『高天原ラグナロク』 第3章「第一国立銀行」


登場人物・あらすじ


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 高天原城の西側にある桜田濠は、この城でもっとも大きい。北の地から飛来したカモが、群れをなして水面をただよう。

 甲州街道に直結する半蔵門の内側が、アマテラスの住居がある吹上御苑だ。人の手がくわわらない森林の中心に、雲を突き抜け天までとどく、「宇宙の樹」と称される巨樹が聳え立つ。紅梅学院の生徒は「気になる木」と呼ぶが。政府の管理下で市販される木材は、「御神木(ゴシンボク)」の名で国内外で珍重されている。巨樹の根元からゆたかな湧水が流れ出し、運河を通じ出雲市全域を潤す。

 半蔵門から徒歩十分ほどにある屋敷の二階で、ジュンは目を覚ます。自宅が襲われてから約一週間、紅梅学院学院長をつとめる服部半蔵の家に泊まっている。服部家の当主は代々「半蔵」の通称を名乗るしきたりがあり、特に二代の正成は武名の誉れ高く、城門に名をとどめたほど。

 ノックのあと、白い顎鬚をはやした半蔵が部屋をのぞく。七十五歳だが百八十センチちかい長身で、痩せている。

「ジュン」半蔵が言う。「お客さんが来たぞ」

「だれにも会いたくない」

「いつまでも寝てばかりいられないだろう」

「半蔵先生、ごめん。当分無理」

 洗い物の最中でシャツを腕まくりした、半蔵の妻である千代が二階に上がってくる。

「やすんでなさい」千代が言う。「元気になるまで、ずっとウチにいていいから」

「ありがとう」

「勿論お父さんがもどったら、すぐ帰るのよ」

「うん、わかってる」

 服部夫妻にはふたりの息子がいたが、どちらも若くして蝦夷討伐で戦死した。ジュンを実の孫の様に可愛がっている。

 窓の外から甲高い声が聞こえた。

「中臣さん、緊急の用です! 返事して!」

 ジュンはカーテンをあけて庭を見下ろす。国事科のブレザーを着た小柄な女学生が、勝手に入りこんでいた。髪は額を出した、あかるい色のショートボブ。六年生で生徒総代の忌部玉依《いんべ たまより》だ。「歩く校則本」と渾名され、全校生徒から敬遠されている。

「サボりじゃないですよ」ジュンが答える。「休学届は出してます」

「そうじゃなくて、アマテラスさまがお呼びです。いまから御所へ参上しましょう」

「体調悪くて」

「心中お察しします。でもお父上を救出するのに、あなたと私の神術が必要なんです」




 ジュンは詰襟にショートパンツの制服に着替え、半蔵門から吹上御苑にはいる。マグナム弾が貫通した服は処分した。振り下ろした石像が弾丸の勢いを削いだおかげもあり、胸の銃創はほぼふさがった。

 名門に生まれたジュンでも、吹上の中を見るのは初めて。神都の中心で繁茂する森林は、野鳥の鳴き声がこだまする秘境だった。

 通された御所の小広間で、アマテラスが肘掛け椅子で居眠りする。歯ぎしりしている。だらしなく股をひらいたセーラーワンピの裾から下着が見える。

 咳ばらいして玉依が言う。

「ごほん、陛下」

「むにゃ……」

「学院長と中臣ジュンが参りました」

「水……水こわい……」

「陛下を濠へ放りこんだ張本人ですよ」

「ひいっ」

 アマテラスは吊り目ぎみの眼をひらき、ジュンを見上げる。玉依にしがみついて言う。

「なぜこの暴力女を連れてきた」

 ジュンが尋ねる。「たのしい夢でしたか」

「ぬしのせいで風呂にも入れん」

「今度泳ぎを教えますよ。いまは体調が万全じゃないですけど」

「ああ……家族のことは気の毒じゃった」

「大丈夫です。ありがとうございます」

 母と妹を失ったジュンは、入院中で葬儀に出席すらできなかった。悲しみは決して癒えない。しかしたとえ相手が神でも、弱みを見せたくない。

 アマテラスが手を鳴らすと、側に仕える内舎人《うどねり》の男が広間へ入り、リモコンを操作する。照明が落ち、壁のスクリーンに映像が投影される。石造りの西洋建築に、天守閣風の塔を組み合わせた建物が映る。兜町にある第一国立銀行だ。警官やパトカーが周囲をとりかこむ。

 暗がりでアマテラスが言う。

「午前十時ごろ、蝦夷十二名が第一国立銀行を襲撃した。人質をとって現在も立て籠もっている」

 ジュンが尋ねる。「犯人側の要求は?」

「今のところない。どうやらカネ目当てらしい。人のことを拝金主義者と批判するくせにな」

「土蜘蛛は陛下と結婚したいそうですよ」

「ふん、わらわは永遠の処女じゃ。蝦夷のリーダーであるその土蜘蛛が、犯行グループにいる」

「どうやって識別したんです? あいつの素顔はあたししか知らないはず」

「ぬしの入院中に正体を現したのじゃ。おい、例の動画を再生しろ」

 アマテラスが内舎人に命じる。迷彩戦闘服を着た半蔵が口を挟む。

「陛下、ここで流すのは……」

 玉依が言う。「私は構いません」

「しかし」

「お話をつづけてください」

 民族衣装を着た、華奢な美青年がスクリーンに映る。かつて少女に化けて紅梅学院に潜伏していた土蜘蛛が、ついにプロパガンダ映像に登場した。右隣で白髪の男が、政府批判の文言を強制的に読まされている。政治音痴のジュンも見覚えある政府高官だ。土蜘蛛の左には、白髪の男と似た年恰好の女が、別の蝦夷に斬首されかかっている。

 昼夜ジュンを悩ます悪夢とそっくりな風景。

 ジュンは内舎人にむかい叫ぶ。

「やめろッ! いますぐ消せッ!」

 三十代の内舎人はジュンの剣幕にたじろぐが、神の命令には逆らえず当惑。その優柔不断さがますますジュンの怒りに火をつける。肘掛け椅子を持ち上げ、内舎人へ投げつける。

「中臣さん」玉依が言う。「ここは禁中です。見苦しい真似はおやめなさい。あなたも審神者の一員でしょう」

「知るか」

「われわれ貴族は特権の代わりに、ときに犠牲を払うことも覚悟せねばなりません」

「てめえに何がわかる!」

 ジュンのこめかみの血管は、膨張して破裂寸前だった。玄関で鬼切を預けてなければ、玉依の首を刎ねたかもしれない。家柄だの格式だの世間体だの礼儀作法だので凝り固まった、一番嫌いなタイプだ。

 しかし、闇にかすかに浮かぶ玉依の口許に、血の筋があるのに気づく。唇を噛み破っている。

 ジュンがつぶやく。「あ……あんたの両親か」

 白髪の男は左大臣の忌部広正で、斬首された女はその妻だ。玉依は夫妻のひとり娘。

 ジュンは沈黙する。自分に抗議する資格はない。

 照明がつき、アマテラスが口をひらく。

「すまぬ、配慮が足りなかった」

「御高配、恐悦に存じます」玉依が答える。「臣下一同、陛下と民の安寧のため全身全霊を捧げる所存でございます」

「あっぱれな心構えじゃ。将来の摂政と目されるだけある」

「勿体ないお言葉です。その御厚情に免じて、さきほどの非礼はどうか御寛恕のほどを」

「気が利くのう。そちの様な妹がほしかったぞ。よし半蔵、作戦計画を申せ」

 半蔵は、アタッシェケースから紙の束を取り出して読み始める。

 アマテラスの発案により、極秘のタスクフォースが結成された。学院生から選び抜いた精鋭八名に、半蔵がアドバイザーとして参加。学生を抜擢したのは機密保持のため。政府は蝦夷との全面戦争を準備中で、職業軍人をつかえば計画を潰される恐れがある。少人数による不利は、半蔵・玉依・ジュンがもちいる神術でおぎなう。

 作戦は、まづ第一銀行に潜入して土蜘蛛を拘束、同時に建物を制圧する。その場でアマテラスと土蜘蛛のあいだで交渉をおこない、和平協定をむすぶ。蝦夷に一定の自治を許すなどの譲歩をするが、中臣栄一や忌部広正などの人質は取り戻す。とにかく戦争だけは避けたい。

「ふーん」ジュンが言う。「悪くないかな。でも、軍の特殊部隊を出動させた方が確実ですよ。あたしらの神術は一日一回だけで、それほど万能じゃありません」

「いま兵部省は」アマテラスが答える。「わが妹ツクヨミに牛耳られ大混乱なのじゃ。あれは悪い子ではないが、昔から戦にのめり込むタチでな」

「お姉ちゃんが言って聞かせりゃいいのでは」

「ぬしは神同士の戦争を望むか」

「なんだかなあ。あと忌部さんをメンバーに加えるのは反対。国事科生は足手まといです」

 玉依の顔から穏やかな微笑が消える。口を尖らせてジュンに言う。

「足手まといとはなんですか。失礼でしょう」

「あ、いや、ディスってるわけじゃなく」

「くわしく言えませんが、忌部氏の神術が作戦に必要なんです。自分の身は自分で守れます。私は武術の授業もちゃんと受けてますから」

 玉依は「私は」のところを強く発音した。ジュンが武術以外はからっきしの劣等生だと聞き及んでいる。早口でつづける。

「陛下、中臣さんこそ本作戦にふさわしくありません。感情的なふるまいが目に余ります」

「仲良くせぬか」アマテラスが言う。「そちらは手を携えて日本を背負って立つ身分であろう」

「忌部氏と中臣氏がライバルだから申し上げるのではございません。くれぐれも誤解なきよう」

「わかったわかった」

 玉依がムキになればなるほど、氏族同士の敵愾心が露わになる。中臣氏と忌部氏は何百年も権力闘争をつづけてきた。暗殺をふくむ流血沙汰もめづらしくない。八年前の中臣栄一の摂政就任は、この世代の政争における忌部氏の敗北を意味する。忌部広正は左大臣となるが、中臣氏の栄光をすぐ傍で指を咥えてながめる屈辱をなめていた。

 とはいえジュンにとり、中臣氏の当主になる定めは受難でしかない。尊敬する父・栄一の夢が推理小説家なのも、出来の悪い自分が政治家に向かないのも知っている。要領のいい妹スミレに家を継いでもらおうと考えていたくらいだ。

 だいたい、家族が大変な目にあったばかりなのに、どっちの家が上か下かなんてくだらない。摂政になりたきゃなればいい。あたしは関係ない。

 忌部玉依。二歳年上のこの女とは、絶対友達になれそうにないと確信した。




 ふたたび眠気をもよおしたアマテラスが私室へもどったあと、半蔵がタスクフォースに選抜した武術科生六名が広間にはいる。うち五人は黒の詰襟を着た男子だが、ひとりは長い銀髪を後ろで無造作に束ねた女子だ。

 ジュンが叫ぶ。「よいっちゃん!?」

 大戦期フィンランド風のグレーの軍服を着た那須与一は、武術科の二年生。ジュンと親しい。

 ジュンは半蔵にたずねる。

「なんで選んだの? たしかによいっちゃんは射撃の天才だけど、まだ十四歳だよ。若すぎる!」

「俺もそう思うが、本人がしつこく食い下がるんでな。選ばなきゃナイフで刺すと」

 身長百五十センチと武術科では小柄な与一は、腰から抜いたナイフの刃を、手袋をはめた指でなぞっている。

「よいっちゃん」ジュンが言う。「危険な任務なのはわかってるでしょ。やめときな」

「年は先輩と二つしか違わない」

「あたしはお父さんを助けたいから」

「先輩には恩がある。それだけ」

 与一はそう言ってぷいと横を向く。一年のとき平民出身のせいで受けていたイジメを、ジュンに止めてもらったことがある。その恩返しをしたいらしい。ジュン以上に強情で、説得できそうにない。

 タスクフォースは、P90やファイブセブンなどの武器を用意しはじめる。鉄砲奉行の半蔵が、衛士の標準装備に制定したものだ。ハイカラな銃を好まない半蔵自身はM4カービンを、国事科生の玉依はショットガンのケルテックKSGをつかう。ジュンは神術の使用にそなえ、鬼切を左腰に提げる。

 七十五歳と高齢ながら闘志を漲らす半蔵が、ジュンに声をかける。

「傷の具合はどうだ」

「アドレナリンでふっとんだ」

「隠し通路を知ってるお前が作戦の鍵だ」

「楽勝だよ。お父さんが頭取だったころに教わって、何度も頭取室へ忍びこんだ」

「ひとりでなんでも抱え込んで突っ走るのが、お前の缺点だ。もっと周りと相互依存しろ」

「へいへい」

「本当にわかってるのか。指揮をまかせるぞ」

「え、先生じゃないの?」

「年寄りをいたわれ」

「よく言うよ。いまだに生徒より鍛えてるくせに」

 ジュンは六年生男子五名の表情をうかがう。たがいの能力や性格は把握している。下級生の女に従うのは彼らも正直面白くないが、生還の確率がすこしでも高まるなら許容できる。

 つねに無表情な与一の口許がゆるむ。ジュンがリーダーになって嬉しいらしい。

「よっしゃ」ジュンが言う。「蝦夷に一泡吹かせようぜ」




 総勢九名のタスクフォースは地下鉄日本橋駅のホームから線路に下り、隊列を組んで薄暗がりを移動する。

 壁の大きな窪みに鉄のドアがある。頭取室に直通するエレベーターだ。ジュンは懐中電灯で操作盤を照らしながらボタンを押す。反応はない。ドアを蹴って毒づく。

「くそ、どうなってんだ」

「おかしら」与一が囁く。「キーボードでなにか入力するんじゃ」

「なんだよおかしらって……」

 操作盤にQWERTY配列のキーボードがあり、六文字分の空欄が液晶画面に表示されている。機能自体は八年前もあったが、頭取退任の際に栄一がパスワードを設定した。「誤入力の場合、エレベーターははロックされます」との注意が出ている。

 白地に赤の線をあしらう都営浅草線の車輛が、背後を駆け抜ける。

 アルファベット六文字。「EIICHI」? 自分の名前をパスワードにするなんて父らしくない。「SUMIRE」? とびきり自分に優しい父が、妹を贔屓するはずない。

 ジュンが「FDRACD」と入力すると扉はひらいた。

 フランクリン・デラノ・ルーズベルトと、アーサー・コナン・ドイル。父が尊敬するふたりの頭文字の組み合わせだ。自分の心がいかに深く父と繋がってるかわかり、ジュンは涙ぐむ。

 与一が尋ねる。「おかしら、泣いてるの?」

「だからおかしらと呼ぶなって。海賊かよ」

「いそごう」

 エレベーターは重武装の九人をどうにか搭載し、最上階の二十階へ急上昇する。

 玉依がもつKSGはブルパップ型で、全長660ミリとショットガンにしては短い。それでも平均的な日本人女性の体格では持て余す。専門的な訓練を受けてない玉依は咳払いをくりかえし、緊張を隠せない。

 ジュンは玉依の耳許でささやく。

「目標をセンターに入れてスイッチ」

「え?」

「エヴァ見たことない? シンジが銃の撃ち方をそう教わるの」

「さあ、知りませんが」

「子供のころあれ見て、銃って簡単だなと思って」

「緊張をほぐそうとしてるなら御無用です。ストレスは自分で対処できます」

「かわいくないの」

 玉依は制服のブラウスの上に、防弾ベストと体育のジャージを重ねている。ボトムスはスカート。

 ジュンは続ける。「スカートじゃ動きにくいっしょ」

「忌部の女は、スカートしか穿いちゃいけない決まりなんです」

「まじか」

「神術に関係あるんです。忌部氏が遅れてるわけじゃありません」

「んなこと思ってないって」

 ジュンはエレベーターの天井を見上げ、溜息をつく。人に食ってかかる余裕があるなら大丈夫だろう。

 上昇がとまる。ドアがひらくと同時に、九人は頭取室へ踏みこむ。エレベーターは書類棚の裏につながっていた。濃紺の着物を身にまとう土蜘蛛が、元頭取の栄一がそろえた十八世紀風の調度にかこまれ、応接用のソファから足をテーブルへ投げ出している。思いもよらない奇襲をうけ放心状態だ。

 先頭の与一がフルオートでP90を発砲、廊下へ通じるドア付近にいた蝦夷を斃す。その動きは神出鬼没。彼女が射撃を外すのをジュンは見たことがない。

 ジュンはドットサイトで土蜘蛛をとらえる。フェイスペインティングがほどこされた顔は睫毛が長く端正で、照準器ごしでも見惚れてしまう。

 ジュンが言う。「将軍さまも年貢の納めどきか」

「どうかな。TNTをビルの六か所に仕掛けた。これで起爆できる」

「ちっ」

 土蜘蛛は懐から小型の携帯電話を出す。いまどき通話のためにガラケーなど使わない。本気だろう。

 半蔵がジュンの肩をたたき、背後から言う。

「ここはまかせたぞ」

「おっけー」

 いざとなれば神術ミカヅチで、敵が携帯を操作する前に斬るのも不可能ではない。駆け引きで主導権を握られないことだ。

 頭取室にジュンと玉依だけ残し、ほかの七名は建物の制圧にむかう。銃声が響く。味方に死傷者が出ないのをジュンは祈る。

 細い腕でショットガンを構える玉依が、震え声で土蜘蛛に言う。

「あ……あなたは母の仇です」

「はじめまして」土蜘蛛が答える。「左大臣のお嬢さんかな」

「どれだけ憎んでも憎みきれません」

 ジュンが口を挟む。「忌部さん」

「しかしここで引き金をひいたら、私もあなたがた蛮族とおなじになる。和を尊ぶアマテラスさまの遣いとして、忠実に使命をはたします」

 玉依はKSGを壁に立て掛け、ジャージと防弾ベストを脱いで正座する。目をつぶり、ゆっくり深呼吸する。

 神術【カミガカリ】。

 息がせわしなくなり、体が小刻みに揺れる。忌部氏につたわる憑依の能力で、アマテラスをその痩身へ迎え入れようとしている。

 目をカッと見開いて言う。

「わらわが神国日本の最高神アマテラスじゃ」

「さて」土蜘蛛がつぶやく。「信用していいものか」

「国の宝と言うべき、ふたりの娘を派遣した意味を汲み取るべきじゃな」

「まあいいでしょう。できれば直接お会いしたかった。いづれ僕の妻になる方ですから」

「そんな境遇も楽しいかもしれぬ。じゃがわらわの命は、民を安んずるためにある」

「ますます魅力的だ。きょうはどんなお話で?」

「和平が所望じゃ。あと人質を解放せよ」

「見返りは」

「北海道での自治をゆるす」

「ふむ」

 土蜘蛛は腕をくみ、顎をさする。前例のない大胆な提案だった。

「寛大だ」土蜘蛛は続ける。「しかし歴史上、わが民族があなたの手練手管に翻弄されつづけてるのも事実」

「国のあり方も時代にあわせ変わるべきじゃ」

「軍備をととのえて侵攻する気では?」

「だとしても、むざむざやられる男ではあるまい」

「はっはっは! さすがは神君、賢明なるかな」

「そろそろ時間切れじゃ。返事を聞きたい」

「異存ありません。でも僕は、あなたとの結婚をあきらめたわけではない」

「おぼえておこう。悪い気はせぬ」

 アマテラスが乗り移っていた玉依がガクンと頭を垂れる。ジュンはその肩を抱き、倒れるのをふせぐ。ブラウスが汗でぐっしょり濡れている。

 はじめて見た神術カミガカリには驚嘆した。数々の偉大な巫女を輩出する忌部氏ならではの異能だ。玉依の名門意識の強さもうなづける。




 銀行内を制圧し、人質を逃がした七名と合流する。負傷者はいない。ふたたび九人で書類棚の裏のエレベーターに乗りこむ。

 しかしドアが閉まりかけた瞬間、ジュンは頭取室へ飛び出る。呆気にとられる仲間をのせ、エレベーターは地下へむかう。部屋にいるのはジュンと土蜘蛛だけ。

「笑えるぜ」ジュンが言う。「あいつらお花畑すぎんだろ。なにが和平だ。ふざけんな」

「復讐か」

「たりめーだ。家族を殺されて、あたしが黙ってるわけねー。神や仏がなんと言おうが知るか」

 あれから一週間寝ても覚めても、妹のスミレが助けをもとめ泣き叫ぶ顔が脳裏に焼き付き、一瞬たりとも消え去らない。渦巻きの刺繍がほどこされた着物を見ただけで血が沸騰し、脳細胞を蒸発させる。報いを受けさせる以外の選択肢はない。あとで我が身が八つ裂きにされようが構わない。

 ジュンは木製のドアに鍵をかける。パスワードを知らない間抜けな仲間たちは、非常用エレベーターをつかえない。正面からえっちらおっちら上ってくるだろう。それまでに始末する。

 土蜘蛛に向かい、鬼切とP90をぞんざいに放り投げて言う。

「好きな方をつかえ」

「君はどうする」

「五歳の子供を殺す人でなしなんぞ、素手で瞬殺してやんよ」

 ジュンはポケットから格闘技用のオープンフィンガーグローブを出し、手にはめる。

 敵を見くびってるのではない。北の丸で土蜘蛛の剣技の冴えを目の当たりにした。でもこの男に、すみやかな死はふさわしくない。可能なかぎりの苦痛と絶望を味わわせてから殺す。

 土蜘蛛は鬼切を手に取り、一尺ほど抜いて分厚く粒だった刃文をながめる。涼やかな両目が細まる。名刀の機能美に感動しているらしい。刀を朱塗りの鞘におさめて床に置き、つぶやく。

「まさに眼福だ」

「なめてんのか。武器をとれ」

「僕には君を斬る理由がない」

 土蜘蛛は無腰のまま、ためらいなく五メートルの距離をちぢめる。ジュンは両手の握り拳を顔の前に上げ、左足を一歩踏み出し、迎撃体勢をとる。

 微笑をたたえる土蜘蛛は殺気を帯びてない。拳のとどく範囲に顔があるのに、ジュンは打てない。かつて「学院一の美少女」と称された土蜘蛛の美貌は、間近で見ると息を呑むほど。出雲市にいるほかの男から嗅いだことのない体臭がただよう。

 土蜘蛛は両手でジュンの顔を挟み、その唇を吸う。舌が口腔内に侵入し、ジュンの舌と絡み合う。グローブをはめたジュンの手は、麻痺した様に虚しく宙をさまよう。はげしい接吻は一分つづく。

「君は汚れてない」土蜘蛛が言う。「拝金主義者と袂を分かって、常陸幕府に加わらないか」

「……いきなり何すんだ」

「初めて見たときから気になっていた。僕の妻になってほしい」

 ふたりはまた口づけを交わす。ジュンは錯乱していた。彼女はまったくのおぼこ娘ではない。恋愛の真似事くらいは経験している。しかし中枢神経が異常事態に反応しない。催眠術のたぐいか。

 銃声のあと、ドアが蹴破られた。与一や半蔵が銃を手になだれこむ。KSGのスラッグ弾で蝶番を壊した玉依が、目を剥いて立ち尽くす。

 玉依が叫ぶ。「なにしてるの!」

 耳まで紅潮したジュンが、唾液にまみれた口を手の甲でぬぐう。土蜘蛛は下を向き、笑いをこらえる。

「信じらんない!」玉依が続ける。「事もあろうに、作戦中に蝦夷の男と不埒な真似を!」

「ち、ちが……」

「あなたは噂通りの人ですね! 大和撫子の風上にも置けない! もう本当にありえない!」

 玉依は地団駄を踏み、ショットガンを振り回す。人がこんなに怒る様子をジュンは見たことがない。KSGのセフティを掛けてほしいが、とても言い出せる状況ではなかった。




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苑田 健

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