『サイバー剣士 暁ジュン』第3章 「カズサ」

登場人物・あらすじ


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 日曜の午前八時。警視庁で用事があるため、ジュンは有楽町線に乗っている。ゲームのしすぎで寝不足の目をしばたく。赤いヘッドフォンで電子音楽を聞きつつリズムをとる。

 永田町駅で乗車した二十代の男を見て、ジュンの瞳はきらめいた。鏑木上総は警視庁公安部に所属する警察官。身長は百七十六センチと高いが、ひどく痩せこけて前髪が長く、服は黒づくめ。警察と言うより詩人か何かに見える。ちなみに父親は鏑木治三郎、現在の東京都知事だ。

 ジュンはヘッドフォンを首にかけ、席を立つ。アイフォンを握りしめる。

「カズくん、おはよう」

「ああ師範、おはようございます」

「道場以外で『師範』はやめて」

 ジュンは昨年引退した祖父の跡を継ぎ、月に一回、警視庁の道場で指導している。もともと祖父を手伝っていたので顔は知られており、古武術の物珍しさもあって、警視庁でもそれなりの評判が定着している。

 そこで出会ったのが、文学青年風の警官のカズサだった。オクテなのか、ジュンが話しかけるたび黒縁眼鏡の下の目が泳ぎ、頬は紅潮するが、そんな繊細さも彼女の好みだ。

 ジュンが言う。「ねえ、ラインとかやってる?」

「一応は」

「じゃあさ……」

 折り悪しく車輛は桜田門に到着、ふたりが下車したところに、髪を逆立てた男が笑顔で近づいてきた。ジュンは軽く舌打ちする。

 ツンツン髪が言う。「若先生、ちぃーっす!」

「こんちわ」ジュンが答える。

「きょう鏑木と対戦するんでしょ。それの相談でもしてたんスか」

「まあね」

「言っとくけど八百長は犯罪ッスから。俺のときと違って、こいつに手加減したら現行犯逮捕ッス」

 ツンツン髪は馬鹿だが、ジュンがカズサにベタ惚れで特別扱いするのに気づいている。いや、カズサ以外は皆知ってるが。

「逮捕できるもんならしてみろよ。また病院送りにするぞ」

「怖えーっ! めっちゃ睨まれた」

 カズサが言う。「俺も八百長は嫌だな。たとえハンデをもらうにせよ、真剣勝負がいい」

 階段を登りながら、カズサがまじまじとジュンを見つめる。異性には淡白だが、正義漢なのだ。ジュンの胸は騒ぐ。

「カズくんのそうゆう真っ直ぐなところ、いいと思う。だからメキメキ上達してる」

「悪いけど、十四歳の女の子に成長を褒められてもなあ」

 子供扱いされたのはともかく、年齢を覚えられていると知ってジュンは感動する。

「東大卒で、仕事ができて、剣道も頑張ってる。二十五歳で巡査部長はすごいって聞いたよ。あたし尊敬してるんだ」

 隣で懸命に笑いをこらえるツンツン髪のみぞおちに、ジュンは肘を捩じ込んだ。

 手摺をつかんで呼吸を整えたツンツン髪が尋ねる。

「で、ルールはいつもと同じッスか」

「うん」ジュンが答える。「二本取ったらあたしの勝ち。一回でもあたしに触れられたら、カズくんの勝ち。触るのは手でも足でもどこでもいい。道場の外で不意打ちしてもOK」

 カズくんに触られるなら、むしろ嬉しい。

「これまで不意打ちしたやつは?」

「いない。警官は頭が固いね」

「反撃が怖いからッスよ……わっ!」

 改札口への階段を登り切ったツンツン髪が、戯れにジュンを突き落とそうとする。

 しかし両手は空を切った。

「見え見えだっちゅうの」

 ツンツン髪の背後に立つジュンが、右手に長財布を持っている。男は慌ててコートのポケットを探る。それは自分の財布だった。

「いつの間に!」

「稽古のあと、また三人でサイゼ行こう。ただしあんたの奢りで」

「うげえ」

 カズサは目を丸くして立ち尽くす。

「完全に消えた。まるで手品だ」

「手品だよ」ジュンが答える。「古武術は目眩ましの技が多いんだ。実戦じゃ無意味だろうね。まあ使う予定もないけど」

「まったく勝てる気がしない」

「うふふ」

 ジュンは財布を返し、上機嫌で改札口を抜ける。

「今回も賭けをしよう」ジュンが続ける。「カズくん、勝ったら何が欲しい?」

「何をもらえるのかな」

「カズくんが欲しくて、あたしがあげられる物ならなんでも」

「雪風流の奥義が見たいと言ったら」

 二秒ほど間が空いた。

「見せたげる」

 じいちゃん、不肖の弟子でゴメン。

「俺が負けたときは」

「あたしとデート」

 ツンツン髪でさえギョッとするほど、大胆な発言だった。カズサは目を伏せて当惑する。

「なんちゃって」ジュンが笑う。「いまの無し。彼女さんとかに怒られるよね」

「いや、その条件飲んだ。弱いけど俺だって警官なんだ。負けないよ」

 男二人が4番出口の階段を登る後ろで、ジュンはガッツポーズを連発する。来た。あたしの時代来た。

 ほころんだ頬を両手で叩く。油断大敵。好事魔多し。月に叢雲花に風。

 絶対勝つ。死んでも勝つ。雪風流宗家のすべての秘術を駆使して勝つ。




 警視庁本部庁舎の剣道場で、防具をつけた約四十名の男女が激しく撃ち合う。

 緑のジャージだけ着ているジュンは、木刀を杖にして仁王立ちしている。竹刀はすぐ壊してしまうので、めったに使わない。

「そこ、踏み込みが甘い! 相手の股に足を突っこむつもりで!」

 ジュンが実演すると爆音が轟く。チャリオットのテロでも起きたかと思われるほど。

 警官の一人が言う。「師範が本気で踏み込むのは禁止ですよ」

「そうだった、ごめん」

 二回床板を割ったジュンに対し、総務部から禁止命令が出ていた。生徒たちは笑う。ジュンはマスコット的存在だった。

 指導する対象は、剣道のプロと呼ぶべき猛者もいるし、普通のお巡りさんもいる。古武術に興味のある者のみ自由参加の、気楽な講習会みたいな時間だ。

 カズサが素振りする姿が目に入る。

「カズくん、すごい! 前より素振りがキレイになってる。毎日稽古してるんだね」

「ああ」

「わかるよ。あ、でも、手首を利かせるともっと速くなるかも。あと日本刀の刃筋を意識するといいよ」

 掛かり稽古を終えたツンツン髪がちゃかしに来る。

「まーた鏑木を贔屓してるんスか」

「見込みのある生徒を教えた方がいいだろ」

 カズサは言われた内容を試すが、手応えがなくて首をひねる。

「手首ってどうやって鍛えればいいんだろう」

 ジュンが答える。「さあ。あたしの手首は生まれつきこうだから」

 ジュンが左手首を右手で曲げると、すべての指が腕に密着する。

 ツンツン髪が叫ぶ。「うわっ、気持ち悪っ」

「あたしはタコより柔らかい女なのだ」

 バレリーナ顔負けの柔軟性で、ジュンは左右に前後に股割りし、のけぞって丸まって見せる。練習の手が止まり、人だかりができた。

 群衆からつぶやきが漏れる。「人間じゃない……」

「誰だよ、いま言ったの」

 同種族なのを疑われたジュンが立ち上がると、別方向の靴脱ぎ場に来客がいるのが目に入る。革ジャンを着た肥満体型の男で、長めの髪に似合わないパーマをかけている。

「くだらねえ。ヨガのレッスンかよ」

 男は甲高い声で毒づき、無遠慮に道場へ入りこむ。彼の名は山下政信。カズサの同僚だ。年齢は三十八歳で、仲間内では「チーフ」と呼ばれる。垂ネームからカズサを識別し声をかける。

「おい鏑木、ウチはこのナントカ流の稽古は参加禁止だと知ってるよな」

「チーフ、すいません」カズサが答える。「これで最後にするんで、きょうの稽古は受けさせてください」

「いいから帰り支度しろ」

 カズサは俯いて無言の抵抗をする。公安部の同僚に内緒でジュンの指導を受けるほど、雪風流への関心が強い。

 チーフは早足で歩み寄り、面布団の上からカズサを思い切り殴る。

「てめえ殺すぞ。一分で支度しろ」

 カズサは悔しさを滲ませつつ正座し、籠手を脱いで防具を外し始める。

 ジュンの我慢は限界点を超えた。キレたらカズサに迷惑がかかると思い黙ってたが、目の前の横暴は見過ごせるレベルではない。デートの約束とか、もはやどうでもいい。

「そこのデブ」ジュンが言う。「十秒で道場から出て行け」

「あ? 俺に言ってんのか」

「ここにデブはお前しかいねえよ」

「クソガキが。犯すぞ」

「あと五秒。出て行かないなら叩きのめす」

「なんだマル精か」

「わかった。試合の準備をしろ」

 ツンツン髪がジュンの腕をつかみ、道場の隅に引っ張ってから耳打ちする。

「相手が悪いッス。山下さんは五段で、全日本で優勝までした人だ」

「知るか」ジュンが吐き捨てる。

 作法通りに素早く防具をつける手際を見て、チーフが高段者だとジュンは気づいていた。ただのチンピラじゃない。ジュンが短気なのを事前に調べた上で、挑発した様に思える。

 でも、なんのために。じいちゃんの件と関係あるのか。もしそうなら、なおのこと後へ退けない。

 ジュンはジャージの上着を脱ぎ、黒のTシャツ一枚の姿となり、竹刀を提げて中央へ向かう。カズサと束の間目が合う。デート、したかったな。

「おいおい」チーフが笑う。「死ぬ気かよ」

「うら若い乙女が、あんな臭えもん身につけられるか」

「防具をつけろ、クソガキ」

「契約書に、稽古で起きた事故はあたしの責任と記してある。ビビってるなら帰れ」

「いい度胸だ。それだけは認めてやる」

 チーフのあばた面に残忍な笑みが浮かぶ。ジュンを殺す権利を与えられ喜んでいる。

 生徒たちは想定外の成り行きに、介入すべきタイミングを見出だせなかった。もう誰も止められない。

 試合開始。

 ジュンの足は、床板に根を張った様に動かない。しかし踵は浮いており、虎の様に獲物を狙う。

 チーフが叫ぶ。「来い!」

 やけに彼は苛立っている。ジュンの剣風が攻撃的なのを調査していた證拠だ。

 蛇の様に滑らかで鋭い打突が、ジュンを襲う。上下左右、目まぐるしく喰らいつく。ジュンの竹刀を払い、巻き落とし、隙を窺う。チーフは太っているが敏捷だ。

 その勢いに合わせ、ジュンは電光石火の踏み込みと同時に、コンパクトに振り抜く。竹刀がチーフの面で高らかな打突音を鳴らすが、判定は無効。

 ジュンの得意の足捌きが加速する。円を描きながら舞い、直線的に迫る。十四歳のTシャツの少女に、全国制覇者は翻弄されていた。

 観戦者たちが唸る。「速すぎて目で追えない」

「山下さんの手が止まった」

「古武術は五段にも通用するのか」

 これらの批評は、チーフの自尊心を傷つけた。

「メスガキが!」

 チーフは鍔迫り合いでジュンを突き飛ばしたとき、かすかに足を引っ掛ける。

 ギャラリーには感づいた者もいる。

「汚え」カズサが呟く。

 後退するジュンの左膝が曲がり、転びかける。チーフは起死回生の一撃を狙い斬り込む。

 雪風流【浮舟】。

 それは誘いだった。チーフの竹刀が斬るべき対象は、虚空しかない。

 死角からジュンが、脳天から爪先まで一刀両断。いやそれは錯覚で、頭蓋骨の中で激しく震動したチーフの脳は、身体のコントロールを放棄する。巨体が音を立てて沈む。

 観戦者が叫ぶ。「うおっ」

「マジか」

「強いのは知ってたが、これほどとは」

 折れた竹刀を持つジュンは警戒を怠らない。礼儀作法にこだわらない雪風流だが、残心だけは祖父に厳しく仕込まれた。それは過酷な戦場を生き延びた、元亀天正の兵たちの知恵だった。

 チーフが咆哮しながら、竹刀を拾わずに突進。さすがに意表をつかれたジュンは、倍の体重の男に組み敷かれる。不快な体臭が鼻をつく。チーフは籠手でジュンの頭を打擲。狂暴な殺意の虜となっている。

 ジュンは左腕で防禦しつつ、右手をのばして竹刀の破片をつかむ。それをナイフの様に面金の隙間へ突き刺す。

「ぐおっ」チーフが叫ぶ。

 それでも打擲は止まない。観戦者が束になり両者を引き離した。

 羽交い締めにされたジュンが叫ぶ。

「放せ、あいつをぶっ殺す!」




 一時間後。流血の惨劇が演じられた道場は掃除され、元通りとなっていた。荒くれ者が多い職場なだけあり、乱闘程度では問題視されない。

 壁に背をもたせて座るジュンが、水筒の水を飲んでいる。頬に痣がうかぶ。

 カズサとツンツン髪が両脇に立つ。ほかに人影はない。

「ふう」ジュンが息を吐く。

 カズサが言う。「激戦だったね」

「うん、たのしかった! ひさしぶりに強い相手と立ち合ったよ」

「てっきりまだ怒ってるのかと。チーフは反則技まで使ったから」

「あれくらい雪風流じゃ普通」

 カズサとツンツン髪は、顔を見合わせ苦笑する。自分たちとは別次元に属する天才児と考えるしかない。

「とにかくありがとう」カズサが言う。「俺のために戦ってくれたんだろう?」

「力は人を悪に近づけるって、じいちゃんがよく言ってる。だから常に困ってる人のため使えと」

 ましてや、それが好きな人なら。ジュンは、立っているカズサの腰に頭をもたせ掛ける。

「その若さで流派を背負うなんて重荷だろうに、君はそう感じさせない」

「別に背負ってないもん。今は道場もないし。お父さんが有名人のカズくんの方がプレッシャーきついでしょ」

 カズサの細面に皮肉な笑みが浮かぶ。

「人生の悲劇の第一幕は、親子となったことに始まっている」

「なにそれ」

「芥川龍之介の有名な言葉さ」

 東大仏文科卒らしい衒学趣味が、ジュンの心をますます奪う。彼女自身は漫画しか読まないが。

 ツンツン髪が口を挟む。

「ところでお二人さん、デートの件はどうなったんスか」

 ナイスアシスト。ジュンはツンツン髪にウインクした。

 カズサは赤面して頭を掻く。断れる状況ではない。

「君の勝ちだ」カズサが言う。「好きなところへ一日つきあうよ」

「無理しないで」

「いや、じっくり話をしたいと思ってたんだ」

「うれしい」

「でも奥義について少しは知りたい。どんな技なのかとか」

「その質問は、女子に体重を聞くくらいありえないね」

「比喩がわかりやすくて助かる。ああ、緊急連絡が入った。じゃあ師範、また今度」

「うん、またね」

 召集がかかったらしく、カズサは駆け出した。全力疾走なのが、ことの重大さを物語る。

「テロ絡みかな」ジュンが言う。

 ツンツン髪が答える。「怖いッスねえ」

「あんたは行かなくていいの」

「俺は交番勤務ッスから。頼れる街のお巡りさんッス」

「あっそ。カズくんは職場でどうなの。イジメられてないか心配」

「俺は同期だけど全然知らないんスよ。でもインターネット関係らしいッス。鏑木はパソコンに詳しいから」

「公安9課みたいなやつ?」

「どうせ児童ポルノの摘発とかッスよ。警察にカッコイイ仕事なんてありゃしません」

「実感こもってるね」

 水筒が空になった。ジュンは疲れた体を動かして立つ。

 悪くない一日だが、カズサの同僚が祖父を探っている気配は気になる。すぐ調べないと。

 ツンツン髪が尋ねる。「これからどうします? ふたりでサイゼリヤ行きますか」

「いや、帰るけど」

「そう言うと思いましたよ」




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