『死と乙女と中野』 第2章「マエ」




登場人物・あらすじ


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 中野通りの歩道をカップルが歩いて来る。女の髪は真っ赤で、男の肌は真っ黒。ガードレールに腰掛けるサッサは、男のズボンにぶら下がった鍵の音が聞こえるまで待ち、リコーGRのシャッターボタンを押す。目線はあさってを向いている。

 路上スナップがサッサの専門だ。被写体は街に転がるおもしろい物や、オシャレした女の子。めったに男は撮らないが、カップルは比較的好きだった。デート中の女は表情が晴れやかで、かわいさが増す。

 あおい書店のそばのファミリーマートから、親友のマエがアルバイトを終えて出てきた。髪は明るい色のボブで、ピンクのカーディガンを着ている。サッサを見つけて手を振る。

「仕事長引いてごめんなさい」

「ううん。おつかれさま」

 サッサはGRをリュックのサイドポケットにしまう。

「私は撮ってくれないの」

「本当に好きなものは撮らないんだ。写真は得てして人を傷つけるから」

 サッサはマエの右腕を取って歩く。マエは右膝に装具をつけている。高校一年のときワクチンの副反応で重病を患って以来、まだ関節や筋力の後遺症が恢復していない。

「いつもありがとう」マエが言う。「サッサちゃんには迷惑かけてばっかり」

「なに言ってんの。不自由な体で頑張るマエに、私は元気をもらってるんだよ」

 ふたりは三方をビルに囲まれた四季の森公園のベンチに座る。日曜の四時半で、家族連れが多い。みな幸せそうに芝生で遊んだり、寝転がったりしている。

 サッサはマエの装具を外し、マッサージや膝の屈伸をおこなう。

「痛くない?」

「うん……ちょっと」

「ゆっくりやるね。でも立ち仕事ができるなんて、すごい進歩」

「来月から予備校に通うから、これくらいできないと」

「そうなんだ! 病気になる前は東大狙ってたもんね。マエならすぐ成績上がるよ」

 昨年から騒がれだした、いわゆる「紅花病ワクチン事件」は、投与された少女たちに甚大な被害をもたらしていた。影響は知能にも及び、家族の顔を思い出せないほどの記憶障碍も珍しくない。

「でも」マエが言う。「受験勉強を始めたら、あまり会えなくなる」

「仕方ないけど辛いね。あっ、そうそう」

 サッサはリュックから、アマゾンの段ボール箱とオルファのカッターナイフを取り出す。特専黒刃に付け替えたカッターで箱を開ける。

 マエが言う。「そんなに大きなカッターを持ち歩いてるんだ」

「お姉ちゃんの形見」

「中学のころ亡くなった……」

「そ。双子の姉。これで頸動脈を切った。私は同じことしないぞってゆう戒め」

「サッサちゃん」

「暗い話でごめん。私は自殺願望まったくないから安心して。はい、プレゼント」

 小さな箱にクリスチャンディオールのロゴが記されている。マエはサッサに断り、中からリボンをあしらった瓶を出す。淡いピンクの香水が入っている。

 つねに笑顔を絶やさないマエが眉をひそめる。

「これ一万円くらいするよね。気持ちは嬉しいけど、受け取れないよ」

「マエが私の気持ちをわかってるのは知ってる。その上でマエが大切だって思いを形にしたいの」

「でも」

「この瓶を部屋の片隅に置いてもらえたら、私は幸せ。世界一可愛いマエに絶対似合うから」

「ズルい。そんな風に言われたら拒否できない」

 ふたりの笑い声がハーモニーを奏でる。マエが続けて言う。

「お金は大丈夫? バイトとかしてたっけ」

「ああ、うん……写真のスタジオでちょっとね」

「すごーい!」

 嘘をついたサッサの胸が痛む。無愛想なせいでアルバイトの面接に十回連続で落ちてから、人に雇われるのを諦めている。

 借りていたシバの著書を返す。

「読んだよ。おもしろかった」

「このひと桔大の三年生だよね。見たことある?」

「それどころか百合研に誘われた」

「えっ」

「おかしな人だったな。美人だけど自信過剰ってゆうか」

「サークルに勧誘されたってこと? 入るの?」

「気は進まないけど」

「噂を知ってるでしょ。たくさん自殺者が出てる」

「私は自殺なんてしない」

「あの人たちは生活が乱れてて、変なクスリもやってるって聞くよ。ああ、やっぱり本貸さなきゃよかった!」

「マエ、落ち着いて。体に障る」

「サークルに入らないで」

「でも約束したから」

「入るなら絶交する」

 サッサの意識が遠ざかる。地面が裂けて飲み込まれそうな気がする。外見も内面も取り柄のない自分を受け容れてくれる唯一の人物がマエだった。すくなくとも彼女はそう思っていた。マエを失えば世界は無価値だった。

 マエは自力で立ち、公園に隣接する桔梗学園の方へ跛行する。階段を下りる途中でよろけるが、かろうじて手摺につかまり、頭から転落するのは防いだ。

「あぶない!」

 呆然としていたサッサが駆け寄る。

 壁に倒れかかったマエは痙攣している。ワクチンの有害反応である解離がはじまった。激痛とともに、手足の不随意運動がおこる。眼球が振動し、苦しげにうめく。

 マエは身長百五十三センチで華奢だが、非力なサッサには重荷すぎる。サッサは跪いたまま助けをもとめて叫ぶ。




 通りかかった男に運ばれ、マエはふたたびベンチに座る。解離の症状は十分ほどでおさまった。いまは穏やかな呼吸で休んでいる。

 サッサはマエの膝にすがりつき号泣する。

「うぅ……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「もう泣かないで。些細なことで怒ったら、ひさしぶりに発作が出ちゃった。自業自得だね」

 サッサはますます泣きわめく。マエはその黒髪を撫でながら苦笑した。

「私ね」サッサが言う。「写真集を出すのが夢なの。ひょっとしたら叶うかもしれないの」

「どうしても入部したいのね」

「この夢だけは叶えたいの。一週間だけ。一週間だけ百合研にいさせて」

「わかった。サッサちゃんが誘惑に負けない強い子だってこと、信じてるよ」

 マエの透きとおった笑顔に、サッサは利己心もふくめて全存在を肯定される思いがした。




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