森猫まりり『源氏物語~愛と罪と~』2巻
源氏物語~愛と罪と~
作者:森猫まりり
掲載誌:『Sho-Comi』(小学館)2019年-
単行本:フラワーコミックス
2巻の主人公は六条御息所である。
前巻の、ピュアであどけない桐壺更衣や藤壺と対照的な、
知性と美貌を兼ね備えた、自立したキャリアウーマンだ。
「年上の女との刹那的な恋」が本巻のテーマと言える。
源氏は七つ年下。
贈り物と文が届いたので、京で評判の美青年はどれほどの人物かと、
なんとなく退屈しのぎで会ってみることにする。
東宮妃だった御息所は、男女の事柄も知悉している。
つまらない男には引っかからないし、引っかかる訳にもゆかない。
しかし源氏は只者ではなかった。
本作は、宮廷生活のリアルな再現を指向してはいないが、
御簾や扇などの小道具を巧みに用い、恋の駆け引きを演出している。
本巻でも閨でのことはこってりと描写される。
源氏に後背から荒々しく犯され、はげしく乱れたとき、
はじめは余裕綽々だった御息所の悲劇は、すでに始まっていた。
ついに原作屈指の名場面「車争い」へ至る。
嫉妬に狂う見苦しさとはもっとも無縁だった女が、
まっさかさまに転落してゆくのがドラマティックだ。
本作の特徴は、女たちを主人公に据えている点。
時系列に沿って追うと、現代の倫理観では理解不能な源氏の行動も、
列伝体の形式なら、それなりに一途なイケメンに見えなくもない。
史記を愛読していた紫式部の意にも適うコミカライズなのでは。
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白石純『魍魎少女』3巻
魍魎少女
作者:白石純
掲載誌:『月刊コミックゼノン』(徳間書店)2018年-
単行本:ゼノンコミックス
本作はごった煮感が魅力の、大正ロマン美少女活劇だが、
アメリカからマフィアがやってきてトミーガンをぶっ放したら、
なんでもありの世界観と解ってても、さすがに驚く。
われらが不死身のヒロイン、林檎丸が迎え撃つ。
顔面に被弾しても意に介さない戦いぶりがクールだ。
戦闘後、ダイナマイトの爆風で傷んだ髪をバッサリ切り、
ハイカラなショートカットにしてご満悦。
ちょっと高飛車なところがまた可愛い。
14話は、うって変わって和風な怪談回。
とある小説家からの依頼で、自宅に出るという幽霊を退治しにゆく。
オチも決まった出色のエピソードだ。
ぱっと目を引くスペクタクルと、レトロで耽美的な表現が交錯する、
ちょっと贅沢なエクスペリエンスを本巻でも提供している。
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『スクールガール・タクティクス』 第8章「資金源」
大胆に背中の開いた黒いドレスを着て、ヒカルはファッションショーのランウェイみたいな舞台を往復していた。幾度かよろけたのは、ヒールの高い靴のせいだけでなく、鎖で両手を縛られてるからでもあった。
ヒカルは、エネルギー関連の商社マンや外交官や美女などが集う秘密のパーティに潜入していた。場所は東京湾に浮かぶクルーズ客船「プレステージ」だ。ただ残念ながら彼女の身分は、乗客でなく貨物だった。ほかにランウェイを歩く女たちは東欧や南米の出身だった。人身売買の組織を通じて日本へ送られ、この悪趣味なオークションに出品された。
つまり彼女らは今、競売に掛けられていた。
トライハートの資金源はおおよそ判明した。陸自の諜報員である島袋が仮想通貨の取引を調査した。中核にあるのは、シリア沖で発見された天然ガス田だった。ティナの父親が経営するエネルギー企業が、日本企業に支援されてそのガス田の開発を進めていた。内戦で身動きが取れないシリア政府を出し抜き、独占的な採掘権を獲得していた。
十六歳のティナは、アジア大陸の東西にまたがる天然ガスのシンジケートの連絡員だった。ヒカルたちにぽんと二億円を与える財力があるのも道理だが、問題はカネだけではない。この大プロジェクトは日本政府も陰で一枚噛んでいる。ティナとしてはシリアに正統的なイスラム国家を樹立するため、日本を中東の政治的軍事的力学の渦中へ巻き込み、アサド政権を揺さぶろうとしていた。
ヒカルは目眩を感じながら舞台袖へ戻った。密かな目的を持って潜入しているが、それでも剥き出しの欲望に打ちのめされた。異国から強制的に連れられた女たちの屈辱はいかほどだろう。警察に通報して関係者を全員逮捕してもらいたいが、ここは海の上なのだった。
サングラスをかけた黒のスーツの男が、ヒカルに言った。
「落札された。五百五十万円だ」
ヒカルは嘔吐しそうになった。安値で買い叩かれたことに。振り返ってホールを眺めたが、暗くて買い手の顔は解らない。クルーズ船のどこかにいるはずの島袋が、脱出するための頼みの綱だった。
鉄鎖をジャラジャラ鳴らし、ヒカルはビュッフェ形式のレストランを横切った。酒池肉林の宴がたけなわだった。ソファで堂々と行為に及ぶ者もいた。テレビで見覚えある芸能人も乱痴気騒ぎに加わっていた。
大きな音を立てて個室のドアが開いた。金髪で長身の女が現れた。森下クルミだ。全裸だった。腕にタトゥーのあるイケメンの髪をつかんで引き摺っていた。
「クソが!」クルミが叫んだ。「フェラだけでイクとかなめてんのか、早漏野郎!」
クルミはテーブルの上のシャンパングラスを取り、口をすすいで中身を入墨男の顔に吐きかけた。ソファで別のイケメンの腰にまたがる女を引き剥がし、男だけを連れて個室へ戻った。わずかに面識あるヒカルの存在には気づかなかった。もともと女など眼中にないのだ。
グラサン男は首輪に繋がる綱を引いて、ヒカルを隣の個室へ導いた。
個室には窓があり、穏やかな東京湾の風景を楽しめた。そうするだけの心の余裕があればだが。
部屋には女と男がひとりづづいた。女は縄で縛られ、天井から逆さ吊りされていた。透き通る様に白い肌をした東欧風の女だった。男は、痩身ながら筋肉の隆起した上半身を露わにしていた。鞭を振るうその男は、芸能人だった。
沢木カズヤ。男性アイドルを専門とするジェイ事務所の、ボディゾーンというグループの一員だ。
沢木は加虐を止めて振り返り、落札品であるヒカルをねめ回した。テレビで見たとおりの端正な顔立ちだが、目が濁っていた。アルコールや薬物の影響だろう。テーブルには使用済みの注射器が転がっていた。東欧女にも過剰投与し、意識を朦朧とさせた上で痛めつけていた。
テーブルの上にはさらに、ナイフやハンマーや電動ドリルや糸ノコギリなどが並んでいた。死体をバラバラにされ、ゴミの様に海に捨てられる未来が予想された。島袋は一向に助けに来ない。身許がバレて捕まったのかもしれない。
深呼吸してヒカルが言った。
「ボディゾーンの沢木カズヤさんですね」
「なんだ」沢木が言った。「日本語をしゃべれるのか。お前は日本人か?」
「そうです。あなたみたいな有名人が、なぜこんな酷いことをしてるんですか。ファンが知ったら悲しみます」
「ふん、なにも解ってねえな」
「どういうこと」
「ファンは、俺たちが誰かと真剣交際するのを一番嫌う。だからこういう所で遊ぶ。万一バレても連中は傷つかない」
「そんなバカな」
「乱交パーティなら、ひょっとしたら自分もジェイタレに抱いてもらえるかもしれないと、夢を見れるのさ」
沢木は乾いた声で笑った。美声だった。
ヒカルはうなだれ、鎖で繋がれた両手を見下ろした。幻滅していた。音楽が好きで、歌番組が放映されれば必ず見るヒカルにとって、明るく爽やかなジェイ事務所のタレントは憧憬の対象だった。
でも現実のジェイタレは、一般社会と異なるルールに従って世を渡る、理解不能な生き物だった。
「トライハートという組織を知ってますか」
「知るか。くだらねえ質問はやめろ」
「じゃあ中川エリコさんは」
長い前髪の下の沢木の表情が、皮肉で陰気なものに変わった。トライハートのリーダーであるエリコと、なんらかの因縁があるのは明白だった。
「そいつなら知ってる。アソコの締まり具合まで」
「恋人なんですね」
「俺たちはプロフェッショナルだから、恋人を作らない。性欲を吐き出す場所は必要だけどな。幸い、相手には困らない」
「エリコさんは異なる意見でしょうね。かわいそうに」
「あいつは、そこらの女優やアイドルよりツラもカラダもいい。でもやたら束縛してくるから捨てた」
会話に飽いた沢木は、首を回してボキボキ鳴らした。天井の滑車から垂れ下がるロープを調整し始めた。ヒカルを吊って虐待するつもりだ。
ヒカルは懸命に考えた。理解しようとした。このパーティの参加者の行動は、なぜこれほど異常なのか。
おそらくストレスが原因だ。タレントなら常にCDの売上や視聴率で評価される。良い数字が出なければ地獄だ。将来への不安も大きいだろう。
注射器を持って近寄る沢木に、ヒカルが言った。
「とてもいい体してますね。ジムで鍛えてるんですか」
「俺の肉体に惚れたか? 抱いてやってもいいぜ。クスリを打ってからヤると天国までイケる」
「もしよかったら下半身も見せてください」
沢木はジーンズと下着を脱いだ。己の肉体美を見せたくてしかたないのだ。ただしヒカルとは二メートルの距離を保っている。両手の自由を奪ったとはいえ、反撃されるかもしれない。
「すてき」ヒカルが言った。「とっても立派です」
「ナニが大きいってよく言われるぜ」
「お尻も見たいです」
「それは断る」
「ああ、やっぱり。肛門を使い込んでるから」
「なんだと」
「事務所の社長に毎晩犯されてるんでしょ」
「てめえ、殺すぞ」
沢木は乱暴にテーブルを漁った。もっとも痛覚を与えられそうな道具を探した。激怒していた。なのでヒカルが背後に忍び寄るのに気づかなかった。
ヒカルは床から拾った注射器の針を、沢木の首筋に刺した。プランジャーを押し込み、バレルの中のヘロインを一滴残さず注入した。狼狽した沢木は尻餅をついた。
ヒカルは這いずる沢木を捕まえ、足首にロープを結びつけた。力づくで滑車を引き、裸のアイドルを逆さ吊りにした。
気絶しかかった沢木の頬を平手打ちし、ヒカルが言った。
「まだ意識はありますか」
「ウチの社長が黙ってないぞ」
「逆さまで凄むのは滑稽ですよ。あなたのファンを悲しませたくないから殺しはしません。でも、自慢のナニにお仕置きしてあげますね」
ヒカルは思い切りハンマーを振り下ろした。
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山本やみー/MITA『ドクザクラ』
ドクザクラ
作画:山本やみー
原作:MITA
配信サイト:『裏サンデー』(小学館)2019年-
単行本:裏少年サンデーコミックス
[ためし読みはこちら]
主人公である大学生「アツシ」は特殊能力を持っている。
頭上に浮かぶ二桁の数字がそれだ。
これはアツシへの「好意」を示す。
感情が数値化されれば、たやすく他者を操れる。
誰が自分に靡くか、何をしてやれば喜ばれるか解るから。
おかげでアツシは、ミスコン優勝者「エミ」を彼女にしている。
能力を利用して女を食い物にするアツシは、少なくとも三股かけている。
No.1キャバ嬢の「ユメノ」もそのひとり。
アツシにぞっこん惚れこみ、金品を貢いでいる。
ユメノとのベッドシーンは、乳首を見せないなどの制約のなかで、
4ページにわたって激しく濃厚に描写される。
ちなみに僕は、この場面をためし読みして購入を決めた。
18歳の人気アイドル「るるな」まで手なづけている。
ただし1巻で、彼女との行為は描かれないのが残念。
主人公の境遇はひたすら羨ましいが、いいことばかりではない。
幼なじみの「サクラ」が15年ぶりに現れ、結婚を迫ってくる。
アツシはいつもの様に女を操縦できない。
サクラからの好意はカンストしているから。
僕みたいに、エロティックサスペンスが好みの人におすすめの作品だ。
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晴瀬ひろき『私以外人類全員百合』
私以外人類全員百合
作者:晴瀬ひろき
配信サイト:『ComicWalker』(KADOKAWA)2018年-
単行本:角川コミックス・エース
16歳の「茉莉花」は、知らぬ間に世界が変貌しているのに気づく。
そこらじゅう探しても女しかいない。
とうぜん茉莉花は当惑するが、まわりは意に介さない。
騒げば騒ぐほど、頭がおかしいと思われるだけ。
ただひとり、科学マニアの「りり」だけは、
茉莉花が並行世界からやってきたらしいと察した。
そして条件つきで、元の世界へ帰るのに協力する。
条件とは、自分と交際すること。
勿論この世界で女同士の恋愛は普通だ。
初デートでの待ち合わせの場面。
ふたりの視線が交錯する描写が、巧緻をきわめている。
たしかに本作は、パラレルワールドSF的テーマを匂わせてるが、
作中で科学用語が飛び交うわけでなく、強みはビジュアルにある。
弟はこちらでは妹なのだが、こっそり姉を監視するときの、
脚のシルエットの描き方などにセンスがみなぎる。
コントラストの利いた絵柄や、全体的なデザインのよさが際立つ。
手掛かりを求めて山奥を探検するときのアウトドアファッションも、
流行を取り入れたハイウエストでかわいい。
作者はあとがきで、最初に本作のタイトルを思いつき、
そこから遡ってストーリーや世界観を構築したと明かしている。
とはいえ、アドリブっぽい創作過程のわりに読みごたえがある。
百合というジャンル自体がサイエンスフィクションだからかもしれない。
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『スクールガール・タクティクス』 第7章「浸透」
ヒカルは木製のデスクが並ぶ、芳友舎のパソコン部部室にいた。保育園で有給休暇をもらったのをいいことに、けっきょく毎日高校へ通っていた。
乗りかかった船は下りられない。すでにヒカルは二人殺したのだ。あと制服に対する未練もなくはなかった。
部長であるソラが、ホワイトボードにマーカーを走らせた。昼食のカロリーメイトを頬張りながら、トライハートにまつわる謎を箇条書きしている。
資金源。
武器弾薬の入手ルート。
他校のJKへの浸透具合。
政界とのコネ。
背後で彼女らを操る黒幕。
ブサメン絶滅以外の隠された目的。
書きくたびれたソラは、ぶらぶらと右手を振った。ため息をついて言った。
「謎が多すぎるッス」
ヒカルが言った。「ソラちゃんがハッキングして調べたら」
「やったけど、肝心なことは何も解らないッス。あの人たち、連絡やお金の管理にパソコン使ってないッス」
「用心深いなあ。じゃあ幹部の三人を監視するとか」
「エリコ様は無理ッスよ。プロの女性のボディガードが常に二名張りついてるッス」
「まるでVIPだね」
「小学生のときストーカー被害を受けて以来、そうしてるらしいッス。お父様が偉い警察官僚なんス」
「へえ」
「そんでお母様がオペラ歌手ッス」
「くわしいね」
「全芳友生の憧れッスから」
ソラはうっとりした表情で、敵組織のリーダーについて語った。
奥多摩でヒカルたちは、トライハートを痛撃した。確認戦果だけで三名死亡、ほかにも相当な被害が生じたろう。しかしあの戦闘は偶発的だった。功を焦った三年生が自滅しただけとも言える。組織の中核を叩いたわけではない。
短いスカートから伸びる脚を組み、ヒカルが言った。
「カラオケに誘おう。クルミさんは正直怖いから、ティナさんがいいかな」
「へ?」
「私は保育士だから知ってるの。お歌が嫌いな子供はいない」
「いやいや」
「情報を引き出すには仲良くならなきゃ」
「でもカラオケって。世界的に悪名高いテロリストなんスよ!」
「子供は子供よ。例外なんてない」
ヒカルとソラは放課後、田園都市線の用賀駅前にあるカラオケ店に来た。浅黒い肌の少女がアニメソングを熱唱していた。御岳山でヒカルの仲間を苦しめたティナだ。いま持ってるのはAK47でなくマイクだが。
曲が終わり、ヒカルとソラは引き攣った笑顔で拍手した。
上機嫌のティナが、ヒカルに尋ねた。
「ティナはもう何曲歌ったか?」
「十曲くらいですね」
「嘘だろ!」
「数えてないけど、それくらいです。とてもお上手なのでビックリしました」
「調子に乗ってしまった。今度はキミらが歌ってくれ。ティナは日本の歌をもっと知りたい」
ティナはつぶらな瞳を潤ませ、何度も頭を下げた。ひたすら恐縮する姿に、残忍なテロリストの面影はない。マイクを渡されたヒカルは、得意の安室奈美恵を歌い始めた。
店員が、ソラが注文したカツサンドを運んできた。皿をティナの方へ押し出し、ソラが言った。
「ティナさんもどうぞ」
「ありがとう。でもお腹は空いてない」
「そうッスか。じゃあ遠慮なくいただくッス」
ソラは幸せそうにパンと豚肉にかぶりついた。もしゃもしゃと咀嚼しながら言った。
「アニソンに詳しいッスね」
「ティナは故郷のアレッポを離れ、ヨーロッパで一人暮らしをした。とても孤独だったが、日本のアニメに救われた」
「あたしもアニオタなんで、そう言ってもらえると嬉しいッス」
「日本のJKに憧れた。みんな可愛く、生き生きしていた。内戦で荒れ果てたアレッポとは、天国と地獄の違いだ」
「お気の毒ッス」
「そんなときフェイスブックでエリコと知り合った。誘われたので、勇気を出して芳友舎に入学した。みんなティナに良くしてくれた。日本は第二の故郷だ」
ヒカルは安室奈美恵を歌いつつ、年下のふたりの会話に聞き耳を立てていた。おしゃべりなソラは、ティナの警戒を解くのに成功したが、口を滑らせて失言しないか心配だ。
「アレッポって」ソラが言った。「どんな町ッスか。シリア最大の都市ってことくらいしか知らないッス」
「古代以来の歴史が残る、美しい都市だ。イスラム文化の中心地だ。いや、だった。もはや瓦礫の山でしかない」
「シリア内戦は大変な出来事なんスね」
「かつて『アッラーに祝福された土地』と称された国だが、今となってはお笑い草だ」
「んなことないッスよ。アサド大統領を中心に、内戦は収束に向かってるとも聞きますし」
「すまない。ティナの前でその名を口にしないでくれ」
「アサドさんのことッスか?」
ティナはフォークを握り、カツサンドへ突き刺した。皿は数片に割れた。
「バシャール!」ティナが叫んだ。「売春婦の子! 豚よりも汚らわしいケダモノ!」
「いったいどうしたんスか」
ティナはソラの臙脂のネクタイをつかみ、首を締め上げて言った。
「あの男はアレッポにサリンガスを撒いた。母はもがき苦しみながら死んだ。名前を聞いただけで気が狂いそうだ」
「く、苦しいッス」
ヒカルはマイクを置いた。ソラを窒息させているティナの手を握り、自分の方を向かせた。
保育園でもケンカはよくある。大事なのは、兆候を見逃さないことだ。衝突に至るきっかけが解れば対処できる。今回ならカツサンドだ。イスラム教徒に豚肉料理を勧めるなんて無神経だった。客として招かれた立場のティナは、不愉快なのを表に出さず我慢していたのだろう。
「ティナさん」ヒカルが言った。「私からも謝ります。余計なことを言ってごめんなさい」
ティナが言った。「別に謝る必要はない」
「さっきのソラちゃんの態度は、信仰や文化を軽視していました。彼女は物知りなのに、配慮に欠けるところがあって」
「こちらこそ見苦しい振る舞いだった。許してくれ」
ティナは鄭重に頭を下げた。名家の生まれなのを匂わせる洗練された物腰だ。
やや青みがかったティナの瞳に見惚れながら、ヒカルが言った。
「戦火で家族を喪うなんて、恐ろしいことですね」
「ああ。人生のすべてが変わった」
「さぞかし辛かったでしょう」
「インシャラー。アッラーの思し召しだ。それは理解しがたい。でもティナはアッラーのために戦う。ティナにはきょうだいが五人いる。弟が二人、妹が三人」
「大所帯ですね」
「いつかきょうだいを連れて祖国へ帰る。それまでに正しいイスラムの国を作る。長い道のりだが、アッラーを信じれば必ず成し遂げられる」
ヒカルは頬に熱を感じた。涙が流れていた。
各地で無差別テロを起こしたティナの行動は許容できない。それどころか弟の仇でもある。しかしその動機は純粋なのだと、直接話して解った。神のため、祖国のため、家族のため、命を賭して戦う情熱そのものは、否定しようがない。
地下にある用賀駅は、入口が擂鉢状の階段になっている。カラオケ店を出たヒカルたち三名が、階段の上の歩道にいた。夜九時を回ったので帰宅したいヒカルとソラは、ティナに引き止められていた。
「約束してくれ!」ティナが言った。「またカラオケに付き合ってくれると」
ヒカルが言った。「勿論です。沢山お話できて、私も楽しかったです」
「できれば毎週行きたい」
「ええ、ぜひ」
ヒカルはセイコーの腕時計を一瞥した。母親から地元のスーパーで買い物を頼まれていたが、そろそろ閉店時刻だ。
時間を気にするヒカルの様子に気づき、まるでこの世の終わりみたくティナはうなだれた。
「すまない。何か用事があるんだな」
「いえいえ、特に急ぎでは」
「ティナは一人でいると寂しくてたまらない。十六歳なのにみっともないが」
「女の子なら普通です。まして異国にいるなら、なおさら」
「なあ。ヒカルのこと、お姉さんと呼んで構わないか」
「嬉しいですけど、私たち知り合ったばかりなのに」
「インシャラー」
ティナはアイフォンを操作した。すぐにヒカルとソラのアイフォンに通知があった。カラオケ店でティナに勧められてインストールした、見たことのないアプリだ。「入金がありました」と表示されていた。
「入金?」ヒカルが言った。「ティナさんが送ったんですか」
「ちょっとした感謝の気持ちだ。快く受け取ってくれ」
「でも一億円って書いてありますよ」
「正確には仮想通貨だ。試験的に運用されてるアプリだが、日本でも使える。税金もかからない。安心するといい」
「うそ」
ヒカルとソラは顔を見合わせた。喜びを隠せなかった。実感の湧かない法外な金額にでなく、トライハートの資金源を突き止められそうな手掛かりに。
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松阪『大奥より愛をこめて』
大奥より愛をこめて
作者:松阪
掲載誌:『まんがタイムオリジナル』(芳文社)2018年-
単行本:まんがタイムコミックス
[ためし読みはこちら]
第11代将軍・家斉時代の大奥を舞台とする、歴史もの4コマである。
金髪碧眼の「蒔乃」が新しい女中としてやって来るのが、物語の始まり。
さっそく蒔乃は新人イビリの洗礼をうける。
有名な「裸踊り」である。
実在を疑われてはいるが、捨てがたいエピソードだろう。
御台所(正妻)の「寧姫」は、引きこもりのコミュ障として描かれる。
家斉とは幼なじみの関係だが、結婚後も実事はなく、
側室が懐妊したという知らせを聞いて気落ちしてしまう。
お付きの女中が気を利かせて人生ゲームで遊ぶが、むしろ逆効果に。
大奥ならではの華やかさを、ワイド4コマ形式で演出する。
僕のお気にいりは、眉が特徴的な寧姫の部下。
武家の女らしい凛とした言動がいい。
漁色家の家斉に仕える以上、身分の低い蒔乃も「お手つき」になりうる。
しかし本人は故郷に想い人がおり、床入りには否定的。
本作は、将軍家の血統維持を目的とする機関において、
いかに純情でありつづけられるかというテーマがある。
寛政の改革で知られる松平定信が、大奥を敵視する悪役として登場。
将軍などは、幕政を司るための単なる道具とみなし、
家斉と寧姫の幼なじみの恋を踏みにじる。
やたらと家斉が女に手を出したのは、寧姫を守るためだった。
たしかに幕府主導の婚姻政策は、安定した統治に有効だったが、
大奥での浪費が財政を圧迫したのもまた事実。
功罪半ばであり、そこに歴史ものとしてのドラマが生まれる余地がある。
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赤城あさひと『少年、ちょっとサボってこ?』
少年、ちょっとサボってこ?
作者:赤城あさひと
配信サイト:『コミックDAYS』(講談社)2019年-
単行本:モーニングKC
[ためし読みはこちら]
少年の通学路には、ガス会社の小さな事務所があった。
そこには、派手な色のショートカットのOLが勤めており、
コンビニのスイーツを食べたりして、しょっちゅう仕事をサボっていた。
少年が通りかかると、お姉さんはいつもちょっかいを出してくる。
『ちおちゃんの通学路』の向こうを張った、通学路コメディである。
ちなみに作者はワニマガジン社から成人向けの単行本を出している。
親指に伝わる弾力の描写は、あちらの分野で磨いた職人藝だろう。
露出控えめのエロスを、本作は追求している。
デニムの皺、シートの反発、臀部の量感。
モノクロームのハーモニーを奏でる。
少年の周りには、だらしない女が集まりやすいらしく、
母親も家事をすべて息子に任せるほどの強者だったりする。
でもかわいい。
お姉さんがマジメな少年に、息抜きの大切さをおしえるストーリーだ。
それ以上のテーマは特に読み取れない。
とはいえ他に誰もいない事務所で、コーヒーを飲みながら、
ふたりきりで見る夕日のうつくしさは、ちょっと感動するかもしれない。
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『スクールガール・タクティクス』 第6章「指揮官」
銃撃戦を生き延びたヒカルとソラは、軍用ヘリのブラックホークで奥多摩の上空を飛んでいた。眼下には山林が広がり、建造物は見えない。地勢は起伏が激しく、トライハートや警察などの追跡があるかは判断しがたい。
ヘリには他に十名が乗っていた。ほぼ全員が迷彩戦闘服を着た男だ。イケメンに分類できる者はいない。それもそのはずで、彼らはみな虐殺から逃れたブサメンだった。「トータル・ミリタリー・エージェンシー」という組織を立ち上げ、密かに抵抗運動を展開している。略称はTMAだ。
真向かいに島袋ヒロシが座っていた。小河内ダムのヘリポートでヒカルとソラを拾った。ヒカルが独走したせいで計画の大幅な修正を強いられ、苦虫を噛み潰していた。
ヘッドセットを通じ、島袋は言った。
「最近の保育園は射撃訓練もするのか」
「さあ」ヒカルは言った。「どうでしょう」
「MP7は使いやすい銃じゃない。なぜ撃てた」
「弟が乗り移って、助けてくれたんだと思います。弟はミリタリーに詳しかったので」
「ふん。ミリオタの知識が通用するほど甘くねえよ」
いっそう島袋は顔をしかめた。ブサメン組織を率いる資格は十分の容貌だ。
搭乗者の中に例外的な人物がいた。背格好からすると十二、三歳くらいだが、髪を美しい銀色に染めており、年齢も性別も不詳だった。服は黒づくめで、ショートパンツを穿いていた。ニンテンドースイッチで黙々とゲームをしていた。
右隣のソラが昂奮ぎみに、ヒカルに言った。
「あたし、あの人を知ってるッス。プロゲーマーの神月ヤヤさんッス。たしか中学三年生」
「有名なんだ」
「年に何億も稼いでる超天才ッスよ」
「男の子? 女の子?」
「女子ッスよ。いや、正確に言うとボクっ娘ッス」
「なにそれ」
「ヒカルさんはもっと若者文化を勉強すべきッスね」
興味を抱いたヒカルは、天才中学生にじっと視線を送った。ゲームに没頭するヤヤは無反応だ。子供の相手が得意なヒカルが思うに、こちらの視線には気づいてる風だった。
ヒカルは鼻を膨らませ、島袋に言った。
「なんで中学生を連れてきたんですか。危ないでしょう」
「ヤヤのことか? あいつはTMAの戦術顧問だ」
「まさかあの子に戦わせるんですか」
「言いたいことは解る。でもヤヤの戦術能力はダントツなんだ。あいつ抜きではトライハートに太刀打ちできない」
「冗談はやめてください」
ヒカルは、初対面のヤヤのために本気で怒っていた。保育士と自衛官で倫理観に隔たりがあるのは知ってるが、到底許せることではない。
警告音がコックピットから鳴り響いた。ヘリは地対空ミサイルに捕捉された。
追尾してくるミサイルに対し、ブラックホークは強力な熱源となるフレアを放出した。赤外線センサーを欺瞞できるが、あくまで効果は限定的だ。
ヤヤはニンテンドースイッチをしまい、立ち上がった。コックピットに顔を出し、山並みを観察した。
右側の絶壁を指差し、ヤヤが言った。
「あの山の後ろに隠れて」
「無茶を言うな」パイロットが言った。「墜落する」
「ミサイル食らうよりマシでしょ!」
ヘリは右へ急旋回した。絶壁に遮られ、携帯式対空ミサイルのスティンガーが爆発した。ヘリはミサイルの衝撃波と、旋回による揚力低下と、斜面に沿った下降気流に見舞われた。陸上自衛隊のパイロットですら機体を制御できない。
大きく円を描きながら、ブラックホークは谷底へ落ちていった。隣で悲鳴を上げるソラに、ヒカルは覆いかぶさった。TMAのブサメンたちも機内で喚いていた。
ヘリは不時着した。機体の底で台地を削り、ブレードで木々を薙ぎ倒したあと、静止した。
谷間に反響する騒音は、しばらく止まなかった。
グレーの制服を着たヒカルはシートベルトを外し、ソラの手を引いてブラックホークから這い出た。平衡感覚が狂ってたので、膝をついて進んだ。
谷底にハードランディングしたヘリは、外見は特に異常なかった。すぐにでも離陸できそうだった。パイロットのふたりが点検を始めた。スティンガーを撃ったのがトライハートなら、とどめを刺しに来るだろう。
銀髪のヤヤが、草地に横たわっていた。シートベルトをしてなかったため、機内で頭部を打ち裂傷を負っていた。血まみれだった。
ヒカルはヤヤを仰向けにし、ほかに負傷部位がないか確かめた。意識はあり、呼吸や心拍も正常だった。ソラが救急箱を見つけて持ってきた。保育園で応急処置を学んだヒカルは、裂傷にガーゼを当てて包帯を二回巻いた。
手当てを受けるヤヤは、ヒカルの腿に頭を乗せたまま、アイパッドを操作した。周辺の地形を調べていた。せわしなくスワイプ、ピンチイン、ピンチアウトしながら、ブツブツつぶやいた。脳を損傷したのではないかと、ヒカルは心配した。
ヤヤをいじらしく思ったヒカルは、その乱れた銀髪を手で梳いた。不思議な少女だった。黒のスカジャンとショートパンツ。腰にはなぜか日本刀を佩いていた。整った顔立ちだが、可憐な美少女というより、凛々しい少年剣士の趣きだった。
ヤヤが勢いよく起き上がり、ヘリに駆け寄った。屋根に登って修理するパイロットを見上げて言った。
「どう、直りそう?」
パイロットが言った。「エンジン起動装置をやられたが、電気的な故障だ。どうにかなる」
「何分で修理できる?」
「わからん」
「大体でいいから時間を教えて」
「しつこいぞ。作業の邪魔だ」
装甲がへこみそうなほど強烈に、ヤヤはブラックホークの機体を蹴った。
「何分かかるか聞いてんの! 答えろ!」
「十五分だ、畜生!」
幹部自衛官であるパイロットは、中学生の女から頭ごなしに命令され、さすがに気分を害した。
ヤヤは早足で、迷彩戦闘服を着たブサメンの集団に近づいた。総員七名。不時着による心身の打撃のせいで、ほとんどの者はヤヤとのアイコンタクトを避けた。
リーダー格である島袋に、ヤヤが言った。
「五分後に追手が到着する。あの尾根を越えてくる可能性が高い。あそこに防衛線を築いて時間を稼ごう」
「今の状況で交戦するつもりか? 自殺行為だ。こいつらは実戦経験がまったくないんだぞ」
「ボクだってないよ。みんな仲良くロストバージンだね」
「ヘリを捨てて逃げた方がいい」
「敵は地上から攻撃してきた。ヘリはボクらの強みだ。捨てるなんてバカげてる。道のない山奥を歩くのも危険だ。敵がいなくたって遭難する」
「認められない。いくらお前の意見でも」
黒漆が塗られた鮫鞘から、ヤヤは刀を抜いた。下段に構えて言った。
「ボクは戦闘における指揮権を与えられた。これ以上抗命するなら、ぶーちゃんを斬る」
ぶーちゃんとヤヤに呼ばれている島袋は押し黙った。デブだからぶーちゃんという雑なネーミングだった。身長差は約三十センチだが、肩を落とした島袋の方が小さく見えた。
緊迫したやりとりを眺めていたヒカルは、肩に提げているMP7を手に取った。ダムでした様に装填をおこなった。
ヒカルが言った。「足手まといかもしれませんが、私も戦闘に参加します」
ヒカルの人生は暴力と無縁だった。他人に暴力を振るった経験はないし、振るいたいと思ったこともない。ホラー映画を見たら、その夜は眠れないほどの怖がりだった。
しかしヒカルは人一倍、庇護欲が強かった。年下の人間が危険に晒されると、居ても立っても居られなくなり、恐怖が吹き飛んでしまう。
ヤヤは納刀し、MP7を持つヒカルの腕を撫でた。
「ありがとう」ヤヤが言った。「でも星野さんはヘリの側にいてほしいな」
「私は実戦経験者ですが、お役に立てませんか」
「そうじゃないよ。敵が迂回してくる可能性があるんだ。パイロットやヘリを守るために、星野さんはここで警戒して」
「なるほど」
ヒカルは深く頷いた。実際は足手まといに思われたのかもしれないが、合理的な説明だった。この混乱した事態の中で、戦闘の全体像を俯瞰するヤヤの頭脳に感心した。
ブサメンの八名は、クヌギやコナラの生える尾根の上に横並びに陣取った。ススキなどの草本で覆われた丘陵は、屈むだけで身を隠せた。
ブサメンたちが支給された武器は、ヒカルと同じサブマシンガンのMP7だ。アサルトライフルに比べると、火力や命中精度は物足りない。ただ秘密作戦に従事する都合上、隠して持ち運べるサイズが求められた。現役自衛官の島袋だけは、オートマチックの狙撃銃であるSR25を構えていた。
プロゲーマー兼中学生のヤヤが携えるのは、日本刀だけだ。毎日ゲームで何千発と撃ちまくってるから、実銃なんて見たくも触りたくもないと、うそぶいていた。
オープントップの二台のハンヴィーが、草地を駆け抜けてきた。荷台に立つ二名と、ミニミ軽機関銃の銃手を合わせ、乗員はそれぞれ七名。みな学校制服を着ている。芳友舎以外の制服もある。斜面の前でハンヴィーは停止した。自動車が登るには厳しい角度だ。待ち伏せを用心してるのかもしれない。
島袋は隣にしゃがむヤヤを見た。ヤヤは頷き、発砲を許可した。
島袋はSR25のスコープで、銃手の頭部に照準を定めた。爽やかなポニーテール姿が魅力的だった。サプレッサーで減音されたSRが、七・六二ミリ弾を吐き出した。JFKみたく脳漿を荷台へ撒き散らし、ポニーテールのJKは即死した。諜報の専門家である島袋は優れたスナイパーではないが、二百メートルなら楽勝だった。
これで八対十三。
一斉にJKたちがハンヴィーから飛び降りた。木立の背後からアサルトライフルのFNSCARを発砲した。しかし太陽を背負ったブサメンたちを狙うのはまぶしかった。シューティンググラスを持っているJKは装着した。
もう一台のハンヴィーで、ミニミ軽機関銃の連射が始まった。銃手は森下クルミだった。狂おしいクルミの絶叫が、銃声の合間に渓谷に響き渡った。
フルオート射撃で弾幕を張るのが、クルミのお家芸だ。ライフル弾が関東ローム層の斜面を抉り、ススキの葉を散らし、クヌギの幹を砕いた。ブサメンたちは震え、縮こまった。泣いて母親を呼ぶ者もいた。クルミの凶暴性にふたたび直面するのは、虐殺の生存者にとっては酷な要求だった。
ヤヤはカシオの腕時計を見た。あれから十分経過した。
「そろそろだ」
ドーンッ!
二百メートル下の草地で、迫撃砲の榴弾が炸裂した。さらに数秒おきに着弾し、JKたちの四肢を散乱させた。稜線を越えて撃つよう、ヤヤは事前にヘリのパイロットに指示した。
ヤヤは立ち上がり、抜刀した。切先を斜面の下へ向けた。
「いくぞ!」ヤヤが叫んだ。「ビッチどもをぶち殺せ!」
ブサメンたちの士気は点火された。さっきまで身をすくめて泣き喚いていた弱虫が、等間隔を保ちながら悠然と並進し、MP7を発砲した。
作戦目標はヘリでの脱出であり、敵の殲滅ではない。しかし無事に逃げ延びるためには、ひとりでも多く「ビッチ」を斃しておきたい。
胴体に衝撃を受け、銀髪のヤヤは斜面に転がった。
被弾した。
血相を変えた島袋が、ヤヤをクヌギの根本に引き摺った。防弾ベストを剥がして確かめると、ライフル弾は抗弾プレートを貫通していなかった。ただし肋骨や内臓へのダメージはあるだろう。
「バレバレだったかな」ヤヤがつぶやいた。「でもボクが指揮官だと一発で見抜くなんてさすがだ」
島袋が言った。「何を言っている」
「銃声は多分AKだった。セミオートで正確に狙い撃たれた。右手の岩場にまだいると思う」
「あいつか。ティナか」
「間違いないね」
痩せっぽちのブサメンが、前頭骨を吹き飛ばされた。
急峻な岩場で、制服をまとった浅黒い肌の少女が、神出鬼没の機動を見せていた。精密にAK47を操作し、一人また一人と死傷者を増やしていった。
ティナはシリア出身の高校一年生。イスラム国のテロリストとして主にヨーロッパで活動し、国際逮捕手配されていた。なぜか芳友舎高校へ入学、そこでエリコやクルミと意気投合し、三人でトライハートを結成した。この組織の最大の謎のひとつが、シリアの名家に生まれたというティナの存在だ。
ティナの役割は、作戦立案と兵站と指揮だ。おそらく世界で最も軍事経験が豊富な少女だった。対空ミサイルのスティンガーを撃ったのもティナだ。
パリやロンドンやブリュッセルなどで爆破テロを起こした凶悪犯が、日本で花のJK生活を満喫しているという情報を、島袋はコネを通じて各国へ流し、協力を求めた。しかし疑り深い各国の諜報機関は、鼻で笑うだけだった。
ヤヤは跳ね起き、戦闘可能なブサメン五名に言った。
「ありったけの弾を、あの岩の周辺にばら撒いて。ギザギザのノコギリみたいな岩に。全弾撃ち尽くすつもりで」
島袋が言った。「制圧射撃か」
「うん。撃ち終わったらスタコラ逃げよう」
ヤヤは自分の平坦な胸を擦った。アドレナリンが分泌されてるせいか痛みはない。むしろゾクゾクと快感を覚えていた。
ヤヤはつぶやいた。
楽しい。やっぱ戦争は最高の娯楽だ。FPSの百万倍面白い。世界は広くて、すごい敵がいる。だからこそ楽しい。
この神ゲーをとことん味わい尽くしてやるんだ。
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米田和佐『だんちがい』8巻
だんちがい
作者:米田和佐
掲載誌:『まんが4コマぱれっと』(一迅社)2011年-
単行本:4コマKINGSぱれっとコミックス
長期連載中の本作に、これまでで最大の変化が生じた。
それは最近の流行りである「ワイド4コマ」形式の導入。
きららに代表される、起承転結やオチのない4コマ、
4コマである必然性のない4コマが一世を風靡するなかで、
だったらコマを大きくし、普通の漫画っぽく見せようとする動きだ。
出版社としては、ネタあたりのページ数を稼げるメリットがあるし、
読者もスマートフォン風のアスペクト比に親しみを感じるかもしれない。
拡張された視野で、三女・羽月が躍動する。
豊かな表情、予測不能な行動。
いざとなったら羽月頼り、みたいなところが本作にはある。
とはいえ次女・弥生も、ワイド4コマの恩恵をうけている。
雨粒が落ちてきたときの反応をアップで描写したり。
好きと言ってほしいのか、ほしくないのか。
いや勿論言ってほしいに決まってるけど、どれくらい強く望んでるのか。
ツンデレはワイドコマが似合う。
ちょっとした移り変わりはあっても、四姉妹はいつだって可愛く、
本作のエバーグリーンな魅力は輝きを増してゆくのだった。
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まの瀬『顔がこの世に向いてない。』
顔がこの世に向いてない。
作者:まの瀬
配信サイト:『少年ジャンプ+』(集英社)2019年-
単行本:ジャンプコミックス
[ためし読みはこちら]
人気者の「北見」に告白された、自他ともに認めるブスの「野宮」が、
ネガティブすぎる性格ゆえ、ひたすら迷惑がり逃げまくる4コマ漫画。
作者はやたら80年代推しだ。
たとえばこの引用部分だけで4つのネタを見て取れる(『愛は勝つ』は90年)。
世代的に僕は解るし、面白がれるが、だからこそ一層謎な作家と思う。
グレッグ・イーガンとかSF小説ネタも満載。
なぜかサブカル界隈ってハードSF好きが多い印象。
BLとか現代オタクネタも、独特の間合いで料理する。
本作を読んでいると、わたモテやポプテピなど、
最近のサブカル系ギャグ漫画との類似にあれこれ気づく。
でも一番近いと思うのは、阿部共実かな。
思春期の女の子の生き様を、まるごと抉り取ろうとする迫力において。
漠然とした不安を感じさせる空虚さ。
でも儚いからこそJKはJKで、ゆえにJKはすべてだ。
そして僕たちは、無限ループする宇宙消失を目撃しつづける。
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板倉梓『泉さんは未亡人ですし…』
泉さんは未亡人ですし…
作者:板倉梓
発行:竹書房 2019年
レーベル:バンブーコミックス
医学生の「肇」が下宿先を訪れると、話とちがってその家は、
若くうつくしい未亡人「透子」のひとり住まいだった。
ちなみに物語の舞台は昭和初期。
情報が正確に伝わらないこともあるだろう。
高橋留美子のファンだと公言する作者が、
『めぞん一刻』にオマージュを捧げてるのは、冒頭からビシビシ伝わる。
なにかと世間の目のうるさい時代だ。
透子は家に男子学生を置けないと拒否し、肇もそれを受けいれる。
ただ野宿させるのは不憫なので、一晩だけ泊まらせることにした。
しかしその夜。
夫を事故で失って以来、不眠に悩んでいた透子は、
ぼうっとした頭で、勝手に肇と添い寝してしまう。
翌朝、透子は肇に部屋を貸すと決めた。
ただし条件は、毎晩添い寝させてもらうこと。
自分がぐっすり眠るために。
肇が適当に口走った「女に興味がない」という発言を真に受けるなど、
透子の天然な言動も本作の見どころ。
透子は普段は看護婦として働いている。
肇とケンカして不機嫌なとき、顔は笑ってるけど内心は怒っていて、
無意識に患者に八つ当たりするシーンとか可愛い。
響子さんは 嫉妬深くてメンドくさい女ですね 笑
でもすごく内面が丁寧にリアルに描かれてて
時々 あーわかるよ響子さん て思ったり…
結局あたしも含め女はメンドくさい生き物ってことか 笑
作者ブログから引用
数々の忘れがたいヒロインを送り出してきた板倉梓だが、
今回はあの音無響子と渡り合おうとし、ある程度成功している。
本作は膨大な資料でリアリティを追求する、典型的な時代物ではない。
とはいえ浅草の夜景をバックに、しっとりした場面も描かれる。
幼い頃から
浅草界隈をはじめ銀座や神田や上野や新宿を
祖父たちと歩いた思い出は
大人になったら東京に住むんだ~と思わせるに
十分な動機になったと自覚してます
作者ブログから引用
頭でっかちになりそうでならないのが、板倉作品の美点だ。
舞台が戦前なのは、大家さんが未亡人でどうちゃらこうちゃらに、
2010年代の貞操観念を適用しても、ちっとも面白くないからだろう。
小津安二郎の映画みたく、日本人の心のうつくしさを描きたかったのでは。
しかし板倉ヒロインは、原節子とはちがう。
いろいろ参照してるけど、彼女らは板倉ヒロイン以外の何者でもない。
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