平山優『真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実』

信州上田合戦図(上田市立博物館蔵)

 

 

真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実

 

著者:平山優

発行:KADOKAWA 2015年

レーベル:角川選書

 

 

 

『長篠合戦と武田勝頼』『検証 長篠合戦』で「信長中心史観」を粉砕した著者が、

14か月かけて資料を読み、昌幸・信繁の真田父子の像を炙りだして、

こんどは「家康中心史観」に挑む書物。

 

昌幸は、徳川、上杉両氏の力を利用し、

労せずして上田城という要塞を手にいれたことになる。

まさに謀略家真田昌幸の面目躍如であった。

 

天正壬午の乱と二度の上田合戦をへた信州周辺の、

錯綜する力関係の糸をとくほぐす昌幸の智謀が印象ぶかい。

しかし、

 

いずれにせよ、第二次上田合戦における真田父子の勝利とは、

徳川方の作戦変更による攻撃続行中止の結果であり、

もっといえば転がり込んできた結果的な勝利と

みた方が実態に近いのかもしれない。

 

とある様に、「偶然の結果」を「個人の能力」に帰する慾望を抑制するあたり、

ノッてる歴史研究者のすごみも感じさせる。

 

そして快刀乱麻を断つがごとく、通説俗説を斬り捨てる。

「家康打倒の秘策の伝授」は109ページ、「犬伏の別れ」は117ページ、

「方広寺の『国家安康』の銘文」は163ページで否定される。

本書を読んだあと、卑劣な詐術により秀頼を追い詰めた、

「悪玉としての家康」を脳裏に描くのは不可能だ。

 

 

大坂夏の陣布陣図

 

 

大阪冬の陣での和睦成立後の「堀の埋め立て」は、豊臣方も望んでいた。

お堀さえなくなれば、勝ち目は薄いとみなした牢人たちが城を離れ、

厄介払いになると同時に、徳川方との和睦条件を守れると見越した。

だが目論見は外れ、再就職先の当てのない牢人は大阪城に留まる。

 

夏の陣では、信繁に本陣へ斬り込まれ、家康は切腹も考えたと言う。

逆転は、秀頼が大野治長を呼び寄せたのがきっかけ。

21歳の若さは言い訳になるけれども、その矛盾した行動、

味方の対立を放置した消極性、最後の判断ミス、

司令官の力量の差が豊臣家の滅亡をまねいた。

 

真田丸の戦いの直後、信繁は家康からの調略にあっているが、

節を全うし名を汚さなかったのは、煮え湯を飲まされる父を見てきたから。

 

つまり豊臣氏は、自らの問題で牢人問題を生み出し、戦時に彼らに依存し、

最後は彼らをコントロールできずもとろも道連れにされたといえる。

そうした中で、信繁は自身も牢人問題の当事者であるがゆえに、

豊臣氏存続の最後の手段として、夏の陣での野戦で、

徳川家康を討ち取るしかないと思い定め、あと一歩というところで戦死した。

 

著者は歴史から、芝居がかったエピソードや英雄崇拝を排除する。

そして、ヒーローなき世界のアンチヒーローを克明に描き、

ない袖を振りながら戦った男たちの時代の、

ある種の通史を、上掲2書と本書で完成させた。






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テーマ : 歴史
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