『サイバー剣士 暁ジュン』第5章 「猫カフェ」
新宿・靖国通りの雑居ビルの非常階段を、寒風が通り抜ける。
ジュンは年齢を一つ鯖を読み、「ふれいや」とゆう猫カフェで働いている。祖父に貯金の全額を渡したら小遣いが底をついた。息抜きのため階段に腰を下ろすが、ジャンパースカートの制服だけなので身震いする。
アイフォンの容量いっぱい溜めこんだ画像を高速スワイプ。二次元、二・五次元、三次元のイケメンが流れてゆく。カズサとツンツン頭と三人で撮った写真が、ちくりと心を刺した。
アルバイトをするのは、カズサとのデートに着ていく服を買いたいから。彼が何らかの陰謀に関与するらしいのは気掛かりだが、真相を知るためにも自分の恋情に従うつもり。
毛の長いサイベリアンのリュドミラが、階段を降りてジュンの隣に来る。口に咥えていたゴキブリの死骸を置いて見せびらかす。
ジュンはリュドミラの美しい毛皮を撫でる。
「あたしへのプレゼント? ドミちゃんはいい子だね。でも他の人にやったらダメだよ」
獰猛なハンターの本能を、平和な日本で持て余す。ジュンとリュドミラは似てるかもしれない。
三十代の女店長が地上から声をかける。
「暁さん、またサボってるの」
「休憩中です」
「荷物が来たから運んでくれる」
「はーい」
コーヒー豆の詰まった段ボール二箱を持ち上げ、ジュンは階段を登る。十四歳の女子にしては長身で、体を鍛えてるのもあるが、古武術で仕込んだ重心移動のテクニックを活かしている。
店長が言う。「力持ちなのは助かるわ」
「あざっす」
ジュンは壊した食器の被害額が経営を圧迫し、「働けば働くほど赤字が増える」と恐れられた。横柄な接客態度も「猫より無愛想な店員がいる」と食べログで叩かれ、どうにか運搬係として首がつながっている。
ドアを開けてバックヤードに入ったジュンは、なにか柔らかいものを踏んだのに気づく。たとえるなら、ぬいぐるみの様な。
恐る恐る、抱えている段ボール箱の下を覗くと、自分の右足がシャム猫の細い首を砕いている。
「ソ、ソムちゃん……」
蒼白となったジュンは荷物を下ろし、シャム猫を抱き上げる。呼吸していない。周囲を見回したところ、目撃者はリュドミラだけ。
客席から同僚に呼ばれる。
「暁さん、お客さんから御指名」
「いま行きます!」
ジュンを呼んだ客は、従妹の諸星菫だった。ジュンとおなじ姫百合学園へかよう十二歳。近所の神楽坂に住んでいて、実の姉妹の様な関係だ。
ストローを咥えたスミレが、座席で手をふる。
「お姉ちゃん、ひさしぶり」
「道場があったころは毎週会ってたもんねえ」
向かいに座ったジュンが抱くリュドミラに、スミレは目を留める。
「きれいな猫。あたしにも抱っこさせて」
「ドミちゃんは噛むから触らない方がいいよ」
「お姉ちゃんは噛まれないの」
「孤高のハンター同士、分かり合えるみたい」
「なにそれ。モンハンの話?」
スミレは明るい色の髪を、地につくほど長く伸ばし編み込んでいる。ほっそりして顔が小さく、彼女を見た人は「お人形さんみたい」とゆう陳腐な形容を使わずにいられない。
ブリティッシュショートヘアを撫でつつスミレが尋ねる。
「おじいちゃんがお金に困ってるって?」
「うん。ママは怒って縁を切る勢いだから、少しでも足しになればとバイトしてる」
「どうだか。お姉ちゃん、彼氏できたでしょ」
「エ、エスパーか」
「だって、お姉ちゃんから買い物に誘うなんてレアすぎるもん。彼氏さんの写メある?」
「いや、カズくんはまだ彼氏じゃないけどね」
ジュンはアイフォンを取り出し、スリーショットの写真を見せる。
スミレが言う。「ふうん、かっこいいね」
「え、なんでカズくんがこっちって分かるの」
「お姉ちゃんのタイプなんてバレバレだし。二次元でも三次元でも、ナヨッとした男の人が好みでしょ。あとメガネ率が超高い」
「末恐ろしい十二歳だなあ」
成績優秀で品行方正なスミレは初等部の生徒会長をつとめる。ついた渾名は「神童」。幼稚園を受験するとき、両親への愛と姫百合学園への憧れを語ったスミレのスピーチに、学園長が感動して泣いたとゆう逸話は有名だ。
バックヤードから悲鳴が上がる。
「きゃああああ」
ホールは騒然となり、ジュン以外の店員がバックヤードへ殺到した。
店長の声が聞こえる。「どうしたの。静かにしなさい」
「ソムちゃんが……死んでます」
「なんですって」
ジュンは無言でうつむいている。リュドミラが彼女の膝であくびする。
「お姉ちゃん」スミレが言う。「このまま逃げた方がよさそう」
「あ、あたしは関係ない」
「さすがに今回は庇いきれないかな」
ふれいやは、スミレの父の知人が経営する店だった。テレビ局のプロデューサーである父が番組で紹介した恩があり、この店に顔が利くスミレのおかげでジュンは首にならずに済んでいた。
スミレが苦笑しながら続ける。
「店長は私がごまかしておくから」
「バカな姉で本当に申し訳ない。いつかお礼はします」
「いいから早く」
ジュンはカフェの制服のまま脱走。接客業としてはともかく、逃げ足なら日本一だった。
ジュンは「四季の路」の木陰で、スミレが店から持ち出した自分の服に着替える。モッズコートにカーゴパンツとゆう、いつものミリタリー系。
スミレが尋ねる。「お姉ちゃんってスカート持ってたっけ?」
「いや、学校の制服だけ。あたしファッションに全然興味なくてさ」
「知ってる」
ジュンが服を買うのは、高田馬場のユニクロかネット通販だけ。
ジュンが言う。「自分で言うのもなんだけど、ダサいよね」
「そんなことないよ。ミリタリールックは似合うと思う。でも……」
「でも?」
「本物の軍人に見える。銃とか持ってそう」
「くやしいけど、実際手裏剣持ってるから言い返せない」
スミレは青のニットワンピの下に、赤のタイツを穿く、ファッション雑誌から飛び出してきた様なスタイル。
スミレが言う。「じゃあ伊勢丹行こっか」
「伊勢丹!? こんな服で行ったら殺される」
「普通のデパートだよ」
「スミレ、買ってきて。あたしは紀伊國屋で漫画探してるから」
「はああ」スミレが嘆息する。「お姉ちゃんは二十五歳の男性から、中学生として見られたいの? それとも一人の女性として?」
「じょ、女性として」
「だったら人一倍努力しなきゃ」
「正論だ。さすが神童」
「どういたしまして。行くよ」
ジュンは三歳下の従妹に手を引かれ、ふたたび靖国通りへ出た。
伊勢丹本館二階を徘徊するジュンをカモと見なし、さっそく黒服の女店員が間合いを詰める。
ジュンは従妹の陰に隠れる。
「ひっ、来たっ」
店員が言う。「なにかお探しですかあ?」
「そうですねえ」スミレが答える。「春物のワンピとか見たいんですけど。姉が」
「ごきょうだいですか」
「はい! ひさびさのデートなんです」
「仲が良くてうらやましい」
「えへへ」
スミレと店員のなごやかな会話を、ジュンは傍観する。
「知らない大人と友達みたく話してる……」
売り場から服を掻き集めたスミレが言う。
「ほら、お姉ちゃん試着! ぼさっとしてないで。女の子のお買い物は戦いなんだよ!」
試着室に籠もったきり物音一つ立てないジュンに業を煮やし、スミレはカーテンを開けようとするが、内側から怪力で抵抗される。
スミレが言う。「お姉ちゃん! 着替えるのに何分かかるの!?」
「あと少し……」
「もう、開けるからね!」
白のレースワンピースを着たジュンが、色白の頬を赤らめ、そこにいた。短い裾を押さえている。
「かわいい!」スミレが叫ぶ。「お姉ちゃん、超似合ってるよ」
「全然似合わない……あたし足太すぎ」
発達したふくらはぎの筋肉は、格闘におけるジュンの機動力の源泉だが、容姿における劣等感の主因だった。
スミレが言う。「足もキレイだってば」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、やっぱ変だよ。こんなのあたしじゃない。それに二万円とか無理だし。デートはいつもの服で行く」
「もっと自信持たなきゃ。そうだ、お母さんにも見せよう。写メ撮るよ」
「やめろッ!」
動顛したジュンは、スミレのアイフォンをはたき落とす。
スミレはそれを拾い、微笑を浮かべて言う。
「ちょっと待っててね」
持ってきたのはデニムパンツだった。
「これ下に合わせてみて」スミレが言う。「初デートでパンツオンスカートって男ウケ的に微妙だけど、お姉ちゃんらしいかな」
「スミレ……」
「こんなにたくさん服があるんだもん、自分にぴったりのスタイルがきっと見つかるよ」
ジュンは戦利品を提げ、夕焼に溶けてゆく西武新宿駅へ向かって歩く。青山霊園での銃撃戦より疲弊していた。
「あたしは」ジュンが呟く。「ダメなお姉ちゃんだな。妹に頼ってばかりで」
スミレが答える。「私は楽しかったよ。二人きりでお買い物したの初めてだし。お姉ちゃんは楽しくなかった?」
「正直楽しかった。ああゆうお店で試着するのって昂奮する」
「でしょでしょ!」
「あたしも努力すればスミレみたくなれるかな」
「何言ってるの。小さいときから剣術の天才で、誰よりも強いお姉ちゃんは私の憧れだよ」
澄んだ瞳で見つめられ、ジュンの胸は締めつけられる。外見も内面も天使さながらの従妹の好意に応えようと、気持ちを言葉にする。
「もしスミレが悪い奴に襲われたら、あたしが真っ先に駆けつけて守る」
「あっはっは……超ウケる!」
「なんで笑うんだよ。テロとか怖いじゃんか」
結局チャリオットの「ムーン作戦」は、多磨霊園・谷中霊園・雑司ヶ谷霊園の三か所で実行された。青山はあくまで標的のひとつだった。
「そんなことあるわけないよ。でもありがと。お姉ちゃん、世界で一番大好き」
スミレは背伸びして、ジュンの頬に口づけした。
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