小谷野敦『頭の悪い日本語』
『DEATH NOTE』(テレビアニメ/2006-7年)
頭の悪い日本語
著者:小谷野敦
発行:新潮社 2014年
レーベル:新潮新書
小谷野敦は「看護師ファシズム」とたたかう。
だれも「看護婦」が差別用語だと抗議しないのに、法令にあわせ日本人は一斉に、
新聞やテレビはもとより小説まで「看護師」をつかいだす。
なんでもファシズム認定したがる著者とはいえ、たしかにこの風潮は異常だ。
左翼知識人が、国家による統制を歓迎するのもなさけない。
ちかごろ流行りの「参画」なんてのも、行政用語にひきずられた一例。
「参加」で十分なのに。
『メトロポリス』(ドイツ映画/1927年)
「メトロ」はギリシア語で「母」を意味する。
1927年の映画以降、「メトロポリス」や「メトロポリタン」といった語が定着したが、
それはともかく「東京メトロ」は、「東京の母」とゆう意味になりおかしい。
パリの地下鉄を「メトロ」とよぶことからの誤用の様だ。
「誤用」と「派生」は区別されねばならない。
たとえば「ダメ出し」。
もとは囲碁でもちいられた語から派生した演劇用語で、
「念のため演技の注意をすること」だが、「ダメだと言う」の意味に誤解された。
言葉として一度死んでおり、つかうべきでない。
パソコンの普及とともにひろまった「立ち上げる」は、
「自動詞と他動詞の複合動詞だから間違っている」と指摘されることが多いが、
それは「引き上げる」の様な例もあり、実際は「主語のズレ」に文法ミスがある。
「立つ」のがパソコンで、「上げる」のが人間だ。
措辞にこだわる著者だけに、解説は明瞭でよい。
むつかしい言葉をつかってインテリぶりたい慾望は否定しがたく、
たとえばスポーツ選手の「美学」がかたられたりする。
別に学問研究じゃないから、「美」か「美意識」でよい。
知識人にとり、言葉以上の武器はない。
言葉によってのみ彼らは自立しうるのに、
ロクに辞書もひかず誤用をくりかえし、法令に盲従するなど自殺行為。
まぁ高島俊男や呉智英などウルサ型もいるが、
言論界では「説教ずきの変なジイサン」とみなされている。
ソックパペット藝を披露するウィキペたん(作者:Kasuga)
著者はよく「上から目線」といわれる。
私は著者で相手は読者なのだから、
それはある程度仕方がないというより、当然と言うべきである。
ネットではみなが平等だとか言われたことがあるが、
実際にはそんなことがあるはずがなく、平等だと誤解した結果である。
「著者と読者」の関係は消滅、不気味な「クラスタ」がのこった。
インターネットは誤用の地雷原。
たとえば「自作自演」はユーミンみたいな歌手のことで、
2ちゃんねるの荒らしを形容するなら「狂言」がただしい。
「無断引用」もおかしい。
一定の範囲をこえず、引用元を明記すれば、著者にことわる必要ないのだから。
ボクもこの言葉は大嫌いだが、小林信彦までつかってると知りガッカリ。
『メタルスレイダーグローリー』(HAL研究所/1991年)
「難易度」は妙ちきりんな表現。
「難易度が高い」は、「難しい」の一言におきかえられるから不経済だ。
本書に書いてないが、ゲーム評論から波及した語だろう。
小谷野はゲームがわかってない。
「この戦争がおわったらオレ結婚するんだ……」は「死亡フラグ」といい、
アドヴェンチャーゲームのプログラム概念を、一本道の物語の鑑賞に流用したもので、
定義は曖昧であり仕方ないが、著者はテキトーに書き飛ばしている。
『もてない男 恋愛論を超えて』がでたのが1999年1月。
東大卒のセンセイが「非モテ」を理論的に肯定するのが斬新で、ベストセラーに。
なお「2ちゃんねる」開設は同年5月で、たとえば「リア充爆発しろ!」とか、
投稿内容は『もてない男』から影響うけたろうし、著者もそう発言していた。
つまり、小谷野敦がまいた種から日本のインターネット文化はうまれ、
最近ようやく世代交代の波が、非リアの父を押し流しつつある。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(日本映画/2012年)
堕落する知識人と、クラスタ化する大衆。
退廃の原因はどこにあるのか。
本書は、1995-6年のテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』から、
綾波レイの呼称「ファーストチルドレン」など、「チルドレン」とゆう誤用をあげる。
序数詞と複数名詞の組み合わせはあきらかに間違ってたのに、
当時は訂正されず、新劇場版は「第3の少年」みたくごまかす。
すべてはエヴァからはじまった。
知識人は庵野秀明に媚びるまえに、措辞をただすべきだった。
われわれは電子辞書片手に、「ポスト(小谷野風にゆうと「ポゥスト」)・エヴァンゲリオン時代」を模索する。
![]() | 頭の悪い日本語 (新潮新書) (2014/04/17) 小谷野敦 |
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