戦争は発明の母

ベル研究所があつたロウアー・マンハッタンのビル

 

 

科学者が兵士より、いや将軍より戦争に貢献しうることが常識となるには、

第二次世界大戦終結を待たねばならない。

 

巨大電話会社AT&Tが設立した「ベル研究所」は、1940年なかばごろ、

活動の大半を連合国支援を目的とする開発計画にわりふる。

1000件ちかい軍事関連プロジェクトを受注、従業員は9000人に倍増したうえ、

数百人単位で女を採用、はじめてユダヤ人に門戸をひらくなどした。

軍民あげての総力戦で、ドイツ科学をおいあげる。

 

 

イギリスのチェイン・ホーム・レーダー

 

 

米国のレーダーへの投資は推定30億ドル、原子爆弾の20億ドルをうわまわる。

「戦争に勝てたのはレーダーのおかげ、原爆は単におわらせただけ」と開発者はイヤミをいつた。

 

1941年12月、真珠湾をおそう日本の飛行隊をレーダーは探知したが、勘ちがいで無視される。

「ブリテンの戦い」でドイツ空軍を待ち伏せするのに役だつた、イギリスのレーダーをまなび、

強力なエネルギーを発するマグネトロン(空洞磁電管)量産に成功、1942年6月のミッドウェー海戦で完勝。

 

 

Uボートに撃沈された輸送船

 

 

ベル研の看板物理学者ウィリアム・ショックレーは、「対潜水艦作戦研究グループ(ASWORG)」にくわわる。

チェスのグランドマスターまでまじえ、統計情報をにらみ、Uボートをしづめる戦術をねつた。

羽生善治が、科学者とともに軍に協力する姿をおもうと胸おどる。

ショックレーが爆雷の調整深度を30フィートにするよう提言したところ、

わづか二か月で、撃沈されるUボートの数は五倍に。

 

ベル研究所は政府命令にしたがい、原子力の利用法をも理論的にみちびいた。

 

 

コルト・パイソン(撮影:Stephen Z)

 

 

これらすべてにショックレーはかかわる。

脳はともかく、心は重圧をうけとめきれない。

 

後年、妻あてのメモがみつかる。

たつたいま私はロシアンルーレットをしたと。

撃鉄のしたに弾がはいつている確率は「六分の一」だつた。

いや、不発の可能性もあるからもうすこし低いと、物理学者らしく訂正。

 

メモは結局わたされず、かれは机上の戦場へもどり、そして勝利し、

戦後はトランジスタなど発明、1956年にノーベル物理学賞をうけた。







【参考文献】

ジョン・ガートナー『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』(文藝春秋) 



世界の技術を支配する ベル研究所の興亡世界の技術を支配する ベル研究所の興亡
(2013/06/28)
ジョン・ガートナー

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