一心同体! 韓国併合

伊藤博文と皇太子李垠(1908年)

 

 

1909年10月26日、韓国統監だった伊藤博文が銃殺された。

韓国併合に慎重だった伊藤とゆう重石がはづれても、政府は冷静さをたもつ。

しかし翌年5月、寺内正毅陸軍大臣が第3代統監を兼任するにいたり、

併合計画は前進しはじめる。

 

本稿のネタ本は、新城道彦『朝鮮王公族 帝国日本の準皇族』(中公新書)。

 

 

 

 

日本は大韓帝国皇室を、「王公族」として帝国内へ編入したが、

これを東アジア的な「冊封体制」とみるのは間違い(「冊す」と「冊封」の混同)

もともと日本が提示した尊称は「大公(グランドデューク)」であり、

韓国側が、伝統的で単に響きのいい王称をのぞんだ。

 

王冊立の席次でも、東西に座をもうけ「君臣の関係」を回避、

「対等な合意」を演出することで李王を懐柔する。

 

日本にとり前近代の礼観念など無価値だった。

条約締結権をもつ皇族におとなしくサインさせ、

西欧列強がケチをつけられない形で植民地をえれば満足。

 

 

大韓帝国時代の漢城。左奥は独立門(1905年ごろ)

 

 

地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く

 

石川啄木はそう詠み、夜郎自大な近代日本を呪った。

大学生だった芦田均は「朝鮮人が可哀相だ」と書きしるす。

まあ知識人はなんでも批判したがるもの。

 

朝鮮では暴動もおきず平穏だった。

圧政にくるしんでいた民衆は、朝鮮王朝に同情などしない。

 

相手の顔をたてつつ実利をとる。

実は日本外交も、やればできる子らしい。

 

 

外遊中の李垠一行

 

 

皇太子裕仁につづいて1927年、李垠夫妻はヨーロッパ外遊にでる。

行程もほぼおなじ。

旅先で李垠は、裕仁と同格の「大日本帝国のプリンス」を名乗った。

御附の篠田治策もそれを訂正しない。

 

戦間期のアジアはおおらかだった。




朝鮮王公族―帝国日本の準皇族 (中公新書)朝鮮王公族―帝国日本の準皇族 (中公新書)
(2015/03/24)
新城道彦

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