wogura/田岡りき『スクール×ツクール』
スクール×ツクール
作画:wogura
原作:田岡りき
掲載誌:『ゲッサン』(小学館)2019年-
単行本:ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル
[ためし読みはこちら]
文芸部員の「中原奈子」が放課後、いつもの様に部室へ行くと、
そこは作業用ゴーグルをつけた少女に占拠されていた。
本棚を作るのを頼んだだけの関係なのに。
ゴーグル少女の名は「立川きずく」。
美術部に所属していた彼女には、秘めたる野望があった。
それは「DIY部」を立ち上げ、自分の作りたいものを作ること。
たとえば、屋上に秘密基地を築くとか。
DIYとは、いわゆる日曜大工を指すが、一方でDo It Yourselfの略であり、
「足りないものがあるなら自分で作れ」という精神も表している。
オクテの文芸部員だった奈子は、次第にきずくの行動力に影響される。
連れられたホームセンターでは、おもわず電動ドライバーを購入。
きずくの力を借り、試しに踏み台を作ってみた。
安定してるし、段差があって登りやすく、高いところの本も取れる。
世界にひとつだけの道具ができて、ご満悦。
武器を作って悪の組織と戦うとか、立派なお城を築くとか、
気宇壮大なエピソードはなく、いわゆる日常系の漫画だ。
ただ、イラストレーターとして活動するwoguraの初連載ということで、
構図の決まった絵柄で、地味な手作業をかわいく描写している。
- 関連記事
柳井わかな『シンデレラ クロゼット』
シンデレラ クロゼット
作者:柳井わかな
掲載誌:『別冊マーガレット』(集英社)2019年-
単行本:マーガレットコミックス
[ためし読みはこちら]
主人公の「福永春香」は大学2年生。
華やかなキャンパスライフに憧れて上京したのに、
バイトに忙殺され、常にすっぴんの地味な毎日を送っていた。
もちろん彼氏はいない。
バイト先の焼き鳥屋があるビルで、謎の美女「光」と出くわした。
別の階のキャバクラかなにかで働いてるらしい。
おしゃれでスタイルがよく、芸能人と見紛うほどだ。
春香はバイト先の先輩に片思いしているが、まったく脈がなかった。
藁にもすがる思いで、美容の専門学校へ通う光にファッションを教わる。
毒舌な光の吐く名言が、本作の読みどころだ。
作者はアシスタントの仕事が中心だったが、服好きが嵩じて、
街ゆく女の子のファッションスケッチをインスタグラムに上げてたら、
それがバズって本作のアイデアが浮かんだらしい。
たしかにアクがなくすっきりした絵柄は、服の描写とのバランスがいい。
初デートも光の見立てで全身ばっちり決めるが、なんかうまくいかない。
慣れないヒールで靴擦れしたり、コンプレックスから見栄を張ったり。
背伸びすればするほど、本当の自分から遠ざかり、空回りする。
なので、好きな人と正面から向かい合う覚悟を決めた。
ファッションを題材に主人公の精神的成長が描かれ、読み応えがあった。
- 関連記事
『竜圏からのグレートエスケープ』 第2章「黒竜王」
山手線の高架を潜った先の、副都心と呼ばれた西新宿は、歌舞伎町より無慚に朽ち果てていた。人と竜の、ときに竜同士の争いに巻き込まれ、すべての超高層ビルが倒壊していた。腐蝕し蔦が絡みついた現代建築は、退廃的な美を湛えていた。
ジュンと因幡は、瓦礫に身を寄せて暴風雨を避けながら、荒廃した土地を進んでいった。
まだ竜族との遭遇はない。重傷を負ったジュンにとって、仲間の存在は正直ありがたい。目と耳がもう一組あると、警戒しながらの戦術的移動がしやすい。
ターゲット以外との交戦は絶対避けたかった。
クサナギの使用はあと一回が限度だ。九頭竜を斃すのに霊力を使いすぎた。これ以上はジュンの身心が保たないだけでなく、嵐による付随被害も取り返しのつかない規模になる。
一撃離脱。生き残るにはこれしかない。
数頭のワイバーンが、暗雲を引き裂いて飛び交った。金切り声を地上へ響かせた。ワイバーンはもっとも飛行が速い種族であり、偵察・警戒・連絡などの役割を務める。竜族は電波が通らない竜圏において、複雑な啼声と共有される記憶により、高度な移動情報通信システムを構築していた。
雲翳を見上げながらジュンが言った。
「あと十五分が限度だな。包囲される前に逃げるぞ」
因幡が言った。「赤竜まで来たら厄介ですね」
「黒竜の縄張りのど真ん中だから、それはない。いま襲ってくるとしたら人間の奴隷だろう。注意しろ」
「あの盗賊団が裏切るかもしれませんよ」
前行する因幡の広い背中をジュンは眺めた。盗賊を作戦に引き入れるのに彼は猛反対していた。
「ああ見えてホムラは筋を通すタイプだ。利益も与えてある。心配いらねえよ」
「だといいのですが」
足許に流れる雨水にジュンは指を浸した。コールタールの様に黒ずみ、粘りついた。鼻が曲がりそうな臭気も漂った。
ジュンが囁いた。「近いな」
因幡は無言で頷いた。楽天イーグルスの臙脂色のキャップの下の、端正な顔が引き攣っている。
いまから対峙するのは、大地を支配する黒竜族の長だった。人類はまだ、族長クラスの竜を斃した経験がない。終わってみれば、黒竜王が飲み込んだ膨大な血の量が、また一滴増えるだけの結末に至るかもしれない。
賭博なら、二人はそっちにベットするだろう。
コンクリートの砕片が崩れないよう慎重に、ジュンと因幡は斜面を登った。都庁前の半円形の広場に出た。午後二時なのに空は暗澹としており、視界は不鮮明だった。ナイトビジョンを用意すべきだったとジュンは後悔した。前方に倒れた二百四十三メートルの都庁舎が、広場を占拠していた。
「おかしい」ジュンがつぶやいた。「黒竜王はこの辺りにいるはずなのに」
轟々という音が響いた。
ジュンはぎょっとして飛び跳ねた。三年に及ぶ軍歴で、その音が何を意味するか知っていた。
巨竜の寝息だ。
P90を瞬時にクサナギに持ち替えた。近辺で寝ているであろう黒竜王を探した。
ジュンが叫んだ。「クソッ!」
見誤っていた。広場に横たわっていた物体は、倒壊した都庁舎ではなく、眠っている黒竜王だった。
これほど巨大とは。
三年前、ジュンは黒竜王を間近に見たことがあった。あれからさらに肥大化していた。
ジュンは戦慄した。武者震いだった。
ついに辿り着いたぜ。
お父さんとお母さんの仇の居場所に。
黒竜王の尾の方から、人間の女の声がした。
「待ちなさい! 私たちが相手になるわ」
飛鳥時代みたいな黄色の衣装を着た五人の女が、横坑から現れた。プリーツスカート風の裳を穿き、鉄矛を持っていた。
ジュンは納刀しつつ、舌打ちした。
心配した通りだ。竜から解放されて歓喜すべき立場の人間が、得てして歯向かってきやがる。
女たちは黒竜王の妻だ。聞かないでも解る。戦前は政府が籤引きで人身御供を差し出したし、戦中はブラックマーケットで多くの女が売られてきた。竜族がいかなる審美眼に基づいて人間の妻を選ぶのかは謎だが、五人とも王の側女にふさわしい器量を備えていた。
ライフルに矛で対抗するデタラメさは、女たちが衣装だけでなく世界観まで古代風に染まった証拠だ。インカ帝国を征服するときのスペイン人の心境を、ジュンは理解した。
文明を信じない敵が、いちばん厄介だと。
おいそれと人間に手は出せない。竜圏は少なくとも名目上、日本の法律が適用される領土だ。無法地帯ではない。下手を打てば、政治的にこっちの首が飛ぶ。
長い黒髪を後ろで束ねた女が言った。
「竜王様への乱暴は許さない」
「ええっと」ジュンが言った。「特殊生物被害者保護法にもとづき、皆さんを竜圏外へ送還します。こちらの因幡衛士長の指示に従い、速やかに退去してください。従わない場合は敵性勢力と見做され……」
「竜王様は重い病に罹ってるの。おそらく寿命なの。お願いだからそっとしておいてあげて」
ジュンは振り返って黒竜王の寝顔を見た。健康かどうか診断できない。ジュンが精通してるのは竜の殺し方だ。
ジュンは怒りを篭めて女を睨んだ。
この女たちの言動は想定内だ。ストックホルム症候群だ。人質が誘拐犯に愛着を示すというあれだ。珍しくもない。
あたしはただ、邪魔されたくないだけだ。
ジュンが因幡に言った。
「こいつらを武装解除して追っ払え。抵抗したら撃っていい。あたしはサクヤが来る前にケリをつける」
因幡が言った。「了解」
サクヤとは、禁衛府次長の清原サクヤのことだ。中学以来の親友としてジュンを補佐するだけでなく、独走しがちな相棒の手綱を締めるお目付役でもあった。
五人の女は、近づく因幡に穂先を向けた。皆へっぴり腰で、アサルトライフルを装備した衛士の敵ではない。
それでも彼女らは、徹底抗戦の意志を示していた。
長髪の女がジュンに言った。
「聞いて。あなたは竜王様の御心を知らないだけなの」
「なめんな」ジュンが言った。「あたしはこのトカゲ野郎をようく知ってる。最低最悪の人食いモンスターだ」
「竜王様は本当は平和を望んでおられる」
「うるせえ、ビッチ。寝言は地底界に帰ってから言え」
「人と竜は解り合える。種族の違いは問題じゃないの」
因幡は固唾を呑んだ。背後にいるジュンが、女を真っ二つにする衝動に駆られるのを気配で察した。人間の殺害は物議を醸す。ジュンの統率力や戦術眼を尊敬しているが、若さゆえの軽率さを感じるときもあった。
あえて因幡はSCARを捨てた。釣られて女の一人が、やあっと無意味な叫びを上げて矛を突いてきた。因幡は右に動いて躱し、女の腕を取って転がした。もう一人に足払いした。ジュンと口論していた長髪の女の側頭部に、拾った矛の柄を叩き込んだ。残る二人は戦意喪失し、矛を放棄した。
鮮やかな手際に感心し、ジュンは鼻を鳴らした。
高校時代まで野球選手だった因幡は、百八十四センチと長身だ。肩を壊して引退する前は、プロから声が掛かるほどの剛速球投手だったらしい。男なので霊力を使えないが、単純に近接格闘の技倆であればジュンを凌いでいた。
ジュンと因幡はアイコンタクトした。
決着をつける時だ。
左手をクサナギの鞘に添え、ひとりでジュンは一歩また一歩と、黒竜王の頭部へ近づいた。心臓が高鳴っていた。
お父さん、お母さん。
見ててね、今からあたしがすることを。
黒竜王の瞼が持ち上がった。濁った目でジュンを見下ろした。
努めて平静な口調で、ジュンが言った。
「よう、久しぶり。あたしを覚えてるかい。それとも人間なんて餌だから、気にも留めないかな」
竜族は人間の言語を解する。発声はできないが、人間の精神に直接言葉を送り込むことができた。
「覚えているとも」黒竜王が言った。「我々の記憶は失われることがない。そしてその記憶は竜同士で共有される」
「あたしも竜だったら赤点取らずに済むのにな」
「暁ジュン、お前は両親の仇を取りに来たのか」
「たりめえだろ。そのためにあたしは生きてきた。地獄の様な戦場を潜り抜けて」
「どれだけ竜を殺した。どれだけ人間の被害者が出た」
「あたしに説教すんな、トカゲ野郎。命乞いをしたけりゃ聞いてやる。まあその後で瞬殺するけどな」
「哀れな。憎しみに囚われた娘よ」
ジュンはクサナギを鞘走らせた。しかしバチバチと火花が散る音がして、刀は固まった。手許を見ると、鍔のところに電光の鎖が巻きついていた。
霊力によってクサナギが封じられた。誰がやったのかは解っている。その権限を持つ人間は一人しかいない。
暗がりを見回しながらジュンが叫んだ。
「サクヤッ! 霊鎖を解けッ!」
死角から、禁衛府次長の清原サクヤが現れた。澄まし顔で刀の間合いに立っていた。抜けない以上斬られる恐れはない。
迷彩戦闘服を着たサクヤは、ジュンの中学時代の同級生だ。人目を引く容貌の持ち主だった。美少女というだけでなく、生まれつき唇と頬が真っ赤だった。あまりに唇が赤く、まるで生肉に食らいついた後みたいに見えるので、コンシーラーでごまかさねばならないくらいだ。
憮然と腕組みして、サクヤがジュンに言った。
「あなたはひどい人ね。私に前線の指揮を任せおいて、自分は秘密作戦をこっそり実行してたなんて」
「なぜ邪魔する。あと一太刀で黒竜王を葬れるんだ」
「作戦中止命令が出たからよ。首相直々の」
「ふざけんな!」
「ふざけてるのはあなたでしょ。霊剣の使用は一日一回までと決められてるのに、もう四回も使った」
「九頭竜を斃せたんだから価値ある勝利だ」
「犠牲が大きすぎる。霊力バランスが崩れたことによる異常気象で、関東地方のほとんどのダムが決壊した。どれほど被害が生じたのか見当もつかない。実質的に敗北よ」
「国民は理解してくれる」
「あらそう。弁明は軍法会議でするといいわ」
サクヤの真っ赤な唇が歪んだ。ナンバーツーである彼女には、長官を告発する法的権利がある。
ジュンは剣帯に差していた、鉈の様な戦闘用ナイフを振るった。サクヤは目を丸くして、自分の左頬を触った。華奢な指がべっとりと血で濡れていた。
「信じられない」サクヤが言った。「自分が何をしたのか解ってるの」
「霊鎖を解け。三度めは言わない」
「あなたは親友の顔を切ったのよ」
「それがどうした」
「狂ってる。あなたの辛い経験は知ってるわ。でも禁衛府を率いる責任の方が重いでしょう」
ジュンは苦しげに俯いた。明るく快闊な性格だが、ときおり陰鬱な表情を見せることがあった。醜い火傷が残る己の右腕を見つめていた。
ぼそぼそとジュンがつぶやいた。
「三年前、あたしは京王プラザホテルのレストランにいた。両親の結婚記念日を祝っていた。黒竜王が現れて新宿を壊滅させた。お母さんはあたしを庇って死んだ」
「家族を失ったのはあなただけじゃないわ」
「着飾ってキレイにお化粧したお母さんは、黒焦げになった。翌朝救助されるまで、あたしは瓦礫の下で一晩中、お母さんの焼け爛れた肉の臭いを嗅いでいた。一分一秒だってあの日を忘れたことはない」
「…………」
「たとえ世界が滅んでも、あたしは黒竜王を斬る」
闇の中でジュンの瞳が燃えていた。サクヤはこの幼馴染が、実は竜より恐ろしいモンスターだったのではないかと、考えを改めていた。本能的な恐怖に震えながら。
- 関連記事
-
- 『竜圏からのグレートエスケープ』 第6章「花嫁」 (2019/12/13)
- 『竜圏からのグレートエスケープ』 第5章「黒幕」 (2019/12/08)
- 『竜圏からのグレートエスケープ』 第4章「背任」 (2019/11/24)
- 『竜圏からのグレートエスケープ』 第3章「咬創」 (2019/11/10)
- 『竜圏からのグレートエスケープ』 第2章「黒竜王」 (2019/10/27)
『竜圏からのグレートエスケープ』 第1章「竜に咬まれた少女」
歌舞伎町、かつて不夜城と称された歓楽街は、いまや一望の廃墟だった。ビルの残骸からなるチャコールグレーの丘陵を、とめどなく雨水が流れ落ちた。鉄骨の枝に吹きつける烈風が、ガラスの破片の落葉を舞わせた。
黒い蛇に似た極大の何かが、道路を塞いでいた。竜の九本の首だった。切断されてもなお痙攣していた。
汚泥を掻き分け、セーラー服の少女が巨竜の屍骸の下から這い出た。白い制服は血と泥に染まっていた。竜に咬まれた左腕から夥しく出血していた。
彼女の名は暁ジュン。高校三年生だ。童顔を苦痛に歪めつつ、濁水の中を匍匐した。発達した犬歯のせいで、手負いのネコ科の猛獣みたく見える。腰のベルトに日本刀を帯びていた。
ヒトの何倍もの大きさの黒竜がジュンを見つけ、上空から襲いかかった。ジュンは乗り捨てられたトラックの下へ逃げた。黒竜は爪で引っ掻くが届かない。長い首を突っ込み、車体を軽々とひっくり返した。
黒竜は報復に燃えていた。ボスである九頭竜を、ジュンに斬り殺されたばかりだった。
四年前、東京は竜族によって占領された。
東京湾から竜の大群が、都心部へ上陸した。世界各地で同様の事態が発生し、甚大な被害をもたらした。散発的な戦闘と交渉の月日を経て、人類は武力をもって竜を排除すると決意した。当然の権利の行使だった。人竜戦争のはじまりだ。そして彼らは思い知った。竜という想像上の生物が、想像以上の力を持っていることを。人類は保有する戦力のすべて、具体的に言うと核兵器などを使用した。結果は絶望的だった。
それでもまだ、彼らは諦めてない。
歌舞伎町に横たわる屍骸は、西部戦線で猛威を奮った九頭竜のものだ。ワンサイドゲームばかりのシーズンにおいて、溜飲を下げる得点だった。
ズダダダッと銃声が轟いた。
楽天イーグルスの臙脂色の帽子をかぶった青年が、アサルトライフルのSCARを黒竜に対し発砲した。防水のフリースジャケットを着ており、長身で顔立ちは精悍だ。この二十二歳の因幡八代は、ジュンとコンビを組んで行動していた。
ジュンに食らいつきかけた黒竜が飛び退いた。翼に被弾したので飛行が安定しない。ビルの外壁にぶつかり、そこにしがみついた。
駆けつけた因幡が、ジュンのそばに膝をついた。青褪めたジュンの呼吸や心拍を確かめた。豪雨が降り注ぐ路面に、血溜まりができた。止血を急がねばならない。
ジュンは竜に捧げられた生贄のひとりだった。全面戦争が三年間繰り広げられる一方で、人竜間にはブラックマーケットが存在し、人身売買などの違法取引が横行していた。ジュンは生贄に紛れ込み、竜族の支配地域へ潜入した。セーラー服を着たのは、竜族は人間の処女を好むゆえ高値がつくからだ。
黒竜が外壁から降り立った。牙を剥き出しにして吠えた。因幡はしゃがんだまま縮み上がった。ジュンの救出という使命がなければ、尻尾を巻いて逃げるところだ。
因幡は脛でジュンの左腕を圧迫し、上腕動脈からの出血を抑えた。同時にSCARを連射した。黒竜は七・六二ミリ弾を厭いながらも、接近を止めない。因幡はすばやく弾倉を交換し、ひたすら撃ち続けた。
ギエェーッ!
眼球に銃弾を受け、黒竜が飛び去った。
因幡は射撃を止めた。SCARをスリングで提げ、ジュンを瓦礫の陰へ運んだ。止血帯を腕に通し、棒で巻き上げた。因幡は軍事組織である禁衛府の、下士官にあたる衛士長に任じられていた。救命の経験は、するのもされるのも豊富だった。
禁衛府のタスクフォースは今回の秘密作戦で、人身売買に携わる業者にカムフラージュした。そして不意打ちにより九頭竜を斃す大戦果を上げた。付近の残敵も掃討した。竜族は分厚い鱗と霊力で守られるが、使いっぱしりの小竜程度なら、ライフル弾などの通常兵器でも防禦を貫通できる。
運さえ良ければ。
静かに横たわるジュンに、因幡が言った。
「具合はどうですか」
ジュンが言った。「頭がぼんやりする」
「じきに後続部隊が到着します。そうしたら輸液しましょう」
雨は弱まる気配がない。人の手で管理されてない街路は排水機能が働かず、脛が浸かるほど冠水していた。
ジュンは雑居ビル一階のコンビニエンスストアで、看護師資格を持つメディックの治療を受けていた。乳酸リンゲル液の入った輸液バッグが右手の甲に繋がっている。咬創のある左腕はガーゼ包帯が巻かれていた。
ジュンの右腕は、指先まで赤黒く爛れていた。三年前に負った火傷の跡だった。皮膚移植手術を受けることもできたが、ジュンは拒否した。リハビリにかかる時間を、竜族に対する戦闘訓練に当てたかったからだ。
店内は浸水しているので、陳列棚を倒してその上に担架を置き、即席のベッドにした。自分のバックパックを枕にして角度をつけ、ジュンはタスクフォースの仕事ぶりを観察していた。
十八歳の暁ジュンは、禁衛府の長官を務めていた。事務方を含めて九千人を擁する組織の長だ。たしかに若すぎるが、上官がほぼ全員戦死したので抜擢された。もはや人竜戦争において、ジュンに指図できる人間は残っていない。
軍民混成部隊が、路上に停まるトレーラーに荷物を積み込んでいた。禁衛府の衛士は、生贄の少女十数名をコンテナへ誘導した。可憐な少女らは解放されて安堵するより、人と竜の戦闘の凄惨さに怯えていた。盗賊は黒光りする石を、積載量の限界まで載せた。霊力が篭もるこの竜鉱石が、彼らの報酬だ。
衛士と盗賊が口論を始めた。五人の盗賊が持ち場を離れ、ぞろぞろと廃ビルの方へ向かった。因幡たち衛士はSCARを構えて戻るよう命令するが、聞く耳を持たない。
コンテナから、生贄の少女らの甲高い悲鳴が聞こえた。スキンヘッドの盗賊が、卵型の手榴弾を握る右手を持ち上げている。ピンを抜いて起爆できる様にし、少女らを人質に取った。
ジュンは寝ながら親指の爪を噛んだ。
盗賊どもの魂胆は見え透いている。どこかに金目のものを見つけたのだろう。敵地である新宿からは早急に離脱すべきだが、連中は欲を掻いて勝手に行動しだした。
ジュンは救急キットに手を伸ばし、錠剤を頬張った。噛み砕いて飲み込んだ。いわゆる覚醒剤のアンフェタミンだ。激痛と疲労を解消するためには頼らざるを得ない。
輸液バッグのチューブを抜き、寝心地最悪のベッドから水浸しの床へ降りた。履いてるのは学校指定のローファーなので、とっくに黒のソックスまでびしょ濡れだった。傍らに置いていたクサナギを腰の剣帯に差した。この霊剣こそが、竜鉱石を鍛造して仕上げた決戦兵器だ。
あっと驚いたメディックによる制止を黙殺し、ジュンは通りへ出た。激しい風雨に打たれ、前髪が額に貼りついた。
盗賊を追って新宿東宝ビルへ、水溜りをばしゃばしゃと進んだ。元はシネマコンプレックスやホテルが入居する大型施設だった。風俗店の看板を通り過ぎた。壊滅する前の歌舞伎町は、広範な欲望を飲み込むユニークな空間だった。
泥濘に足を取られ、ジュンは手をついた。輸液したとはいえ、踏ん張りが利かない。呼吸も不安定だ。
背中に提げていたサブマシンガンのP90を持った。トリガーの下のセレクターをフルオートに合わせた。貫通力の高い特殊な弾薬を、拳銃のファイブセブンと共用できる優れた銃だ。ただしジュンが選んだのはアニメの影響だが。
動かないエスカレーターを歩いて上り、シネコンの内部へ入った。異臭が鼻腔を刺激した。ロビーには一面、竜の卵が並んでいた。孵化して卵殻を破った子竜もいる。深いエメラルド色の鱗を持つ緑竜だ。ロビーは産卵と孵化のための施設として使われていた。絨毯敷きの床を覆う粘液が、ローファーの底にこびりついた。
ロビーには盗賊が七人いた。大きな卵を両脇に抱え、持ち出そうとしていた。ブラックマーケットで売り捌くつもりだ。よちよち歩きの子竜が同胞を救おうと咬みつくが、盗賊に蹴り飛ばされた。泡を吹いて気絶した。
紫のタンクトップを着た女盗賊のホムラが、略奪を仕切っていた。この盗賊団では古株で、額に傷跡があった。
「ホムラ」ジュンが言った。「卵と子供には手を出すな」
「これはめっけもんだよ。緑竜の卵は竜鉱石より高く売れる。たまらなく美味なのさ。あんた食べたことあるかい?」
「聞いてるのか。あたしは卵を盗むのを許可してない。時間的にも限界だ」
ホムラはジュンに詰め寄った。豊満な胸を誇示するかの様に反り返った。
「いいや、聞こえないね。ウチらは盗賊だ。お宝を見つけたのに放置なんて、できるもんか」
「まだ生まれてすらない竜に罪はない」
「おやおや。ドラゴンスレイヤー様の御意見とは思えないね。竜は竜だろう。成長すれば人間を襲うんだ」
「緑竜はおとなしい種族だ。こちらから仕掛けないかぎり害はない」
ホムラは首を横に振った。竜退治のエキスパートと議論する愚を悟った。卵を抱えたまま、包帯を巻いたジュンの肩にわざとぶつかり、ロビーから出ようとした。
カシャッ。
ジュンはP90のコッキングハンドルを引いた。無言でホムラの脊髄に照準を合わせた。
ひゅうと短く口笛を吹き、ホムラが振り返って言った。
「ウチを撃とうってのかい。竜圏の外にいる仲間が黙ってないよ。禁衛府が盗賊と組んでると知れたら、世間は大騒ぎだね」
「卵を元に戻せ」
「もともとあんたは恨まれてるんだ。霊力を使いすぎるせいで洪水が起きて、市民が何万人と死んでいる。竜に殺された人数より多いじゃないか」
ジュンは銃口を下げた。首を回してボキボキと鳴らした。
「竜鉱石をやる」
「なんだい」
「折半する約束だったが、全部くれてやるよ」
破顔一笑したホムラは、八歳年下のジュンの肩を抱いた。
「さすがは長官閣下! 話がわかるねえ」
「うるせーな」
「他の軍人連中と違って、あんたのそういう融通の利くところ、ウチは好きさね」
ホムラはふくよかな胸を押しつけ、ジュンの頬にキスした。
シネコンから出ると、トレーラーの荷積み作業は終わっていた。天候はさらに悪化し、大型台風が直撃した様な暴風雨となっていた。交通標識のポールにつかまらないと、ジュンは立つのもままならない。
野球帽をかぶった因幡が敬礼し、ジュンに言った。
「帰投の準備は完了です。手榴弾を使った不逞の輩も処理しました」
「え、殺したの?」
「穏便に話をつけました」
「ふうん」
ジュンはコンテナを一瞥した。スキンヘッドの盗賊が中で座っていた。腫れ上がった顔は、原型を留めてなかった。
「長官は」因幡が言った。「計画通り、単独で黒竜王の討伐に向かうのですか」
「ヤツとは知らない仲じゃないんでね。ここまで来て挨拶せずに帰るのは不義理ってもんだろ」
「自分もお供します」
「却下だ。何度も言わせんな」
突風が吹き、標識のポールが根本から折れた。因幡が突進し、ふらつくジュンを押し倒した。
ドーンッ!
凄まじい騒音がし、地面が揺れた。
路上に黒い物体が出現していた。怪獣映画のゴジラの頭部だ。東宝ビル八階に飾られていたオブジェが落下した。もしあそこにいたらと思うと、ジュンの背筋は寒くなった。
覆いかぶさる因幡の顔を見上げ、ジュンが言った。
「ありがとう」
「長官には何度も助けていただきました。これくらいお安い御用です」
至近距離で囁かれ、ジュンは紅潮した。ほころぶ口許を手で隠した。まるでプリンセスに仕えるナイトではないか。
息がかかるほど近くで、因幡が言った。
「長官、お願いします。お供させてください」
「いいから帰還しろ。これは命令だ。黒竜王と刺し違えるのは、あくまであたし個人のミッションだ。巻き込みたくない」
「その命令には従えません」
「頑固だな。霊剣遣いならともかく、お前なんかいても役に立たない。死体が二つになるだけだ」
「そんなことはさせません。長官は自分がお護りします」
雷光が因幡の顔を照らした。落ち着き払った表情は、決意の固さを感じさせた。
人竜戦争において今のところ最大の会戦である「スカイツリーの戦い」で、ジュンは因幡の命を救った。それ以来彼は忠節を尽くしていた。
情熱的に口説かれ、ジュンの心は動いた。そもそも因幡を直属の部下に選んだのは、訓練の成績が良かったからだが、顔写真がイケメンだったのが大きい。
ガシャンと、ガラスの割れる音が響いた。盗賊たちがコンテナ内部で宴会を始めていた。なにせ飲み屋の多い地区なので美酒には困らない。スキンヘッドの男が生贄の少女にちょっかいを出し、怖がらせていた。
立ち上がって大きく息を吐き、ジュンが言った。
「やっぱり因幡が帰投を指揮しろ」
「しかし」
「衛士が三人だけでは盗賊を抑えられない。女の子に被害を出したくないんだ。頼むよ」
「わかりました。長官もどうか無理をなさらずに」
「大丈夫。そう簡単にあたしは死なない」
因幡は足早にトレーラーへ向かった。
にやにやと笑みを浮かべ、ホムラが背後から近づいた。ウィスキーの瓶をラッパ飲みしていた。
ジュンの耳許で、ホムラが言った。
「ハンサムな男じゃないか。あんたのいい人かい」
ジュンが言った。「そんなんじゃねーよ」
血相を変えて振り返り、因幡が叫んだ。
「そこの盗賊! 我ら軍人を侮辱するか!」
「なんだよ。おっかないね」
「貴様らなどには解らぬだろうが、自分は断じて、よこしまな思いで長官に仕えているのではない!」
吹き出すのを堪えながら、ホムラがジュンに囁いた。
「あんたも苦労が多いねえ」
「ほっとけ」
「あれじゃあ脈はないな。ウチがもらっても構わないかい」
「アラサー女が何言ってんだ」
「二十六歳はアラサーじゃないさ」
「四捨五入したら三十だろ」
「正しくは『二十代半ば』って言うんだよ。それはともかく長官閣下、御武運を!」
おどけて敬礼し、ホムラはコンテナへ乗り込んだ。因幡の隣に座り、ウィスキーのマッカランを勧めた。因幡は不機嫌そうに瓶をあおった。
ホムラは自分の髪や上半身をタオルで拭いた。いくらか乾いた髪をカチューシャで止めた。額に走る傷が露わになっていた。前髪で隠せるのに、気にならない様子だ。
聞いた話では、ホムラは風俗店で働いていたとき、頭のおかしい客に傷をつけられたらしい。それから盗賊稼業に転向したと言うが、本当かどうかは解らない。とにかく自由奔放に生きる女だった。下品な冗談で荒くれ者たちを笑わせ、すぐに輪の中心となっていた。
ジュンの胸の奥がきりきりと疼いた。我慢できなくなって叫んだ。
「因幡、ついて来い!」
「はッ」
因幡はSCARを持ち、コンテナから飛び降りた。目を輝かせ、ゴジラ像のそばに立つジュンに駆け寄った。
過積載ぎみのトレーラーが発進した。コンテナの扉が閉まるとき、ホムラがウィンクするのが見えた。
- 関連記事
冬目景『空電の姫君』1巻
空電の姫君
作者:冬目景
掲載誌:『イブニング』(講談社)2019年-
単行本:イブニングKC
ウェブ媒体への移行を拒み、出版社を移り、タイトルもちょっと変え、
『空電ノイズの姫君』は『空電の姫君』として再始動した。
連載途中での移籍は難しいというが、そこは冬目景作品、
何事もなかったかの様にマイペースにスタートを切る。
マオとヨキコのだらだら女子トーク。
恋愛をレンアイと書くオトメっぽさが楽しい。
いわゆるダレ場だが、読み飛ばしは禁物。
弛緩したやりとりの中に、食い違いや擦れ違いを見て取れる。
高校でのシーン。
なにかとマウントを取ってくる女子グループへむけて、
マオが一瞬だけ鋭い視線を投げる。
叙情的だが、情緒に流されはしないのが、冬目景の作風。
本巻でマオは、大失敗した前回のライブのリベンジを果たす。
あくまで冬目基準において、いつになく『空電』はポジティヴだ。
今年出たソニック・ユースの伝記を読んだら、藝術性と商業性を両立した、
理想的なキャリアに見えたバンドが、実はレコード会社との関係に苦しみ、
ずっとフラストレーションを抱えながら活動してたと知った。
好きなことをやって食ってくのは大変なのだ。
ソニック・ユースですら。
インタヴューなどでのクールなたたずまいは、ポーズだったのだ。
冬目景のキャリアは、ソニック・ユースのそれに何となく似ている。
ただし、まだくたびれてなさそうなところは違う。
- 関連記事
はら九五『ネガティブハーレム愛ランド』
ネガティブハーレム愛ランド
作者:はら九五
掲載サイト:『コミックDAYS』(講談社)2019年-
単行本:モーニングKC
[ためし読みはこちら]
主人公「山根トオル」は高校2年生で、祖父と叔母の三人で暮らしている。
生活費や学費は叔母が負担してるらしく、その代わりに、
トオルが寝たきりの祖父の介護を担っている。
あまりぱっとしない青春だ。
祖父が死んでから間もないある日、親友の「優」から手紙が届く。
そこに書かれる内容は突拍子もなく、無人島に誘拐されたので、
警察には通報せず直接助けにきてくれというものだった。
モテる優には女友達が大勢おり、11名が救出作戦に志願した。
トオルもその一員に加わり無人島へ向かう。
1巻で出番は少ないが、右端の「めぐる」がかわいい。
現実感の稀薄な船旅で、トオルは怯える。
まわりの少女たちは、どうせ優のイタズラだとたかをくくってるが、
もし本当に誘拐事件だったらどうするのか。
憧れの存在だったクラスメイトの「雪園栞」が隣に立ち、
トオルの震える手をにぎって励ます。
そして、もともとトオルに好意を持っていたと告白する。
夢みたいな展開だが、雪園さんを信じてよいかは解らない。
「鬼瓦キリエ」は同じ高校の卒業生。
年上の女の余裕でトオルを翻弄する、重要そうなキャラだ。
無人島に上陸してからは、惨事が連発する。
最初の夜に、少女たちの中から犠牲者が出る。
死体の側には、虚ろな目をした雪園さんが、鎌を手に立っていた。
ただし、彼女が直接手を下すシーンは描かれない。
二重三重にヒネリの利いたストーリーに惹かれると同時に、
女の子のアンニュイなたたずまいが印象的だ。
- 関連記事
吉宗『彼女ガチャ』
彼女ガチャ
作者:吉宗
掲載サイト:『コミックトレイル』(芳文社)2019年-
単行本:芳文社コミックス
[ためし読みはこちら]
1回5万円でガチャを回すと、カプセルに入った恋人をもらえるという、
謎のビジネスに翻弄される男女を描くサスペンスである。
5万円は絶妙な値付けで、レア彼女が出るまでハマりそうだ。
運さえよければ、自分には不釣り合いな美女が出現することも。
ベッドシーンはあるが、こちらが期待したより淡白だった。
とはいえ女体の描写は艶かしくて魅力的だ。
本作のエピソードは、2話で完結するスタイルで語られる。
中心となるのは、ガチャから出てきた個性的な女たち。
美人でスタイルがよくて家庭的で、非の打ちどころのない女が、
排出率70%のノーマル彼女だったりする。
つまり事故物件なわけだが、調子に乗った男たちは深く考えないまま、
その傲慢さの報いを受けることになる。
- 関連記事
恩田ゆじ『神木兄弟おことわり リトル・ブラザー』
神木兄弟おことわり リトル・ブラザー
作者:恩田ゆじ
掲載誌:『別冊フレンド』(講談社)2019年-
単行本:講談社コミックス別冊フレンド
[ためし読みはこちら]
2015-17年に連載された『神木兄弟おことわり』のスピンオフである。
本篇では脇役の「山下セリナ」を主人公に据え、
かわいさの道を究めようとする美学をえがく。
セリナは、道端で見知らぬ女の子にチェキをせがまれたり、
ツイッターのフォロワーも5000人をこえるカリスマだが、恋愛経験はなし。
かわいくするのは、モテたいためではなかった。
むしろ下品に女を値踏みしたりする、男の粗野なところが嫌いだった。
我慢できずに面と向かって啖呵を切ることもある。
カワイくてイケメンなセリナが、クソ野郎どもに復讐される。
違うクラスの男子に誘われ、なんとなく出掛けたデートが実は罠で、
それに気づいて呆然とする彼女のヒールが、エスカレーターに挟まる。
残酷で印象的なシーンだ。
そんな冴えない日常のなか、セリナは弟の様に可愛がる橙次郎と急接近。
ツーショット写真をツイッターにバンバン上げてたら、
彼氏だと勘違いしたフォロワーが勝手に恋バナで盛り上がり、
「これで彼氏じゃなかったらただのビッチ」と決めつける過激派も現れ、
恋愛に消極的だったセリナですら退路を断たれる炎上案件に。
自称デジタルネイティブ世代ならではの恋模様がたのしい。
モヤモヤしたまま橙次郎と遊園地へゆく。
つれない態度に怒った橙次郎に放置され、ミラーハウスで迷ってしまう。
心象風景として好都合なミラーハウスは、物語の舞台によく出てくるが、
本作での孤独感の表現は、大袈裟でおかしくて、そしてせつない。
セリフ、表情、小道具などで共感を誘う少女漫画のテクニックを、
ちょっとハズしながら駆使する、卓抜なセンスが光る作品だ。
- 関連記事
はづき『ゆめぐりゆりめぐり』
ゆめぐりゆりめぐり
作者:はづき
掲載誌:『コミック百合姫』(一迅社)2019年-
単行本:百合姫コミックス
[ためし読みはこちら]
東京から温泉地に引っ越してきた女子高生が、
地元の女の子と湯巡りしながら、親睦を深めるワイド4コマ漫画。
「つばき」と「ひより」の出会いは、駅前の足湯だった。
黒髪の少女が、うっとりした表情でぬくもりを堪能する様子は、
あまりに絵になるので、おもわず見惚れてしまった。
勿論、裸形を披露するシーンもたっぷり。
ころころぷにぷにで、つるつるすべすべな少女たちの、
ウェットアンドメッシーな裸の付き合いが描写される。
とはいえ、見どころはやはり足湯だ。
道端ですっとストッキングを脱いで入浴する展開は健全なのに、
ありふれた日常を吹き飛ばすエロスの爆弾となる。
ストーリーはあってない様なもの、というかほぼない。
でも漫画に可愛さを求めるなら、本作は全篇がクライマックスシリーズ。
いろいろな意味でアツいテーマパークは読者を癒やすだろう。
- 関連記事
田澤裕『君のお母さんを僕に下さい!』
君のお母さんを僕に下さい!
作者:田澤裕
掲載メディア:『ヤングガンガン』『マンガUP!』(スクウェア・エニックス)2018年-
単行本:ガンガンコミックスUP!
[ためし読みはこちら]
リサイクルショップで働くフリーターの主人公には、好きな人がいる。
それは同僚の「夕月さん」。
保育園に通う息子がいるシングルマザーだが、
そうは見えないくらい可愛く、スタイルもいい。
恋愛経験のない主人公は、自分に向けられる優しさを好意だと勘違いし、
すっかり夕月さんに夢中になってしまう。
トラブルを心配した同僚の女は、それとなく自覚を促すが、
天然な夕月さんは、自分が惚れられてるとまったく気づいてなかった。
舞い上がった主人公「稜」は、仕事帰りに告白する。
スーツを着て指輪を贈り、いきなりプロポーズした。
夕月さんは驚くと同時に、ある一言に引っかかった。
「子供がいても僕には関係ありません」。
さすがに天然な夕月さんも、相手がどれほど世間知らずなのか悟った。
子供は関係ないって、なんなの。
私には子供より大切なものはないのに。
なのでわざと残酷に稜を突き放した。
主人公がみごとに撃沈した第1話は、ラブコメの導入として卓越している。
稜はいったん恋をあきらめ、バイトと会計士試験の勉強に専念する。
夕月さんとは微妙な関係になってしまったが、
自宅で夕食を御馳走になるくらいの距離感は保っている。
そこで見た「母親としての顔」は、稜にとって新鮮だった。
ニンジンの嫌いな息子は食べているものを吐き出すが、
夕月さんは自分のシャツでそれを受け止める。
あとで床を拭くより合理的だからだが、愛情がないとできない行動だ。
でも夕月さんはつい油断し、下着姿を稜に見せてしまう。
稜の日常もすこしづつ変化してゆく。
就職に失敗したせいで父親とケンカし、家を出たのだが、
久しぶりに帰った実家で、会いたくなかった父と出くわす。
邪険に叱られると思いきや、その反応は意外なものだった。
いろいろあるけれど、なんだかんだでお互いを支え合う、
家族のありがたさを感じるエピソードが、作品全体で語られる。
夕月さんも母性だけの人ではない。
子供のためなら頑張れる、なんでもできる、それは事実だが、
できることには限界があるし、不安になるときもある。
「母は強し」なんて安易に言われると納得できない。
そんなシングルマザーの孤独感や無力感も描かれる。
作者の初単行本と思われるが、中堅作家レベルの充実した作品だ。
- 関連記事
ぺけ『エンゲージプリンセス サイド・バイ・サイド』
エンゲージプリンセス サイド・バイ・サイド
作者:ぺけ
発行:KADOKAWA 2019年
レーベル:電撃コミックスNEXT
[ためし読みはこちら]
今年4月に運営開始したブラウザゲームのコミカライズである。
すでにゲームはサービス終了したが、漫画は出来がよいので紹介。
物語の舞台は、ファンタジー系RPGのゲーム内世界。
ダンジョンを攻略し、ラスボスを倒すのが目的だ。
プレイヤーはウィッチやナイトやヒーラーなど、仲間を集める。
みな見た目はかわいいが、あまり頼りにならない。
ウサギみたいなヘーベルハウスみたいなマスコットもいる。
プレイヤーのアバターということらしいが、
それはともかくコイツが結構いい味出してる。
ポンコツキャラがドタバタ大騒ぎしながら繰り広げる、
ゆるゆるな冒険譚が本作のウリ。
メタ発言などもおもしろい。
秋葉原の現実の町並みと、ファンタジーが融合した世界観をもつ。
作画は丁寧で、アキバそのものの異世界感まで逆説的に浮かび上がる。
アキバっぽい世界なので、メイドカフェやアイドルのライブも存在する。
かわいくてポップなファンタジー漫画を読みたい人におすすめの作品だ。
1巻完結なのが残念で、この6名が難攻不落のダンジョンや、
強大なラスボスに挑戦するシーンも描いてほしかった。
- 関連記事
タツノコッソ『社畜さんと家出少女』
社畜さんと家出少女
作者:タツノコッソ
掲載誌:『まんがタイムきららMAX』(芳文社)2018年-
単行本:まんがタイムKRコミックス
[ためし読みはこちら]
「人の世の住みにくさ」がテーマの4コマである。
辛い残業を終えた主人公「ナル」は家路を急ぐが、
満員電車の周囲からはカシュッカシュッと、
ストロング系チューハイの缶を開ける音が聞こえる。
みんな疲れているのだ。
ナルが早く帰りたかったのは、自宅マンションで美少女が待ってるから。
学校制服にエプロン姿の「ユキ」は、
家出してナルのところに身を寄せて2週間になる。
まるで初々しい新婚家庭みたいだ。
ふたりは、今日あった出来事についてとりとめもなく話したり、
一緒にキッチンでおつまみを作ったり、楽しい夜をすごすが、
それでもナルはストロングなチューハイを我慢できなかった。
社畜としての生活は、飲まなきゃやってられない。
以上が第1話の流れで、状況説明の巧みさが伝わったとおもう。
居候の身なので甲斐甲斐しく家事をこなすユキは、しっかり者。
オフではだらしないナルに小言をいうこともしばしば。
でも親とうまくいってない孤独感から、ときどき甘えてくる。
そんな家出少女のツンデレっぷりを愛でる作品でもある。
第4話はデート回。
「好きな相手の見慣れない服装にドキドキ」というお約束の展開は、
同居してる関係では難しいが、ひねりを利かせて印象的なシーンに。
ふたりの出会いや、ユキが抱える悩みについては、具体的に描かれない。
おそらくナルは、大学時代に家庭教師をやっており、
精神的に追い詰められた教え子のユキに同情し、
就職したら彼女のための居場所をつくると約束したらしい。
作風は『ゆゆ式』の影響が強いが、ざくりと心を抉る情緒性は、
それとは別のストロングなエモーションを提供している。
- 関連記事