小説19 「7月20日事件」

『わーるど・うぉー!! かれらの最高のとき』


登場人物・あらすじ・用語集


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 軍服に身を包むエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥が、高台から阿賀野川にかかる橋を一望する。前夜のサスーリカ軍の空挺作戦は撃退した。次はどこから渡河するつもりか。それとも、こちらから仕掛けるべきか。

 彼は疲弊した三十二個師団で、七百キロに及ぶ戦線を維持している。時間を稼ぎ、敵に出血を強い、講話の糸口を探る。総統エイダ・ヒトラーにその気があればの話だが。

 艶やかな黒髪をアップにした、十六歳のクララ・フォン・シュタウフェンベルク大佐が足早に歩み寄る。予備軍参謀長を務めており、新編成について打ち合わせに来た。参謀タイプだが勇敢な指揮官でもあり、アイゼン軍の次世代のエースと目される。

「元帥閣下、敬礼を省略することをお許しください」

「かまわん。遠路はるばる御苦労」

 シュタウフェンベルク大佐は、戦傷を負い右手・左の二本の指・左目を失った。だが黒い眼帯を着ける姿は凛々しく、美貌はいささかも損なわれてない。

 クララが言う。「昨晩は渡河作戦を見事に阻止されたそうで」

「陽動だろう。いや、兵力に優る敵軍は、結果的に失敗を陽動作戦に変えてしまう」

「元帥の将才をもってしても厳しいですか」

「いや、別に」

 銀髪の狼はきょとんとする。自分が戦略面で誰かに遅れを取るとゆう発想がない。どんな戦局でも挽回可能と信じている。

 エーリッヒの副官であるシュタールベルク中尉が来たのを見計らい、クララが切り出す。

「マンシュタイン元帥に、折り入って御相談があります」

「聞こう」

「エイダ・ヒトラーへの措置についてです」

「……なんだと?」

 エーリッヒは虚を突かれる。副官が横目で顔色を伺う。国防軍がエイダの介入を嫌っているのは確かだが、大胆で不遜な発言だった。

 クララは畳み掛ける。「国家と民族の危機において、一政治家ごときを恐れる必要がありましょうか」

 エーリッヒは、黒髪の大佐が脇に抱えるアルミのアタッシュケースが気に掛かる。ひょっとして中身は不穏なものではないか。

「君ほどの軍人が、忠誠心を軽んじるとは驚きだ」

「傲慢に聞こえたら謝りますが、国家に対する忠誠は元帥に劣らないと自負しております。私の同志たちも同じく」

「叛乱に加担しろと言うのか」

「拙劣な作戦指導と、【ヴァンピーア】に対する非人道的行為の全責任は、ヒトラーにあります。本人がそれを認めないなら、強制的に退場させるしかない。元帥には再建後の軍をお任せしたい」

 クララの右目の光が、エーリッヒの乱れる心を貫く。全軍の指揮権は、彼が切望するものだ。

「し、しかし、ヒムラーやゲーリングがどう出るか。権力の空白はアイゼンを弱体化させる」

「取るに足らぬ連中です。国防軍が一致団結してさえいれば」

 エーリッヒの理性はとっくに黒髪の大佐に説得されていた。だが、決心できない。恋人を、いや恋人だった女を、暗殺してよいものか?

「ダメだ……大佐、それはダメだ。アイゼン軍人は謀叛など起こさぬ」

「軍人だからこそ、国家のため御決断を!」

「僭越であろう! 君に軍人の何たるかを説教される謂われはない。シュタールベルク、他方面はどうなった。報告しろ」

「元帥!」黒髪の少女は怒気を発する。

「シュタウフェンベルク大佐、君は優秀な将校だ。その才能は前線で、敵軍に対し発揮するといい」




 信州北部にあるヴォルフスシャンツェは、「狼の砦」を意味する指揮所で、エーリッヒに恋い焦がれていた頃のエイダが命名した。説得が不首尾に終わったクララが、会議に出席するため到着。

 真の目的は、エイダの暗殺だが。

 厳重なボディチェックを受け、アタッシュケースを取り上げられる。想定の範囲内。

 会議室には二十数名の高官が詰める。屈強な護衛がエイダの両脇を固める。素手での攻撃は無益だ。入室したクララに、エイダがウィンクする。負傷して以来、気遣いを見せていた。

「……そうだ、ヴェンクがいる! 第十二軍を向かわせろ!」

 エイダは拳を振り上げ絶叫するが、将帥たちは冷や汗をかきつつ互いに目配せする。そんな部隊は実質的に消滅していたから。

 クララは内心で嘲笑する。やれ元帥だ上級大将だと肩書だけ立派だが、得意なのはお追従だけで、事実を司令官に伝えることすら出来ない。

 憤慨するエイダはテーブルを蹴飛ばし、護衛を連れて控室に入った。ソファに身を投げ出し悪態をつく。

「覇気のない老人ども! 全員クビだ!」

 クララも続いて入室。「同感です。タバコ臭いのも嫌だなあ」

「そうなんだよ! クララは吸わないのか?」

 エイダの嫌煙家ぶりは有名で、面前で吸う者はいないが、微かな臭いだけでも不快がる。

「全然吸いません。あとあの部屋、汗臭いですね。我々女子が男所帯で働くのって大変」

「わかるわかる」エイダは自分の腋を嗅ぐ。「なあ、あたいも臭ってないか?」

「大丈夫です。でも今日は暑いですからね」

「うーん、一風呂浴びるか」




 ナデシコ滞在時にお風呂文化に感銘を受け、エイダは各地に大浴場を作らせた。クララの後ろに座り、両手の不自由な彼女のため背中を流す。

 エイダはクララの三本指を握る。「……苦労をかけたな」

「国家のためなら惜しくありません。むしろ名誉です」

「まあクララなら、指なんかなくてもモテるだろ。おっぱいも大きいし」

 スポンジが正面へ回り、クララは身悶えする。

「それは……わかりかねますが」

「髪もキレイだ。あたいの親友に負けてない。洗ってやるから、髪留めを外すぞ?」

 クララは動揺する。「えっ、結構です! 今朝洗髪したばかりなので」

「遠慮すんなって。それとも、こんなオモチャであたいを殺せるとでも?」

 金色の髪留めは、裏側が鋭利な刃物だった。エイダは湯船へ投げ捨てる。

 万事休す。クララは観念した。

「情報漏れか? いや、そんなはずない……」

「全世界を敵に回した人間は、独特の嗅覚が働くのさ」

 クララが振り向き、ふたりの少女が素っ裸で対峙する。

「見上げた根性ではある」エイダは嘆息。「叛逆の罪は許そう。またあたいに仕えてくれないか?」

「……同志は裏切れない」

 予備軍を動員する「ワルキューレ作戦」がすでに発動。ベック退役上級大将を首謀者とするクーデターは、未遂に終わると運命づけられていた。

「共謀者は裁判にかけて銃殺刑だ。一族郎党皆殺しにする。でもクララ、お前は事件に無関係な事故死扱いにしてやってもいい」

「私はあなたの暗殺を図った叛逆者だ。そう歴史に名を残すのを望む」

「そうか」

 金髪の少女は、獰猛な本能を剥き出しにして襲いかかる。




 丸眼鏡をかけ、中学教師風の冴えない容姿のハインリッヒ・ヒムラー親衛隊全国指導者が、長野の総統官邸で吠える。前線から呼びつけたエーリッヒを糾弾。名声において自分を凌ぐ智将の失脚に昂奮していた。

 エイダは苦虫を噛み潰している。

「ヒムラー、もういい。ちょっと外してくれ」

 叛乱罪を問われるエーリッヒは沈黙。ヒムラーのごとき雑魚と対等に議論するなど、彼のプライドが許さない。ようやくエイダに向かい口を開く。

「アディ、私を犯罪者の様に扱うのはやめろ」

「うるさい」

「まさかお前まで疑うのか? 副官を呼んでくれ。彼が潔白を證明してくれる」

「黙れ! これ以上あたいをミジメにするな!」

 大量の涙がマホガニーの机に水溜りを作る。辯解の余地なしと、鈍感なエーリッヒも悟った。

「この先だれが戦略を立てるんだ。お前には私が必要だ」

「アイゼンに裏切り者の居場所はない! 兄者、【シュトック】を出せ」

 銀髪の青年は、妹分に命じられるまま端末を机に置く。軍人の家に生まれ、可能な限り政治から身を遠ざけてきた男が、政治的に失墜した。

「エーリッヒ・フォン・マンシュタイン。汝は本日をもって、アイゼンの全官職から無期限で追放される。以上だ」

 エーリッヒは無言で退室。エイダはカーキ色のジャケットの袖で涙を拭う。

 クララは最期まで真っ直ぐだった。それに比べてなんだよ、兄者のやつ。カッコ悪すぎるじゃんよ。あたいに男を見る目がなかったんだな。

 世界を手に入れかけたはずなのに、すべて失った。でもあたいは絶望しない。

 あたいの物語はこれから始まる。




 のちにエーリッヒ・フォン・マンシュタインは、予備役として終戦を迎える。戦争犯罪に関して軍事法廷で有罪判決を下されるが、連合国は彼に好意的であり、刑期途中で釈放される。回顧録『失われた勝利』を出版するなど、その後半生は暗いものではない。

 しかし歴史家は、彼の自己辯護を批判的に検證し、アイゼンの戦争犯罪に少なからず関与していたと暴くのだった。




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