『死と乙女と中野』 第5章「タッキー」




登場人物・あらすじ


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 迷彩柄のショートパンツを穿いたタッキーが、ボードへむけてダーツを投げる。二十のトリプルに刺さり、六十点を獲得。

 はじめてダーツバーに来たサッサが脇で眺めている。自分もためしてみたが、ダーツが的まで届かず、横や後ろへ飛んでゆくので止められた。

 サッサが呟く。「奇麗なフォームだなあ」

「ありがとう」

「ダーツで人って殺せますかね」

「中心の高さは百七十三センチで、私の身長とほぼ同じだ。私を狙う気なら練習するといい」

「そうゆうのじゃなくて、護身目的で」

「護身具なら櫛が最適だ。いま持ってるか?」

「まあ一応」

 サッサはリュックの中の小物入れから、折りたたみ式のヘアブラシを出す。タッキーはそれを広げて握る。

「櫛には鋭い歯がついている。そして持ちやすい」

「たしかに」

「これで眼球を擦れば、一時的に無力化できる」

 タッキーがヘアブラシをサッサの顔にちかづける。

 サッサは目を輝かせて言う。

「いいかも! タッキーさんはしゃべり方が独特ですよね。男みたい」

「高校までアメリカに住んでたからね。日本語が不自然だったら指摘してくれ」

「むしろ似合ってますよ。日本に来たのはなんでですか」

「父の仕事の関係さ。空軍士官なんだ」

「パイロット?」

「いや。いまは三沢にいる」

 サッサはヘアブラシを返される。身長差が三十センチちかくあり、視線がちょうどタッキーの胸に位置する。Vネックの紫のTシャツから見える谷間へ、手を突っこみたくなる欲望にサッサは耐えていた。




 八席並ぶカウンターに、シバとマエが座っている。シバは瓶のハートランドを、マエはシャーリーテンプルを飲んでいる。すでにふたりは打ち解け、マエは屈託なく笑い、シバはその腕や腰をなれなれしく触る。

 サッサの心が疼く。つい最近シバの悪口を言ってたと思えぬ、マエの八方美人ぶりに苛立つ。嫉妬だけで思うのではない。マエは知る由もないが、昨晩の殺人事件にシバが関与している確率はゼロじゃない。父を守るとゆう動機がある。

 仏頂面でサッサが椅子に座る。

 シバが言う。「楽しんでる?」

「床にたくさん穴を開けました」

「壁じゃなくて床かよ。それはそうと、マエちゃんを連れて来てくれてありがとう。噂の百倍可愛いな!」

 マエが言う。「そんなことないですよお」

「マエは」サッサが言う。「一緒に原宿とか行くと必ずスカウトされますから」

「だろうね」

「私が追い払うんですけど、それが大変で」

「仲いいな。さっきからマエちゃんも熱く愛を語ってたよ。病気を克服できたのはサッサのおかげって」

 サッサは己の独占欲を恥じ、うつむく。ダーツをしている間も、マエが離れて行かないか心配で仕方なかったが、親友はつねに自分のことを大切に思ってくれていた。もっと信じないと。

「私もマエを愛してます」

「わお、百合宣言きたあ!」

「変な意味じゃなくて」

「いや、これが百合なんだ。女子同士だからこそ理解しあえる、満ち足りた感覚。わかるだろ?」

「でも恋愛感情じゃない。絶対」

「いいね、いいね。その頑なさがまさに百合」

 サッサは溜息をつく。シバはもともとお調子者だし、酔いが回ってさらに言動が浮かれている。

「可愛い子がいたらなんでも百合なんでしょ」

「まあね」

「先輩なら男にもモテるでしょうに」

「何人か付き合ったよ。でもいまは百合を極めたいんだ。花の命は短いから」

「二十二歳になったら先輩も自殺するんですか」

「下り坂の人生、生きてて楽しいと思う?」

 シバはハートランドの瓶をあおる。タッキーと無言で見つめ合いながら。




 ダーツスペースからこちらを観察していた三人組の男に、サッサたちは囲まれる。マエは男なら誰でも仲良くなりたくなる娘だし、シバとタッキーは垢抜けた女子大生だ。陰気なチビがひとりいるにしても、ナンパされない方がおかしい。

 黄色のタンクトップを着た胸板の厚い男が、世慣れた風情のシバに話しかける。二十代前半に見えるが大学生ではなさそう。シバは歓迎するでもなく拒絶するでもない、当り障りない応対をする。マエは微笑しながら相槌打つ。タッキーはジントニックのグラスを傾ける。

 サッサは吐き気をおぼえていた。男の筋肉が何より嫌いだった。リュックから取り出したオルファのカッターをカウンターの下で握り、心を落ち着かせる。

 タンクトップ男が、サッサの肩に手をかけて言う。

「ワンピの君も可愛いね。レベル高っ」

「さわんな」

「え?」

「いますぐ手を離せ。殺すぞ」

「なにこのコ、おもしろいんだけど」

 チキチキチキ……。

 オルファの刃のスライド音がかすかに鳴る。シバとマエが顔を見合わせる。本当に刺しかねない。マエは首を横に振り、サッサの腕に手を添える。

「顔色悪いぞ」シバが言う。「ちょっと外の空気吸ってきたら」




 サッサは軽いめまいを感じながら階段を下り、中野通りへ出る。行き交う人の流れがスローモーションに見える。

 自分は「あっち側」の人間じゃないと痛感していた。マエは容姿だけでなく、医学部を狙えるほど頭脳も優秀。シバは裕福な家に生まれ、本人にも才覚がある。ふたりとも上流階級の一員として生涯をすごすだろう。

 対する自分は、せいぜい写真集を出したいくらいで、プロの写真家になるとか大それた願望はもってない。専門的な勉強もしてない。バイトの面接すら通らない無価値な人間だ。

 病が癒えたら、マエはきっと「あっち側」へ行く。そしてその方が幸せだ。

 お姉ちゃん、あなたの言うことは正しい。私には呪われた血しかない。

 サッサはGRの革のストラップに右手を通し、電源ボタンを押す。こめかみの辺りが熱くなり、雑念が吹き飛ぶ。このロクでもない世界を存分に切り取ってやる。

 中野区の人口密度は一平方キロメートルあたり約二万人。豊島区に次いで、二十三区で二番目に高い。土曜の午後五時の中野通りは、前に進むだけでも一苦労する。ゴスロリ少女、腰の曲がった老婆、母に手を引かれる幼女、恋人たち……盲滅法にフレームに収める。

 バスの停留所に人集りが出来ている。標識柱の上に猫が三匹乗っており、通行人が物珍しさに足を止めて写真を撮る。

 ポロシャツを着た日焼けした肌の男が、スマートフォンでの撮影を終え、猫をぞんざいに紙袋に入れる。ぽかんとする人々を後に残して移動。今度は街路樹の枝に猫を放り上げる。

 中野近辺で撮った猫の動画を、SNSで拡散する輩がいたのをサッサは思い出す。川へ投げこんだり酒を飲ませたり、虐待にちかい内容ばかり。

 止めなきゃいけない。

 盗撮で小遣い稼ぎしてたのと矛盾するが、サッサは義憤にかられる。しかし男には二名の取り巻きがいて、面と向かって説得するのは気が引ける。柄の悪い連中は、なぜいつも群れをなして行動するのか。

 GRはズーム機能がない。サッサはGRを顎で支えて安定させ、ポロシャツ男が猫を投げる姿をすれ違いざま接写する。

 パーカーのフードをかぶった取り巻きのひとりが、背後からサッサに叫ぶ。

「お前いま写真撮ったろ!」

 逃げるべきか。しかし駆けっこでは男にかなわない。追いつかれたとき立場が悪くなる。

 サッサは向き直って言う。

「それがなにか」

「カメラよこせ」

「いやだ」

「盗撮しておいてふざけんなよ」

「犯罪だと言うなら警察へ行こう。私の写真は藝術だ。表現の自由だ」

「なめてんのかチビ」

 サッサは髪を引っぱられ、軽々と歩道に転がされる。ストラップが右手から抜け、GRを落としてしまう。液晶画面に傷がつかないか心配に。

 パーカー男はサッカーボールの様に、サッサの腹を勢いよく蹴り上げるが、空振りする。

 いつの間に現れたタッキーが、男のフードを引いてバランスを崩したせいだ。タッキーはうずくまるサッサに手を差し伸べる。

 パーカー男が、タッキーの長い黒髪をつかむ。女を痛めつけるときの常套手段なのだろう。タッキーはその動きに合わせて頭を下げ、よろける相手の右腕を取り、ガードレールへ顔面から衝突させる。男は昏倒した。

 タッキーが、男たちの中で年長らしきポロシャツ男に言う。

「飼い犬には首輪をつけておけ」

 バギーデニムに鍵をぶら下げたポロシャツ男は、何も言わず他のふたりを連れて去る。以前からタッキーを知っている様だ。




 サッサはガードレールに腰掛け、GRの汚れを払う。あたらしい傷はない。パーカー男の鼻血が乾いて路面にこびりついている。

「無鉄砲すぎる」タッキーが言う。「君はダーツが的に届かないくらい非力なのに」

「タッキーさんは格闘技やってたんですね。技を教えてくださいよ」

「自制心のない人間に武器は貸せない」

「けちんぼ」

「画像も消しておけ。トラブルの元だ」

「消すかどうかは写り具合で判断します」

「シバも強情だが、君は輪をかけて酷い。日本の女は皆そうなのか」

「褒めてもらえて嬉しいです」

 中野の空は青みが深まってゆく。もうすぐ日没で、マジックアワーがやってくる。優美で艶のある写真が撮り放題だ。

 サッサはGRを手に、また歩きはじめた。




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苑田 健

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