小説5 「アインシュタイン」

『わーるど・うぉー!! かれらの最高のとき』


登場人物・あらすじ・用語集


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 長野の総統官邸に借りている一室で、ヒロヒトは鼻歌まじりで鏡の前にたつ。ワンピースやチュニックなど、エイダのお下がりの服を試着。普段は和装がおおいので、私服の数が増えただけでもアイゼン留学の意義はあった。

 ようやく多忙なエイダの都合がつき、あした一緒に出かける予定。ひとりファッションショーに熱がこもる。

 咳ばらいが聞こえたので振り向くと、ドアのところに東條英機がいた。

「爺、レディの部屋はノックするものです」

「開けっ放しでしたが。姫様、夕食の前に計算ドリルの進み具合を見せてください」

「勿論やってあります。服の片づけをするから、あなたは先に行ってなさい」

 ヒロヒトが妙に高飛車な態度をとるときは、大抵ウソをついている。東條は遠慮なく部屋へ踏み入り、机の引き出しをあけた。

 計算ドリルは一冊まるごと真っ白。

「説明していただきましょう」

「夕食後にやるつもりだったのです」ヒロヒトの目が泳ぐ。「勝手に机の中を見るなど失礼ですよ!」

「姫様は毎日八時に寝るではないですか。わかりました。このドリルが全部終わるまで、しばらく外出を禁止します」

 ヒロヒトは金魚の様に口をパクパクさせる。この一か月、なにより楽しみだったイベントなのに。

「東條!」ヒロヒトは癇癪をおこしハンガーを投げる。「臣下が主君に命令するとはなんですか!? 分際をわきまえなさい!」

「偉そうなことは、割り算をマスターしてから言うべきですな。あしたはここに張りついて監視します」

 ナデシコの姫君は大粒の涙をこぼし、長い睫毛を濡らした。エイダとのお出かけが自分にとってどれほど価値があるのか、この頑迷な元軍人はまったく理解してない。ゆるせない。

 枕元の【シュトック】をつかみ、「九十七式」の光刃を現出させる。エイダやマンシュタインに教わり、操れる様になった。

「斬りたければ斬りなされ」東條は譲歩しない。「今上陛下に仰せつかった教育係の大役、爺は命に代えても全うしますぞ」

 ヒロヒトの完敗だった。天国から地獄へ。割り算・分数・つるかめ算……。錯乱のあまり叫ぶ。

「ハゲジジイ、死んでしまえ!」




 翌朝、ヒロヒトは自室で食事をすませ、お下がりのエンパイアチュニックに着替えてから、東條の部屋へむかった。土下座して謝り、外出の許可をもらう算段。どうしてもあきらめられない。

 ノックに返事がないのでドアを開くと、軍服姿の東條が背をむけ直立している。

「おはようございます」ヒロヒトが声をかける。「どうしたのですか。まだ怒ってるの?」

 回り込んだヒロヒトは、彼の顔をみてアッと驚きバッグを取り落とす。

 全身が精巧な石像と化している。彫刻ではなく、本物だ。

「石頭とは思ってたけど、本当に石になってしまうなんて……」

 ヒロヒトは途方に暮れる。エイダやマンシュタインは留守だし、だれに相談すればよいのやら。もし国家機密に関わる事態なら、むやみに通報もできない。

 うん、見なかったことにしよう。




 待ち合わせ場所だった長野市街のカフェで、エイダ・ヒトラーが演説の原稿を推敲している。テーブルにうづたかく本が積まれる。

 ナデシコの姫がひとりで来店したのに気づいた。

「ヒロ! 結局来れたんだな、よかった。その服似合ってるぞ」

 赤面するヒロヒト。「ありがとうございます!」

「あたいはもうスカートとか履かないから、サイズが合うのは全部あげるよ」

 エイダの服はパーカーにショートパンツ。長い足は黒のニーソックスを履いている。ボーイッシュで活発な印象。

「難しそうな本がたくさん!」ヒロヒトは目を瞠る。「一冊読むのに何日かかるんですか?」

「だいたい一日で二三冊かな。同じことばかり言ってたら飽きられるから、勉強しないとな。ヒロも政治や経済の本を読んどけよ」

 ため息がでた。アイゼンで一番忙しいのに、だれより勉強家で、オシャレで、好きな人がいて、やさしくて面倒見がよくて……。すっかりエイダの虜となったヒロヒトが、隣に座り凭れかかる。

「おいヒロ、邪魔だよ」まんざらでもないエイダ。「まったく甘えん坊で、こまったやつだな」

「いまナデシコは不況で、格差が拡大しています。どうしたらいいんでしょう?」

「さあ? 経済学者でさえ意見がまるで一致しない問題が、素人にわかるもんか」

「でも、エイダちゃんの舵取りでアイゼンは完全雇用を達成したって、爺が言ってました」

「雇用創出計画は前任者のシュライヒャーが実行したのに、あたいが手柄を独占したと批判する学者もいるよ。痛くも痒くもないけど。パブリシティをふくめてマネージメントなんだから」

 ヒロヒトの熱い視線がテーブルの上のブレーツェルに注がれるのに気づいたエイダは、ひとつ分け与える。

「外はカリカリだけど中はふわふわ」夢中で頬張るヒロヒト。「独特の食感です! えっと、経済の話でしたっけ。〈マネージャー〉って大変ですよね」

「肝心なのは、大衆がなにを望むのか知ることさ。夢を見せれば、彼らはついてくる。すこしくらい失敗しても」

 各種のパンをたいらげたヒロヒトはウトウトし、テーブルに伏せて眠りはじめる。エイダはくすりと笑い、ナデシコの姫君の艶のある髪を撫でた。

 ふとカフェを見渡すと、ほかの客もみな寝ている。店員までも。

 異変がおきている。




 十五歳のアリース・アインシュタインは、数年くしけづってないボサボサの髪を掻く。フケが総統官邸の床におちた。

 物理学界で彼女を知らぬものはない。二年前に発表した論文『一般ガイスト理論』で、情報を記憶し転送する元素「ガイスト鉱」に、人間の脳がどうアクセスするのかを見事に解明した。いまや世界経済の五十パーセントが、ガイスト技術に依存している。

「あのー」あからさまに不機嫌なアリース。「ウチは理論物理学者なんで、技術屋の仕事を振られても困るんスけど」

 エイダはいつになく低姿勢。「緊急事態なんだ、たのむよ」

 アリースは黒縁眼鏡を押し上げた。右目が紅に光る。【ヴァンピーア】は科学者など知的な職業におおい。

「あんたらが乏しい資源で無理するからッスよ」

「戦わなきゃ〈ブランド〉は消滅する。ほかに選択肢はないんだ」

「別に消滅してもいいッスけどね。んなもんウチの研究に関係ないし」

 エイダは強張った笑顔で答える。鋭い八重歯でいまにも噛みつきそう。ふたりの一触即発の会話に、ヒロヒトは肝を冷やした。

 ジャージ姿のアリースは、ノートPCにつないだ【シュトック】でエイダの執務室をしらべる。十数個のかわいいストラップがジャラジャラと鳴る。

「示度がだいぶ不安定ッスねー」

 エイダは首を傾げる。「すぐ対処できるか?」

「波動関数の相互干渉が、過度に複合的な絡みあいを起こしていて、分枝宇宙を捕捉できねーッス。ちゃんとガイスト系に適した原子的環境を維持してくれねーことには」

「……すまん、もっと簡単に説明してくれ」

 アリースは鼻で笑う。「数式つかえば一発だけど、あんたにゃ理解できねーっしょ」

 ワナワナと震えるエイダが爆発する寸前、ヒロヒトはくちばしを入れた。

「博士の評判は、ナデシコまで鳴り響いています。世界を変えた天才だと」

「あんたがナデシコのお姫様ッスか。あざッス! でもそこの総統さんは、ウチのことが嫌いらしいッスけどね」

 エイダの反ヴァンピーア主義を指している。

「そんなことはない」エイダは口を尖らせる。「あたいは、アイゼンに貢献できる有能な【ヴァンピーア】は認めてる」

「どーだか」

 ヒロヒトは懸命にエイダを宥めつつ、アリースに頭を下げ協力をもとめた。

「お姫様の頼みは断れないッスね」アリースは右手に指輪をふたつ嵌める。「ま、犬に罪はねーですし」

 天才少女が犬の石像をさすると、指輪はキーンと音を立てながら光り、毛並みのよいシェパード犬がうごきだし、飼い主のエイダへ飛びついた。

「ブロンディ!」エイダの目が潤む。「無事でよかった……アリース、ありがとう!」

 ガイスト鉱を鋳造した指輪によるこの技術は【ルフトヴァッフェ】とよばれ、おもに軍事利用されている。火球や雷などで敵軍を一掃できる。

 ヒロヒトは呆気にとられた。「アイゼンの科学はこんなに進んでるの……」

「将来的には」アリースが胸を張る。「巨大隕石も落とせるはずッス。あ、これ話したらマズかったか」

 天才少女は口元を抑え、上目遣いで独裁者を見やる。なんだかんだで怖い相手だ。エイダの握る権力からすれば、一科学者の生命など吹けば飛ぶほど軽い。

「いいんだ」エイダは微笑する。「ヒロはあたいの妹みたいなものだから。競争上開発せざるを得ないけど、人間が隕石を落とす日なんて、永遠に来ないことを祈るよ」




 その夜、スタジアムに六万人がつどう集会がひらかれた。ヨーゼフ・ゲッベルスによる音楽、アルベルト・シュペーアによる照明が会場を盛り上げる。

 主役は勿論、「MCヒトラー」ことエイダ。マイク片手に彼女が登場した途端、客席は押すな押すなの大騒ぎ。

「DJゲッベルス、スピン・ザット・シット!」

 ゲッベルスのターンテーブルから響くビートに合わせ、エイダはステージの端から端まで身軽に飛び回り、観客を煽る。

 舞台袖から眺めるヒロヒトは、聞いたこともない大音量に度肝を抜かれた。

「やつらは悪知恵はたらく【ヴァンピーア】/カネに取り憑かれた飽くなきパラノイア/戦争気違いウィンストン・チャーチル/ワンワン喚いて墓穴掘ってる」

 流麗かつ力強いフロウに乗せられ、オーディエンスは叫び、両手を突き上げる。

 ヒロヒトも「ジーク・ハイル」の合唱にくわわった。東條英機が石化したことをすっかり忘れたまま。

 エイダちゃんは、わたしをはるか彼方へ連れていってくれる。

 そこがどこだろうと、きっと無敵のはず。




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