小説17 「スターリングラード」

『わーるど・うぉー!! かれらの最高のとき』


登場人物・あらすじ・用語集


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 かつて仙台と呼ばれたその都市は、革命家の偉業を讃え「スターリングラード」に改称された。だが、うつくしい「杜の都」の面影は跡形もなく、痛ましい廃墟と化している。

 砲撃で半分倒壊した団地を、ネズミの群れが走り回る。最近は人間の屍体にありつけるので、ますます活発だった。男たちが無言で鍋を囲んでいる。煮ているのは革のベルト。溶かせばゼラチンとなり食べられる。ズボンを穿くとき困るが、彼らは餓死を先延ばしするのを選んだ。

 団地から、不自然な勢いで子供の数が減っている。住人は噂する。女ピアニストの部屋に、小さな人骨が積まれるのを見たとか。だが敢えて確かめるものはいない。生きるため何でもするのはお互い様だから。

 最上階にふたりの軍人がいた。紅茶を飲むのがユリア・スターリン。カーテンの隙間から、狙撃銃型のモシン・ナガンのスコープを覗くのが、ヴァレーリヤ・ザイツェフ。色素をほとんど持たない十六歳の少女で、つややかな金髪はプラチナ色に輝く。ライフルはガイスト強化されている。

 噴水のある広場にアイゼン国防軍の歩兵中隊が集合していたが、指揮官による通達を終え解散する。

 ユリアが沈黙を破る。「撃たないのね」

「あれは下っ端……弾が勿体ない……」

 ヴァレーリヤの声は、ほとんど聞き取れないほどか細い。

 太った国防軍少将が、酒でも入ってるのか陽気に叫びながらベンチに座る。サスーリカ人らしい連れの女の肩に手を回す。愛人だろうか。

 買ったばかりの美女の顔を見ようとした刹那、少将の右目は七・六二ミリ弾で撃ち抜かれた。

「ハラショー」ユリアが口笛を吹く。「これで二二四人め」

 血塗られたベンチに残された女のパニック状態は、装填に要する二秒間だけ続いた。

 苦笑するユリア。「ありゃりゃ、同胞まで殺すの」

「売女は……死ぬべき……」

 狙撃手は小声でつぶやき、無表情のまま手早く備品を回収。

 撃たれた女の、食うため体を売るしかない窮境を理解できるが、ユリアは射手を批判しない。ヴァレーリヤは、敵味方問わず畏怖される英雄だった。




 党書記長と伝説の狙撃兵は、アイゼン軍に居場所を察知されずに脱出した。

 ヴァレーリヤが慣れた手つきでマンホールの蓋を外し、下水道へ降りてゆく。

 ユリアは珍しく狼狽。

「ちょっと、あたしは置き去り!?」

 狙撃兵は顔だけ出す。「ついて来るなら……守る……」

「嫌よ、こんな不潔なところ! それに昨日、火炎放射器で焼かれたそうじゃない」

「だから行く……敵は二日連続でやらない……」

 ヴァレーリヤの頭は消え、穴から軽快な梯子の音が響く。ユリアは悪態をついて追従、ネズミを踏みつけながら真っ暗な下水道を抜ける。一時間ほどして外へ出ると、そこは郊外の化学工場だった。

 ヴァレーリヤは身を屈め、暗い森へ踏み入る。そこは敵の支配地域だった。雪をつかんで口に含む。同伴者にも勧める。

 ユリアは眉を顰める。「汚いわね。お腹こわすわよ」

「息が……白くならない……」

 ヴァレーリヤ率いる狙撃チームは、六人掛かりで監視を続け、ついにアイゼン軍の高級幹部が隠れ家にする森の開豁部を発見した。

 双眼鏡を覗くユリアは息を呑む。エイダ・ヒトラーとエーリッヒ・フォン・マンシュタインが、ふたりきりで逢引きしている。

「でかしたわ! 将軍にしてあげる!」

「うるさい……邪魔……」

「なによ、褒美が欲しくないの?」

「故郷の山に、家を買ってくれたらそれでいい……家族と一緒に住む……」

「無慾なのね」

 狙われてるとも知らず、八重歯を見せて無邪気に冗談を飛ばすエイダを抱きしめ、エーリッヒが激しく口づけする。ユリアは舌打ちするが、ヴァレーリヤは無反応。

「いまなら百パーセント殺せる……両方ともやる……?」

「マンシュタイン君は生かして。いや、子猫ちゃんが嘆き悲しむ姿も見たいかな。好きにしていいわ。最終的に子猫ちゃんが死ぬなら何でも」

「わかった……」

 ヴァレーリヤは引き金にかけた指に力をこめる。




 エーリッヒが耳元で囁く。「愛してる」

「あたいこそ」エイダは夢中で唇を求める。

「アディ、私を信頼してるか?」

「うん」

「なら私に全予備兵力をよこせ」

 十七歳の少女は恋人を突き放す。

「卑怯だぞ、こんなときに!」

「お前を思ってのことだ」

「『雷鳴作戦』は読んだ。スターリングラードを放棄する気らしいな」

「一時的に撤退し、時間を稼ぐだけだ」

「ダメだ、この都市は譲れない!」

 空爆と砲撃が大地を揺らす。サスーリカお得意の縦深攻撃だ。戦力を小出しにする波状攻撃が延々と押し寄せる。破っても破っても、新たな敵が現れる。まるでマトリョーシカ人形みたいに。

 市街戦を続けるパウルス上級大将の第六軍は、完全に包囲され孤立。エーリッヒの立てた作戦は、スターリングラードを脱出したパウルスと合流するものだが、補給不足の第六軍にその余力があるかどうか怪しい。

 エイダの直感とエーリッヒの理論、どちらが正しいのか。

 険悪な表情で恋人を睨むエイダは、エーリッヒの顔がいつになくスッキリしてるのに気づく。

「兄者、今日はキレイに髯を剃ってるな」

「ん? よくわからんが」

「こう見ると、やっぱ男前だな。ほかに女でもできたか?」

「何を言ってるんだお前は……うわっ」

 殺気を感じた少女がいきなり飛びつき、銀髪の青年を押し倒す。銃弾は積雪に吸いこまれ、銃声が森に広がる。

「狙撃だ!」

 エイダは横転しながら、光の戦鎚「ティーガー」を起動。この新兵器の威力を恐れるがゆえ、スターリンは狙撃兵に頼った。エーリッヒは膝をつき「パンター」を操作するが、星球を振り回すフレイルの形にならない。

 銃撃を三度防ぎつつエイダが叫ぶ。「兄者、何してる!?」

「故障だ。どうやらネズミに齧られた」

「だからあれほど毎日起動しろと……ガイスト鉱をケチりすぎなんだ」

 狙いすました五発めの銃弾は、不可視の防壁を突き破り、銀髪の青年を襲う。苦しげな呻き声を漏らしエーリッヒは倒れた。

 エイダは恋人を木立の中へ引き摺る。フィールドグレーのズボンが赤く染まっていた。青年はじっと自分の股間を見つめる。

「兄者!」エイダが叫ぶ。「そんな重傷じゃない。はやく立て!」

「やられたかどうか見てくれ……」

「出血も大したことない。歩けるだろ!」

「たのむ」

 言わんとすることをエイダは悟る。男性機能を失ったかどうかが心配なのだ。逃げるより。

「……い、いやだよ。自分で確かめろ」

「アディ」

「馬鹿ッ! そ、そんなモノなくたって一生愛してやるにゃあ!」




 二〇四三年一月三一日、フリードリヒ・パウルス元帥(前日に昇進)がサスーリカ軍に降伏。九万六千人の将兵がそれに続いた。

 民間人の死者は四万に及んだと言われる。




 越後の総統大本営にある指揮所で、エーリッヒは地図上の兵棋を動かす。上機嫌に見えるのは、男性自身が無傷と判明したからでもあり、東部戦線が敗色濃厚になったからでもある。

 彼の様な戦略家は、不利な局面の方がやりがいを感じる。あちこちの戦線から兵力を掻き集め、再編成し、作戦の重心を移動させることで主導権を奪い返す。

 これほどの知的昂奮、モーツァルトでさえ感じていたかどうか。

「楽しそうだな」エイダが入室。「兄者にとって戦争はスポーツと同じなんだ。ゲームなんだ」

「高度な専門家であるとゆう意味で、私とプロスポーツ選手に共通点はある」

「どうしてそう可愛気がないんだろ。あたいがいなけりゃ、兄者に恋人は絶対できないよ」

「そうだな」

 ふたりは唇を重ねる。そのキスは、徐々に苦味が混じる様になった。

「あたいが死んだら、兄者はどうする?」

「……考えない訳ではない」

「で?」

「わからない。そうしないために私がいるんだ。逆に聞くが、お前はどうして欲しい?」

「後を追ってほしい。あたいだったらそうする。国家に誓って」

「…………」

「でも兄者は自殺しないだろう。この戦争には自分の才能が必要とか理由をつけて」

「ひどい言い草だ」

「そのくせ勝つ気がない。引き分けに持ち込もうとしてる。あたいの理想なんて屁とも思ってない。最初から分かってたけど」

「……私は鈍感だから、知らずにお前を傷つけてたかもしれない」

「いいんだ。責めてる訳じゃない。それでも大好きだもん。だけどもう、兄者の前で笑顔じゃいられない。ごめんな」




 七か月ぶりに解放されたスターリングラードに続々と物資が運びこまれる。殺到する市民を落ち着かせるため、軍は発砲せざるを得なかった。捕虜に対する陰惨な暴行もおこなわれる。

 通常の水準の医療も待ち望まれていた。看護婦がある若者の手から包帯を取ると、すべての指がもげて落ちた。凍傷で壊死していた。

 ユリアは天幕の下で、アップルジュースで割ったズブロッカを飲んでいる。テーブルの向かいにもグラスが置かれる。

 相談に来たジューコフ上級大将が、グラスに目をつけた。

「同志、御相伴に与ってもよろしいですかな?」

「触らないで。それは弟のなの」

「こ、これは失礼!」

 最高司令官代理が慌てて敬礼するのを見てユリアは頬笑み、別のグラスにストレートで注ぐ。

「どうぞ、戦勝祝いよ。ジューコフ元帥」

「元帥?」

「昇進は確実でしょ。我が軍も質量ともに充実してきたわね」

「はっ、身に余る光栄です! すべて最高司令官の御指導の賜物かと」

「あたしは見ため以外のお世辞が嫌いなの。覚えておいて。ところで何か用? あなたが持ってくるのは大抵厄介事だけど」

 今回も例に漏れない。反攻に転じたサスーリカ軍のふるまいが、アイゼン領で評判が芳しくない。

 ユリアは空のグラスを置く。「具体的にどんな問題が?」

「抑制を失った一部の兵による犯罪行為が頻発してます」

「要するにレイプでしょ」司令官は鼻で笑う。「子供から老婆まで、片っ端から犯してると聞くわ」

「監督不行届の責任を痛感しております。よってここは、同志の御威光をお借りしまして……」

「嫌われ役を押しつけようって腹ね。お断りよ。あたしに怒りの矛先が向かうに決まってる」

「しかし、戦後の占領政策も考えますと……」

「同情はする。逮捕された革命家が、どんな扱いを受けたか知ってる? 汚い独房で、警察の豚どもに何週間も輪姦されたわ」

 沈黙しか返ってこない。

「でもあの屈辱なんて、ヤーコフを亡くした痛みと比べたら、ネズミに齧られた程度よ。正直、どうでもいい」

「同志……」

「あなたは長野に一番乗りする戦略だけ考えて。急がないと西からアイツがやってくる」

「アイツとは? ビッグベンもリバティアも、まだ大攻勢に出る気配はありませんが」

「……ふぅ。もういい。下がりなさい」

 ユリアは司令官代理を追い払う。ジューコフは優秀な軍人だが、政治はわからない。

 リバティア大統領フランクリン・ルーズベルトは、自分と同種の人間と思っていた。目標達成のため、表も裏もあらゆる策を講ずる男だ。漁夫の利を狙い、必ず果実をもぎ取りに来る。

 でも、そうはさせない。世界はあたしのものにする。それがヤーシャとの約束だから。

 モシン・ナガンを背負う、プラチナ色の髪のヴァレーリヤ・ザイツェフが、天幕の外をとぼとぼ歩くのを見つけた。目が合うと、ニコリともせず会釈。ユリアはグラスを上げて応えた。伝説の狙撃兵は、そのまま人混みの中へ消える。

 ああ、あのコ家が欲しいんだっけ。秘書に言っとかなきゃ。ヤーシャ、あなたがいれば、あれもこれも勝手にやってくれたろうに。




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