『高天原ラグナロク』 第2章「中臣邸」


登場人物・あらすじ


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 運河沿いに立つヴェネツィアン・ゴシック様式の洋館に、疲れ切ったジュンが帰宅する。メレルのトレッキングブーツの紐をほどくうち力尽き、大の字になって寝る。

 三つ編みの少女がリビングから飛び出し、ジュンに馬乗りになる。五歳の妹のスミレだ。

「ねえたま、帰るの遅い!」

「ごめん、いろいろあって」

「アニメ一緒にみる約束でしょ」

「わかったから、そこどいて。パンツ丸見えだよ」

「ねえたまのエッチ」

「どこでそうゆう言葉覚えてくるの」

 ジュンはスミレを抱きかかえ、ゴロゴロ転がる。スミレがはしゃいで笑う。年が離れているせいもあって姉によく懐き、目に入れても痛くない妹だ。

 玄関でレスリングをはじめた姉妹を、グレーのオールインワンを着て腕組みした母が見下ろしている。目端のきくスミレは雷が落ちる気配を察し、リビングへ避難した。

 母が言う。「おかえりなさい」

「ただいま」

「いつまでそこで寝てるつもり」

「はい」

 ジュンはメレルを脱いで正座する。これでも名門貴族の娘であり、一応の礼儀作法は心得ている。

 鼻息荒い母の顔をみれば、城内で自分がしでかした不始末が筒抜けなのはあきらか。

「聞いたわよ。裸みたいな恰好で走り回ったそうじゃない」

「はあ」

 そっちかよ、とジュンは内心で小馬鹿にする。

 ジュンがブラウスを着てないのに気づいた母は、詰め襟のボタンを外す。黒のスポーツブラをつけた、汗の臭いのする白い上半身が露わになる。

「またスポブラつけてるのね。こないだ下着買ってあげたでしょう」

「こっちの方が動きやすいもん」

「だったら武術科なんて辞めなさい」

「それとこれとは関係ない」

「国事科に戻るのは無理でも、転校すればちゃんとした勉強ができるわ」

「しつこいなあ! ほっといてよ!」

 ジュンは声を張り上げる。自分があやうく死にかけたのは母も知ってるだろう。少しはいたわってくれてもいいんじゃないか。それともこれが母なりの心配の表れなのか。だとしたら、なおさら腹が立つ。

 母は平民出身だった。日本を代表する貴族である父と大恋愛の末に結ばれたときは、国中を揺るがす騒動になったと聞く。その引け目もあり、いまでは母は極端な伝統主義者となった。

 避難場所のリビングのドアから、スミレが半分顔を出す。爪を噛んでいる。家族同士のケンカを悲しんでいる。あたしはダメなお姉ちゃんだとジュンは思う。

 眼鏡をかけた父の栄一が、階段から声をかける。

「ジュン、おかえり」

「ただいま」

「話があるから書斎においで」

 母が言う。「こっちの話が終わってません」

「私から厳しく言っておくから」

「あなたがいつも甘やかすから、ジュンがこうなったんでしょう!」

「うん、気をつけるよ」




 書斎の壁は前後左右、本で埋め尽くされている。ほとんどが政治・経済・歴史の本だが、推理小説専用の棚がひとつある。父は政界を退いたら小説家になる願望をもっている。フランクリン・ルーズベルトとコナン・ドイルの胸像も置かれる。

 窓から夜の運河がみえる。昼間は木材を運搬する船が多いが、いまは灯りをともしたゴンドラが各国の観光客を乗せている。幻想的な景色だ。

 父娘は木製の机を挟み、向い合って座る。ジュンが机を叩いて言う。

「なんなのあの人。ああしろ、こうしろ、ああするな、こうするなって、そればっかり。あたしはロボットじゃないっちゅうの」

「心配してるのさ」

「ちゃんとしろ、ちゃんとしろって、わけわかんない。そんなに自分が完璧なお手本だと思ってるのかね」

「ジュンとお母さんは似てるよ」

「全然ちがうし。あたしは外見のことばっか気にする人間じゃない」

「気性の激しさがそっくりだ。あと美人なところも」

「なにそれ……まあたしかに、お父さんの頭の良さは遺伝してないね」

「ジュンは頭の良い子だよ。いづれお父さんを超えてくれると信じてる」

「んなわけないじゃん。退学寸前なのに」

 四十六歳の栄一は八年間摂政をつとめている。MITで博士号を取得するなど経済に明るく、「ナカトミクス」と称される政策で日本経済を再建したと評価される。ただ激務のせいで、家族のために時間を割けないのが悩みだ。夫婦仲は円満と言いがたく、ふたりの娘、特に長女のジュンがトラブルを起こしがちなのを憂慮していた。

 それでもジュンは父に信頼を寄せている。公私にストレスを抱えていても、父に話すだけで心が軽くなる。できればもっとコミュニケーションの機会がほしい。月に一度外で食事するとか、半年に一度旅行するとか。でもそれを直接求めるほど、露骨に甘えられる性分ではない。

 栄一はふたり分のコーヒーを淹れ、机に置く。ジュンはミルクと砂糖をたっぷりいれて飲む。

「ところで」栄一が言う。「アマテラスさまを濠へ投げこんだそうだね」

「あ……」

「ツクヨミさまから電話があったが、大層な剣幕だったよ」

「…………」

 ジュンはカップを持ったまま固まる。視線は褐色の水面に向けられたまま。

 自分の無思慮な行動が、父にどれほど迷惑をかけるか考えてなかった。摂政をクビになってもおかしくない。

 ジュンがつぶやく。「ごめんなさい」

「謝らなくていい。正しいと思ってしたことだろう」

「うん、まあ」

「その瞬間を見たかったよ。ジュンは美濃部達吉の『アマテラス機関説』を知ってるかい?」

「ううん」

「簡単に言えば、アマテラスさまも道具にすぎないって学説さ。道具なら、必要なくなれば捨てる選択肢もありうる」

「お父さん」

「過激だったかな。お母さんには内緒だぞ」

「あはは」

 家の外から銃声が響いた。運河の水面が震えるほど轟く。

 三人の衛士が中臣邸を警護している。P90とおなじ高速弾をもちいるハンドガンのFNファイブセブンを、彼らは装備する。ジュンの耳にはファイブセブンの発射音に聞こえた。昼に聞いたばかりの、減音された複数のSIG550らしき微音も耳にとどく。

 音だけでは判断できない。だがもしファイブセブンの発砲が一発だけなら、蝦夷の襲撃により衛士が斃されたと想定せざるを得ない。

 母親が忌み嫌うため、邸内に武器はない。ジュンは、本棚にあるルーズベルト大統領の胸像をつかんで書斎を出る。

 階下から乱暴な足音と、母と妹の叫びが聞こえる。敵は階段を上ってくる。迷いがない。

 ジュンは階段の途中で息をひそめる。侵入者にとって踊り場が一番危険だと、訓練で知っている。不意を打って銃を奪いたい。

 異民族の服をまとう三人の蝦夷が、折り重なる様にして姿をあらわす。ふたりはSIGのストックを折りたたんでいる。互いをカバーしつつ、三方向へ銃口をむける。ひとりは眼帯をつけたピンク髪の女で、ジャンパースカート風の青いワンピースを着ている。ロシアの民族衣装であるサラファンだ。

 かまわずジュンは躍りかかる。眼帯で隠れた女の左目の側から胸像を振り下ろす。女のルガー・スーパーレッドホークが火を吹く。マグナム弾は大統領を粉砕し、ジュンの左胸を貫いた。




 ジュンは頬が濡れているのを感じる。いま自分は書斎の絨毯に倒れていて、冷たい液体はさっきこぼしたコーヒーだと理解した。

 あらたに血液が絨毯を汚している。およそ二リットルの出血で人は死ぬ。だがすでに牛乳パック一本分は流れたのではないか。血圧低下のせいで混濁する意識のなかでジュンはかんがえる。

 ドアの前に立つ栄一が、虚ろな表情でつぶやく。鼻血が出ている。強制される様な棒読み口調だ。

「私、中臣栄一は拝金主義者の走狗である。国政をあづかる立場にありながら、金銭のみに執着し、この国を腐敗するに任せた。かかる危機から日本を救うのは常陸幕府であり、偉大な将軍たる土蜘蛛閣下しかいない。私は閣下の主張が正当だと認める。アマテラスさまは彼の要求どおり、降嫁して妻になるべきだ……」

 栄一の視線の先には、三脚に乗せたビデオカメラと、蝦夷がひろげる原稿がある。ピンク髪の女が満足そうに演説に聞き入る。映像を宣伝に利用する気だ。いや、すでにリアルタイムで配信してるかもしれない。

 栄一の左に母が、右にスミレが立つ。泣きわめくスミレを男がおさえる。逆側でもうひとりが刀を振り上げている。斬首の様子をおさめた動画を流すのが、蝦夷の常套手段だ。

 スミレが叫ぶ。「ねえたま、起きて!」

 家族を救わなくては。すくなくとも五歳のスミレだけは命に代えても。しかし脳の命令が手足にとどかない。五感の情報もだんだん乏しくなる。両手は体の後ろで縛られてるらしい。

 白刃にさらされた母と目が合う。切れ長の目が細まる。立腹した、冷たい表情。食卓で肘をつくジュンを叱るときとおなじ。この期におよんで、母はなぜ怒ってるのだろう。

 自分がもがいていることに対してだと、ジュンは気づく。せめてあなただけでも生き延びてほしい。だから何もしないで。時間を稼げば、助けがくるはずよ。そう母は訴えている。

 ジュンは、妹の方が母親から愛されていると思っていた。自分が逆の立場でもそうだろう。スミレは甘え上手な末っ子で、だれからも可愛がられている。贔屓されて当然だ。

 でもお母さんは、あたしを生かそうとしている。自分自身の生存の可能性など一切かんがえずに。

 結局、母は長女の性格を理解してなかった。とことん天邪鬼で、人の期待どおり動くことが決してない性格を。

 ジュンは呼吸を乱しながら立ち上がる。視覚は正常に機能せず、照明のついた室内が薄暗くみえる。七挺のSIGが向けられる。

「そこのピンク」ジュンが言う。「殺すならあたしを殺せ。お母さんとスミレは一般人だ」

 女はリボルバーの銃床でジュンのこめかみを殴る。皮膚が破れ、出血する。

「わたくしの名は夜刀神《ヤトガミ》。もっと敬意を払うとよくってよ。ロシア貴族の家系なの」

「うるせえ、悪趣味女」

「日本の貴族は無作法ですこと」

 今度は二回殴る。ジュンの膝は折れかけるが、踏みこたえた。

「こんなことして何になる。ヘイトをあつめるだけだ」

「あなたがたが生命を愛する以上に、わたくしたちは死を愛するの」

「ふたりを解放しろ!」

「土蜘蛛さまの命令は三つ。中臣栄一は殺すな、中臣ジュンはできれば殺すな、ほかは好きにしろ。生きていたいならお黙りなさい」

 夜刀神に氷の瞳で見返され、ジュンは狂信者と交渉する愚をさとる。

 両手を縛られたジュンは、夜刀神の懐へ飛びこみ、透きとおった肌の首筋に噛みつく。あらがう敵の頸動脈を切断しようと、深く歯を立てる。

 蝦夷に後頭部を打擲され、ついにジュンは昏倒した。




 敵二名に両脇から抱えられて外階段を下りるとき転落し、ジュンは意識をとりもどす。

 絶望していた。斬首の瞬間は見なかったが、蝦夷がそれを躊躇したはずがない。是非はともかく、彼らは非情なプロフェッショナルだ。

 衛士の発砲から三十分は経過しただろうに、まだ警察や軍の特殊部隊はあらわれない。

 どうでもよかった。敵への怒りすら覚えない。家族を救えなかった自分にとって、もはや感情など重荷にすぎない。

 シュコダのワゴン車二台が、ソーラーライトに照らされた庭に駐まっている。手入れの行き届いた芝生が台無しだ。

 車内へ連れこまれる栄一が、振り返ってジュンに言う。

「ジュン、またゴルフに行きたかったな」

 ドアが閉じ、シュコダは発進した。

 半分昏睡状態のジュンは混乱する。いったいお父さんは何を言ってるんだ。あたしはゴルフなんてしたことないのに。

 ジュンの脳裏に電撃が走る。

 よろけながら、スミレが遊んでいたブランコに歩み寄る。父のゴルフバッグが立て掛けてある。ジュンは走ってるつもりだが、敵から見れば徘徊老人さながら。蝦夷の顔に嘲笑がうかぶ。

 ゴルフバッグをあけ、朱塗りの鞘におさまった刀をとりだす。伝家の宝刀「鬼切」だ。栄一は妻の目をごまかし、ここに隠していた。

 即座に抜刀したジュンに対し、慌てた蝦夷四名がSIGをかまえ、引き金をひく。

 神術【ミカヅチ】。

 それは神の言葉をつたえる氏族である審神者《サニワ》のひとつ、中臣氏に継承される秘技だ。

 ミカヅチは時間をとめる。言い方を変えれば、光速にちかい機動力を使用者にあたえる。

 迅雷が中臣邸の庭を襲った。四人の蝦夷は、自分たちが攻撃されたことさえ知らないまま、十数個の肉片と化した。

 燃え尽きたジュンは鬼切を取り落とし、血の海のなかへ倒れる。妹の名をつぶやいていた。




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