熊本城、陰茎、陸上自衛隊 ― 『翔ぶが如く』を読んで

熊本城

翔ぶが如く
司馬遼太郎
[文春文庫版で読了]

この長編小説をかなりまえに読みおえていて、
感想を書こうとおもっていたのだが、むずかしかった。
すばらしい作品にはちがいない。
再読したことで自分のなかでの評価もたかまり、
著者の最高傑作なのではないかともおもっている。
司馬遼太郎が五十代はじめの四年弱をついやした長い新聞連載で、
主要な人物がきえたり、目だたなくなったりする構成上の缺点があり、
単調なできごとの羅列に退屈する部分もある。
しかし薩摩士族の颯爽としたふるまいが実にあざやかで、
その香気にゆったりひたるたのしさは何にもかえがたい。
司馬は薩摩弁を習得するために相当勉強したらしいが、
随所にちりばめられた薩摩ことばが効果的だ。
いつか芋焼酎でも飲みながらまた読みかえしたい。

だがこの小説の読後感はにがい。
晩年の司馬がとらわれた悲観主義の芽がすでにでているようだ。
かれは美的行動者としての「サムライ」が大好きで、
なかでも薩人をその代表者とみなしているようだ。
しかし作品のなかでは、近代的な権力の装置がすりこ木のように運動し、
日本がほこるべき美意識の体現者たちが抹殺されてゆく。
私見だが司馬の考えでは、おそるべき権力装置、
すなわち「官」の発生は徳川家康の時代にさかのぼる。
この歴史作家は家康がきらいで、おもくるしい社会体制が二百六十年も
つづいたせいで日本人の精神はいびつになった、という風に書いていたはず。

家康は関ヶ原のたたかいで自分に味方した加藤清正の領地を加増し、
肥後の五十二万石をおさめる大名とした。
薩摩の島津氏が反乱をおこすことをおそれ、
清正がそれに対する抑えとなることを期待したらしい。
築城の名手とされる清正は熊本城をきずき、南方の薩摩ににらみをきかせる。
そして家康が感じていた脅威が正当であったことが証明される。
かれのつくった幕府が薩摩藩と長州藩の手によってほろぼされたからだ。
熊本城も江戸幕府をまもる役には立たなかった。
そもそも加藤家は1632年に改易され、肥後国は細川氏が後をついでいる。

征韓論にやぶれて薩摩にもどった西郷隆盛らが西南戦争をおこすのだが、
熊本城は幕府が消滅したあとになってようやく真価を発揮する。
それでこそ権力装置だ。
日本最強の軍団であると自負し、周囲からもそう評価されていた薩軍は、
熊本城を本拠地とする鎮台の百姓兵など簡単にもみつぶせるとかんがえた。
しかし司令官・谷干城にひきいられた鎮台兵は勇敢にたたかい、
清正が設計した石垣の「武者がえし」もおおいに有効で、
薩兵はひとりたりとも城内に侵入できなかった。
田原坂の激闘など、抜刀し絶叫しながら敵陣にとびこむ示現流の薩兵と、
近代的軍事思想のもとで訓練された鎮台兵のたたかいはあまりに生々しく、
読んでいるだけで血のにおいがただよってくるほどだ。
酸鼻をきわめる描写もある。

攻撃部隊には戊辰のうらみとして薩人を憎む地方のものが多かったせいか、
戦闘終了後には残虐行為が頻出した。
死体はどういうわけか政府軍の兵士のために多くが裸にされていた。
なかには陰茎が切りとられて口に哺ませられていたりした。
戦争を高貴なものとして教えられてきた薩人に対し、百姓あがりの鎮台兵が
戦争の本質が何であるかを教えているようでもあった。


簡潔ながら、歴史の無残さが胸につきささるような書きぶりだ。

しかしもっとも残酷な人物は、当時においても
薩摩の実質的な支配者だった島津久光だろう。
東京の政府に対し不平をかかえていた久光は、陰に日向に西郷たちを
支援していたのだが、乱の責任を追及する勅使に対して狡猾にふるまい、
家臣であり、当時県令をつとめていた大山綱良を見殺しにした。
司馬は刑殺された大山を「道化師」とあわれむ。
久光はさらに、西郷ら首魁の数名のみを処刑するかわり、
参戦したすべての士族は放免せよ、という条件の休戦をもとめた。
戦況の不利をみて自分の権力基盤の保存をはかったのだ。
もちろん休戦請願は却下されたのだが、トノサマの卑怯な態度をみると、
サムライの美意識へのあこがれもむなしくなるというものだ。

西南戦争後、西郷の盟友で、のちに政敵となった大久保利通は暗殺される。
家康がつくり、大久保がそだてた権力装置だけがこの国にいきのこった。
熊本には陸上自衛隊西部方面隊の司令部があり、
いまも軍事的に重要な役割をになっている。

翔ぶが如く〈1〉 (文春文庫)翔ぶが如く〈1〉 (文春文庫)
(2002/02)
司馬 遼太郎

商品詳細を見る
関連記事

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最近の記事
記事の分類
検索とタグ

著者

苑田 謙

苑田 謙
漫画の記事が多め。
たまにオリジナル小説。

Twitter
メール送信

名前
アドレス
件名
本文

カレンダー
01 | 2020/02 | 03
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
月別アーカイヴ
02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03