ボン基本法と天皇制

1949年のボン基本法原本の署名部分

 

 

憲法ほどの無理難題は、ほかにない。

つねに逆説をはらむ。

 

イギリス、北欧、ベネルクスといつたヨーロッパのふるい「君主国」は、

王室典範をゆつくり壊すことで、いつのまに「民主共和国」となり、うまく機能する。

一方、アメリカ、フランス、ソヴィエトといつた本来の民主共和国は、

大統領や党書記長に権力が集中し、どうみても君主国の特徴をそなえる。

 

1949年制定、ドイツの「ボン基本法」もまた逆説的。

敗戦後のドイツは遠慮ぶかく、その法律名自体が、

「憲法制定なんて大それた野心はございません」という意志表示だつた。

なのに基本法は、14年でほろんだワイマール共和国、12年のナチスドイツ、

さらにビスマルク憲法とくらべても抜群の安定感で、統一後も国家の基盤をなす。

 

 

(ドイツ連邦公文書館)

 

 

基本法は、国民を信用しない、性悪説にもとづき起草された。

 

1919年制定のワイマール憲法は、

いちはやく社会権を保障し、世界でもつとも自由な憲法と讃美される。

だがその精神は楽天的で、国民が分別ある模範的市民であることを前提とし、

国民投票でえらばれる大統領は、国会をたやすく解散できた。

そしてヒトラーの擡頭をゆるし、ドイツは破滅の道をあゆんだ。

 

社会は「タガ」を必要とする。

ワイマール体制は、右翼からも左翼からもバカにされ、敵視された。

日本の右翼が9条に、左翼が1条に牙を剥くのとおなじく。

 

 

 

 

もうひとつの特色は、非連続性。

 

ワイマール憲法における大統領は、皇帝の様だつた。

ビスマルク憲法を拠り所にしたから。

これに対し基本法は、正反対の仕組みをめざした。

ドイツを、容易に転覆しない、民主主義の要塞にかえるため。

民主主義の自由を制限してまで!

 

焦土と飢餓と悲惨の全責任をかぶつた、ヒトラーのおかげか。

これまた日本と対照的。

 

そろそろ時代錯誤の僭主をおいだし、いくらかマシな国家をつくらねばなるまい。







【参考文献】

セバスチャン・ハフナー『ドイツ現代史の正しい見方』(草思社)




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(2006/04)
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