小説10 「春風」
『フリーダム・シスター』
暁ジュンは口のなかのクロレッツをティッシュでくるみ、カーゴパンツのポケットにいれた。これから桜台にある葦切コタカの自宅をおとづれる。兄も同行するのは護衛と、剣士のブランド力で門前払いされないようにするため。
どうにかオートロックを突破、マンションの五階へたどりつく。応対したのはコタカの母で、息子とおなじく小柄な美人だった。憎悪で眉間にふかい皺がきざまれるが。糞尿でもさわるかの様にヨックモックの菓子折をうけとる。
ひとりでコタカの部屋へはいる。兄に居間で母親の相手をつとめさせる。つまらない世間話が彼の唯一の特技。コタカの自室は意外と奇麗だった。ジュンが貢いだロリ漫画をどこに隠してるのだろう。
机の上に銀のネックレスをみつけた。シャドウガールの持ち物だ。
「このお菓子」ジュンはシガールを咥える。「スースーってしたくなるよね」
コタカは飲食に手をつけず緊張する。おどけるジュンの、声にださない論難に気づいていた。室内の空気に酸味がまじる。
「シャドウガールに」ジュンの自尊心が笑顔を維持させていた。「寮の部屋番号おしえたでしょ。実はメールに書いた番号は隣のだったんだ。あたしってホント性格悪い」
「ごめん」
「しかもあいつと寝たでしょ」
「……うん」
視界の天井と床がいれかわる。RGBバランスが狂っている。内臓の機能は急停止。ゴミ箱へ顔をつっこみ、甘ったるいゲル状のものを嘔吐した。
心が事実を拒絶している。ウブな恋人が、自分を殺そうとした敵と情を交わすなんて、あってはならない。
コタカに背中をさすられる。しらじらしく感じた。
「お尻のところに」ジュンは涎を垂らしながながら言う。「脇差あるのわかる? 質問するから正直にこたえて。嘘ついたらコタカを刺して自分も死ぬ。ねえ、ずっとあたしのこと嫌いだった?」
「そうだね……ごめん」
大量の涙が吐瀉物をうすめる。「嘘をついてほしい」とゆう気持ちが、なぜつたわらないのか。本気で殺されると思ってるのか。自分の喉を突けば、ちょっとでも振り向いてもらえるのか。
「あはは、コタカって趣味わるすぎ」ジュンは上体をおこす。「あんな妖怪ババアとセックスとかありえない。でも正直に言ってくれてありがと。あたしはコタカをオモチャにしてたよね。いろいろ迷惑かけて、こちらこそごめんなさい」
強がれば強がるほどミジメになる。コタカは怪訝そうに首をかしげた。なんて可愛い男の子なんだ。やっぱり大好き。
膝に手をおき立ち上がる。なかば意識が途切れてるのに、正常にはたらく足腰に感心。「しれば迷ひしなければ迷はぬ恋のみち」。あたしは剣の道に生きるしかないか。多分無理だけど。
シャドウガールを恨む心境にならない。こちらが一番されたくないことをしただけ。権力の毒が骨の髄までまわった女の、くだらないゲームだ。怒ったら同類になる。
あたしはあたしの道をゆく。
三日後、事態は急転。
解体される国立競技場の最後のイベントがひらかれた。演目は「葦切コタカの死刑執行」。スパイ容疑やゴッドガール暗殺未遂などの罪状で。軍律会議での一時間ほどの審理のあと判決がくだった。
水色の襟のセーラー服をきた暁ジュンは、本日の主賓だった。右隣にすわる本城フランがずっと友人の手をにぎる。
「いざってときは」蒼龍学園でもっとも非力な生徒が言う。「わたしも戦います」
気持ちがうれしいので、ジュンは足手まといだと正直に答えなかった。
部屋着のまま連行されたステージ上のコタカは茫然自失。人一倍臆病だから仕方ない。
政府に恋人を売ったコタカは態度をかえ、非協力的になった。とりみだすジュンを憐れんだらしい。政府は利用価値なしとみるやコタカを切り捨てる。もともとゴッドガールの恥部を撮影し配信したとゆう、言い逃れできない罪があった。
すべてジュンの責任であり、どうにかしないといけない。でも、どうやって。自分、兄、アリア、フラン、トモコ。たった五人で、スタジアムを埋める親衛隊員相手になにができるだろう。
兄妹はステージへのぼった。ジュンのみじかいスカートがひるがえる。大学生の兄は演壇でスピーチをはじめた。つまらない話で時間を稼がせたら天才だ。時折「自重しろ」と妹に目くばせする。
若い死刑囚はぼんやりし、ジュンと視線をあわせない。眼前のできごとを現実と認識してない様にみえる。
「海行かば 水漬く屍」とふるい歌がながれ、内閣総理大臣・安倍晋三が登場。ジュンやコタカと同年代の美少年を十人つれる。民族主義思想をたたきこまれ、彼を崇拝する「アベユーゲント」だ。みな武装している。
「暁さん」首相が握手をもとめる。「お会いできてうれしい。あなたの様に武道を受け継ぐ若者がいれば、日本の将来はあかるい」
「こちらこそ光栄です」ジュンはにこやかに答える。「社会に貢献できる大人になれるよう、これからも努力します」
「ところで親衛隊の件は、首相として心からお詫びします。一部の人間の暴走だったとはいえ」
「もったいないお言葉です。政権をあづかる立場の大変さ、お察しいたします」
社交辞令とわりきれば、ジュンは優等生らしくふるまえる。
にやつく安倍は侮蔑の色を隠さない。この十五歳の少女を徒花とみなしている。ひと月もすれば散る運命の。
総理大臣の煽動がはじまる。ジョージの寝言と迫力がちがう。コタカが中国の犬で、卑劣なテロリストで、いやしい在日朝鮮人だと喚く。いまこそ国民はひとつになれ。それを疑うものは売国奴で、万死に値する。
こいつも「駒」だとジュンは察知した。だれかの書いた脚本を読むだけの傀儡だ。人間とゆうよりスピーカーだ。常軌を逸した発言は責任意識がともなってない。頬がたるんだこの六十歳の老人から、内省する心を露ほども感じとれない。
しかしなぜリスクを背負ってまで、安倍がシャドウガールの言いなりなのかは理解をこえる。輿論を味方とし、軍事・警察・諜報・宣伝をうごかす権力があれば、シャドウの人脈など圧倒できるのに。
火刑の準備がはじまる。柱のまわりに薪が積まれてゆく。生きたまま焼かれる苦痛はどれほどか、想像もつかない。
「アニキ、刀貸して」ジュンが手をのばす。
これをふせぐためジョージは茶番劇を演じていた。妹の暴発をさそうのが、赤坂の月讀御所でテレビ中継をみている、シャドウガールの計略なのは明白だった。
だが左の手首を極められ、ジョージの長躯は宙を舞い、受身なしで落ちて肺が空になる。刀だけ妹の手にのこった。
ジュンは抜身をさげ演壇へちかづく。
アベユーゲントの六人が抜刀し、四人が弓をひいた。
「総理」ジュンはなにげなく要求。「葦切君はあたしが処刑します。よろしいですか」
拒否したらお前から斬ると、瞳が雄辯にかたる。総理大臣は抵抗しない。
雪風流では介錯の仕方をおしえる。切腹する父の首を落とす想定がイヤでイヤで、幼いジュンは泣きながら稽古した。「いつか必要になる日がくる」と無理強いされた。
ジュンは恋人に声をかける。「膝をついて下をむいて」
「こわいよ」コタカの頬が濡れている。「こんなところで死にたくない。暁さんも一緒に来てくれる?」
「ごめん、いますぐは行けない。でもあなたのことは絶対わすれない。一秒だって」
桜花をちらす風が、むせぶ涙声を掻き消したかもしれない。
刀身は春光をにぶく照りかえしながら、急転直下のうごきをはたした。
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