恐怖は克服できる

 

 

1945年3月25日。

沖縄本島の西方約40kmにある、慶留間諸島の阿嘉島。

これまでの空襲でなく、艦砲射撃がはじまる。

避難壕がくづれそうなほど揺れた。

おばあさんらは島の氏神へ祈りをささげる。

 

少年義勇隊員として前線にたつた、中村仁勇『沖縄・阿嘉島の戦闘』(元就出版社)にもとづき書く。

 

日が落ちても、あたりは米艦の照明弾で真昼のごとし。

戦隊長が訓示をする。

 

あすの敵上陸はまちがいない。

合言葉は「一人十殺」だ!

 

 

阿嘉島に上陸する水陸両用戦車群(米軍撮影)

 

 

翌26日朝。

沖縄戦初の上陸をゆるす。

 

機雷をのぞこうと、砲撃が水面をたたく。

巨大な水柱は空にカーテンをかけた。

白い航跡をのこし、水陸両用戦車がちかづく。

 

住民のうち400人は、前夜に裏の「シジヤマ(杉山)」へのがれた。

山奥にある谷間で、海空からねらわれる恐れはない。

 

いきなり祖母が「サールーヌ・アッチョーン(猿があるいてる)」とさけぶ。

木々のあいだから、無人島にいる米兵がみえた。

 

「集団自決」をうながす声が、どこからともなく聞こえだす。

ヒモやカミソリを用意した者もいる。

 

集団自決は、かならずしも軍の強制によるといえない。

たしかに「鬼畜米英」の残虐性を、政府は散々煽りたてた。

捕虜になれば女は犯され、男は股を裂かれる、など。

だが実際、収容所で強姦が頻発したり、米軍は宣伝どおりの鬼畜だつた。

敵軍も友軍も飢餓も、なにもかもおそろしい。

なら死んだ方がマシでないか?

 

しかし阿嘉島は、慶留間諸島で唯一、集団自決がおきなかつた。

 

 

島の西海岸「ヌヌヌフキ(断崖)」

 

 

原因ははつきりしない。

避難所からみて日本軍陣地が、米軍に対し盾になるなど、地理的条件のおかげか。

逃げ場のない小島では、敵兵の姿をみるだけでパニックになりやすい。

運がよかつた。

 

前掲書の著者も、15人で山をさまよいながら、集団自決の犠牲になりかけた。

 

一行に悲愴感ただよう。

母は非常食の練乳をすべてわけた。

伯父が母に、「お前の子はお前が突きおとせ」と指示する。

反対しようがなかつた。

 

小学三年の弟が、「僕は絶対に死なない!」とあらがう。

若さゆえ、プロパガンダに毒されてない。

目先の死を回避することのみかんがえた。

 

集団自決は、だれかの抵抗にあうと、急に気運がしぼむ。

みな我にかえる。

子どもじみた反抗は、窮地を脱するきつかけとなりうる。





沖縄・阿嘉島の戦闘―沖縄戦で最初に米軍が上陸した島の戦記沖縄・阿嘉島の戦闘―沖縄戦で最初に米軍が上陸した島の戦記
(2013/03)
中村仁勇

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