『終戦のエンペラー』

 

 

終戦のエンペラー

Emperor

 

出演:マシュー・フォックス 初音映莉子 トミー・リー・ジョーンズ 西田敏行

監督:ピーター・ウェーバー

制作:アメリカ 2013年

 

 

 

1945年8月30日、厚木海軍飛行場へおりたつとき、マッカーサーは狙撃をおそれた。

占領者がつねにそうである様に。

「いまのところ日本に抵抗の意志はない」という情報士官を信じる。

 

 

 

 

吸いたくもないコーンパイプをくわえ、タラップをおりる。

いかにも豪胆そうにみえる自分の写真をばらまくため。

占領作戦は、地をふむ前からはじまつていた。

 

当時のアメリカにはかなわん、とおもう。

日本に対し、余裕で勝てる国力の差がありながら、

あこぎに情報をあつめ、みづから流布する老獪さに。

 

 

 

 

近衛文麿役の中村雅俊

 

 

映画は、東京裁判のための調査を10日間でおこなう、米軍の視点でえがかれる。

ひとことでいうと、裕仁を絞首台へおくるかどうかが主題。

 

「天皇を死なせたくないなら、戦争責任者の名を吐け」

責任者たちは、たがいの名を吹聴しあい、なかよく地獄へおちた。

陛下のおんためなら、友人を売ることも肯定されるのが、天皇制の本質。

 

 

 

 

映画製作者は、裕仁を擁護する。

終戦は8月10日のかれの「聖断」のおかげ、一方で開戦の責任は明白でない。

だから裕仁はわるくない。

 

21世紀にもなつて、こんな的はづれな論理がまかりとおることに感心。

戦争を終結させる権限をもつものが、なぜ開戦責任をまぬがれるのか。

降伏がおそきに失したことの責任はとらないのか。

 

 

 

 

なぜ裕仁は軍のあやつり人形だつたか?

僭王と重臣は、滑稽なほど革命におびえていたから。

共産主義者より、軍人の方がマシという価値観が、日本を崩壊させた。

 

またマッカーサーが、自国および国際輿論にさからい裕仁をかばつたのは、

反共主義という一点において通ずるものがあつたから。

逆にいうと、裕仁が生きながらえたのは、偶然にすぎない。

 

 

 

 

 

 

映画自体は、初音映莉子がうつくしく、肩肘はらずたのしめる。

日本の女性や家屋の端然たる美を、邦画よりずつと周到に表現するのがくやしい。

 

 

 

 

あきれるほどよくしらべ、理解し、それをわがものとする。

「彼を知り己を知れば百戦殆からず」の精神が、映画制作でも生きている。

アメリカ映画を通じ日本を知るなんて邪道だが、

被占領国の民としては、ここからはじめるしかない。




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苑田 謙

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