仲谷鳰『やがて君になる』第44話

 

 

やがて君になる

 

作者:仲谷鳰

掲載誌:『月刊コミック電撃大王』(KADOKAWA)2015-19年

単行本:電撃コミックスNEXT

ためし読み当ブログの関連記事

 

 

 

最終話直前の「お泊り回」である。

侑は、晴れて恋人同士となった燈子の自宅を、

相手の両親が旅行に出ている隙に、緊張しながら訪ねる。

ところがタイミング悪く、玄関で両親と鉢合わせしてしまう。

女同士なので怪しまれなかったが。

侑自身の人畜無害な雰囲気も役立ったろう。

 

 

 

 

料理中の会話の場面。

「恋人」「付き合ってる」という言葉を使いたくない、と燈子は言う。

客観的に見て、それ以外の何物でもないのだが、

言葉というのはぞんざいで、使い古されて汚れてるから拒絶する。

4巻にもあった、言葉に対する痛烈な攻撃だ。

 

完結により、『やが君』の歴史的意義が明確になった。

本作の斬新さは、ジャンルの爛熟期に現れたジャンル漫画である一方で、

その属するジャンルを否定し乗り越えた点にある。

ロボットアニメの飽和期に始まった『新世紀エヴァンゲリオン』が、

ジャンルの約束事を踏襲しつつ、それを否定する立場を取ったのに近い。

 

 

 

 

夜も更けたころ、ふたりは結ばれる。

肌はやけどしそうなほど熱く、じっとり汗ばむ。

いつもの涼しげな作風の対極にあるシーンだ。

 

 

 

 

侑の広背筋の描写とか、解剖学的な面白さがある。

これまでずっと静かな湖面の様だった絵柄が、

肉体と肉体が複雑にからみあう、三次元のパズルへ急接近する。

本作のテーマが「仲谷鳰の画才を見せつけること」だとすると、

みごとにオペラの終幕を飾るのに成功している。

 

 

 

 

後書きで作者が分析している。

やが君は、やたら感想が多い作品だと。

こんなブログを書いてる人間としては、

天才の手のひらで転がされてる気がして悔しい。

 

ではなぜ、人はやが君について語りたがるのか?

上述した歴史的意義や、作風の空虚さが理由だろう。

エヴァンゲリオンが、語られすぎなほど語られた様に。

 

 

 

 

僕も随分本作について語ったが、語りきった感じはしない。

それほど偉大だったり、深みがあるとも思えないが、

シルエットが不鮮明で、得体が知れないところがある。

とりあえずの結論は、「やが君は10年代の『エヴァ』である」だ。

残酷な百合のテーゼだ。

エゴサした作者が見たら鼻で笑いそうだが。





関連記事

テーマ : 百合漫画
ジャンル : アニメ・コミック

タグ: 百合 
最近の記事
記事の分類
検索とタグ

著者

苑田 謙

苑田 謙
漫画の記事が多め。
たまにオリジナル小説。

Twitter
メール送信

名前
アドレス
件名
本文

カレンダー
10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイヴ
04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03