小説7 「バトル・オブ・ビッグベン」
『わーるど・うぉー!! かれらの最高のとき』
七月十日の朝、下関基地でエイダとエーリッヒが密着。頬を染めた妹分に指輪をはめる。
指先から炎を放射する力をもつ「メッサーシュミットBf109」だ。
「兄者」エイダの心臓は張り裂けそう。「チャーチルを逃がしたこと、まだ怒ってるか? あたいのせいで結局〈トレード〉は終わらなかった。あのとき言うことを聞いてれば……」
「お前なりに国を思っての判断だろう」エーリッヒは間近から見返す。「私は最終的にそれに従う。我々の意志がひとつなら、決して負けない」
「思ってるのは国だけじゃないにゃあ」
エイダは細身をエーリッヒの胸に預ける。ぎこちなく両手が彼女の背にまわされた。軍事以外はからっきしの朴念仁だが、さすがに妹分の好意に気づいてるはずだった。平和が戻ればきっと、自分たちは結ばれるとエイダは信じていた。
指をのばし暗赤色の魔法のリングをながめる。彼女のほしい指輪とちがうが、それでもうれしい。
あたいは欲しい物を全部手に入れてきた。不可能を可能に変えてきた。この恋だって、かなえてみせる。
長野の総統官邸でお留守番のヒロヒトの部屋に、軍刀をさげた東條英機が立ち寄る。
姫君はベッドで『我が闘争』を読んでいる。「計算ドリルは午後にやる予定です」
「爺の顔を見るたび怯えるのはやめなされ。ところで姫様、爺は今から観戦武官としてビッグベンへ参ります。一緒に行きますか?」
「うーん……今回はやめておきます」
「これは珍しい。いつもなら爺の目を盗んででも出掛けるのに」
「ドリルもたまってますしね」
ヒロヒトの腰が重いのは、ビッグベンの料理に魅力を感じないから。フィッシュ・アンド・チップスのため海を渡るのは億劫。
敵は大国だが、エイダとマンシュタインなら楽勝だろう。
「いってらっしゃい。観戦とはいえ、用心するのですよ」
自分は鬼のいぬ間に、たっぷり羽根をのばすとしよう。
エイダとエーリッヒは大唐櫃山から関門海峡を一望。エイダの短い金髪が潮風になびく。
銀髪の青年が囁く。「レディファーストだ」
エイダが右手を突き出す。
「フォイアー!」
ジャケットの下のパーカーのフードが揺れる。よく手入れしたネイルから迸る火球が、つぎつぎと護送船団を襲う。
爆散する船、重油を流出させて沈む船、操艦不能となり迷走する船……。
海面で救助をもとめる者、重油を飲みながら溺れる者、死体となって漂う者、バラバラの肉片と化した者……。
十四歳の少女は、自分の強すぎる力がもたらす結果の苦さを噛みしめる。
「スピットファイアを持ってくるワン!」
ウィンストン・チャーチルが、博多の基地で怒鳴り散らす。被害の報告をうけ激昂、はやくもブルドッグに変貌した。
背後で女が嘆息。「やれやれ」
ビッグベンの軍服を着たユリア・スターリンが壁際で腕組みする。彼女がサスーリカの〈マネージャー〉だと知るのはチャーチルだけ。見るからに不審者だが、軍人たちは短気な最高司令官の怒りを恐れ、あえて問い質さない。
「サスーリカは」チャーチルが牙を剥く。「土人が住む後進国だから分からんだろう。我がビッグベン帝国は、海運を保護せねば成り立たんのだ!」
「豊かだからこそ」ユリアが言う。「ちょっとお舟が沈んだくらいでオタオタしてる場合じゃないでしょ。ほっときなさい」
アイゼンの義兄妹の快進撃は止まらない。次なる目標は沿岸部にある「小倉城」。内部はモンスターが棲息する迷宮で、ガイスト鉱を産出する〔ラビリーント〕と呼ばれる施設だ。
敵の工業力は約二倍。物資面で干上がらせないかぎり、ビッグベンが和を請うことはない。
堀の水面から、いくつもの巨大な蛇があらわれる。野面積みの石垣をつたい地上へのぼった。九つの頭をもつ「ヒュドラ」だ。
エイダの声が震える。「兄者、気をつけろ。あいつは猛毒をもってる。息だけで人を殺す」
「ブリッツ!」
エーリッヒはためらわず突進。天空を引き裂く雷光がヒュドラに直撃する。海岸一帯が揺れる。断末魔の叫びが轟く。永禄以来の平城が炎上。
城周辺を走るトラックに「ユンカースJu87シュトゥーカ」をむけた銀髪の青年を、エイダが羽交い締めにする。
「ダメだ!」エイダが言う。「あれは民間人だ。余計な犠牲者を出しちゃいけない」
長野市街をぶらぶらするヒロヒトは、回転する肉の塊を店頭で焼く、インビスとゆう軽食店をみつけた。
「おひとつくださいな」
削いだ羊肉と野菜を挟むピタパンを、カウンターで立ち食い。アイゼンだけでも食べ尽くせないほどのグルメがある。〈トレード〉の行方は気になるが、留守番でよかった。
天気予報の降水確率は0%だったのに、急に暗雲がたちこめ豪雨となる。ヒロヒトはつねに折りたたみ傘を持ち歩くので支障ないが、どうも様子がおかしい。
通行人がもがき苦しみ、悲鳴をあげる。倒れる者もいる。まるで空から硫酸でも浴びせられた様に。
「わたしは外国人なのですが、御主人は何が起きてるか分かりますか?」
店主は首を横に振る。そこへ盛大にクラクションを鳴らしてエアカーが到着、ボサボサ頭の少女がインビスに転がり込む。理論物理学者のアリース・アインシュタインだ。
「姫さん」アリースの息が荒い。「こんなところで道草ッスか!」
「アリースさんもデナーケバプ食べます?」
「それどころじゃないッスよ! この雨は敵の【ルフトヴァッフェ】による攻撃ッス。姫さんの力を借りないと激ヤバなんスよ」
アリースは有無を言わさずヒロヒトを引きずる。黒縁メガネの下の紅い瞳がうつくしいと、和装の姫君は思った。
制圧した小倉城の指揮所で、エイダは椅子を蹴飛ばし、壁を殴りつける。
「アディ、落ち着け」エーリッヒがたしなめる。
「落ち着いていられるか!」エイダが叫ぶ。「民間人に手を出さないのが〈トレード〉の不文律のはずだ。なのにチャーチルは毒雲で遠隔攻撃をしやがる。しかも一週間連続で!」
「だから頭を冷やして作戦を……」
「あいつは人間じゃない! 卑劣な豚だ!」
エーリッヒは、妹分の大衆を動かす力や、軍事的センスを評価する。だがときに激しい感情にとらわれるのが不満。
軍事の専門家である彼は、倫理の門外漢だった。勝とうが負けようが、〈トレーダー〉は人を殺すのだから「悪」に決まってる。善悪の問題に思考時間を割くほどの不経済は他にない。
長野と電話がつながり、スピーカーからヒロヒトの甲高い声が流れた。
「もしもし。エイダちゃん、聞こえます?」
「ヒロ!」ようやくエイダの怒りが収まる。「大丈夫か、ケガはないか?」
「ええ、ありがとう。エイダちゃんも元気そうでよかった。こちらはアリースさんが【フラック】とゆう防禦魔法を起動しました。わたしが指揮をとります」
「なんだって! 冗談じゃない、ヒロは安全なところに隠れてろ」
「いま長野でガイスト適性が一番高いのがわたしなんです。エイダちゃんは後顧の憂いなく戦ってください」
「おとなしくしないと後でひっぱたくぞ!」
「うふふ、やさしいな。これでも将来ナデシコの大元帥になる身、市民はわたしが守ります。お任せあれ」
通信が途切れた。
「シャイセ!」
エイダがテーブルを叩いた衝撃で、機材の山が崩壊する。憤怒の炎で我が身を燃やす独裁者を、部下たちは遠巻きに眺めるのみ。
博多っ子が、エイダの報復で焼け出され逃げ惑うのを、ユリア・スターリンはホテル最上階のスイートから見下ろす。群衆は落雷を避けようと地下鉄の入口へ殺到。
数ブロック先で大爆発がおき、ホテルがはげしく揺れる。
「たしかあそこはラム酒の倉庫だったわね」
「姉さん」弟のヤーコフが言う。「われわれも避難しましょう」
「モグラみたいに地下に潜るのは趣味じゃないわ。あなたのことは命に代えても守る。安心なさい」
ユリアは愛情こめて、よく似た弟の頬をさする。まだ十六歳で戦場を知らず、怯えている。
「このまま博多はアイゼンに占領されるんでしょうか?」
「まさか!」ユリアは高笑い。「ネズミじゃなく、ネコが罠にかかったのよ」
石灰岩が散らばるカルスト地形の平尾台で、両軍が対峙する。
「タリホー!」
V字編隊の先頭に立つチャーチルが、〈トレーダー〉のダウディングやバーダーを率いて攻め寄せる。三人の放つ竜巻がエーリッヒを追う。
「アハトゥンク、兄者!」
俊足のエイダが体当りし、難を逃れた。長機の後方を僚機が掩護する、エーリッヒの編み出した「ロッテ戦術」だ。
ダウディングとバーダーが装備する「ハリケーン」はBf109の機動力についてゆけず、数分で火だるまとなり戦線離脱。
エイダとチャーチルの一騎打ちとなる。
「チャーチル」エイダが虎の様に唸る。「お前はあたいの大切なものを傷つけた。絶対許さない」
「猪口才な、ネコ娘! 吾輩についてこれるか?」
スピットファイアの速度はメッサーシュミットと互角だが、より小回りが利く。追いかけるエイダが岩石に躓いた隙に、チャーチルが背後を取る。
「デブのくせにチョコマカと!」
エイダは火球を乱射し、敵を遠ざけた。焼け野原となった平尾台で草木が燻る。
Bf109の活動限界が近づいた。敵の戦略をようやくエイダは悟る。長野への遠隔攻撃は、自分をおびき出しガス欠にするための挑発だった。
エーリッヒが発煙弾を手に叫ぶ。「退くぞ、アディ!」
退却戦の不利はあきらかで、共倒れになる確率が高い。
「兄者」エイダが切なげに笑う。「後は頼んだ。『巻き込んで済まない』とヒロに謝ってくれ」
「アディ、まさか」
「あたいはずっと兄者のことが……いや、やめとこ。もし死ななかったら恥づかしいもんな」
「よせ!」
エイダは仇敵の肥満体へ飛びつき、おのれの体ごと焼き払った。
大火傷を負ったチャーチルは包帯姿が痛々しいが、アイゼンの撃退に成功し意気軒昂。福岡市動物園の視察に来ている。
火災で脱走する恐れがあったため、猛獣はみな薬殺された。動物好きのチャーチルは、象の亡骸を見て号泣。
「スターリン、やはり貴様は悪魔だ! あの戦略のせいで、罪なき生き物まで被害が……」
「ひどい偽善ね」ユリアは冷笑。「市民を平気で犠牲にしておいて、よく言うわよ」
救国の英雄であるチャーチルがいると聞きつけ、博多っ子が続々と集まる。得意の演説がはじまる。
「いま世界は暗黒時代に戻った。邪悪な独裁者を倒さねば、ビッグベン帝国の未来はない!」
ヤンヤヤンヤの喝采を浴びる。異常に好戦的なチャーチルは、中庸を好む国民から警戒されていたが、いまはじめて熱狂的支持を獲得。
ユリアはすべて筋書き通りにすすむ喜劇を鑑賞しながら昂奮、弟に頬ずりする。
「見なさい、ヤーコフ。民衆の愚かさを。自分たちを生贄にした男を讃美しているわ」
人の輪がますます広がってゆく。
「千年後の歴史家は」チャーチルの演説は続く。「我らの時代についてこう語るだろう。『この日々こそが彼らの最高の時だった』と!」
ユリアは口元をおさえ、身をよじり笑いをこらえる。下着をつけない豊満な胸が露わになり、弟は慌てて目を逸らした。
「なにが千年後よ! 学者の評価を気にして政治が出来るものですか。いまがすべて。自分がすべて。当たり前のことじゃない」
「姉さん」ヤーコフが囁く。「声が大きいです。目立ってますよ」
「そうね。もうこんな国に用はないわ。ヤーシャ、そろそろ帰りましょう。母なるサスーリカへ」
彫りの深いヤーコフの顔がぱっと輝く。被差別民族である姉弟は、祖国で煮え湯を飲まされたことが幾度もある。でも今は、魂まで凍りそうな冬の寒さでさえ懐かしい。
「ユーリャ姉さん、うれしいです!」
最愛の弟と抱き合うユリアは幸福感で満たされる。
生意気なアイゼンの子猫ちゃんが死ねば完璧だったけど、当分立ち上がれないほどの軍事的損耗を与えた。満足すべき戦果でしょ。
帰ったらヤーコフとふたりきりで、のんびり旅行がしたいわ。ああ、たのしみ!
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