。あいつが絞首台に上るんなら、手打ちしてもいい」
顔面蒼白となった玉依が、ジュンにむかい叫ぶ。
「なんてことを! 神を呼び捨てにするなんて! いますぐ謝罪しなさい!」
くそ、ツクヨミの思う壺だ。いともたやすく人間の欲望を刺激し、親友ですら仲違いさせる。
「たまちゃん、いまケンカはやめよう」
「前から思っていました。あなたには敬神の念が缺けていると。あなたにとって神とは、そして日本とはなんなのですか」
「知らないよ。考えたこともない」
「アマテラスさまやツクヨミさまを崇敬する気持ちはないのですか」
「アマテラスさまは好きだよ。かわいいし、話すと面白いし」
「神々は友達ではありません! ジュンさん、あなたは少し増長してるのではないですか!?」
ジュンは天井を仰いで歎息する。玉依は責められない。こうゆう神学論争になるのを嫌い、土蜘蛛の正体がツクヨミだと教えなかった自分が悪い。当人たちすら気づかない亀裂を突いてくる、ツクヨミの策略こそ恐るべきだ。
あたしたちは、神の操り人形にすぎないのか。
自分と玉依の間に澄まし顔で座るアマテラスに、ジュンはたずねる。
「陛下は知ってたはずです。ツクヨミが黒幕だと。半蔵先生と内緒話をしてた」
「ジュンよ。わらわはそちに言いたいことがある」
「なんですか」
「そちの払った犠牲についてじゃ。家族や仲間を失った悲しみ、傷だらけになって戦う苦しみ。わらわは申し訳なく思っておる。そして感謝しておる」
「別に感謝してほしくて戦うわけじゃ」
「だがそれでも、そちにすべてを打ち明けることはできない。神には神の事情がある。人間であるそちには理解できないし、してほしくもない」
「ヘタな逃げ口上ですね」
「そう思われてもかまわん」
アマテラスはテーブルの上のM1911を手に取り、サムセフティを下げ、銃口を自分のこめかみに当てる。
玉依が叫ぶ。「アマテラスさまッ!」
「わらわは平和の神じゃ」アマテラスが言う。「もしわらわのせいで民の血が流れ続けるなら、存在意義がない。この場で死ぬとしよう。二千七百年も生きた。もう飽き飽きじゃ」
「ジュンさん!」玉依が叫ぶ。「這いつくばって謝りなさい! 『神殺し』になりたいのですか!?」
ジュンは身長百十五センチのアマテラスと視線を合わせる。虚ろな目には絶望が感じられるが、真意は計り知れない。数千年の歴史を背負う存在の思惑を、どう忖度すればよいのか。
「陛下は」ジュンが言う。「ニチリンとゆう神術をつかえるそうですね。太陽の威光で、他者を命令に従わせることができる」
アマテラスが答える。「物知りじゃな」
「てことはツクヨミも服従させられるのでは」
「左様」
「約束してください。ツクヨミの暴走を止めると」
「誓おう。日本の全歴史にかけて」
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