小説11 「ハル・ノート」

『わーるど・うぉー!! かれらの最高のとき』


登場人物・あらすじ・用語集


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 ホワイトハウス三階の室内プールで泳ぐのが、フランクリン・ルーズベルトの日課だ。障碍があるからこそ一層、猛烈に体を鍛える。ボクシングのヘビー級王者ジャック・デンプシーに肉体美を褒められたのが自慢だった。

 黒衣のドロシー・マッカーサーは、バスタオルをもって大統領を目で追う。とても下半身不随に見えない速度に舌を巻く。バケモノじみた精力だ。

 国務長官のコーディリア・ハルがあらわれた。ブロンドの髪をショートボブにした二十三歳。白のジャケットを羽織り、ピンクのスカーフを胸に垂らす華やかな装い。

「きゃあ、ドロシー!」開口一番ファッションの話題。「リボンつきのカチューシャかわいい! どこで買ったのぉ?」

「ボクの服はほとんど大統領からいただいたものです」

「ふぅーん」

 コーディリアは、十七歳の黒衣の少女の全身をねめまわし値踏みする。彼女はルーズベルトが築いたハーレムの長で、公式に後継者に指名されてもいた。ルーズベルトが史上初めて三選されたせいで、大統領就任は遠のいているが。

 国務長官はタオルをひったくって走り、大統領がプールから上がるのを手助けする。地上では無能力者にひとしい。

「お疲れさまですぅ、ミスター・プレジデント。逞しい泳ぎに惚れ惚れしちゃう!」

「ありがとう、ディリー」ルーズベルトは横たわって体を拭かせる。「ナデシコとの交渉はどうなった?」

「えへっ、順調ですよぉ。ガイスト鉱を禁輸するって聞いたら、野村大使が目を白黒させちゃって。超ウケたんですけど」

 コーディリアが身をよじる。大統領がフレアスカートごしに尻を撫でたから。

 ドロシーは見て見ぬふりし、胸元の黒いリボンを直す。

 ルーズベルトがドロシーの方を向く。「〈トレーダー〉としてはどう思う?」

「協定案はもっと宥和的であるべきかと。ナデシコの政体は特殊で、反応が予測困難です」

「ミスター・プレジデント」コーディリアはルーズベルトの顔を自分に向ける。「あのコは戦争屋だから、『ミュンヘン会談』の失敗も知らないの。真に受けないでねぇ」

 食い下がるドロシー。「ボクは必ずしもチェンバレンが間違っていたと思いません」

 コーディリアの頬が痙攣。この世にドロシー・マッカーサーほど目障りな女はいない。名将の娘で、ガイスト適合者の養成校〔シコーラ〕を史上最優等の成績で卒業した天才。なにより彫刻みたく端正な美貌が、外見に自信のあるコーディリアにさえ劣等感を抱かせる。

「なんなのよ! 変な服着た女にゴチャゴチャ言われたくないんだけど……ああん、らめぇッ!」

 大統領の右手がスカートの中まで侵入した。

「ドロシーの懸念は正しい」ルーズベルトは指を動かしつつ言う。「まだリバティアの軍備は整っていない。少なくともあと二年必要だ。一方で我々はデモクラシーを守るため、孤立主義を捨てねばならない。暴発しない程度にやつらの頭を小突いてコントロールするんだ」




 更衣室でコーディリアは五つめの水着を試すが、フリルつきのピンクのトップスは体に合わない。

「残念、可愛かったんだけどなぁ。ねぇドロシー、この黒いビキニはあなたに似合うんじゃない?」

 ゴスロリ少女の胸の膨らみは小さいし、それすら「盛ってる」とコーディリアは睨んでいた。水着で大統領の前に並べば勝てる。若さではちょっと負けるが、さらに年下の女をハーレムにいれて対抗馬にすればいい。計画は進行中だ。

 狼狽するドロシー。「ボ、ボクは水泳が苦手で……」

「ん、生理だったぁ? でも泳げなくてもいいじゃん。こうゆうカッコして御奉仕するのがあたしらの仕事でしょぉ」

「ほ、ほんとにダメなんです……ごめんなさい、いまからナデシコへ行ってきます!」

 そばかすの浮かぶ頬を染めたドロシーは、棚にあった外交文書をつかんでプールの外へ飛び出す。全裸のコーディリアは肩をすくめた。

 まだ書きかけだけど、まいっか。邪魔者がいない間に、大統領とイチャイチャしちゃお。




 皇居一の間に、主要閣僚と参謀将校がならぶ。屏風を背に、ヨシヒト天皇が病身をおして座っている。摂政ヒロヒトやエイダの姿もみえる。

 特使をつとめるドロシー・マッカーサーが、外務大臣・東郷茂徳にリバティア政府の提案書を渡す。のちに怒りと後悔を込め「ハル・ノート」と呼ばれる文書だ。ナデシコの高官は説明を聞くうち激昂、総理大臣・東條英機など禿頭を真っ赤にする。

「貴様らは」東條が軍刀に手をかけ叫ぶ。「摂政ヒロヒト殿下を人質に要求するのか!?」

 続いての条件は衝撃的だった。リバティアへの留学に先立ってヒロヒトは性病検査をおこない、その診断書を提出すべし。ルーズベルトの愛人になれとの要求と解釈できる。

 エイダが唸りながら、激しく爪を噛む。あくまでアドバイザーなので自分から発言しないが、いまにもドロシーに飛び掛かりそう。

 当のヒロヒトは胸を張り、微笑に見えなくもない柔和な表情を保っている。

「陛下」父に向かい進言。「わたしはリバティアへ参ります。これは国家の一大事、わたしひとりの犠牲など比較になりません」

 ヨシヒト天皇がかすれ声で言う。「しかし、自分の娘を売るような真似はできない……」

「わたしはリバティアの豊かさをこの目で見ました。国力はおよそ十倍、戦えば勝負になりません。ましてガイスト鉱の九十三パーセントをかの国から輸入しているのですから」

 堪忍袋の緒が切れたエイダが、黒衣を纏うドロシーの首根っこをつかむ。

「同盟国にこんな無理無体を働くなら、アイゼンが黙っちゃいないぞ!」

 ドロシーは手首を押し返す。「ボクはただのメッセンジャーです。感情的にならないでください。それにもし貴国が『黙ってない』なら、ルーズベルト大統領はむしろ歓迎しそうですが」

 青い目のショートパンツ少女と、緑の目のゴスロリ少女が睨みあう。

「ヒロ!」エイダは声を張り上げる。「この文書がどうゆう意味か、ヒロはわかってないんだ」

 ヒロヒトは紫の着物の衿から、懐剣の柄をちらりと見せる。

「これでも皇胤たる身、ナデシコの名を汚しはしません。一刀をもってルーズベルトを斃し、すぐさまこの胸を突いて果てます」

 剣呑な発言に片眉を上げたドロシーと目が合う。昨年夏にリバティアを訪問したときは親しく接したが、再会を祝す空気ではない。

 ヒロヒトは部屋の中央に正座し、両手を揃えて身を屈め最敬礼する。

「父上、どうか御決断を!」




 三時間後、ヒロヒトは滂沱しながら退室。精も根も尽きはて、エイダに抱きかかえられる。十一歳の娘には酷な状況だった。

「ああ、情けない!」嗚咽混じりに嘆く。「明治帝は毅然とした名君でいらしたけど、父上は……。それとも男とゆう生き物は、皆ああなの……」

「大丈夫だ」エイダが肩を擦る。「アイゼンが極力応援する。とにかくナデシコは時間を稼げ」

「エイダちゃん、男って例外なく意地汚くて卑しい生き物なの?」

「なあヒロ、しっかりしろ。あたいはこれ以上出発を遅らせられない」

「わたしは神に誓って、殿方を一生近づけない……」

 エイダは思い切って唇を、親友の唇に重ねた。エーリッヒのため取っておいたファーストキスだが、この際やむを得ない。

 ヒロヒトは口元を手でおさえ目を見開く。

「エ……エイダちゃん、なにを!?」

「ようやく目が覚めたか、お姫様。じゃあ、あたいは行くからな。毎日電話しろよ!」

 エイダは右手で受話器をもつ仕草をし、左の親指を立てる。約束どおり、ふたりは笑顔で別れた。




 翌朝ヒロヒトは、東條に連れられ父の寝室をおとづれた。息をしていない。首吊り自殺だった。

 悲しみに胸を貫かれたが、それ以上に「逃げられた」とゆう失望感が強い。遺書すらない。

「姫様」東條が囁く。「まことに遺憾ながら、式の準備をせねばなりません」

「式? ああ、葬儀のことですね。この大変な時期に御苦労をかけます」

「ちがいます、即位の礼です。あなたが天皇陛下におなりあそばすのですぞ」

 全宇宙の重力が、彼女の背中に集まるのを感じた。呼吸がとまり、卒倒しかける。ヒロヒトは「西方電撃戦」で震えていたエイダを思い出し、己を奮い立たす。

 だれだって怖い。だからわたしにだって、できるはず。

「いまは非常事態です」今上天皇がほほ笑む。「式典などは後回しでよろしい」

「しかし……」

「事ここに至れば是非もなし。爺、横須賀へ向かいましょう。鬼畜リバティアに痛撃をくわえ、ナデシコの意地を世界に知らしめるのです」




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