かれは落下傘でおりてきた ― 中条一雄『デットマール・クラマー』

クラマー

デットマール・クラマー 日本サッカー改革論
著者:中条一雄
(2008年/ベースボール・マガジン社)


見るからに尋常な人物ではない。
ドイツ人のくせに身長は大抵の日本人よりひくく、
わかいころからの見事な禿頭のもちぬしだ。
しかし貧相ではなく、むしろその逆で、眼光は爛々とするどく、
短躯に精力がみなぎっているのが写真からつたわる。
1960年、三十五歳のときにサッカー日本代表チームを指導するために
わが国をおとずれたデットマール・クラマーによって、
日本サッカーの基礎がきずかれたという評価はすでにさだまっている。
かれの伝記である本書にはおもわぬ発見もおおく、
この国のサッカーの発展についていろいろとおしえられた。


まずおどろかされたのは、日本サッカー協会は
クラマーに報酬をしはらっていなかったという事実だ。
サッカーに商業主義が浸透する前の時代だったとはいえ、少々信じがたい。
なにをもとめて、国際舞台での実績が皆無といってよい国の
コーチになろうとおもったのだろう。
かれはのちに西ドイツ代表のスタッフとしてワールドカップに参加する人だし、
バイエルン・ミュンヘンの監督としてチャンピオンズカップを二度制している。
出世が人生のすべてではないけれど、自国にとどまった方が
自分の能力をためす機会がおおかったのはまちがいないのに。
どうもかれのコーチとしての個性は
第二次世界大戦の従軍経験でつちかわれたようだ。
十九歳で少尉となり、落下傘部隊をひきいて
フランス、ソ連、イタリア、アフリカなどを転戦した。
一万人で編成された部隊で、いきのこったのは五百人だけだったとか。
オランダで終戦をむかえて捕虜となり、監獄での尋問をいきのびた。
口にだせないような地獄を見たにちがいない。

だが、落下傘部隊の隊長はそうはいかない。
常に先頭の一番機に乗っていて、しかも最初に飛び出さなくてはならない。
敵地に降りるのだから、率先垂範でなくては、部下がついてきてくれない。
サッカーでも、コーチは最初に飛び降りる覚悟であるべきだ。


クラマーは日本選手とおなじ宿にとまり、一緒に畳でねて、風呂にはいり、
なれない箸で和食をたべながら心をつかんだことが美談としてかたられるが、
畳など戦場にくらべれば極楽浄土のようなものだ。


では逆に日本協会はなぜドイツからコーチをまねいたのか。
ここでも驚愕の事実が判明する。
第一次大戦のころ、広島湾の似島にはドイツ兵の捕虜収容所があった。
青島からつれられてきたドイツ軍捕虜のたのしみはもちろんサッカーで、
広島市に遠征したときにみせた技は当地の選手におおきな影響をあたえた。
広島でサッカーがさかんだったことはしっていたが、
その発端が第一次大戦にあるとは想像もしなかった!
1955年に協会会長に就任した野津謙も、
広島一中でサッカーをはじめた人物のひとり。
東大卒の医師でドイツ語が堪能であり、
ドイツ哲学やドイツ音楽を愛するドイツオタクだったようだ。
クラマーを通じて、シツジツゴーケンな
ドイツ精神を輸入したかったのだとおもわれる。


あたらし物ずきの日本人であるからして、サッカー先進国からやってきた
コーチに期待するものは最先端の高等戦術だ。
しかしクラマーは期待に反して、
サイドキックなどの基礎練習をひたすら反復させた。
そしてチームの結束をたかめるために、
当時でさえ時代おくれだったとおもわれる合言葉をもちいた。

これで韓国に勝てるはずはない。
そのとき、日本に来て初めて、私はヤマト魂という言葉を使った。
「キミたちにヤマト魂はあるのか。
ヤマト魂はどこにいった。
私は失望したぞ。」


異邦人が大和魂のなにを理解していたのかはよくわからないが、
そのドイツ的解釈はわかい選手の耳に新鮮にひびいたのではないか。
こうして日本代表は、東京やメキシコの
オリンピックにむけての準備をととのえてゆく。


落下傘部隊をひきいていたクラマーが単純な精神主義者であるわけもなく、
外国とたたかうには個人の能力が必要であることをよくしっていた。
「日本は組織力でたたかうしかない」と盲信する、
今日の能天気な日本人監督とは一味ちがう。
将来の指導者として、仲間からの信頼があつく統率力のある長沼健や、
頭脳明晰で語学に堪能な岡野俊一郎をそだてた。
人事の決定権がクラマーにあったわけではないが、
スタッフの刷新をはたらきかけていたらしい。
得点をとるために杉山隆一と釜本邦茂の連携をねばりづよく鍛えあげ、
チームの最大の武器とした。
左サイドの杉山からのパスを釜本がきめたゴールで、
日本代表はメキシコ五輪の銅メダルを獲得したが、
これはクラマーがふたりが音をあげるまで何百回と練習させたプレーだった。


まだアマチュアだった当時のサッカー界は、
メキシコ五輪のあと資金不足で強化に力をいれられず、
釜本や杉山につづくスターもあらわれずに長い低迷期をむかえる。
ねむっていた「大和魂」は、くすぶっていた灰に
火がついたように九十年代に突如として復活するが、
その土台をきずくのに小柄なドイツ人がどれほど貢献したのか、
われわれはしっておくべきだろう。


デットマール・クラマー 日本サッカー改革論デットマール・クラマー 日本サッカー改革論
(2008/08/07)
中条一雄

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