メイドさん注意報 ― 「坊っちやん」を読んで

メイド

坊っちやん 
夏目漱石 著
[漱石全集(岩波書店)で読了]

夏もさかりが近づき、週末はおれの家の近くでもちょっとした祭りがひらかれていた
それにしても東京の人は祭りがすきだねえ
おとなしい女の子でも、祭りと聞けば目をかがやかす
おれの東京ぐらしもそこそこながいのだが、さびしいことに地元の共同体にまったく縁がないので、町内の貧乏くさいイベントに参加しようとはおもわない
そもそも郊外の千葉そだちのおれは、祭りに心をおどらせた記憶がない
この町は生活するためにある空間なのだから、余計な行事をしてもらっても邪魔なだけ
遊びたいときは自分で遊び場をみつけるよ、てなもんだ
お面をかぶってウキウキ顔の子どもを見ればかわいいとおもうけれど、距離感はうまらない

おれが江戸っ子ときいておもいうかべるのは、立川談志とかビートたけしとかかな
かなりかたよった人選にちがいないが
豪傑を気どってはいるけれど、どこか傷つきやすそうな人となり
あまり友だちにはなりたくない種類の人たちかなあ
夏目漱石の「坊っちやん」の主人公は物理学校を卒業したばかりの数学教師で、たぶん日本文学史上もっとも有名な江戸っ子だ
ちなみに映画史からえらぶなら車寅次郎
坊っちゃんは無鉄砲で喧嘩っぱやく、わざとらしいほど典型的な江戸っ子気質になっている
松山に赴任した数学教師がおこす騒動をえがきながら、漱石は田舎の風俗と対比することで江戸っ子の滑稽さをたくみにあぶりだす
さすがにまあうまいものだ
それでもおれはこの主人公をすきになれないなあ
なんだかこの人はいつもおこってばかりで、地の文がうるさく感じるのだ

ひさしぶりに「坊っちやん」を読みかえして気づいたのだが、この小説はむやみに金の話がおおい
江戸っ子は宵ごしの銭はつかわないと聞いているが、そのわりに金勘定ばかりしている
蕎麦屋に行けば金の話、温泉に行っても金の話
温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。其上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へ這入つた。すると四十円の月給で毎日上等へ這入るのは贅沢だと云ひ出した。余計な御世話だ。
おなじ数学教師の山嵐とは一銭五厘をかえすかえさないで喧嘩になる
そういえば、この小説におけるただ一つの劇的な事件であるマドンナをめぐる三角関係も、うらなりの昇給を口実にした赤シャツの陰謀としてかたられるのだった
坊っちゃん、やはりおかしな人だ

江戸っ子は蕎麦はすきでも女はすきじゃない、すくなくともそういうフリはする
だから堅気の女を相手に惚れた腫れたとさわぐなど野暮の骨頂
マドンナが登場する場面でも、
所へ入口で若々しい女の笑声が聞えたから、何心なく振り反つてみるとえらい奴が来た。色の白い、ハイカラ頭の、脊の高い美人と、四十五六の奥さんとが並んで切符を売る窓の前に立つている。おれは美人の形容抔が出来る男でないから何にも云へないが全く美人に相違ない。何だか水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握つて見た様な心持ちがした。
水晶、香水と興味ぶかい比喩をもちいてはいるけれど、舌たらずで物たりないというか
江戸っ子漱石の限界といえるかもしれない
そのかわり坊っちゃんは、物語の全編にわたって下女の清に対する執着をみせる
この「婆さん」にささげたつよい慕情が、本作をわが国民最大の愛読書たらしめているのはまちがいないところだ
話はとぶがマルセル・プルーストの「失われた時をもとめて」の登場人物のなかで、フランス人にもっとも愛されているのが主人公につかえる老齢の女中、フランソワーズらしい
よく気がつき仕事もできるけれど、変に正義感がつよくてわがままで、いっていることはトンチンカンで、そんなところがこの上なくフランス的に感じられるとか
漱石とプルーストはだいたい同世代の作家なのだが、このふたりの代表作が「メイド萌え」の主題でなりたっているのはどういう偶然なのだろうか

坊っちゃんは赤シャツに暴行をくわえて中学をやめたあと東京にもどり、月給二十五円(けっきょく最後まで金の話!)の街鉄の技手として就職し、清をまた呼びもどした
清は玄関付きの家でなくつても至極満足の様子であつたが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹つて死んで仕舞つた。

しかし最愛のメイドさんが死んだというのに、坊っちゃんは案外淡々としている
借りはある程度かえしたという満足感があったからではないだろうか
主人公を溺愛していた清は、兄ばかり贔屓する母親をみて不憫におもったのか金銭的な援助もおしまなかった
坊っちゃんはもらった三円を蝦蟇口ごと便所におとしてしまうが、清は竹の棒をつかって茶色にそまった壱円札をとりもどした
これは強烈なトラウマだといえるだろう
坊っちゃんの奇矯な言動は、献身的なメイドの滅私奉公と、ウンコまみれの壱円札三枚の幻影につきまとわれていたことが原因にちがいない
無償の愛なんてどの時代にも存在しないのです
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