『死と乙女と中野』 第4章「おとめ山公園」




登場人物・あらすじ


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 なかのZEROの小ホールの客席で、サッサが薄目を開けて座っている。半分眠っている。隣のマエは真剣な表情で講演を聞く。服は花柄のブラウスにタイトスカート。

 ふたりは「紅花病ワクチン被害者の会」の集会に参加していた。無理にマエを誘ったサッサだが、医者や辯護士の長話に眠気をもよおした。

 紅花病は、子宮の機能不全をもたらす病気だ。慢性的な不正出血をともなうため、そう俗称される。発見が遅れれば子宮摘出手術が必要となる重病だ。

 性交渉により感染するため、未経験の中1から高1の女子に対し、ワクチン接種が広くおこなわれた。言うなれば、処女が大人になるための薬だ。異例のスピード承認がなされるなど、厚生労働省が積極的に推進した。ところが全国で、接種後に全身の痛みを訴える事例が頻発し、安全性や法的責任をめぐり激しい議論が生じている。

 マエが肘でサッサの脇を小突き、ハンカチを手渡す。耳に口を寄せてささやく。

「いびき、聞こえてるよ」

「ふぇっ!? ね、寝てないよ」

「これでよだれ拭いて」

「……ありがと。マエはマジメだね。高校のときも授業中に寝てるの見たことない」

「私は逆に、いつでもどこでも寝れるサッサちゃんがうらやましい」

 マエはトートバッグのなかに、ピンクのICレコーダーをいれて録音している。病気による記憶力低下を補ってるわけだが、罹患する前も授業で使っていた。性格なのだ。

 サッサは入場前に配られた書類に目を通す。資料として、キティちゃんがワクチンを勧める広告が添えられていた。迅雷社が協賛者として名を連ねている。医療界は可愛いキャラクターで少女たちを唆し、その人生を破壊した。

 四百人ほど収容されたホールを見渡す。百人近くがワクチンの被害者だ。犠牲の大きさと理不尽さに胸が潰れる。この乙女らに、いったいなんの罪があるのか。

 学生会館で見かけた赤い髪の女が、斜め前の座席にいる。妹か誰かの付き添いらしい。




 ふたりは中野駅前のガストに場所をうつした。向かいの席に座る、集会で知り合った母娘と話している。娘の名はカスミと言い、眼鏡をかけチェックのシャツを着ている。十六歳だ。

「私とマエは」サッサが言う。「高校の同級生で、病気になる前後に仲良くなったんです。だからこうして付き添うのも当然とゆうか」

 母親は片眉を上げ、疑いの眼差しを返す。家族でないのに世話を焼く動機を理解できないらしい。

「サッサちゃんは」マエが言う。「すごく優しいんです。一人っ子の私にとってはお姉ちゃんみたいな存在で。いやお母さんかな」

 マエはほほえみつつ、テーブルの下でサッサの手を握る。好きでやってることなのに、こんなに感謝してもらえるなんて。サッサの頬は溶けそうなほど熱くなる。

 会話に加わってなかったカスミが尋ねる。

「マエちゃんとサッサちゃんは友達同士?」

「うん、親友なの」マエが答える。

「じゃあこの人は、私の友達かな」

 「この人」と呼ばれた母親は傷ついた素振りを見せないが、唇がかすかに震える。カスミは母の記憶を失っているだけ。悪いのはワクチンをつくった製薬会社と、推奨した厚労省と、投与した医者だ。勿論、同意書にサインした自分も同罪だと、被害者の親たちは我が身を責めている。

 カスミはテーブルで小学生用の教材をひらき、漢字の練習をはじめる。母親はペンの握り方から教える。

 母親は拳を握りしめ、マエに言う。

「利里ちゃんは自分で集団訴訟に参加できるよね。だいぶ具合良くなったし」

「ううん……どうなんでしょう」

「おかしいでしょ。どの病院に行っても『心因性』と決めつけられる。そんな訳ないじゃない。勉強が得意だったこの子が突然、漢字すら書けなくなったのよ」

「お気持ちは痛いほどわかります」

「娘が恢復すればそれでいい、せめてこれ以上悪化しなければいいとゆう思いだけで、これまで頑張ってきた。でももう限界。誰かが責任取らなきゃいけない。特に柴田先生は許せない」

「私は予備校に通うので精一杯で……」

「あなたのお母さんはどうしたの。最近さっぱり顔出さないじゃない」

 険しい口調に気圧されるマエを見かね、サッサが言う。

「マエは全快してないんです。こないだも公園で解離がおきて……」

 母親が叫ぶ。「部外者は口を出さないで!」

 大声に驚いたカスミがペンを落とす。椅子に倒れて横たわり、痙攣している。母親はカスミに覆いかぶさる。全体重で押さえつけねばならないほど不随意運動は激しい。

 異常を察して飛んで来たウェイターに、サッサは平静を装って言う。

「大丈夫です。よくある発作なので」

 カスミが嗚咽まじりに頭痛を訴える。熱した鉄の棒で脳を掻き回される様だと。

 席を立ち、カスミの背をさするマエの頬に、涙が光っていた。




 午後七時半。下落合のおとめ山公園へ通じる坂を上るサッサの目に、複数のパトカーと救急車の警光灯の光が飛びこむ。

 駅前のバス停で別れたマエから電話があった。公園にいるので来てほしいと、カスミと母親がメールしてきたが、自分は行けそうにない。でも気になるので調べてくれたら嬉しいと頼まれた。

 事態は想像以上に深刻らしい。

 サッサは入口をふさぐ警官に、高めに声色を変えて言う。

「警察の人に呼ばれました。ママとお姉ちゃんが大変なことになってるって」

 授業中の居眠りにならぶサッサの得意技である、小学生のフリだ。日本人は子供に甘いため、大抵の場所で自由に出入りできる。

 おとめ山公園は、森林が息苦しいほど密生する、都心にある秘境だ。木陰ごしに見える、闇に揺れる懐中電灯の光を頼りに池へ近づく。湧水で出来た池に入った警官が、腹を下にして浮かぶ女を岸へ運んでいる。茶色のタートルネックに見覚えがある。カスミの母親だ。奥の水面で漂うチェックのシャツの女は、カスミ本人の様だ。

 サッサは自分の呼吸が乱れているのに気づく。池から遠ざかって斜面を上り、回り道してさっきと反対側の出口へむかう。さすがに殺人容疑者に仕立てられはしないだろうが、用心が必要だ。

 看病に疲れた母親による無理心中ではない。自殺か事故なら、肺に大量の水が入って体は沈む。ふたりとも浮かんでいたのは他殺だからだ。自殺の情報を漁っているサッサは瞬時に悟った。

 状況から見てこれは計画的殺人だが、素人でも見抜ける痕跡が残ってるのが腑に落ちない。隠蔽工作中に発見されたか、それとも警察をたやすく操れるほどの有力者による犯行か。

 しかし、だれが、なぜ。

 たとえば集団訴訟を妨碍するため、ワクチンを打ったシバの父親が口封じをしたとか?

 ありえない。ハイリスクすぎる。医者が患者を謀殺するなんて正気の沙汰じゃない。サッサは両手で頬を叩き、安っぽい陰謀説を頭から締め出す。

 目白通りに出たサッサは、下落合駅へ足を速める。アイフォンでマエに電話する。今見たことは黙ってるつもりだ。心配させたくない。

 金髪の女とすれ違ったとき、シバを思い出す。自分とマエをサークルに誘った彼女の、本当の目的はなんだろう。なにを知ってるのだろう。

 剥き出しの暴力が、サッサとマエの周囲で蠢いている。わかっている事実はそれだけ。サッサは百合研に入るようマエを説得すると心を決める。ほかに真相へ近づく手段がない。

 マエ、はやく電話に出て。あなたのことは命に代えても守る。




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