赤壁の戦い 曹操の敗因

(撮影者:Jie)

 

 

三国時代のもっとも重要な合戦といえば、208年の「赤壁の戦い」だが、

このいくさについてわかっていることはすくない。

魏にとっては不名誉な敗戦だから、「武帝紀」でごく簡単にふれるだけだし、

史官をおくまえにほろんだ蜀にも、国家の公式記録はない。

 

 

(作成者:竹圍牆/ジダネ)

 

 

南下した曹操の大軍は、赤壁で孫権・劉備連合軍に阻止され烏林にしりぞき、

ここで碇泊中に黄蓋から火攻めをうけ、おまけに感染病まで発生したため、

追撃されないよう船を焼いてから陸路北へもどった。

 

これ以上はわからない。

はっきりしてるのは、曹操がやぶれた地は烏林とゆうこと。

つまり呼称は「烏林の戦い」がただしいが、

「赤壁」の二字がもつ映像喚起力がひとりあるきした様だ。

 

 

蒙衝闘艦

 

 

曹操は、その年の1月にようやく人工池で訓練をはじめた自前の水軍と、

荊州で吸収した劉琮旗下の水軍しかもたなかった。

騎兵が主力の北の軍隊が、湿地帯のおおい南で苦戦するのは、

モンゴル帝国ですら例外でない、支那の歴史の常識。

 

 

月岡芳年『月百姿』

 

 

ではなぜ曹操ほどの名将が、戦略ミスをおかしたか。

敗因は『孫子』にある。

 

『孫子』の著者は名目上、春秋時代の呉につかえた「孫武」とされていたが、

軍の規模と経済構造のちがいや、船についての記述がないことなどから、

戦国時代の北部の人間が書いたのは、いまではあきらか。

 

だが曹操は、孫子の兵法は呉でも通用すると信じたろう。

単なる読者でなく、その注釈文は書写され「魏武帝註」としてつたわるほど。

 

曹操は『孫子』にまなび覇者となり、『孫子』のせいで天下統一をのがした。







【参考文献】

高島俊男『三国志 きらめく群像』(ちくま文庫)

落合淳思『古代中国の虚像と実像』(講談社現代新書)



三国志 きらめく群像 (ちくま文庫)三国志 きらめく群像 (ちくま文庫)
(2000/11)
高島俊男


古代中国の虚像と実像 (講談社現代新書)古代中国の虚像と実像 (講談社現代新書)
(2009/10/16)
落合淳思

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